第21話

 やはり原井は天才であった。


 原井が野田選手を倒した。

 正直言えば原井があそこまで圧倒的な差をつけて勝つなんて思っていなかった。


 やはり彼女は天才なのだ。

 ただ難点が一つ。


 原井は恐らくメンタルがそこまで強くない。試合に集中できないとその実力が落ちてしまう。

 ここ数日原井と一緒にいてそう感じた。


 だから彼女が試合に行くときに耳打ちをした。

「とにかく試合を楽しめ。負けてもいい」


 と。勿論、それだけでは彼女の不安を取り除くことはできないので


「いいか。仮に次の試合に勝ったとしてもインハイに進めない。これは消化試合なんだ。埼玉けやきのいない県大会の優勝なんて何も価値ない」


 本音半分、嘘半分。

 埼玉けやきがいない県大会の優勝など意味がない。これは本音。でもこの試合が消化試合それは嘘。


「次の野田というやつは正直私でも勝てないのだからお前に勝つことなんて100%無理だ。無理なら無理なりに試合を楽しめ。籠原南高校というものを背負うな」


 嘘100%。

 野田ぐらいなら別に私でも勝てるし無理など思っていない。団体戦に選ばれたのなら籠原南を背負うのが当たり前ではないか。

 だからこの言葉を発した時には誰に対してか分からない罪悪感というものが激しく生まれた。


 でも原井はそれで納得をした。

 これでいい。


 彼女の本当の実力を出させるには変なプレッシャーをかけてはダメだ。


 その作戦がうまくいったのが彼女は野田を撃破。そして準決勝へ駒を進めた。


 その準決勝も原井は安定をした。

 相手は上里第一。ここで来たか。


 しかしそこでは岡部、田谷組が試合を落としたものの大原部長、瀬南副部長が頑張り快勝。私たち籠原南高校は決勝へ進めた。


 ちなみに去年の春季大会では籠原南は準決勝で敗退している。だから決勝へ行くのは実はこれが初めてらしい。


 その決勝の相手は蒼大本庄である。

 流石決勝の相手。原井は少し苦戦して21-18 17-21 21-18でギリギリ勝利。

 試合終わり後もこんな苦しい試合だったのにニコニコ笑みを浮かべていた。本当に気持ち悪いやつだ。


 大原部長も、瀬南副部長も順調に勝利をし


 籠原南 3-1 蒼大本庄


 で春季大会優勝を決めた。ちなみに初優勝。

 優勝が決まった瞬間それぞれ抱き合った。泣いている部員だっていた。


 しかし勘違いをしてはいけない。

 これはあくまでも春季大会なのだ。あの埼玉けやきが出場していない。もしやつらが出場していたらこんな簡単に優勝などしていない。


 といってもこの私も少しばかりこの優勝に浸ろうと思う。次の関東大会ではますます厳しい試合となるのは確定しているのだから。


 それから私は念のために病院にいった。

 軽い肉離れで次の関東大会までは間に合うらしい。


 とはいえ、安静というものが大事で石塚からしばらくの休養を与えられた。


 根っからのバドミントン人間の私から体育館へ来るなという言葉は呼吸をするなと通じるぐらい厳しいものである。


 こうやって暇になった私。

 当然、家で勉強をするなどという発想はない。

 私は今日使わなかったラケットと靴を持って帰路へ。さてどこでバドミントンをするか。自分の母校か?


 いやいや。玉井とかいるし面倒くさいからいいや。


 と私はふと足を止める。

 市立籠原南中学校。


 その校門が通学路にあったのだ。

 いつもは特に気を止めていなかった学校がそこにある。


 私はキョロキョロと周囲を確認。そしてその学校へ。

 関係者以外立ち入り禁止という看板は私の目には入らない。


 そして迷わず体育館へ。

 恐らく、今練習中だろう。


 私は気になったのだ。あの原井は中学時代どのように練習をしていたのか。そして参考になりそうなところは盗もうかと。


 しかしやけに体育館は静かである。

 体育館の重い扉をあける。

 やはり中には誰もいない。


 いや、いた。一人。必死に壁打ちをしている。


 そしてその少女は私を見て壁打ちをやめた。

 見知らぬ人が体育館へ入ってくる。下手すればその少女にそういった恐怖を与えてしまったのかもしれない。そんなことを思ったがそれは杞憂である。


「原島先輩。偵察ですか」


 その少女は予想外に私の名前を呼んだ。

 驚いて眼を丸くする。


「あっ、そういえば自己紹介をしていなかったですね。私は西野です。原井先輩の後輩の西野です」


 とニマッと原井にそっくりな笑顔を浮かべる。この学校では挨拶するときにはこの顔を浮かべなさいと教育をしているのか。


「前回の試合はお疲れさまでした。肉離れは災難でしたね」


「お前。それをどうして知っている」


「あの試合みてましたから。足の方は大丈夫なのですか」


 まぁ、ボチボチと私は言う。

 すると西野はシャトルを持って


「それなら少し打ちながらお話をしましょう」


 と。そして私と彼女はクリアーで打ち合うことに。


「それで今日の体育館はどうしてこんなに静かなんだ」


「テスト期間中ですからね」


 あぁ、なるほど。そういえばグラウンドとかでも練習をしている人なんていなかった。


「まぁ、そもそもこの学校では普通の練習の日でも塾やら、習い事やら、バイトやら、はたまた彼氏とデート……とかで人は集まらないですし」


「本気で全国を目指そうとかは」


「楽しく和気藹々がモットーですよ。この学校は」


「お前もか?」


「まさか」


 と彼女は満面の笑みを浮かべる。少しばかりクリアーに力が籠っているようにも感じられた。


「私の目標は全国大会ですよ。だから原島先輩も好きですし、原井先輩も好きなのですよ」


「本当かよ」


「本当ですよ。私、来年は籠原南高校に進学しますので教育お願いしますね。原島先輩」


 何故だろうか。こいつに先輩と言われて背中が痒くなってくる。


「それと先輩は勘違いをしているかもしれないですけど原井先輩も和気藹々と部活をするのを嫌っていたのです」


「原井もそっち側だと思っていたが」


「いえいえ。とんでもない。原井先輩はとにかくバドミントンをやりたい。そのような人間です。この学校で言う和気藹々は適当に部活動で手を抜いて、学校帰りに友達と遊ぶ。そのようなことをさすのですが原井先輩はそれとは真逆の世界に生きていました」


 その後も私は原井の学生時代について彼女から聞いた。


 原井は中学時代からバドミントンを始めた。その部活動に対する情熱というのは凄まじく彼女は風邪引いても練習にきたらしい。

 テスト期間中も練習をして、部内で旅行にいくことになったときでも原井だけそれを断り一人で練習。


 誰よりも早く体育館へ来て、そして誰よりも遅く帰る。

 そこには私の想像の原井とは違うものだった。


「天才って努力をしないで実力を伸ばしているのではないと私は思うのです。天才は努力しているけどその努力に気づいていないのです」


 と西野が。

 その話だけを聞くと、今まで原井が天才だと認識していたことが違うように思える。

 原井は天才ではない。ただ見えないところで努力をしていた。

 決して才能だけで彼女はさいたま東高校の野田や埼玉けやきの宮本を倒したというわけではない。


 私と真逆の人間だと思っていた彼女が……実は私と同じ世界線に生きている人間だということになる。

 だからこそ納得いかない。


 そこまでの努力をしているのなら他人に見せびらかせ。勝って私はこんなに努力しているんだというアピールをしろ。どうして彼女はそんなことをできる。


「原井先輩はバドミントンが好きだから努力なんてする必要なんてないんですよね」


 とその答えを西野は言った。


「人は努力してそれが届かないと気づいた時に心がおれる。この学校の生徒だってそうです。何も最初から努力を放棄しているわけではないのです。最初は本気で全国大会を狙っている人だっている。だから努力をする。試合にでる。負ける。届かないゴールを見てしまう。努力なんて無駄だと思う。努力することは馬鹿だと思う。だからすべてを放棄する。和気藹々楽しく部活なんていうことをいう。それに対して原井先輩は幸せ遺伝子があるのです」


「幸せ遺伝子?」


「はい。原井先輩は最初から全国優勝には興味がない。だから努力してもそれを努力と気づかないし、試合に負けても挫折することがない。そんな思考が出来るのは特殊な遺伝子を持っている人だけじゃないですか?」


「お前にはその遺伝子は?」


「残念ながら私には流れていないのです。だから私も挫折しますし泣きますし、バドミントンを辞めそうになったときだってあります。その話をしましょうか?」


「いや、いい」


「そうですか。それは残念です」


 流石に疲れた。

 私は次に来た大きなクリアーにスマッシュを打った。そして西野はそれを見送った。


 これで打ち合いは終わり。かれこれ10分間ずっと打ち合っていたから頬からは大量の汗が出ている。


「今度、またここに来てもいいですか」


「いいですけど、その時はご飯を奢ってくださいね」


 生意気なやつだ。だけどこいつは玉井とは違う世界に生きている。そういえば玉井も籠原南に受験すると言っていたな……下手すれば来年こいつと玉井が同級生になるのか。


「私は原井先輩も原島先輩も好きです。二人は似てますもの」


 と最後に彼女はそういった。そのまま私は体育館を後にする。原井と似ている?

 何を言っているんだ。こいつ。私とあいつは100人いたら99人は真逆な人間というだろう。残り1人は西野。


 その後、夕慕の公園のベンチに座った。そこには一生懸命バドミントンの素振りをする少女。目には汗と涙が溢れている。

 試合に負けたのだろうか。それともレギュラーから漏れてしまったのだろうか。分からない。


 そのすぐ近くには楽しそうにお遊びのバドミントンをする子供が二人。


 どちらの方が楽しいのだろうか。どちらの方がいいのだろうか。恐らくほぼ全員は後者の方を選ぶだろう。


 そうなると今、泣きながら練習をしているあの少女の意味はどうなる? 何故少女はバドミントンをする。

 これだけ練習をしても変わらない可能性だってある。


 馬鹿馬鹿しくはならないのか。


 県大会、あっさりと野田を倒した原井。彼女は試合で泣いたことはあるのだろうか。敗者の苦しみを知っているのだろうか。

 知らないだろう。努力の苦しみを知らないだろう。生まれたときから何も考えずに生きている馬鹿なんだ。彼女は。


 そして原井は無意識に私のバドミントンを否定していく。


 怖い、怖い。


 なんだが急にそんな感情が涌き出はじめる。このままいけばあのメンバーに私が不要になる。だって第一シングルスは原井が勝ってくれるもの。


 私は最初、強い原井に憧れていた。

 だけど弱い原井に苛立ちを感じた。

 そして再び強い原井に出会えた。

 それなのに喜びはなかった。あったのは恐怖だった。


 震えている。

 自分が否定されていく。自分が壊されていく。

 怖い。寒い。寂しい。


 このままいけば私のバドミントンをしている意味を失われる。

 次の大会で原井が活躍したら私の立場がなくなる。


 努力ってなに? 天才ってなに?

 そして私は誰? 原井は誰?


 気づいた時には原井の存在が大きく変わってしまっていた。

 原井は私を壊してしまう悪魔に変化していたのだ。


 目の前の少女は今も泣き続けている。


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