風邪
くしゅんっ。
おっさんが小さなくしゃみをして、それから若干赤らんだ顔でえへへと笑う。
風邪である。
そうかー。おっさん、風邪とかひくんだな。なんとなく超生物的なイメージがあって油断していた。そうと分かれば、こんなにちっさいんだし注意しなければならない。風邪はひき始めが肝心だ。
「よし。夕飯買ってくるから、おっさんは大人しく留守番しといてくれ」
「えーー」
けれどもおっさんはぶうたれる。弁当屋はおっさんのトキメキスポットだから無理もないが、今日はダメだぞ。師走を迎えた夕暮れの戸外は寒い。
「えー、じゃない。おっさんは寝ときなさい。食いたいものとかあるか?」
弱ったときはとにかく栄養を入れることが肝要だ。少しくらいの無茶ならば笑って受け入れてやろう。バケツでプリンを食べたいと言うならそれもよし。俺でもさすがに胃もたれするし、おっさんの大きさを考えたら狂っていると思うが、ペロリと平らげそうな予感がする。
「じぁあー」
おっさんは指を折りながら食いたいものを並べてゆく。
それは……弁当屋のメニューを上から順に読み上げてないか? え。全部乗せ? 食うの? 全部? 食えるの? 食えるか。ヤバいな、おっさん。
まあ、食欲があるのはいいことだ。
「よしよし。買ってくるからおっさんは寝とけよ」
「えっ? いいの? 全部?」
驚いたようにおっさんが言う。頬が赤みを増し、潤んだ瞳がキラキラと輝く。
普段、弁当屋で選んでいいおかずは二つまでと決めている。おっさんの底なし胃袋に真面に付き合っていたら、俺の財布が崩壊する。
「いいぞ。弱ってるときは特別だ」
「ええー」
おっさんは、ちっさい手を頬に当ててくねくねと身を捩った。嬉しいらしい。
「ずっと風邪ひいていようかなあ」
「馬鹿なこと言ってないでちゃんと寝ときなさい」
はあい。と返事をしておっさんは素直に布団に潜り込んだ。全部乗せの効果は絶大らしい。財政の破綻が目に見えているから乱発は出来ないがな!
弁当屋で「全部」と言うと、さすがのおばちゃんも目を白黒させていた。
「大食いチャレンジかい? ご飯も全部に付けるの?」
何故そこで「お友達がいっぱい来たのねー」にならないのか。その注文で俺が一人で食べると思うなんてどうかしている。普段の食いっぷりの所為か?
「あー。コメは二人前で」
「お友達と大食いチャレンジかい!」
いいねえ。と笑っておばちゃんは奥に引っ込んだ。
「はい、おまけしといたよ!」
ニコニコ笑ったおばちゃんが、レジ袋三つ分の弁当を差し出す。ずしりと重い。
「いつもありがとうね」
ありがとうはこっちのセリフだ。俺は丁寧にお礼を言って店を出た。
「頑張ってねー」
楽しそうなおばちゃんの声が追っ掛けてくる。
テーブルに載りきらないくらいの弁当をおっさんが嬉々として食べるなか。山盛りのご飯の底から、チーズに包まれたハンバーグとピリ辛のから揚げがごろごろ出てきた。
何処のテレビ番組だろうと思った。
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