もうすぐクリスマス

「ねえねえ、渚くん」


 ジャージのポケットからこそっと顔を出して、おっさんが俺の腕を引く。ラクダの股引きの上に半纏を羽織ったおっさんは、僅かに頬を染めて瞳を輝かせていた。

 いつもの弁当屋。店内に揚げ物の匂いが充満する、おっさんのトキメキスポットである。

 注文を取ったおばちゃんは奥に引っ込んで調理中。ちょうど他の客がいないこんなときは、おっさんは嬉し気に店内を見回すのが常だ。

 中でも食品サンプルで出来た弁当見本に興味津々で、いつかそれをたらふく食べるのがおっさんの夢である。その夢が叶う日が来ないことを祈るばかりだな。


「んー?」


 エアコンの風が直に当たる位置で暖を取りながら、俺は気の無い返事をする。体の芯から冷えて仕方がない。もうそろそろジャージ一枚でふらっと出掛けるのは限界か。あと十日もしたらクリスマスって時期だし無理もない。面倒だが、明日からは上に何か羽織るとしよう。


「あれ食べたいねえ」


 言われて指差された方に目をやれば、さすがクリスマス、どどーんとチキンの宣伝チラシが貼ってある。


「また随分本格的な……」


 チラシは素人感丸出しだ。ただ食卓の皿を写真に収めてプリントアウトしたようなA4の紙に、手書きで『クリスマスチキンご予約承り中!』の文字と価格が記されていた。

 けれどツヤツヤとした鶏の丸焼きは本当に旨そうで、クリスマスといえばフライドチキンか骨付きのモモ肉くらいしか食ったことのない俺には眩しく映る。


「中の詰め物が選べるのか」


 チラシには、米、野菜、じゃがいも&きのこ、の三種類から選ぶよう案内されている。


「全部美味しそうだねえ。全部食べたいねえ」


 さすがだな、おっさん。でも、俺ももう慣れたものだ。おっさんならそう言うだろうと思ってたさ!


「融に半分出させてクリスマスパーティーでもするか」


 顎に手をあてて考える。美鈴ちゃんも誘うかな。男が鶏を用意する代わりにスープを作ってきてもらうってのはアリだろうか? ハロウィンのスープ、どっちも旨かったなあ……。



「おや。お兄ちゃん、チキン注文するかい?」


 いつの間にかおばちゃんが帰ってきて、ニコニコしながらこっちを見ていた。ヤバい。ぼーっと考え事をしていて全く気づかなかった。思わずおっさんを見下ろすと、ちゃんとポケットのなかに隠れていた。偉いぞおっさん。


「あー、そうですね。旨そうです」


「どれにする?」


「全部で」


 俺の即答におばちゃんは一瞬固まったあと、嬉しそうに笑った。


「三羽ってこと? この間の大盛りチャレンジも完食したの?」


「ええまあ。ペロッと」


 病人のおっさんがな。と、心のなかで付け加える。


「鶏は三羽でお願いします」


「そうかいそうかい。いつもながら気持ちの好い食べっぷりだこと。よしよし。じゃあ、おまけにサラダをサービスしよう。二十四日でいいの?」


 一応美鈴ちゃんの予定を確かめてからにしよう。そう思って、おばちゃんには明日弁当を買いに来たときに知らせる旨言い置いて店を出た。

 寒い。明日は絶対、コートを着てこよう。


 

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