食べ放題

「あれ? おっさん、手に何かついてるぞ」


 おっさんの小さなもみじのような手に、綿毛みたいな白い何かが乗っている。お持ち帰りしたぶどうに笑顔全開で齧りつくおっさんも、俺に言われて不思議そうに手を眺めた。

 ぶんぶん振ってみても、息を吹き掛けてみても、それはそよそよと揺れるだけでおっさんの手から離れない。引っ張ったらちょっと痛かったらしく、おっさんは綿毛を放置することに決めたようだ。


「いやおっさん。ちょっとくらい痛くても取った方が良くないか?」

「だって……痛いんだよ?」


 目に涙を浮かべてふるふると首を振るおっさん。


 泣くなよ。泣かれると強く言えないじゃないか。まあしょうがない。一日だけ様子を見てみるか。


 その油断が命取りだった。



   💀



 翌朝には綿毛は取れていた。よく見ればおっさんの手には小さな黒子ほくろがあって、もしかしてそこから毛が生えてたのかもしれない。おっさんはバーコードも白髪混じりだし、黒子の毛が白くても不思議はない。

 今日もぶどうを食べ続けるおっさんは幸せいっぱいだ。それを見ているとちょっとくらいの散財は何でもないと思えてくる。おっさんが嬉しいと俺も嬉しい。


 昼飯を食べ終えたところだった。俺はデザートにとぶとうに手を伸ばす。その陰から頬を上気させたおっさんが飛び出してきた。


「渚くん! 大変だよ!!」


 大変と言いつつおっさんの瞳は輝いている。好い方の大変ということなのだろう。だから俺はおっさんに笑顔を返した。


「おお。どうした?」


 おっさんはちょっと矯めを作ってから「大変」を俺に見せてくれる。


「見て!」

「ひっ!」

「ぶどう!!」


 おっさんはキラッキラの笑顔だ。ちっちゃな手を差し出して、手の甲に乗ったぶどうを見せてくれる。


「ぶどうじゃねえ!」


 シャインマスカットよりもまだ大きい、黒光りのする瑞々しい果実……に、見えるもの。おっさんが勢いよく差し出したにも拘わらず、手の甲にしっかりと乗っている謎の球体。

 何これ。怖い。


「美味しいよ!」


 俺の恐れになど気づきもせずに、おっさんはアヤシゲな黒丸に齧りつく。


「食うなー!!」

「何で? 美味しいよ?」


 おっさんはきょとんとした顔で俺を見返した。それからぽんと手を打ってにっこり笑う。

 ぽんと手を打っても黒丸は落っこちない。変だろう。完全にダメなやつだろう。何で気づかないんだ、おっさん!


「そうだよね。こんなに美味しいもの、おじさんが独り占めしちゃダメだよね!」

「違います!」


 もう止めておっさん。俺のライフは今や風前の灯よ?


「大丈夫! まだいっぱいあるんだよ♪」


 攻撃の手を緩めることのないおっさんが、白いランニングの裾をぺらりと捲る。


「――!!!!」


 俺は驚愕のあまり、おっさんの手からランニングの裾を毟りとって一気に脱がせた。


「やーん。渚くんのえっちぃ」


 おっさんは頬に手を当ててくねくねと身を捩る。なんだそれは。かずこさんの真似か? 止めてお願い。俺のライフはもうゼロよ?


「じゃぼ……」


 おっさんのだらしない肢体を埋め尽くす悍ましい黒丸は、俺の意識を完全に奪い去った。

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