おっさんの過去

「おっさんはね。シークだったの」


 かずこさん、何言い出した?


 場の空気が一瞬固まる。おっさんを見て、かずこさんを見て、お互い顔を見合わせて、それからまたおっさんを見る。

 百歩譲ってシークがオヤジだったとしよう。だがそれでも、おっさんの見てくれは純和風すぎる。平べったくて、砂漠がちっとも似合わない。


「あー、その顔。信じてないわね?」


 かずこさんはぷうと膨れてデザートのぶどうを引き寄せた。


「おっさん、昔はすっごいイケメンだったんだから!」


 器用に皮を剥いてぴーちゃんに渡してやりながら、かずこさんは夢みるような瞳になる。おっさんはといえば、困ったように笑っていて否定する様子はない。え。マジで?


「でもあんまり幸せそうには見えなかったわねえ」


 かずこさんはおっさんにもぶどうを剥いてやり、三つ目を自分で頬張っている。


「褐色の肌に漆黒の髪。瞳は月の明かりに煌めいて。勇壮でいて慈悲深く、放埒なのに優雅で気品に満ちていた。女たちはみんな、おっさんに夢中だったわ」


 誰だ、それ?

 色白で白髪混じりのバーコード。細すぎて瞳の見えない目。優しいけれど気弱で。物腰は柔らかいのに、ぼんやりしている所為でとろくさいようにしか見えない。女子には見向きもされないであろうおっさんならここにいるが。


 俺がおっさんに目を向けると、おっさんはにへらっと笑う。どこがシーク?


「何でも持っていて、全てを思うがままに出来た。なのに、おっさんはそれをあっさり手放したの」


 かずこさんの瞳が寂し気に揺らぐ。二人の間に何かあったのだろうか。何故か落ち着かない気分になって俺はおっさんに問い掛けた。


「どうして?」


「何もかも手に入るっていうのは、何も得られないのと同じだよ」


 肩を落としたおっさんは自嘲気味に呟いた。


「それにね、おじさんは怖かったんだ」


 俺を見上げるおっさんの細い目の間で、殆ど見えない瞳が煌めく。


「何が?」


 だから俺は聞かずにはいられなかった。泣いているようなおっさんの笑顔が切ない。おっさんはぽつりと言葉を落とした。



「かずこさんの妄想が」



 はい?



「かずこさんの妄想から逃れる為に、おじさんは進化したんだ」


 この姿にね!

 おっさんは胸を張って高らかに宣言した。

 のっぺりした顔も、寂しく揺れるバーコードも、進化! 全ては恐ろしい妄想から身を守る為に!!


「絶対、寝首を掻きに来た異母弟おとうとに押し倒されるんだと思ってたのに! 憎しみが歪んだ愛になってくんずほぐれつをお!!」


 かずこさんはさめざめと泣いている。散々妄想したのだろうに、ある日突然おっさんがこの姿になって愕然としたらしい。


「構想とイメージトレーニングはばっちりだったのぉ。あとは実践だけだったのに!」


 実践って何だ。


 呆れながらおっさんに目を遣ると、何を思い出したのかガクガクと震えていた。

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