第39話 失恋、見上げた空

 光里は何十分も泣き続けた。すがりついてきた光里を抱きしめ、背中をトントンと、なるべく優しく叩く。


「さあ、そろそろ更衣室が閉まっちまう」

「うん」


 しおらしく小さくそう呟いて、光里は自分で歩き出した。だが、泣き疲れたのか、元々疲れが溜まっていたのか、足下はおぼつかず、小石一つで転倒してしまいそうだった。

 肩を貸そうとしたが、俺より先に前に出た人物がいた。


「他ならぬゆうちゃんが許したんだから、わたしからはもう何も言いません。肩、貸します」

「……いらない」

「ゆうくんが心配そうな目で光里さんを見ているので、素直に従ってください。別にあなたのためにやってるのじゃないので気にしなくていいです」

「なにその、ツンデレキャラのテンプレセリフ」

「軽口叩けるなら大丈夫ですね。なるべくわたしに寄りかからず自分の脚で歩いてください」

「言われなくてもそうする」


 身長の低い風祭では、肩を貸すというよりむしろ支えているように見える。


「風祭、ありがとな。光里のこと、頼んだ」


 ムスッとした不機嫌顔で振り向く。 


「別にいいです。ゆうちゃんと光里さんがまるでドラマみたいなやりとりをして絆を深めて二人だけのフィールドを形成しわたしなんてまるでそこにいないかのように振る舞ってたとしても、なーんにも気にしてません」

「ご、ごめん」


 それについては心の底から申し訳ないと思っている。風祭を蚊帳の外に追いやってしまったこと。あの時、俺はああいう言動や行動をとる以外の選択肢は無かった。


「気にしてないですって。埋め合わせはもちろんしてもらいますが。それにゆうちゃんじゃ女子更衣室の中までは連れていけないですしね」

「いつまでゆうくんと話してるの早くして」

「光里さん自分の立場分かってます!?」


 態度や言動自体は以前より悪くなっているはずなのに、幾分か二人の距離が縮まっているように見えるのは気のせいだろうか。

 連れ立って歩く二人を見送った後、力が抜けて壁に寄りかかる。


 一人になると、放り出しておいた諸々が帰ってくる。

 正直、光里に対するモヤモヤした気持ちは完全には消えていない。でも、光里に言った通り、最終的には、許せる。これからも付き合いを続けて、また、時間を積み重ねていけば。

 光里は、バベルさんと自分は違う、と言っていた。俺も、理屈では分かっていても、気持ちの面では両者は一致しない。

 失恋、したんだな。

 何だろう、この気持ちは。悲しいのに、どこかホッとしている自分がいて。

 バベルさんに抱いていた感情は、恋と呼ぶには複雑過ぎた感情だったのかな。

 バベルさんには、もう会えない。それは、受け止めるべき事実だ。

 スマホの中の、バベルさん専用の画像ファイルを消去する。頭の中に刻みつけた方の画像はしばらく消えてくれそうにない。


 しばらく物思いに耽ってから、何気なくSNSを開く。早くもバベルさん、ツインターボ、そして『風の息吹』が話題になっていた。

 そうだ。俺、戻れたんだ。コスプレに。風祭、伊吹、のおかげで。

 小さい頃は引っ込み思案な伊吹の手を引っ張って俺が連れ回していたのに、気づけば逆に、俺が手を引かれていた。『楽しい』の中に連れて行かれた。当時の風祭も、今の俺みたいな心境だったのかな。


 深呼吸を一つ。同時に天を仰ぐ。

 一七時、夏の空は、まだ明るい。そういえばもう何年も、空をまじまじと眺めたことなんてなかった。だから空の色味が新鮮に見えて。きっと今日という日を、俺はこの空とともに思い出すのだろう。 

 色々なものが、終わった。同時に、きっと、何かが新しくはじまる。そんな気がした。

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