第30話 あの日

 あの頃は、何もかもが上手くいくと思っていた。

 コスプレが何よりも好きだった。メイクも衣装作りも小物作りも、コスプレに関わることは全部自分でやりたかったし、興味があって、練習は苦ではなくむしろ楽しかった。

 仲間もできた。そして、目標もできた。目標、憧れ、尊敬。その全てが一人の人物に集約されていた。

 バベルさんだ。コスプレ界に彗星の如く現れ、瞬く間に知名度を広げた。

 俺も当時はそこそこ有名だったから、割と早い段階で接触することができた。

 正体を明かさず、口数少なく、他を寄せ付けない彼女が、なぜだか俺にだけは話しかけてくれて。

 俺がバベルさんを好きになるのに時間はかからなかった。

 バベルさんの新作を見るのが楽しみで、バベルさんとコスプレ談義をするのが待ち遠しくて、バベルさんと会うだけで胸が高鳴って。

 一度だけオフで会わないかと、精一杯の勇気で誘ったが、断られてしまった。当時はショックで割と引きずったが、今ならその判断もうなずける。きっと、身バレしちゃいけない理由があったんだろう。

 そんなわけで、俺はコスプレイベントでだけバベルさんと親交を深めていった。


 一年前。夏マケにて。

 いつものようにバベルさんと話をしに行った俺は、バベルさんに、二人きりで話さないかと誘われた。

 あのときのドキドキは今でも思い出せる。おめでたいことに俺は告白されるんだ、と勘違いしていた。恥ずかしい限りだ。

 告白されるかもしれない、バベルさんと二人きりで話せる、そのことに感動して泣きそうになっていたほどだ。

 しかし、無表情で告げられた言葉は、告白の対極にあるようなものばかりだった。


「君にはコスプレのセンスがない。辞めた方がいい」

「普段君の周りにいるレイヤーさんたちも、おだてられて調子に乗っている君を煙たがっていた」

「もうコスプレイベントに顔を出さないで欲しい」


 心の底から憧れていた人からの、ナイフのように鋭い言葉。

 俺は、逃げ出した。情けなく泣きじゃくりながら。

 それ以来、コスプレイベントへの参加はおろか、コスプレそのものをしなくなった。


「そんなことを言われたのに、まだバベルさんのことが気になるだなんて、バカだよな。未だ信じられないんだ。バベルさんがそんなこと言うわけない、って。俺の中では憧れのままで、もう一度、なんとか話ができないかって、ずーっと願い続けていた」

「…………」

「風祭?」

「今なら私、この身を焦がすような怒りでこの辺り一帯を塵にできそうです」

「珍しい怒り方だなおい」


 拳を握りしめ、唇を噛み、まぶたを強く閉じながらそう言う風祭。暗い雰囲気にしないよう、わざとおどけてくれたことくらい分かる。


「それくらい、私は今、怒りの感情を抱いているということです。私のゆうちゃんに、過呼吸起こさせるほどのトラウマを植え付けただなんて、許せません」

「お前のじゃないけどな」


 深刻にとらえられていたら、風祭まで暗くなってしまっていたら、俺はまたトラウマの沼に足を突っ込むことになっていただろう。


「全く、調子に乗ってるのは自分なんじゃないですかね。何様なんでしょう。あームカムカしてきた! 私、夏マケでバベルさんにガツンと言ってやりますよガツンと!」

「それだけはやめろな。騒ぎになるからな」

「ゆうちゃんは、どうしたいんですか?」

「俺は……」


 バベルさん復活を待ち望んでいた。答えはもちろん。


「会いたい。話がしたい」

「決まりですね。ゆうちゃんも私と一緒に夏マケ、行きましょう。気合い入りました。私、当日、絶対バベルさんより目立って、ゆうちゃんに偉そうなこと言ったことを後悔させてやりますよ!」


 知名度が段違いだしそれは無理だろ、と思ったが、口には出さなかった。

 俺に対する気遣いと、敵討ち的な発言を、嬉しく思ってしまう自分がいた。

 俺も覚悟を決めよう。当日までに風祭のクオリティを上げられるだけ上げる。それに、俺自身も、色々準備しなければならない。  

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