第2話 インターフォン

「お、覚えててくれたんですね!」


 暗かった表情が一転、パァ、という擬音が聞こえてきそうなほど劇的に明るくなる。

 あれ、昔、こんな感じだったっけ? もっと暗い感じだったような気がするけど。


「口調、崩れてる崩れてる。ロールプレイ中なんだろ?」

「君が矢車ゆうちゃんね! 敵が迫ってきてるからあたしと恋愛的な意味で付き合って!」

「もうめちゃくちゃだ。一旦落ち着け。そんな格好で玄関先にいられても困る。これからコスプレイベントに参加しないならメイク落として着替えてきてくれるとこっちとしても助かる」

「あっ、はい」


 それもそうですねと言わんばかりに大人しくなり、まだ最後の仕上げが終わってなさそうな新築の家へ戻っていった。

 風祭伊吹。幼稚園の頃、うちの近くに住んでいた子だ。

 よく俺の後ろにくっついてきたことを覚えている。確か俺は子分扱いして、探検に付き合わせていたような。段々思い出してきたぞ。あのコスプレも、当時俺がハマっていたアニメのキャラだ。

 そんな風に、突然現れた古い知り合いに思いを馳せていると、インターフォンが鳴った。


『はいはーい』

『風祭です』


 先ほどまでの元気さはどこへやら、キョロキョロ不安そうに辺りを見回しながら玄関先で待っている。

 スリッパを用意してやり、戸を開ける。


「さっきぶり」

「はい、さっきぶりです!」


 俺の顔を見た途端、元気一杯に。一人だと寂しくて不安になるタイプだろうか。


「敬語じゃなくていいよ。同級生なんだし」

「すみません、癖で誰に対しても敬語なんです。気にしないでください」


 変人扱いされそうな癖をお持ちで。


「お、おおう。まあ積もる話もあるだろうし、とりあえず上がるか?」

「ご家族の方はいらっしゃいますか?」

「や、いないけど」

「つまり、ゆうちゃんしかいない家に、わたしを上げて、二人きりになる、と。ゆうちゃん、男子が女子を家に上げる意味はお分かりですね? そういうことでいいんですよね」

「久しぶりに会ったのにグイグイ来るな。そういうことじゃねえよ。ただ旧友を家に上げるだけだ勘違いすんな」

「くっ、簡単にはいきませんね」

「当たり前だ。俺はチョロインじゃない。ほい、スリッパ。飲み物はオレンジジュースとコーラとウーロン茶、どれがいい?」

「コーラで!」

「りょーかい」


 小学校低学年の頃、よく俺の家に来ていたから、案内せずとも勝手にリビングの方へトコトコ歩いていった。

 用意してあったクッションに正座で座り、懐かしいなーと呟きながら、部屋に飾ってある昔の写真を眺めている。

 飲み物と菓子を準備する傍ら、風祭を盗み見る。

 メイクを落とした顔は、幼き頃の面影を多分に残している。

 小動物のように、小さな顔にくりくりと大きな瞳。俺より一回り小さい背丈。アンバランスに成長した胸部。コスプレ映えしそうだな、という感想が真っ先に出るあたり、俺も俺だ。

 髪はゆったりとウェーブがかった黒髪。肩胛骨あたりまである。小さい頃はもっとくせっ毛だったような。


「そんなに見つめられると照れます。嬉しいですけど」


 あ、バレた。


「仕方ないだろ。数年ぶりに会ったんだから、そりゃ気になる」

「どうです? 良い感じに成長したと思いませんか?」

「ウケそうだな。一部の男子から」

「それって誉めてるんですか? そしてその一部にゆうちゃんは含まれてますか?」

「含まれてない」

「そんなぁ!」


 オーバーリアクション気味に肩を落としている。にしても、さっきから気になっている、風祭の態度。


「なあ、もしかして俺たちって、幼稚園の頃くらいに結婚の約束とかした?」


 コーラとお菓子を卓に置いて、風祭の対面に腰を降ろしつつ聞いてみる。まさかそんなベタなことないだろうけど。


「覚えててくれたんですね!」


 身を乗り出して、らんらんと瞳を輝かせる風祭。


「マジで!? いやそんなはずは。全く、これっぽっちも記憶にないんだけど」

「正確には違いますからね。ゆうちゃん、言ってくれたんです。お前は一生俺の手下だって。それってつまり結婚してくれるって意味ですよね?」

「冷静になれ。落ち着いて話そう」


 風祭の肩を押して元の位置に戻す。キスしかねない距離まで迫ってきていたから。


「わたしの頭はこれ以上ないほど冴えてますよ?」

「なわけあるか。解釈の仕方がおかしい。あれだ、あの頃、一生〜ってフレーズにハマってたんだ。ほら、子どもって新しい言葉多用しがちだろ? これ一生使う! とか、一生許さない! とか。当時そういうノリで言ったんだと思う。つかそんな小さい頃の話、本気にする方がおかし、ってわああああ! 泣くな泣くな耐えろ!」


 風祭は今にも泣きそうだった。小刻みに震え、大きな瞳からは、今にも長いまつげを伝って涙が転げ落ちそうになっている。


「うぐっ、ひどいです、ゆうちゃん。わたし、ゆうちゃんのあの言葉をずっと頼りに生きてきたのに」


 どうやら俺が幼い頃、軽々しく放ってしまった言葉が、風祭の人生に多大なる影響を与えてしまったらしい。


「あー、その、なんだ。すまん。悪かった。謝る。幼稚園児だった頃、無責任なこと言って申し訳なく思う」

「責任とって結婚してくれる、という解釈でいいんですよね?」

「よくない。俺、好きな人、いるから」


 途端、風祭から表情が消えた。何かを言おうとしてやめ、言おうとしては言葉が出てこず、みたいな感じで口を開閉している。

 やがて精神統一するかのようにスッと目を閉じて、深呼吸を何度も繰り返す。


「……ふぅ。分かりました。ゆうちゃんに好きな人がいたという現実を何とか受け入れました。ええ、受け入れましたとも。とりあえず二階から飛んでいいですか?」

「全然受け入れられてないじゃねえか」

「受け入れましたよ! わたしは、あたしは魔法少女マリヤ! 魔法で空を駆けるんです!」

「おーい。戻ってこーい」


 まだ一口も飲んでないコーラを飲むよう促してみた。瞬時にがぶ飲みしたのでおかわりを持ってきた。またがぶ飲みしたのでつぎ足した

 三杯目を飲み干したあたりで、ようやくこっちの世界へ戻ってきたようだ。


「わたしだってですね、考えましたよそりゃ。ゆうちゃんが約束忘れてたり好きな女の子がいたりした場合を。それを踏まえて、小さい頃ゆうちゃんが大好きだった魔法少女マリヤに完璧に成りきって好きになってもらうはずだったんですよ! なのにあんなドライな反応!」


 急に管を巻き始めた。コーラを飲むと気が大きくなるタイプだな。


「完璧ではなかったな。まず衣装が市販品な点。市販品は製造コストが決まってるから細かい部分まで手が回らないことが多いんだ。完全再現を目指すならやっぱり自作がおすすめ。あとカラーコンタクトの色も若干違ったな。マリヤの瞳の色は正確に言うと」


 ピンポーン。


 鳴り響くインターフォン。

 非常に、嫌な予感がする。


 ピンポーン。ピンポピンポピピンポーン。


 連続で鳴る。唸る。こんなことをする人間は俺が知る限り一人しかいない。


「ゆうく〜ん、なんですぐ出てくれないの〜。ねえ。ねえねえねえ」

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