隣の家に住んでる幼なじみが美少女コスプレイヤーになってた

深田風介

第1話 コスプレ少女

「あっちいな」


 思わずひとりごちる。六月に入ったばかりなのに、歩くだけで額に汗が浮かぶ。垂れてこない程度に汗ばむからタチが悪い。

 拭うのが面倒くさくて放置していたら、前髪が何房か見事に額に張り付いた。

 あーうっとうしいなこんちくしょう!

 手で額の汗を拭いながら前髪を払いのける。

 自らのその動作につられ、視線が動く。

 映りこむは、完成間近の一戸建て。

 うちのすぐ右隣だ。物心つく頃からずーっと空き地だった場所に、ついに買い手がついたのだ。

 長いこと買い手がつかなかったのは、うちの左隣にデンと屹立している馬鹿でかいビルのせいだ。日当たりが悪いったらありゃしない。


「光里(ひかり)、お前んちの本邸? って言ったらいいか分からんけど、あれ、どうにかならないか?」

「だから、前から言ってるじゃない。いっそのことうちに住めばいいって。ご家族皆でさ。部屋、格安で提供するよ?」

「うちの両親は大賛成なんだがな。如何せん俺が大反対してんだ。絶対住まん」

「なんでよ? デメリット全くなくない?」


 不思議そうに、円らな瞳を見開いている。信じられない、という心の呟きが聞こえてきそうだ。


「あるだろうがメリットを一瞬で食いつぶすビッグデメリットが!」

「ないよ? 条件というほどでもない条件だけど、ただこの婚姻届にサインするだけだよ? たったそれだけで生活水準が二、三段階上がるんだよ? 了承しないテはなくない?」

「そりゃ光里にとってはメリットしかないだろうさ! 何度も言ってるだろ! 俺には好きな人がいるんだって」


 俺がそう言うと、整った顔を思い切り歪ませて、普段俺と話しているトーンより何段階も低い声でうなりはじめた。


「知ってる。有名コスプレイヤーのバベルさんでしょ。無理だって。私みたいにそっちの業界に詳しくない人間でも知ってるくらいの有名人なんだし彼氏の一人や二人もういるって。とっとと諦めて私を選ぼ? ね? 一生幸せにしたげるから」

「一人や二人って、バベルさんはそんな不誠実なことしないって! 仕方ないだろ、まだ、好きって気持ちが残ってんだから……」


 バベルさんに言われた数々の言葉が胸をしめつける。

 なんで突然、活動停止してしまったんだ。SNSも全部アカウント消されて、もう、誰も彼女にメッセージを送ることができない。言いたいことが山ほどあるのに。


「もー! おかしいでしょ! 美人でお金持ちで家が隣同士の幼なじみの異性なんていう、ゆうくんがよく見てるアニメとかマンガとかラノベに出てくるヒロインそのものでしょ! とっくに結ばれてるはずなのに!」

「普段俺にマンガ脳だのなんだの言っといて自分がそうなってるじゃねえか。現実はそう上手くいかん。俺には既に好きな異性がいるし、幼なじみと言えば幼稚園保育園時代からの付き合いが鉄板のところ光里が転校してきたのは小四の頃だったし」

「はぁ。いいもん。どうしてもゆうくんが私のものにならないっていうなら将来偉くなって権力ふりかざして強制的に結婚してもらうから。もう今日は勉強付き合ってあげないから!」


 すぐ隣にいたせいで、光里がそっぽを向いた際に揺れた茶色いサイドテールに頬を叩かれる。ふわっと、高そうなシャンプーか何かの匂いが香ったが、一週間前くらいから同じ匂いなので今更どうも思わない。


「権力て。それで結婚しても嬉しくないでしょ」


 俺の発言に聞こえないフリをして、短く折った学校指定のチェックのスカートを揺らしつつ光里はビルの中へ駆け込んでいった。

 さて。今日配信された深夜アニメでも見るか。

 どのアニメを先に見るか考えながら、玄関に入ろうとしたところで。


「待って! 君、矢車勇真(やぐるまゆうま)くんだよね!? 突然だけど、君の力を貸して欲しいの! あたしに着いてきてくれない!?」


 振り向くと、派手な衣装の、ピンク髪美少女が魔法のステッキを持って立っていた。

 これは、まさか! 俺に何か特殊な力があって、悪と戦う美少女魔法使いと非日常をエンジョイ……なわけあるかい。


「えー、あのー、このあたりでコスプレイベントやってないですよ。ここから四駅くらい行ったところで今日確か魔法少女コスプレオンリーイベントがあるんでそちらへ行かれた方が。一般道で騒ぐと近所迷惑になるのでマナーを守って決められた場所で遊びましょう」


 言うと、魔法少女コスの女の子はステッキを取り落とし、メイク越しでも分かるほど顔を青くさせて取り乱し始めた。


「そ、そんな。マリヤちゃんコス、台詞、全て原作再現で完璧だったはず。あまりに完璧でゆうちゃんは二次元と三次元の区別が曖昧になってわたしとしばしの演劇を楽しみ、クライマックスではついにお互いの想いが通じて、ってなるはずだったのに」

「いやいや。ならないから」


 つい素でつっこんでしまった。

 そこで違和感に気付く。

 今この子、俺のこと、『ゆうちゃん』って呼んだよな。

 これまでの人生で、俺のことをゆうちゃん呼びだったのは一人だけ。


「風祭伊吹(かざまつりいぶき)、か?」


 それは、小学校低学年の頃に転校してしまった女の子の名前。 

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