第十六話
微睡む意識の中、重たい瞼をそっと開く。すぐ横の鎧戸から、眩い陽の光が射し込んでくる。目を細めると、俺の視界に入ってきたのは、覚えのない質素な木造りの天井。俺は横たわっているのか、背中には藁布団の感触がする。懐かしい寝心地だ、俺がまだ生家で生活していた頃のような。
身体を起こすと、ベッドの軋む音とともに、節々が痛みを訴え掛ける。矢で射貫かれたはずの肩に触れると、そこには粗末ながら、包帯が巻かれていた。誰かが処置してくれたのか? 何とも有り難いことだ。
周囲を見渡すと、そこは村の家屋だろうか。丸太小屋のような、簡素な造りの部屋だ。軋みが目立つ使い古されたベッドの他には、真新しい泥汚れの付いた
まだ醒めきらぬ頭で、ぼんやりと虚空を眺めていると、向かい側の扉が開いた。そこから現れたのは、水桶を持った、年端もいかない娘。色染めされていない地色の麻衣に、コツコツと音を立てる可愛らしい彫りが施された木靴。そして、額には一本の、小さな白亜の角が生えていた。そうか、彼女は
数多くある種族の中でも、一際目に付く特徴を持った
「――あっ……!」
「あ、あの……お身体、大丈夫ですか……? 本当に、傷だらけで……」
「ああ、迷惑を掛けてしまったな、ありがとう。もう大丈夫そうだ、問題なく身体も動――」
ベッドから立ち上がろうとした瞬間、やはり節々に激痛が走った。腰掛けた状態で硬直してしまった俺を見て、
「駄目です、まだ横になっていて下さい。お医者様から、死の淵にあるとまで言われていたのですよ」
そう言われて、俺はまた藁布団のベッドに仰臥した。木版に脚を付けただけの簡素なサイドテーブルに水桶を置いて、彼女は水に浸かった麻布を絞る。その濡れ布で俺の頬や首元を拭い、額に乗せた。
この丁寧で献身的、されど揺らがぬ芯を持った人格。それは、
「……すまない、まだ君たちの面倒になりそうだ。名前は、何と?」
「私ですか? 私はアリアネ・ノワールと申します。何もない村ですが、ここノワールの領主フランクの娘で御座います」
なるほど、だから礼儀が十分に行き届いているのか。その辺り不真面目な俺からすれば、頭が下がる思いだよ。
「アリアネか……良い名だ」
「ふふっ、遍歴の騎士様は口上もお上手なんですね」
アリアネは悪戯に微笑んだ。いやいや、口説いたつもりじゃなかったんだが……ん? にしても、遍歴の騎士とはどういうことだ? 俺の肩書きはそれで通っているってことか?
「いやはや、疲れちまったぜ……おーい、生きてっかー? ファウストさんよぉ」
聞き覚えのある声、ティルのご登場だ。だけど、俺を苗字で呼ぶなんて、何がどうなっているんだ? いや……そういうことか。お前、俺の素性に気を遣ってくれたのか。おたずね者である俺の素性を。
「ああ、何とかな。お陰様で」
気怠そうに入ってきたティルは、一転、俺の声を聞くやいなや、真剣な表情をして駆け寄ってくる。
「お、おい! 目が覚めたんならそう言えよ! オマエ、心配掛けさせやがって……こっちはどんだけ苦労したか分かってんのかよ……」
「ティルさん、ファウスト様は今目覚められたばかりです。お身体に障りますから、お静かに」
「お、おう……悪ぃな、アリアネの嬢ちゃん。んな大男、ずっと介抱してもらっちまってよ」
フッ、流石のティルも生粋の淑女には頭が上がらんか。生意気さが鳴りを潜めて良い気分だ。
「おいテメェ、なーにほくそ笑んでんだ? こちとら毎日の小金稼ぎ……じゃなかった、恩返しのために道化師やってんだぞ。もうちっと感謝しろ」
そうか、今お前が持っているその手鞠は、ジャグリングに使うものか。俗に言う世渡り上手というか、やっぱり器用だな、お前は。
「はいはいティルさん、お疲れ様でした。お飲み物を用意致しますので、居間の方にお越し下さいね」
「へっ! アリアネの嬢ちゃんに言われちゃ仕方ねぇや。あばよファウストさん、後で話あっから、それまでに身体直しとけよ」
「無茶言うなよ……」
アリアネに引っ張られる形で、ティルは部屋から出て行った。一人となって、また穏やかな静寂が訪れる。真横の鎧戸から零れる陽の光と、微かに吹き込む春風が心地良い。すぐさまウトウトとして、睡魔が襲ってきた。不思議な夢を見たせいか、まるで見知らぬ所に来たせいか、どっと疲れた気がする。
再び目を閉じると、甘やかな暗闇に包まれて、すぐに眠りに落ちていった。
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