第6話
男の部屋に続く階段を上がって来る者がいる。男の兄だ。
弱々しく玄関の戸を叩くが返事はない。路上で待っているのは兄の恋人で、二階の窓を覗きながら、小声で「明り点いてないよ」と、玄関の前に立つ恋人へ伝える。
兄は階段を下りて行く。恋人の隣に立ち、自らの家へ帰って行く。頭の中で、メールでもしようかと考えているかもしれない。
この近くに、兄は恋人と住んでいる。時折やって来ては、最近観た映画の話と、買ったCDの話をして帰って行く。恋人と来るときは滅多にないが、一緒であったとしても会話の内容に変化はない。そんなとき、恋人はいつも部屋を見回して、散らかっている本を一冊手に取り、ぱらぱらとめくったあと、また別の本を同じように眺める。その場に飽きているようにも見えるが、恋人は見た目以上に楽しんでいて、帰り道、「同じ本があった」などと、兄弟の共通点を見出して面白がったりしている。そして、いつも、「こんな近くに住んでて、同じ映画見てるんなら、一緒に見れば良いのに」と言う。この兄弟が一緒に見た映画がアメリカ版の『ゴジラ』だけだということを恋人は知らない。
夜。夕飯を食べ終えた恋人たちは、目の前に迫った終電の時間に驚く。
今日が終わりに向かっている。さっきまで一〇時前だったのに、もう十二時が近い。
風が強くなり、庭の物置に立て掛けられているトタンがうるさく鳴っている。国道から救急車のサイレンが聞こえる。毎日のように誰かが死に直面している。
この部屋の男はどこへ出掛けて行ったのだろうか。
家の電話が鳴り、留守番電話へ切り替わったが、伝言は入れられずに切れた。
家々の明りは消え、誰の足音も小さくなる。外を歩く女の足音がはっきりと聞こえ、どこかから音楽の低音だけが響いて来る。路上で男が話している。誰の返事も聞こえないから、携帯電話で話しているのだろう。タクシーのドアの閉まる音が遠くからする。
夜中になってもカラスの鳴く日がある。そんなとき、いつも、どこかのビルの屋上に死体が放られているのではないかと思う。
裏手、北側の家の娘が帰って来る。玄関先で出迎える犬を足で弾き、「ただいま」も言わずに階段を上がって自室へ行く。
赤色灯を回しているパトカーが巡回していて、勾配のきつい坂道で、ゆっくりと自転車を追い越して行く。その自転車に乗っていた女性は、坂を登り終えると一度自転車を止め、かごからジャムパンを取り出して食べ始めた。風に舞った髪の、一本が口の中に入り、パンを掴んでいる左手の小指で抜き取った。
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