あんたの作ろうとしてる世界よりマシ

 ベルゼバブを纏った拳が、店舗の壁を何枚もまとめて打ち抜く。


 瓦礫、階段の手すりやらを足場にジャンプして中二階へ避難するも、サバエは背中から生えた双翼を羽ばたかせ、瞬く間に俺の目の前に着地してしまう。


 上半身を後ろから前へ大きく傾かせる動き――背負ったリュックを前へ飛ばすような動作と同時に、サバエの双翼が分離。回転する一対の巨大で鋭利な刃となって俺を襲う。足元に線路のような抉れ跡が残り、背後から何かが切り裂かれる様な音が聞こえてくる。


 が、ここが好機。六尺棍を生成し、サバエの巨体めがけて振るう。


 サバエが。受けるのでもなく、反撃するのでもなく、巨体の半身を折るようにして避けた。俺は間髪容れず、連打。突き、薙ぎ払いを織り交ぜ、舞うように頭部や脚へと棍を振るう。


 やはり、弱っている。さっきまでの攻勢が全くない。いや、目論見は見えてた。


 大きく宙返り。サバエが俺の足を掴もうとした気がするが、棍で軌道を反らして回避。さっき飛ばしたベルゼバブの翼の刃が、俺の背面を通り過ぎた。


 ベルゼバブは何事もなかったかのように、再びサバエの全身を取り巻く。


 けど、それは俺の攻撃を止める理由にはならない。さっきの行動で分かった。やはり、サバエに蓄積されているダメージは、あいつにとって絶対に無視できないもんになっている。


 薙ぎ払い、返し、下段払い、からの突き――と見せかけて上段からの振り下ろし。


 止められた。ベルゼバブが腕を形作り、六尺棍の先端を掴んだんだ。軋み合う微細な金属の振動が棍を介して俺の手に伝わる。


 この振動に、未知数の膂力。すぐに分かった。これ、持ちこたえるのは無理だ。


「——!?」


 だから、こうした。


 サバエの巨躯が再びくの字に折れ曲がった。六尺棍から分離させたカリスティックの先端を、俺が鳩尾にめり込ませやったからだ。


 ベルゼバブの腕が形状を失い、金属の靄のように崩れた。落下するカリスティックの片方をキャッチし、再び連打を浴びせかける。ベルゼバブの防御も反撃も、サバエの打撃もいなし、かわし、受け止め、さらに連打を叩き込む。


 渾身の一打を与えて飛ばすと、とうとうサバエが膝を付いた。ベルゼバブは――来ない。


 膝を付いたまま、サバエが腕を振り下ろす。まとわりついたベルゼバブが鋭利な鞭のように伸び、上段から俺に斬りかかる。間一髪、俺の残像を切り裂いたベルゼバブの鞭は、プラザの屋根に一閃の跡を残す。


 続いて、横薙ぎ。俺へ到達するよりも早く、六尺棍の薙ぎがサバエの手首を直撃して阻んだ。「ぐっ!」という声がサバエの口から洩れ、ベルゼバブの鞭が形を失い、手首まで守る小手となってサバエの元へ還る。


「うぜえ……! うぜえ……! こいつのうざさが分かるか、幻想月影!」


 鞭となったベルゼバブの攻撃が、さらに襲い掛かる。


「こいつのうざくて許せねえところは、こういうときに限って、ホワイトテンプルみてえなお節介をしやがることだ! こいつは俺達から自由を奪う! 俺達の望む快楽を、ここぞという時に限って邪魔しやがる!」


「何を言ってるんだ? ベルゼバブのそういうとこ、俺には優しさしか感じない。それすらうざいと忌み嫌うあんたの考え、俺は理解に苦しむね」


 凶悪な兵器であるベルゼバブは、対象を破壊すること以上に、操り手の安全を重視する。そりゃそうだ。いくら敵を残酷に壊せても、操ってくれる主が死んでしまっては元も子もない。だから、サバエの身にダメージが与えられていることが分かると、すぐさま攻撃を中断して主の下へと帰還する。


 主を傷つけない代わりに、主の有事には重要な攻撃すら放棄して守護を優先する。俺に取っちゃ有難い能力だし、サバエにも強固な防御力を与えている。まあでもそれは、どんな苦痛を食らってもなお相手に苦痛を与えることを快楽とするサバエにとって、腹立たしいことこの上ない性能のようで。


 サバエが吠えた。座りながらのストレート。後退さえすれば届かない打撃。が、次の瞬間、足場が崩れた。ベルゼバブが砕いたのだと気付いた時には、鉄骨が剥き出しになった瓦礫がすぐ目の前にあった。間一髪身を捻って着地した俺の前に、サバエの拳が迫る。


 吹っ飛んだ。顔面を殴られた痛みよりも、バウンドするほど地面に打ち付けた痛みよりも、あれだけの満身創痍でまだこれほどの威力が出る異常なタフネスへの驚きが勝った。


 意識は飛んでない。後転して受け身を取り、立ち上がる。そんな俺の目の前に、サバエの追撃が迫る。


 徒手。振り上げた腕でサバエの拳の軌道を変える。反対側の腕は、サバエの懐へ――と思いきやそこはガードされていた。続いて叩き込まれる打撃を、回避しつつ応酬。棍は引っ込めた。来る打撃をステップとパリングで防ぎつつ、突きと蹴りで返す。蹴りで距離を取り、空いた隙を狙って拳打の構え。

 

 サバエもまた拳打。サバエの拳が顔面に迫る。スローモーション。臆するわけにはいかない。今は、一発でも拳をサバエに叩き込まなければならない。


 拳は届かなかった。


 サバエの拳は俺の顔面の脇を掠め、俺の拳はサバエの顔面に当たった。サバエの巨体が後方へよろめく。


 その時だった。


「動くな!」


 突然、ぶん殴るような叫び声と眩い光が真横から俺とサバエに降りかかってきた。


 まだ日は暮れちゃいないはずなのに、直視できないほど光は強かった。それが暴徒鎮圧用の警察車両に積まれていたサーチライトによるものだと分かった時には、俺とサバエは機関短銃を手にした警察機関に囲まれていた。


『幻想月影への手出しは無用だ。彼は我々、ホワイトテンプルが預かる』


 ふと、俺の聞いたことのある声。俺を囲う警察機関のうち、フルフェイスのヘルメットで顔を隠した隊員からするんだけど、あれアンドロイドか。そこからアレクの声がする。


 隊員が背後から二名、左右から二名、俺に近付く。攻撃の意志は無し。統制の取れた動きで俺を守るように立つと、彼らもまたサバエへと銃を向ける。


『LNM首魁、クィント・メイ・ベルゼバビッチ。貴様は完全に包囲された。貴様が連れてきた部下共も、全員、身柄を拘束した。残るはお前だけだ。手を頭の後ろに置き、その場に膝を付け!』


 隊長と思しき男が声を張り上げる。てかさっき、全員身柄を拘束したって言った? そこら中で暴れてたあいつらが、全員? どおりで交戦中に邪魔する奴らがいなかったわけだ。すごい、流石は警察の中でも精鋭の――


「労働者共が……」


 微かな唸り声を、幻想月影の収音デバイスが拾う。胎の奥で堆積した黒い怨嗟がぽろりと崩れて漏れたような声色に、俺はゾッとした。


「気を付けてくれ。あいつの『ベルゼバブ』は無限かつ微細すぎて俺の合法的干渉リーガルハックが効かないんだ」


 俺の一言に隊員が反応した。


「はあ? 何を言って――」


 こいつが運の尽きだった。


 次の瞬間、サバエから無数の触手よろしくベルゼバブが伸びた。鞭のように伸びた微細な金属の集団が周囲を薙ぎ払い、隊員達の口から悲鳴が漏れる。


 無論、精鋭が反応しないわけがなかった。発砲音がした。刺青と流血にまみれたサバエの体躯から、被弾の血が舞ったのは見えた。サバエにダメージが入ったのだから、主を守るべくベルゼバブは触手の形状を解除して自動的に防衛には回っていた。だけど、サバエを包囲していた男達のほとんどからも血が流れていた。


 実は、そもそも触手が狙っていたのは隊員じゃなかった。隊員の手にしていた銃だった。急に向きを変えられた銃口の先は、付近の隊員。ベルゼバブそのものを食らわずとも、彼らは自らの仲間を介してサバエの攻撃を食らってしまった。それによって生じた隙は、サバエに新たな反撃の一手を与えるには十分すぎた。


「俺様が嫌いなもん、いい加減に分かってくれたよな? 幻想月影」


 再び触手に変わったベルゼバブが、瞬く間に隊員達を掴んだ。やがて、サバエの頭上で雲のような靄へと変わる。まるで人質のように隊員やらアンドロイドやらの頭や腕を外に出して。


「俺様が嫌いなのは、秩序だの豊かさだのわけ分からんことを理由に、権力だの財力だのを振り回してし、俺達から自由を奪う労働者共――」


 隊員が呻き声を上げた。ベルゼバブが徐々に牙を向いているのだ。あの兵器、ただ無秩序に壊しまくるわけじゃない。サバエに触れても傷はつけない程度の融通が利く兵器だ。捕えた相手の生殺与奪を握るくらい造作もないんだろう。


「そして、そんな支配になんの疑問も持たねえ腑抜けたセフィア人共。最後に、そんなホワイトテンプルや労働者のクソ共に靴を舐めてりゃ国にも世の中のためにもなると糞みてえなこと信じて、俺様達の邪魔をするてめえみてえな奴だ。幻想月影!」


「凄まじい思い込みだな。考えたこともなかったよ、そんなこと」


 次の瞬間、隊員から悲鳴が漏れ、ベルゼバブの靄から血が噴き出す。言葉には気を付けろってことね。


「てめえみてえな力のある男が、ホワイトテンプルなんぞに尻尾を振り、腐った組織に味方しているのが実に気に食わねえ。なんでてめえは、てめえらは、規則規則でがんじがらめにされ、生き方までほぼ決められてるというのに、なんの疑問も持たねえ? それが、気に入らねえんだよ、俺達は!」


 隊員から声が漏れる。少しでも動けば殺す。言わなくとも分かる。怨嗟と憤怒がサバエの言葉の節々から漂う。


 ベルゼバブの靄の一部が触手のように引き延ばされ、俺の首筋辺りにまで到達させる。金属のこすれ合う音が聞こえる。まさに、命を刈り取る死神の囁き。


「一つ心残りがるとするなら、てめえの死をしっかりと配信できねえことだけだ。まあ、安心しろ、てめえの首は後で全国にきっちり晒してやるからよ。最期に、なんか言いてえことはあるか? 幻想月影」


 言いたいことは、ある。さっきのサバエのセリフに引っかかることがあった。


「サバエ、さっきあんたが言ったセリフ、俺は前にあんたの部下からも聞いた覚え上がる。ウルサとサワガだ。あんたの代わりに、あんたらしいことを部下にも俺にも視聴者にもたっぷり言ってたよ。上司が広めたいことを自分の言葉で伝え広めてくれるなんて、敵ながらいい部下じゃないか。それだけ」


 返ってきたのは、失笑。まあ、このタイミングでそんなこと突っ込んだって、なんなんだよって話だよな。


「はあ? あいつらは、俺の言いたいことしか言わせてねえよ。あいつらは全員、俺の駒だ」


「?」


 俺は眉を潜めた。それってどういうことだ? 困惑する俺をよそに、サバエは全てを暴露した。


「ウルサはバカだから、ホワイトテンプルがうざってえもんだってことしか全く分かってねえ。てめえが聞いたあいつのホワイトテンプルの恨み言なんて、俺が殴って覚えさせただけだ。意味なんて分かっちゃいねえ」


「は?」


「サバエはうざかったなあ。ホワイトテンプルへの恨みとか真の自由へを望んでるのは俺と同じで気に入ったんだが、ああ言おうこう言おうあれはダメだこれはダメだで実にうざかった。俺の言う通りに、俺の代弁者としてきっちり喋ってもらうまで、随分とぶん殴ったもんだな」


 もう、勝利を確信しているのだろう。随分と喋ってくれたものだ。


「教えてくれてありがとう、サバエ。お礼に、俺がなんでずっとLNMの邪魔をずっとし続けてきたか胸張って教えられるよ」


「あ?」


「あんたは狂ってる。あんたにセフィアの支配者になってほしくない。ホワイトテンプルの支配する世界の方が、あんたが作ろうとしている世界よりマシ。それだけさ」


 刹那、プラザの中で大爆発が起きた。すぐ近くだ。一階から三階まで瞬く間に上る火柱の高さに、近くの者全員が反応した。びりびりした空気がこちらにまで伝わってくる。


「……てめえこそ、狂ってんじゃねえのか」


 憎々しげにサバエは呟いた。なぜ呟いたのかというと、サバエの二の腕に槍のような何かが突き刺さっていたから。さらに言うと、それはアンドロイドの腕だったから。外部の生体樹脂プラスチックの肉が削げ、露になった特殊剛性金属の腕骨だったから。


 主の負傷への対処は早かった。ベルゼバブはすぐさま兵士の高速および俺への刃の突き付けの任を解き、微細な金属で構成された鎧となってサバエの全身を守護した。


 すぐさま解放される隊員達。そこへサバエは意識を向けた途端、頭部に打撃を受けて後ろに大きくバランスを崩した。カリスティックの片方を投げたからだ。カリスティックは放物線を描いて俺の手元に返ると、連結――六尺棍の振り、貫き、薙ぎ払いでサバエを退かせる。


「てめえは、アンドロイドのために戦ってるヒーローじゃなかったのか? いや、それは違うとワズラが証明したか」


 鎧を成していたベルゼバブが身体から剥離して腕を形作り、俺の六尺棍を掴んだ。力も掴み方もさっきの比じゃない。完全に固定された。


「所詮、てめえはホワイトテンプルが悪と定義した俺達を倒して悦に浸りたいだけの小物なんだろ? 分かってんだよ、俺はよ」


 棍を引き寄せ、サバエの本体が殴り掛かってきた。やむなく手を放して後退する。代わりに、サバエの頭上から看板が鉄骨ごと落下。ついでに作動させたスプリンクラーが、フロアを水浸しにさせる。


「大外れだ。全然分かってない。あんたの支配する世界が嫌だって言ってるだけだ。だいたい、あんたのウルサやサワガの話が本当なら、自由なのはボスであるあんただけじゃないか。そんな奴が作り上げる世界のどこが真の自由だよ。そんなのも分からないバカの支配する世の中なんて、俺は御免だね」


「なんだと、てめえ……ッ!?」


 漏電。ここの近くにも配電盤があったのは分かってた。鉄骨からはがれてささくれ立った塗料から火花が散るほどの電撃がほとばしる。


 放電は一瞬だった。


 もう、充分だった。


 サバエは膝を付いた。


 主の怨嗟を体現するかのように、甲冑のように覆われたベルゼバブから無数の触手が伸びる。地面に刺さった鉄骨を砕き、巻き込み、俺へと迫る。


 だけど、触手は俺には届かなかった。


 ベルゼバブは分かっていた。主のダメージは、もう誤魔化しようがないことを。


 ベルゼバブは困っていた。主を守るのが第一の原則なのに、主の身は危険であるというのに、主はやれと命令し続けている。


 ベルゼバブは懊悩していた。主の命令を聞くのが兵器の役割。でも、主の命を守ることは、それ以上の至上命題。命を守るのか、それを無視してまで命令に従うべきか、ベルゼバブは悩み苦しんでいる。


「お前は本当に悪い奴だ。サバエ。こんなにも兵器にすら苛立っている。お前は表舞台にいるべきじゃない。大人しく、お縄にかかれ」


 俺の背景から先ほどサバエに捕えられていた隊員達が銃を構えながら近づいてくる。大丈夫、あいつはもうあんな触手も靄も出せないよ。そう伝えながら、俺と彼らでサバエを包囲していく。


 次の瞬間、ばさりと金属の翼が広がった。ベルゼバブからあの双翼が伸び、満身創痍の巨体がふわりと浮いた。


 ああそうか。攻撃は出来ないけど、鎧や翼に変えて撤退することは出来るのか。


「仕切り直しだ。幻想月影。てめえの力は分かった。覚悟しろよ。てめえを殺し、ホワイトテンプルを破壊し、真の自由を俺達は手に入れる。覚えておけ」


 サバエはそう言い残すと、飛翔してプラザの天井を突き破った。


 警察機関の銃弾は届かない。


 サバエは去った。数多の破壊と市民たちの血や悲鳴と捕まった部下たちを残して。


 思いっきりぶん殴られた借りは返した。だけど、後味はちっとも良くなかった。




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