奴等の本気、俺の窮地

 優雅な旅は行きだけだった。


 日常がぶっ壊れるってのは、こういうことを意味するんだろうな。


 きっかけは俺がレオーネとの連絡を切ろうとした時だ。


 ——邪魔するぜ。


 その声を聴いた瞬間、心臓が破裂したかのような恐怖に見舞われた。ぼそっとしたボリュームながら、臓腑の底にまで響いてくるような、野獣のような唸り声。


 次いで響いてきたのは、何かが壊される轟音や爆音、けたたましく鳴り響くアラート、ぶつかり混ざり合う悲鳴と怒声と罵声、それと、なんか火薬の爆ぜる音。


 スピーカー越しでも分かる。向こう、やばいことになってんじゃん。だけど、連絡主の労働者は――流石というか、冷静だった。


『能男、トバンシティのアルラク空港へ行け! 今からそこの大型無人機にサンダーバニーまで飛ぶよう指示を投げるから、蒼の幻想月影リーガルハッカーでそいつに乗ってあたしたちの所まで来てくれ。1時間あれば空港まで行けるよな?』


 いちじかん……!? 時間指定をされると普段の苦手意識が出てしまう俺だけど、逡巡してる暇はなかった。警察が持ってきていたドローンの姿が視界に飛び込んだ時には、俺の答えは出ていた。


「分かった! 今すぐ行く! 待っててくれ!」


 大型のラジコン飛行機を彷彿とさせるプロペラ機がラナマから飛び立ったのは、それから程なくの出来事。高い場所から広範囲を偵察するのに使われる代物なんだって。もちろん、憑依する許可は取ったよ。


 スーツに内蔵されたマップに従い、アルラク空港を目指す。上空から見ると、いかにもなアスファルトの長方形が伸びている箇所があって、そこがトバンシティのアルラク空港のようだ。俺が爆発騒ぎに巻き込まれたホテルからは遠く離れてる。トバンシティもけっこう広いんだね。


 高度を下げ、空港のハンガー辺りに差し掛かると、レオーネの言っていた無人機が停まっていた。その外観は、頭のむっくりしたトビウオのような魚が長い胸鰭を目一杯伸ばしているようにも見える。無人機なだけあってコクピットの窓すら見えず、機体後方には大量の荷物を搬入するためのハッチが大口を空けている。


 ノザマドットコムの瞬達システムや、かつてセントパトリック労働者街で見たホテルの荷物データ化輸送システムが確立しているこの世界でも、空輸システムは残存しているようだ。まあ、大事な荷物がデータ化した途端、不具合起こして電子の海の中でバラバラになりましたって笑えないトラブルに比べたら、空輸とかのシステムが残ってた方が安全ってのもあるんだろうな。


 飛行機型ドローンから無人機にかけて蒼い電光が走る。無人機のハッチが閉まり、ドローンは再び主の下へ去っていく。滑走路に立った無人機のエンジンが唸り声を上げる。機体のレーダーが指し示す先は、ホワイトテンプル・サンダーバニー支社。


 流石はジェット機。列車で一晩以上かかる距離もあっという間に目的地にたどり着く。けど、テンプル美術館で呆れるほど見た鳥瞰図どおりの街並みが視界に入るまで、三時間も要してしまった。


 まるで松明のように燃え盛る建物を目指して高度を下げる。蒼い電光が再び機体下部から走った。遺された指令に従って基地へと帰る無人機を背景に、俺はテンプル美術館の屋上に着地する。


 ——かくして、現在に至る。


 サンダーバニー支社を代表する大聖堂が燃えていた。


 狼煙のような煙を見た時から、既に嫌な予感はしていた。天を舐めるように燃え盛る炎、天を蓋するように蔓延する煙、それらがサンダーバニー支社から舞い上がっているのを見た時は、眩暈を催すほどの感覚に見舞われた。気の滅入りから手元が狂って、あわや自分が建物に突っ込んでしまうところだった。


 燃え盛る聖堂を目の当たりにすると同時に、真っ先に脳裏を過ったのはレオーネとアレク、そして何より、ゲンロクだった。呆然としてる暇なんてなかった。俺は反射的に走っていた。


 現場は阿鼻叫喚の巷と化していた。眼下にある大広場からは逃げ惑う看板持ち達の悲鳴がこだましていた。


 窓を突き破り、オフィスの中に突っ込む。


 俺の知らないフロアだった。看板持ちは入ることを許されず、労働者のみが業務の為に使うことを許されたフロア。いわゆる、機密フロアってやつだ。西洋の教会や宮殿を彷彿とさせる豪奢な内装の室内に、デスクとか端末とかミーティングテーブルとか、なんだか分からない機器とかが置かれてる。


 要するにここ、俺なんかとは比べ物にならないほど能力の高い人たちが、ここで俺なんかとは比べ物にならないほどの素晴らしい何かを日夜作り続けている場所なんだ。


 けれども、今はそんなもん面影すら残っちゃいない。労働者はみんな避難して、代わりに瓦礫やら煙やら煤やらが残っている。あちこちが人為的にぶっ壊されていて、嫌な色の液体が床の上で尾を引いていた。


「ゲンロク、レオーネ、アレク……!」


 無意識に俺は彼等の名を口にしていた。ホワイトテンプルの一大事なのは分かってる。でも、今の俺には、彼等しか念頭に入っていなかった。


 見慣れた研究室の扉——バックドラフトだっけ? そんなん気にしてなかった。俺は半ば無意識に蹴飛ばしていた。


「みんな!」


 俺は叫んだ。


 返事がしない。


 不気味なまでの静寂。


 おかしい。燃える炎の音すら聞こえてこない。


 代わりに、自分の呼吸の音だけが妙に良く聞こえる。


 今までも同じような感覚はあった。こういう時の嫌な予感って、恐ろしいほど当たるんだ。


「よしお……、いるのか?」


 か細い声が俺の耳朶に触れたのは、まさにその時だった。


「レオーネ!?」


 声の主の名を叫んだ。どこだ! どこにいる!? スーツ内蔵のスキャナーに全神経を凝らす。荒れ果てた室内を必死に探す。倒れた棚を蹴飛ばし、ひっくり返った机をどかし、落ちた瓶を踏みつぶして――


 いた。フロアの隅に何か大きな影。


 真っ黒な甲冑。だけど、西洋の甲冑というよりは、頭部などに施された装飾のエキゾチックさたるや、どちらかと言えばアフリカっぽい――そんな特徴的な外観をしたロボットなら、俺はひとつ心当たりがある。


「ガボン!?」


 変わり果てた姿の仲間に俺は近付く。雄々しい戦士を形容せんばかりの装飾は尽くが靴の泥らしきもので汚され、だらりと垂れ下がった腕は配線が露になるほど酷く壊されている。とても、稼働直後から戦闘訓練に付き合ってくれた好敵手の姿じゃなかった。戦場で無残な姿にされた戦士の成れの果てだ。


 次の瞬間、ガボンの頭部が取れた。からんからんと床に転がる音が耳に入るが、俺にとって驚きだったのはそこじゃなかった。続いてガボンの胸部が開いたかと思いきや、中から少女がだらりと倒れてきたのだ。髪も乱れ、白衣もひどく黒ずんでいたけれど、浅黒い皮膚と幼げで端正な顔立ちの持ち主を俺が知らないわけがない。


「レオーネ!」


「よしお……!? ヒーローの到着にしちゃ、随分と待たせてくれるじゃないか」


「驚いた。まさか、ガボンにシェルターの機能があったなんてな」


 幻想月影の生体バイタルセンサーが示すには、命に別状はない。だけど、精神的な疲弊が酷い。若き労働者という優れた肩書を持っているとて、レオーネは俺よりもずっと年下の少女。自分の拠点でこうも凄惨な襲撃を受けてしまえば、そりゃそれ相応のダメージを負うに決まってらな。


「あたしは問題ねえ。それよりも……」


「そうだ! ゲンロクは!? ゲンロクもここにいるんだろ?」


 俺は探す。この研究室には、大切な存在がもうひとりいる。研究室にいるのは分かってんだ。


「おい、ちょっと待ってくれ。今のゲンロクは、よしおに見せられるもんじゃねえ……!」


「……え?」


 いつもレオーネとだべってた部屋と初めて幻想月影に出逢った部屋の中継を担うフロア――そこに乱雑に捨てられていたんだ。……彼女が。


「ゲンロク!?」


 とっさに駆け出した。俺は彼女の名を叫んだ。変わり果てたヒロインの姿を目の当たりにし、悲痛な叫び声を上げて駆け寄るヒーローの寓話は少なくないけど、あれは誇張じゃなくて本当だった。


 損傷はガボンの比じゃなかった。衣服はほとんど残っちゃいない。実際の柔肌と変わらぬ素肌は無数の靴跡と外傷で覆われ、黒ずんだ末端の指や関節はあらぬ方向に曲がっている。脚や肩などは配線どころか内部の骨格までもが露出してしまっている。好みだった端正な顔は潰されて、残された片目と鼻と髪形でやっとゲンロクと判るほどだった。その目は埃をかぶったかのように白濁していて、俺を認識出来ているかすら危うい。


 幻想月影のセンサーは彼女の股間辺りから何かを検知する。栗の花とも烏賊とも形容される臭気を放つそれの情報が俺の視界に入った瞬間、俺はここに来た奴らが彼女に何をしたのかよく理解した。


「……レオーネ。ゲンロクのこと、?」


「直せる……って? 出来ねえわけじゃねえけど、第六世代は量産ラインすら入ってねえ試作品だぞ。設備も滅茶苦茶にされちまっただろうし、必要な部品を手配するだけでも時間とコストがかかる。はっきり言って、イチから作り直した方が良いくらいだ」


「そう」


 俺は変わり果てたゲンロクの肩をぐっと握りしめた。


 ゲンロクはロボットだ。人間じゃなければ、生き物ですらない。内蔵された機能に従って、家事や愛情表現などを生産する機械に過ぎない。どんなに卑しい者が相手でさえ、嫌な顔をせず、いや嫌な顔という概念すらなく、機械として愛を生産する存在でしかない。


 ゲンロクはロボットだ。壊れれば直せるし、嫌な記憶があれば消してしまえばいい。人間じゃないんだ。その気になれば、誰だって都合の良いようにしてやれる。


 だけど、だからといって、それが何であれ、人の大切なものに手を出された時点で容赦は出来ない。それは、人でも物でも変わらない。


「レオーネ。俺は、LNMあいつらの本気に応えてやるよ」


 ★★★


 壊されたのはパートナーだけじゃなかった。


 マンションが燃えていた。俺が来た時には、既に警官と消防隊が周りを囲っていた。てか、彼らをどけたとしても、轟々と燃え盛る炎のおかげで部屋に帰るなんて無理だった。炎の熱気と光の凄まじさに、見ているだけでこっちの網膜が焼けそうになった。


 後で知ったんだけど、火元は俺の部屋だったそうだ。無論、火の元を使った覚えは俺にはない。留守中の放火——それが意味するのは、明白だった。


「これは参ったな。連中には、住まいまで顔が割れてしまっているのか」


 帰り道に付き添ってくれたアレクが、まるで我が身のことのように頭を抱えた。俺も同じだ。ワズラは幻想月影の生身が誰だか分かっていたんだ。裏を返せば、これから先、俺は生身の姿であってもLNMに狙われるかもしれない。


 なんてこった。仲間の研究室とパートナーを滅茶苦茶にされ、「後はあたしとアンドロイド達でなんとかするから、能男は帰っていいぜ。あ、アレクが付き添いたいって言ってたから声かけといて」とレオーネに言われて帰った先で、まさかの追い打ちを食らうとは。いきなりいろんなもんをぶっ壊されてしまった。俺は、これからどうしたらいいんだ?


 ★★★


「俺の力不足ですまない。咄嗟の作業だったから、すぐに手配できたのはこれだけだった」


 自宅の火災を目の当たりにしてからしばらくして、俺とアレクは別の建物の前にいた。


「いや、充分だよ。俺のためにここまでしてくれて、むしろ感謝しかないさ」


 アレクが用意してくれたのは、仮住まいとなるアパートだった。


 率直に言うと、とてもボロい。雰囲気からして何十年も昔に建てたまま忘れ去られたようで、手すりの金属とか錆びたまま放置されている。敷地内で無駄に茂った雑草と、壁や電線に絡みついた蔦や樹木のおかげで、全体的にホラーな印象が拭えない。


 ここは、サンダーバニーの華やかな市街地からは、ひっそりと離れた地。俺達は今いるのは、アバラーナー地下納骨堂まわりに展開された貧しい地域、単純消費者街タンショーガイの表層だ。


「そう言ってもらえると、俺としても有難い。対策は後で練ろう。今日は休もう。達者でな、能男」


 帰路に就くアレクを見送った後、俺は、新たな住まいの中に入った。


 既に内見は済ませてあるから、内部がどんなのかは分かっている。部屋は二間。流しと台所がある部屋と、クローゼットと布団があるだけの部屋の二つ。あと、トイレ付きの小さなバスルーム。どこもどれもちょっと黴臭い。


 ひとつしかない窓は埃まみれで外が見えず、開けようと思うと蔦と枝が引っかかって開かない。多分、無理して開けようとすると、枝とか葉とか毛虫とかが部屋に落ちてしまう。


 日も暮れてきた。町の喧騒から離れた単純消費者街タンショーガイの付近なのも手伝って、辺りは余計広く感じる。外に出るのは億劫だったので、台所の戸棚を空けてみると、冷えていない水と食料が入ってあった。


 一個だけの輪っかの蛍光灯が照らし、天井に蛾が舞う狭い一間の中で、俺は備蓄の食料を食らう。ああ、まさに美味さよりも日持ちに特化させたって感じだ。特に、前者のスポイルっぷりが凄まじい。食欲が一気に失せた。


 一息ついて、部屋を眺めた。


 ここには何もない。俺が買った幻想月影のフィギュアも、ちょっと奮発して買ったゲーム機と端末も、ミルトンステップへの出張やセントパトリック労働者街への旅行の時に買ってきたお土産も。


 そして何より、ゲンロクも。


 なんか、逆に笑えてしまった。ほんと、俺はこの世界で沢山のものを得ていたわけだ。自分の活躍した姿とか、贅沢な設備とか、そして、可愛らしいパートナーとか……あっちの世界じゃ、逆立ちしたって手に入るとは思えなかった。


 それが今じゃこの有様……。連中の仕業なのだけど、まるでなるようにしてなってしまったような気分だ。あっちの世界じゃ、俺は将来、ここよりも酷い場所に住むことになるんだろうなって、ずっと思ってた。だからなのかな。妙に落ち着いている俺がいるわ。


 ふと、窓の外に気配を感じた。


 人影だ。埃のフィルターが邪魔で全貌は分からないけど、輪郭は明らかに人の形をしていた。


 こんな時間に俺を訪ねてくる奴なんていない。てか、俺がいる部屋は二階だ。しかも、その窓にはベランダというか足場すらない。


 つまり、そこにいるのは……。


「そうか、そうだよな……」


 俺は笑んだ。今度のは、自虐的な笑みじゃない。逆。俺には幻想月影の力がある。ホワイトテンプルの労働者達がいる。看板持ちの仲間達がいる。ゲンロクもいずれは帰ってくるかもしれない。


 研究室でレオーネに誓ったことを――LNMの連中に借りを返すことを、成すべきじゃないか。


 俺は終わりじゃない。てか、始まってすらいない。


 とりあえず、明日は野外食堂で腹ごしらえをするところから始めるかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る