絶対悪とは限らない!?

 ホテルかオフィスか――用途がなんだったのか、業火に包まれてしまっては、もはや全く分からない。天井を嘗め尽くすほどの火炎と熱気は凄まじく、いつこのビルが崩壊してもおかしくない。


 とりあえず、あいつらの言ってた裏切り者とやらはどこだ? 裏切り者ってことは、連中にとっちゃ粛清しなければならぬ敵である一方、俺達からすれば敵への重要な情報源だ。人道的にもこちらの都合的にも、どちらにせよ燃え盛る死の手から救い出す価値はある。


 幻想月影のスキャン機能を使う。救助すべき人間の生体反応を探る。


 いや、生体反応云々の前に、建物の熱気が強すぎでしょ。今、こうやって普通に呟けているのは幻想月影のスーツのおかげであり、生身では間違いなく熱気だけで全身を焼かれて死ぬ。というか、中に入ろうと決心することからまず無理。


 とまあ、内部の異常さに瞠目しつつ、俺はターゲットを探す。しかし、それっぽい反応は見られない。いや、あるにしちゃあるんだけど、微弱すぎて何かの間違いにも捉えかねない。もしかして、あの情報って俺を炎の中へ誘い込むためのフェイク……?


 次の瞬間、ビルの瓦礫がこちらへ落下してきた。横へ飛んで回避。着地と同時に上階から来た生体反応が、俺のフェイクへの疑念を吹っ飛ばした。やっぱりいるじゃん生存者! それがターゲットだか何だか分からないが、とにかく上がらなければ。幻想月影のスーツにより強化された肢体を以てすれば、目的の階まで登るのは造作でもない。


 結論から言うと、連中の言っていたことは正しかった。それも、かなり悪い意味で。


「こんなんで、よく死なないでいられるな……」


 見つけて早々、俺の口から出た感想がそれだった。


 椅子らしき何かに座った男の人……というまでのは分かった。体形はどちらかというとずんぐりしていて、手すりと脚にそれぞれ四肢を縛り付けられていた。分かったのはそれだけ。


 はっきり言って、壊されたアンドロイド以上に直視できなかった。


 メリケンサックのようなもので殴られたのか、腫れ上がった顔はもはや元がどんなのか認識できない。露出した腕は切創跡が至る所で見られ、その上で火傷によって出血が無理やり止められている。足元が妙に黒ずんでいるのは、彼の体液によるものだ。しかも、椅子から別のフロアにかけてそれが点々としている辺り、こいつは別の場所で暴行を受けた後にここに連れ出されて、またここでも同様の暴行を受けたようだ。


 ブラックドラゴンの姿が脳裏を過る。付けられた傷の数々は、連中によるものとみて間違いないだろう。いくら奴らの昇進がかかっているとはいえ、いくら彼が組織の裏切り者とはいえ、ここまで残酷なことが出来るか普通!?


 さて、どうやって救うか。手足はダクトテープのようなもので固定されているみたいだけど、この火災のど真ん中で悠長に剥がすのは無理そう。切ればいいとも思ったんだが、身体の損傷がひどすぎてどこまでが手すりでどこまでが腕なのか分からない以上、迂闊に刃物を瞬達して対応するのは瀕死の彼を傷付けそうでしたくない。かくなる上は椅子ごと運び出したいところだけど、椅子どころか彼が重すぎてびくともしない。てか、力んだら床が抜けそうなんだが……。


 次の瞬間、ばきっと音がした。視界が傾いた。床の支柱が崩れたのか、俺達が立っている足場が傾いたのだ。その傾斜たるや俺が直立するのも困難なもので、倒れたまま滑り落ちるしか出来ない。無論、椅子に座らされている彼も。


 椅子が倒れた。俺と同じく滑り落ちる。この勢いのまま壁にぶつかれば、俺と彼は燃え盛る壁を突き破って地面に落下する。いや、幻想月影の俺なら着地できるかもしれんが、虫の息である彼がこの高さから地面に叩きつけられたら今度こそお陀仏になりかねない。


 どうする? せっかくここまで来て死なせちまうわけにはいかないぞ。そうこうしている間にも壁がすぐ目の前に迫って――


 いやでも待てよ? この滑り落ちる方向、アレなかったか?


 ばきっという音が響いた。火の粉を盛大に散らばせて、俺達は壁の外に放り投げられた。


 虚空に投げ出された俺は霊月型になった。そして、目の前を見る。ビンゴ! 幸運にも、はしご車を立てるのに役立ったタワークレーンが目の前にいるじゃないか!


 ここから先は一瞬の勝負。分身した実体と非実体の蒼い幻想月影を使役。非実体には再びタワークレーンに憑依してもらい、先に地面に着地した実体の幻想月影には先端の吸着フックをキャッチ――俺がいる場所へ投擲してもらう。受け取った俺が彼を縛り付ける椅子にフックを吸着。非実体の幻想月影が操作するタワークレーンを操作して、ゆっくりと地面の上に下ろさせる。


 タワークレーンを所定の位置に戻して、完了。椅子に縛り付けられた男の生存を確認。後は、警察とかに通報すればいいな。


 ブラックドラゴンの奴らが徹底的に緊急車両を壊しまわっていたせいか、警察と救急車が来るのに時間がかかった。全く、連中はこの男の焼殺を完遂させるために、助けに来ようとしてきた消防機関や警察機関を壊しまわっていたわけだ。アンドロイドを虐めるだけの悪党集団かと思いきや、殺人まで平気でする犯罪集団だったとは。LNMは一線を超えすぎだ。


 駆け付けた警察とかは驚いただろうな。満身創痍で椅子に座らされた男が庭にポツンと残されていたのだから。『この人が火災現場に取り残されていた。後は頼む。by 幻想月影』という置手紙と共にね。


 現場を後にした俺は、人目につかない場所で変身を解くと、宿泊していたホテルへ帰った。ゲンロクも既に部屋に戻っていた。彼女の顔を見ると、さっきまでの戦いの記憶が嘘のように感じられる。やはり、こっちの日常の方がいい。


 一応、部屋に戻ってから、アレクとレオーネには今起きたことは話しておいた。ブラックドラゴンと椅子の男については警察が処理するから、俺達のすべきことはもうないだろうと二人から言われた。とりあえず、事の全貌が明らかになるまでは、俺もアクアフェスティバルを楽しむ一般市民に戻っていた方が良さそうだ。労働者街の楽しい思い出が、たった二日で終わってたまるか――正直、それが俺の本音だったからね。


 ★★★


 話が進んだのは、俺が労働者街から帰宅したときだった。といっても、滞在は四日ほどなんだけどね。あそこで何日も遊び続けるには、俺の資金力では限界があった。


 もちろん、ブラックドラゴンの連中は逮捕された。あいつら、俺に出世のチャンスを潰されたことが余程悔しかったのか、裏切り者を拷問にかけた挙句現場に火を放ち、消火に駆け付けたアンドロイドを壊しまくっていた悪行を全て自ら吐いてしまった。おかげで、例の置手紙から『幻想月影が男を半殺しにしたのでは?』と訝しむ声すら引っ込んでしまった。


 そんな俺に、とんでもないニュースがやってきた。


 ことの発端は、俺がサンダーバニーに帰ってきてから何週間か経った後なんだけど……、俺の部屋に届け物が来た。この世界じゃ珍しい紙媒体によるメッセージ。こういうのには、大体極秘任務が書かれてたりするんだよなあ。


『とびきりのゲストが二日後ショールームにやってくる。ただし、お前は特注のスーツでビッシリキメてから出席な』


 わあお、秘密まみれだ。何言ってるか理解できるけど。


 二日後、俺はレオーネの研究室にやってきた。誰にも知られず幻想月影の姿になって。


「俺に最初からこの格好で来させるなんて、どういう了見なんだよ」


「あんたの正体を知られない方がいいくらいのスゴい奴をご招待したからだよ」


「へえ、どれくらいビックなゲストなんだ。会うのが待ちきれないね」


 というわけで、俺達が向かったのは研究室の第二フロア。俺が幻想月影の力を貰い、レオーネのパートナーアンドロイドであるガボンと戦闘訓練を受けた例の場所だ。


 実は最近、俺はこの部屋に何度も来ている。生産応援から外された後は、特に調べ物とかなければ、大体ここに足を運んでいた。もちろん、鍛えるためだ。生産で体を動かせない分、ここで何かやってないと気持ちが落ち着かなくなるんだよね。


 そんな、俺にとっても最早なじみの深い場所と化していたフロアなんだけど、いつもと変わらぬただっぴろい空間のど真ん中に、その人物はいた。


 クロスの敷かれた簡素なテーブルの上に、色とりどりの料理が置かれている。ホワイトテンプルの食堂でも見かけるもんばかりなんだが、その男は並んでいる料理の数々を一心不乱に食べまくっていた。重なっている皿の量からして既に成人男性一日分を遥かに超える量を食べたようだが、そいつの箸は未だ止まる気配がない。


 何より俺が驚いたのは、その食いっぷりじゃない。ずんぐりむっくりした体形と露出した腕に刻まれた模様だ。いや、正確には模様じゃない。切り傷や火傷の跡だ。俺、これと同じようなものが全身にあった男を知ってるぞ……?


「おい、まさか、この男って……」


 改めて強調しておく。俺がセントパトリック労働者街から帰ってきたのが、今から数週間前。つまり、俺があの男を救い出してから、ひと月弱程度しか時が経っていない。ひと月弱しか時が経っていないんだ。重要なことだから二度言う。


 男は、俺に気付くなり手を止めてこちらを見た。


「おお、わしの命の恩人の登場だぎゃあ。会えて光栄だがや」


 しわがれた低い声に変なイントネーションの喋り方――いやそんなことはどうでもいい。俺にとっては、今そいつが口にしたセリフの方が大問題だ。俺は医療については全くの素人だから分からないんだけど、全身の火傷とか切り傷とか、そういうのってひと月であそこまで治るもんなの?


「嘘だろ!? あんたほんとに、あの男なのか!??」


 ★★★


「改めて自己紹介させてくれ。わしはケタタマといいますぎゃ」


 俺が助けた謎の男——ケタタマは、まずそう名乗った。


 料理も全て片付けられて何もなくなったテーブルの上に、ケタタマは腕をドカッと乗せてリラックスしている。隆々たる筋肉が分厚い脂肪で覆われており、その自重だけでテーブルの天板が割れそう。ただ、その腕には痛々しい火傷と傷跡が刺青のように穿たれている。


 そんな腕だけ見ても分かる通り、ケタタマもかなり巨漢だ。そのベクトルはウルサよりも恰幅が良い方向へ向かっているが、あいつみたいにスキンヘッドというわけではなく、あごの辺りまで揉み上げを伸ばした短い茶髪が外に跳ねている。


 あと、殴られて付いたのか、生まれつきなのか分からんが、鼻の下がふっくらとして二つのクッションみたいになっている。それと口から覗く八重歯と下唇の組み合わせのおかげで、猫の口にしか見えない。てか、ぎらついたような大きな目と外跳ねの髪形のおかげで、ケタタマの顔全体が長毛種の猫のそれ。


 というわけで、ケタタマが完全に人に化けてる最中のデブ猫のお化けにしか見えなくなってきた俺だが、そんな彼の自己紹介についてまず真っ先に突っ込みたかったのがこれだ。


「で、本名は何? ケタタマじゃないんでしょ?」


 すると、飯を食い終わって半ば満足げに頬を緩ませていたケタタマが、突然真顔になった。


「ケタタマは本名だぎゃ! わしらの誇り高き戦士の名を勝手に語ってイキっとる馬鹿共と一緒にするんじゃにゃーよ!」


 だぁん! と、ケタタマは激昂のままにテーブルを腕で叩きつけた。金属製のテーブルが、腕の形がくっきりと残るくらい綺麗に凹んでしまった。


「おっと、それはゴメン。でも、君の言ってることが本当なら、君は他の幹部たちとは全然違うってことだよね? 俺、なんも知らないんだ。教えてよ」


「分かるならいいぎゃ。だけど、教える代わりに、おみゃーに訊きたいことがあるぎゃ、幻想月影」


「訊きたいこと?」


 俺が首をかしげて見せると、ケタタマは一息ついた後、俺の横一文字バイザーをじぃっと覗き込んできた。


「おみゃー、c『L』azy 『N』oizy 『M』achineのこと、どう思っとるんぎゃ?」


「倒すべき敵だと思ってるよ。あいつら、人間の代わりに生産してくれるアンドロイドを傷付けるばかりか、終いには社会に必要なインフラにすら手を出し、国や俺達ばかりか彼ら自身にまで破滅させようとするロクでもない集団さ」


 自分でも驚くくらいすらすらと言葉が出た。連中に対してたまっていた思いが相当あったみたい。


 次の瞬間、ケタタマが哄笑した。ケタタマの名に相応しいほどの、恰幅の良い大男の体格からは想像つかないほど鋭く高い笑い声で。


「なるほどなあ! いかにも、この世間様の声を代弁するに相応しい意見だぎゃ! 流石は、今を時めくこの国のヒーロー様だぎゃ! 御見それしたがやよ」


「ヒーロー様ね。そんな自覚はないけど」


「確かに、おみゃーの言う通り、c『L』azy 『N』oizy 『M』achineってのはロクでもにゃー奴らの集団かもしれんぎゃ。だけど、それは所詮、物事の片方で見てるに過ぎにゃあ。c『L』azy 『N』oizy 『M』achineは、絶対悪とは限らにゃあのよ」


「絶対悪とは限ら……ない? どういう意味だ。あんたも、真の自由とやらを求めてるのか? 国や社会の保護からも自由にされ、弱い奴から苦しみぬきながら死ぬ、真の自由ってやつを!」


「真の自由? ……ああ、あのガキ共もんなこと抜かしてたがや。けど、安心してちょう。わしもそんなもんは望んじゃにゃあよ」


「じゃあなぜ、アンタはLNMなんかに入ってたんだ?」


「落ちつくぎゃ! いいか、この世にはバランスってもんがあるんだぎゃ。今はSephirOSとやらで平和で豊かな統治がされているこの国も、いつどこで何かの権力が暴走して、行き過ぎた政治が人々を抑圧してしまうことがあるかもしれない。……そんな時のための抵抗勢力として、時には法の規則に縛られない自由な組織が必要なんだぎゃ。LNMは、本来そのためにある存在なんだぎゃ」


「あー、要するに行き過ぎた権力に対する抵抗勢力ってこと? まともっぽいこと言ってるところ悪いけど、実際は全然違うよね? あいつらがそんなことやってるようには全然見えないんだけど」


 こういうの、俺がいた世界にもいた。反権力勢力として今の権力に立ち向かうって大層な理想を掲げていたんだけど、気が付いたら反権力が権威そのものになってしまった。おかげで、権力だけは立派にある傍迷惑なクレーマー集団みたいになってしまい、ネットとかでは総スカンだった。だから、ケタタマの説明を聞いても、俺は彼らに対する好感度は1ミリも変化しなかった。


「まあ、そうだろうな。幻想月影の言う通りかもしれんぎゃ」


 俺の指摘にケタタマは自虐的な浮かべる。が、すぐにその顔は真顔に戻った。


「けど、わしらは元々、誇りを断じて失わぬ誇り高き戦士達の集いだったんだぎゃ。それは本当だったんだぎゃ。……それを」


 眉間をキッと寄せ、ケタタマは唸るようにその名を口にした。


「ベルゼバビッチの野郎が、全て台無しにしやがったんだぎゃ!」


「ベルゼバビッチ……? 誰それ? 聞いたことないんだけど」


 また首を傾げた俺だけど、続いてケタタマが口にした事実は、この場にいた誰もが驚いた。


「知らんのか!? おみゃーらが『サバエ』と呼んどる奴のことだぎゃ!」

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