俺、異世界から来たんだ
「異世界から来た!? なんじゃそりゃ?」
それが、アドからの最初のリアクションだった。まあ、そりゃ当然だよな。俺からすりゃこのセフィア幻想国そのものがエキセントリックな存在だが、向こうにとっても異世界なんて概念は突飛だもんな。
「この世界にはない全く別の世界さ。俺はそこから来たんだ」
「全く別の世界……、俺達が住んでるこことは全然違う世界ってことか? どんな世界なんだ?」
「簡単に言えば、SephirOSもアンドロイドもいなくて、みんなが働いている世界さ」
「みんなが働いている……てことは、みんな労働者ってわけか! てことは、能男はその世界じゃエリートだったわけか!? なんだよそれ! すげえな!」
アドの表情が明るくなったのを見て、俺は少し頭を抱えた。そうだった。セフィアの感覚では、雇われて尚且つ働いている人間は、エリート的な存在だったわ。
「いや、そうじゃないんだ。その世界の俺達は、働かないとお金を得ることが出来なかった。そうしないと暮らしていけない。生きていくために皆が働かないと生きていけない世界なんだ」
「生きていくために働くって……それって、『金は労働の対価』ってのが当たり前だった時代の価値観か? 俺、それ、ガキの頃、歴史の授業で習ったぜ。能男、要するにお前、旧世界みたいなとこからやって来たってわけか!」
『旧世界』という単語が引っ掛かったが、言わんとするのは大体察した。俺は首を縦に振った。
「……なあ、それってどんな世界なんだ? もっと聞かせてくれないか?」
案の定というか、アドの答えはめっちゃポジティブ。言葉の節々から、ひどく好奇心を刺激されているのを感じる。まるでレオーネだ。けど、対する俺は逆に気分が重い。
「ひどい世界さ。なんてったって、働けない人だって働かなくちゃいけない。仕事が出来ない人間だって、どこかの職場に行って働かなくちゃいけない。それが出来ない奴は、人としてダメな奴だと烙印を押されちまう世界なんだ」
「……なんだそりゃ? 仕事が出来ないなら、
「
俺の答えに、むしろアドの方が驚いていた。彼等からすれば
「いや、
「理解できねえな。なんで、働かないでいるだけで冷たい目で見られなくちゃいけねえんだ? 別にそいつが働いていなくたって、そっちは何一つ損なんてしてないのに」
「いや、彼等からしてみれば十分損しているようなもんさ。なんてったって、生活保護ってのは国の金から出る。で、国の金といえば税金だ。税金はみんなが払わなければならない。となると、生活保護を貰っている人は、働いてる誰かの金から貰うものだ。となると、こっちは苦労して働いてるのに、なんで働いてない知らない奴を食わさなきゃいけないんだよ。って不満になる。生活保護の支給額よりも賃金の低い労働者から見れば猶更さ」
「狂ってるな、それ。確かに俺も税金は納めてるけどさ、『大樹守らば実は絶えぬ。されど実の
大樹守らば……? そういえば、そんな言葉をテンプル美術館で聞いたことあるな。
「まあ、セフィアみたいな他所から見れば、アドの言う通りなんだろうね。でも、アドみたいなことを考えている人は、俺の世界じゃ殆どいなかった。仕事をせずに金を貰うことは『甘ったれ』で、仕事がちゃんと出来なくて貧しい人々は『自らが甘ったれた結果の自己責任』だ。あまつさえ、もし、そんな人達に救いの手が差し伸べられようものなら、『俺達も苦労しているのになんであいつらを助けるんだ!?』と働いている人達からの怒りを買うのがオチだから、誰一人助けられなかった」
「俺じゃ理解できねえことばかりなんだが、皆、それをどうにかしようと思ってないのか? そんな狂った世の中、俺じゃ生きてられねえぞ?」
「思うわけないじゃないか。皆、それが当たり前だと思っている。それを変えようとすることは『甘ったれの癖に文句だけは一人前』って思われて、結局誰もやろうとしない。それで生きてられないなら黙ってくたばればいい。それが、俺のいた世界なんだ」
「なんだよそれ、冷酷すぎるじゃないか!」
「うん。自分で言っといてなんだけど、俺、マジでヤバい世界に住んでたんだな」
「……能男、どうやってこの世界に来たんだ?」
まあ、そういう質問は出るよな。だから、俺は答えた。もう詳細は忘れちゃったけど、仕事でミスをして上司一同から大目玉を食らった真夜中、仕事も途中なのに抜け出して、橋から転落してこの世界に迷い込んだんだって。
「そいつは、最高に幸運だったな、能男!」
「幸運か……。でも、仕事を途中で投げ出してこの世界に迷い込んだことに、どうやら俺はまだ罪悪感が残ってるみたいなんだ。苦労を途中で抜け出す奴は、どうしようもないクズだってあの世界では嫌という程教えられてきたからさ」
「過ぎちまったもんだから気にする必要なんてねえだろ。俺から見れば、なんというか、ヤバいカルト宗教に囚われてた人って感じがするし、それを悩むくらいなら今を楽しむべきだと思うぜ。それに、あんたが逃げちまったことを責める奴なんて、この世界にはいねえんだからよ」
「それを言われると、なんか有難いよ」
……アドの言う通りなのかもしれない。内容はどうであれ、自分の犯したミスを中途半端に放ったまま逃げ出した俺は、軽蔑されるべき存在なのかもしれない。けど、俺があの世界でやらかしたのは、もう過去の話なんだ。俺を責める奴は、もうどこにもいないんだ。いるとしたら、俺の中にしかいないんだ。それをどうにかするのは――きっと、俺の頑張りなんだ。
「しかし、よく生きて来られたな」
「改めて思うとびっくりだ。俺、勉強こそなんとか出来たんだけどさ、学校の係活動とかは昔からなぜか苦手だった。そんなんじゃ社会でやっていけないって言われてたけど、将来の辛いことばかりはひたすら目を背けて、なんとかなるだろうと呑気な見通しばかり立てていた。でも、ダメだった」
夜空を眺めながら、あそこの世界での光景を思い浮かべる。けど、ここにやって来た瞬間の出来事が出来事なだけに、自虐的な気持ちにしかならない。
「仕事の出来ない俺は、生きるためにひたすら誤魔化すしかなかった。だけど、そんなもんすぐにボロが出るに決まってた。知らず知らずのうちに皆の足を引っ張って、怒られて、責められる毎日だった。それをどうにかするのは自分しかいないのに、変わることの出来ない自分と世の中を呪いながら、ひたすら苦しんでいた」
アドはもう何も言わなかった。無言で、俺の話を黙って聞いていた。
「今でも、俺はあの世界での思い出を夢に見るよ。何も出来ずに苦しむ夢だ。この世界に来れて本当に良かった。あの世界にいたら、明るい未来なんてちっとも想像出来なかった。結婚して子を成すことすら出来ず、孤独な老人になっても待遇の悪い職場でひたすら誰かに責められながら仕事をし続けていたんだろうなとしか思えなかった」
一息つく。まるで、口から糞を吐き出し続けているような気分だ。嫌なもんを脳味噌から外に全部出し切ったような、そんな感じ。
俺がひとしきり辛い思い出を口に出してたせいか、夜のベランダは重い静寂に包まれてしまった。ここで、アドが口を開く。
「……そんな毎日が、俺の住んでるのとは別の世界で繰り広げられてたとは知らなかったぜ。能男は、随分と苦労した過去を持ってたんだな」
「まさか。俺でもまだ恵まれてるほうさ。むしろ、今まで苦労してなかったツケを払わされているだけなのかもしれないし」
「そうなのか?」
「そうさ。そりゃ俺だって、学生時代の頃はバイトとかしてなかったけど、それでも苦労や嫌なことは沢山あった。苦労してない人間なんていないさ。アドだってそうだろ?」
「まあ、そう言われれば、確かに俺も大変な目には遭ってはいるな」
「やっぱり?」
俺がそう言うと、アドは自分の過去を語ってくれた。
「昔の俺は相当イキっててさ、人間が働かなくていい世の中だってのに、なんで労役並みにしんどい学生生活を送らなきゃいけねえんだって、ずっと考えてた。で、中学の時、イージフとかダチと一緒に地元をこっそり抜けて、セフィア中を旅してた」
わお、いきなり凄い。少なくとも、俺の周囲では考えられない発想と行動だ。
「まだガキだったから
俺には想像すら及ばぬ、セフィア幻想国に住むガキんちょ達の冒険物語は、ここで暗雲が立ち込めてくる。
「調子に乗ってメヒクトリランド共和国に行っちまったのが、俺達の一番の過ちだった。グロ経連とやらに関わってるセフィア以外の国ってのには、
アドの過去話は続く。
「必死の思いでセフィアに帰った俺達は、考えを改めた。こんな俺達を生かしてくれているセフィアのために生きようって決めたんだ。で、定時制の高校に通うことから始めた。で、そん時に今の奥さんと出会って、ホワイトテンプルの看板持ちって進路が決まって、今に至るわけさ」
「凄い過去だね」
アドの話が終わって俺から出た感想は、まずそれだった。
「なに、将来やることが決まらなくてセフィア中を旅するってのは、今時のガキなら普通のことだよ。そこでみんな、セフィアという国の偉大さを思い知るわけさ」
ふと、バルコニーの奥に何かが光っているのが見えた。教会の屋根に備えられた銅製の聖樹像が、月の光を反射していたのだ。それは、少し不気味にこそ映ったけれど、同時に俺達を守護してくれる国からの慈悲に満ちた光にも感じられた。
俺の辛い過去のせいか、アドの過去話を聞いたからか、それとも、そんな目の前の情景を見てしまったからは分からない。けど、この夜のやり取りの中で、改めて俺は思う。
「……この国は、楽園だ」
「ああ。楽園だ。俺達は、楽園に住んでいるんだ」
そして、同時に別で思うことがある。デストリューマーは何なんだろう。特に、LNMの連中は、どうしてあんなにセフィアを憎んでるのか分からない。SephirOSやホワイトテンプルを潰して『真の自由』を得ようだなんて、どう考えても間違ってる。
あいつらは、アドのようにセフィアの偉大さを理解することが出来なかった、粋がった若者たちの成れの果てなのだろうか。それとも、本気でセフィアが良い国だと思うことが出来ない、暗い事情によるものなのだろうか。
まあ、そんな詮索は俺の専門分野じゃないか。そういうのは、警察やホワイトテンプルに任せればいいんだから。それよりも、今日の一番の収穫は別にある。
「今日は、ありがとう。色々暗い話をしてゴメンね。でも、おかげですっきりしたよ」
「俺はそれが一番聞きたかった。明るくなって良かったぜ」
アドがくしゃっとした優しい笑みを浮かべてくれた時、俺は彼が俺のことを本気で心配してくれていたのだと理解した。そんな友を得たのは、この世界に来てから初めてだ。俺は改めて、アドに礼を言った。こんな幸福を得られたのも、全てはセフィアのおかげなのかもしれない。
ふと、俺は視線を感じて屋根の方を見た。
緑色に閃くバイザーが、俺を見下ろしていた。
幻想月影――俺の中にいる、誰よりも俺の救世主。
あっちの世界から逃げ出した俺には、自身の無能さ、仕事の過酷さ――そこから中途半端に逃げ出したことへの罪悪感が、未だにこびりついている。その苦しみは、国からしこたま貰う
幻想月影になって誰かを助けている時だけ、それがちょっとだけ癒されているような気がするんだ。幻想月影は、誰かを救うことによって、俺のことを救っているんだ。だから、幻想月影は誰よりも俺の救世主なんだ。
やがて、幻想月影の幻影は、屋根伝いにどこかへと跳び去って行く。
誰かを救いに行くのだろうか。また何かあったら、またよろしく頼む。一番あんたを必要としているのは、他ならぬ俺なんだから。
「ん? どうした? なにか見えんのか?」
ここでアドからそんなことを言われ、俺は我に返った。
「あ、いや、その、幻想月影が見えた気がしてさ」
「幻想月影!? マジかよ。この辺にもいんのかよ!?」
「えっ!? 幻想月影!?」
これは俺のセリフじゃない。幻想月影という単語に食いついたのか、いつの間にかベランダにジュリウスがいた。なんちゅう地獄耳だ。
「おい、ジュリウス! お前は寝てる時間だろ。さっさと自分の部屋に戻れって」
「ごめん、パパ。でも、幻想月影がいるって聞いたから、いてもたってもいられなくて」
「ゴメン、ジュリウス、多分、見間違いかもしれない。酔っぱらいすぎちゃったのかも。俺達ももうすぐ寝るから、君もお父さんの言うことを聞くんだ」
慌てて俺もアド側についてフォローした。ジュリウスはなんとも残念そうな顔をして部屋に戻って行った。ま、まあ、幻想月影が屋根にいるわけないんだよな。そもそも、正体は俺なんだから。
やがて、俺達もそれぞれの部屋に戻る。今日はアドのおかげで本当に助かった。
流石に、今夜は悪夢なんて見ないだろう。
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