模範的な幻想国民
俺が現場で嘔吐した事件は、サンダーバニー支社の看板持ち界隈には広まっていた。けれども、いくら『スポンサー付きの無職』と揶揄される看板持ちとて、嘔吐した俺をからかうようなことは断じてしなくて、みんな俺のことを心配してくれた。
それどころか、さらに驚くべき話がアドの口から飛び出して。
「お前よお、給料上がった喜びよりも、減った理由でショックでゲロ吐くなんておかしすぎるぜ。なんか、気持ち的に疲れてんじゃねえの? 今度、俺ん家で給料日パーティやるからお前も来いよ。元気になれっかもしれねえぞ」
「え?」
まさかの誘いに拍子抜けした俺だったが、もちろん快諾した。断らないわけがなかった。
で、当日。就業終わって帰宅した俺は着替えを済まし、ゲンロクと共に出発する。仕事が終わってから同期の家で開かれるパーティ行くとか、あっちの世界じゃ考えられない。仕事が終わった後の体力じゃ外出て他所ん家で遊ぶ余裕なんてとても無かったし、そもそも帰る時間が遅すぎてパーティの存在そのものがありえなかった。
マンション駐車場のシェアリングカーに「アドん家行くから連れてって」と告げる。車内から『アドリアーノ・貴明・コルテス様のご自宅ですね、承知いたしました』とAIの声が返ってきて、シェアリングカーはすぐさま駐車場を出発する。
アドの実家へ行ったことはない。彼曰く、マンションではなく戸建てに住んでいるそうだが……。
「うわ、すげえ」
車窓を見ながら思わず口から出てしまった。
彼の家を一言で表すなら、昔の洋画で見かけるアメリカの一般的な家。白い壁とデカいガレージが特徴的な二階建ての家で、生垣に囲まれた広い芝生の庭がある。
アドと彼の一家は、今まさに芝生にバーベキューセットを並べている真っ最中だった。既に屋外用の椅子とテーブルが並べられており、ホームセンターでしか見たことのないバーベキューグリルが二台も並べられている。
「アド、着いたよ!」
アドが庭にいたので、シェアリングカーから降りて早々挨拶をすると、向こうも嬉しそうに手を上げた。
「おう、能男。待ってたぜ!」
俺は携帯端末を操作してシェアリングカーを帰らせる。また帰るときに呼べば、マンションのシェアリングカーが俺んところに来てくれるだろう。
来客ってことでアド家の設営作業が中断。それぞれの家族がお初なので、お互いに挨拶を始める。
俺はパートナーロボットであるゲンロクを紹介。一方、アド側はというと……
まず、奥さんのオメアラ・デボラ・コルテス
次に、長男の達也・ロベルト・コルテス。
次男のジュリウス・信之・コルテス。
長女のマヌエラ・明美・コルテス。
三男のアンドレアス・篤・コルテス。
次女の清美・マリナ・コルテス。
最後に、アドのパートナーロボットであるジャンゴ。見た目は人型ではなく、テンガロンハットを被ってポンチョを纏った四肢のある鷲。二足で立つグリフォンともいえる見た目だけど、まるでゴリラのようにガチムチの体型。てか、ついさっきまで食材の詰まってそうなクーラーボックスを軽々と持ち歩いていた。
ま、要するに、向こうはかなりの子沢山。結婚して子がいるとは聞いてたけど、まさか三男二女とは……。しかも、一番上の長男で小学生の低学年辺りにしか見えないし、おまけに奥さんの腹の膨れ方からしてもう一人増えそう。なんちゅう子沢山だ。
「ちなみに、能男以外にも誘ってる奴いっぱいいるから、目一杯楽しんでおくれ」
「マジかよ。だからグリルもテーブルもめちゃめちゃ多いわけだ」
「そりゃ給料日だからなあ。目一杯やらねえと、SephirOSの
「
「いや、客人に手伝わせるなんてことは出来ねえや。設営の大抵はジャンゴがやってくれるし、能男は何もしなくていいぜ。代わりに……おいジュリウス、お客さんを部屋に案内しろ」
「分かったよ、パパ。おじさん、僕に着いて来て」
おじさんて……。まあ、四捨五入したら30になるし、おじさんと呼ばれても仕方ないか。てなわけで、俺はアドの次男坊であるジュリウスに案内されてアドの家にお邪魔する。
手伝いしなくていいのは正直有難い。サボりたかったというよりは、無理して手伝おうとして設営の足を引っ張って、アドとの関係が悪くなるリスクを回避できたってのが大きい。ここは、客人の立場に甘んじてもらうよ。ゲンロクも一緒だ。
で、ジュリウスに連れて来られたのは、二階にある子供部屋っぽい居間。なぜ? と俺が訊くと、ジュリウス曰くパーティの準備で1階は人の往来が激しすぎるので、客人は2階に避難したほうが安全だからとのこと。まあ、グリルやダイニングセットとかはガレージの中に収納してるんだろうが、食材や食器のような衛生問題にかかわるもんは流石に屋内のキッチンとかにあるもんを使うからなんだろうな。
けど、それ以上に俺が気になったのは、子供部屋に飾られていたものだ。机に置かれてるフィギュアとか壁に貼られたポスターに描かれてるもの――三色のマフラーを風になびかせ、横一文字のバイザーを緑に閃かせる黒いヒーローって、もしや――!
「ねえ、これって、もしかして、幻想月影!?」
「え? おじさん、幻想月影のこと知ってるの?」
「もちろんだよ。幻想月影はこの町のヒーローだろ? 幻想国の月の影! 知らないわけないじゃないか」
俺が指摘すると、ジュリウスの反応が変わった。さっきまで『客人を案内するだけの人』というどこか素っ気ない雰囲気から一変、俺を見る目がポジティブなものへ。
「おじさんも、幻想月影は好きなの?」
「まあ、この町のために戦ってくれる人を、嫌いになるわけないよね。好きだよ」
「おじさんも、幻想月影に会ったことあるの?」
「ええと、一応、あるよ。助けられたこともある」
「ほんとに!? 幻想月影、なんか言ってた?」
「特に覚えてないなあ。俺を助けた後、どっか行っちゃったから」
「そうなんだ! でも、僕と同じ、幻想月影が好きな人に会えて嬉しい!」
「嬉しい? やっぱり、君も幻想月影が好きなのかい?」
「もちろんさ! 将来は、幻想月影みたいになりたい!」
ジュリウス少年の真っすぐな目に、俺は胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。幻想月影――俺みたいになりたい……だって? 冗談はよせ。俺は、あんたみたいな子の模範になった覚えはないんだ。
と、思ったんだけど、そうだった……みんな幻想月影の正体は知らなかったんだ。余計な心配するんじゃなかった。
けど、そんな俺のわずかな感情の機微を感じ取ったのか、ジュリウスの表情が曇った。
「……もしかして、おじさんもなの? おじさんも、幻想月影になるのはバカみたいだって思っているの? お兄ちゃんや妹みたいに? ひどいや。憧れるくらいいいじゃないか」
ああ、これは俺には都合こそ良いが良くない勘違いだ。慌てて弁明する。
「いや、そんなことは考えてないよ。そんなことはない。ただ、ちょっと気になることがあってね。君は……幻想月影に変身する人って、どんな感じだと思ってる?」
そんなことを興味本位で聞いてみると、ジュリウスは少し思案した後、口を開いた。
「考えたことないや。でも、すっごく正義感があって、弱い人にやさしくて、で、頭が良くて、すっごく強い人なんだと思う。あと、とてもカッコいい人なんだろうな。僕も、そういう人になりたい」
「そうかあ……」
案の定ともいうべき答えに、俺はそれしか答えられなかった。
程なくして、下の階から「ジュリウス! ちょっと手伝って!」とアドの奥さんと思しき声が聞こえて来て、ジュリウスは「はーい」と部屋を出てしまう。子供部屋にゲンロクと二人で残されてしまった。
「マスター、私はマスターが幻想月影であることを存じてます。でもなぜマスターは、御自身が幻想月影であると皆さんには明かさないのですか?」
ふと、ゲンロクがそんなことを訪ねてきた。参ったな。まさかゲンロクから問われるとは思わなんだ。けど、黙ってるのもアレなので、俺は答えた。
「俺が、セフィアの皆が思ってる幻想月影の中の人のイメージから、あまりにも掛け離れているからさ。幻想月影のようなヒーローってのは、もっと聡明で高潔で、みんなの模範になるような人間がなるべきなのさ。例えば、労働者階級のアレクみたいな。俺みたいな看板持ち、ましてあっちの世界では仕事の一つも出来なくてずっと組織の足ばかり引っ張ってきた人間なんかが幻想月影であることは、みんなちっとも望んでいないんだよ」
「でも実際は、あなたが幻想月影です。周囲のイメージは関係ないのではないでしょうか」
「そんなことを言われてもさ。いくら自分が幻想月影だって分かってても、それ以外が全然ダメな自分っていう現実を会社とかで突き付けられるとね……。自分が幻想月影だって俺から打ち明けるのは、なんかカッコ悪い気がしてとても出来ないんだ」
これは本心だ。嘘偽りのない事実だ。けれども、ゲンロクは首を傾げるのみで――。
「――!?」
また胸がドキッとした。子供部屋の隅に姿見が置かれているのだが、そこから幻想月影が覗いていたのだ。
幻想月影の表情は分からない。だけど、その顔はどこかこちらを睨んでいるようにも見えて……。
「――?」
姿見には俺が映っていた。幻想月影だと思っていたのは、幻覚? それとも――
「俺に、幻想月影である自覚でも持てってこと? 分かってるよ、そんなこと。俺が幻想月影の活動を続けるのは、今までもこれからもずっと変わらない。でも、これだけは言わせてくれ。誰よりも何よりも、幻想月影は俺のヒーローなんだ。セフィアの皆を助けていると見せかけて、俺自身が幻想月影に救われているんだ」
「マスター、そこは姿見です。なぜ、鏡とお話を?」
ゲンロクに言われて、俺は我に返った。
「あ……。さっき幻想月影の幻が見えてね、ちょっと思ってたことを口にしただけさ」
なんて答えていると、下の階から「準備できたから来いよ!」とアドの声。言われて降りると、庭の雰囲気がこれまた変わっていた。テーブルもグリルも見事に設営され、もはや野外食堂の小さいものがアドの庭にそのままやってきたようだ。
「あれ? 能男じゃん。お前も来てたんだ」
庭の椅子に既に座っていた男が、俺を見るなりそう言ってきた。当然、俺も知ってる人――イージフだ。しかも、奥さんと子供を連れて家族で来てる。
「アドに誘われてね。初めての参加さ」
「俺が誘ったんだよ。4v4仲間とばかりじゃつまらないだろ?」
アドの説明に「ああ、そゆこと?」とイージフは答える。流石に、俺の体調を案じて誘ってくれたことについては触れなかった。そういう気遣いは有難い。
で、イージフの家族とはお初なので、これまた互いに自己紹介。驚くべきことに、イージフも子供が四人いた。看板持ちは子沢山揃いか! こちとら子供どころか嫁もいないよ。
で、奥さん代わりにこちらもゲンロクを紹介。すると、まさかのイージフの奥さんが「なんて可愛い子なのかしら!」と食いつくハメに。あの、いくら奥方とはいえ触りすぎでは?
一方のイージフもまた、「能男、おめえ、そんな可愛いパートナーロボット持ってたのか!」と笑っていた。けど、次に言ったことがちょっと気になった。
「能男、そんなにパートナーロボットを可愛くさせちまって良いのか? 可愛いアンドロイドを持っちまうと、嫁が来なくなっちまうと言われてるぜ?」
だから、すぐに答えた。
「別に良いよ。ぶっちゃけ、俺には結婚する未来なんて期待してないからさ。俺にはゲンロクで十分だ」
「マジかよ。今時、そんな考えの奴がいたとは驚きだぜ。能男、知らねえのか? 子供を持ってたほうが、色々と――得だぜ?」
なんてことを言いながら、俺の懐にまで近付くイージフ。そんな彼の手は、人差し指と親指で輪っかを作ってる。ああ……つまりはそういうことね。
「おーい! 挨拶は済んだんだろ? なら……おい、お前らもみんな席に座れ! 乾杯しねえと、せっかくの肉が食えねえぞ!」
家主であるアドの声が聞こえて、俺達はすぐさま適当な席に座った。アルミの骨組みに布をぴんと張って座席と背もたれを作ったような折り畳み式のキャンプ椅子だ。座って見ると、案外心地いい。それと、軽いので引きやすい。
かくして、乾杯の挨拶が始まり、俺達の野外パーティが始まった。
子供達がジュースやら炭酸飲料やら飲む一方、俺達大人組はビール。ジャンゴが持ってきてくれた金属のグラスは白い靄が出るほど冷えていて、そいつで飲むビールは脳天にまで響くほど美味かった。ビールはゲンロクと家で飲むけど、こういう場で飲むビールというのも格別だ。
さて、メインの飯はというと、肉! バーベキューの定番である肉! 分厚いステーキ! 骨付きのスペアリブ! 串焼きの肉! 分厚くてジューシーな肉を野外で食ったのは、あっちの世界で小さい時にバーベキューをやった時以来だ。まさか、あの経験を再び味わえるとは。いや、こっちの世界でも野外食堂で肉なら食ったことはあるが、こういう経験はしていないので。
ちなみに、肉を運んでいるのはジャンゴだ。アド曰く、肉奉行はパートナーロボットの彼に一任しているそうで。ちなみに、今回はゲンロクも特別にサポートしている。
――なんてことを言ってると、ジャンゴが声を張り上げた。
「タカーキ! 子供達のジュースが空になってる! 持ってくるの手伝ってくれ!」
まさかのミドルネームでアドを呼ぶとは。貴明って名前だったね。忘れてたわ。
で、肉が終わると、次に出たのはビア缶チキン。ビールの缶にチキンの塊を尻から差して、立てたまま焼く料理だ。チキンは俺の好物だが、そんな料理を生で見たのは初めてだ。
パーティ、そして、二階建ての戸建て、沢山の子供達……看板持ちの家庭のどこにそんな金あんだよと思うけど、アドが言うには、産んだ子供の数だけ減税され、三人以上になると特別手当まで貰えるそうだ。おまけに、成人と比べると遥かに少額だけど、子供達にも
陽気な人柄で人を集め、消費の出来ない機械の代わりにパーティなどでみんなで派手な消費活動も行い、次代となる子供達を沢山生み育て、暖かい家庭を築く――アドこそ、セフィアの求める理想的な庶民像なのだろう。日陰者の身分に甘んじ、ゲンロクと二人っきりで過ごしているだけの俺とは正反対だ。
……おっと、後ろ向きなことを考えるなんて、このパーティに来た意味がねえ。
ある程度、食べて腹が膨れてくると、子供達は席を立ち、別の遊びをやり始める。こうなってくると大人達のターン。メインが食うから飲むへと本格的に変遷する。
アド曰く、朝から仕込んでいたという特製のスモーク料理をつまみに、俺達の酒は進む。あと、ついでに、とジャンゴが作ってくれた白身魚の杉板焼きってのがこれまた美味かった。アド曰く、子供達は魚が苦手なのであまり食ってくれないとのこと。なんてもったいない。
大人達の話題は、近況のニュースとか4v4とかそんな感じ。しかし、酒の勢いとは大したもんだ。こんな俺でも、アドやイージフとの会話にすんなりと入っていけて――
「この国の全てが俺の味方となり~、お前達の脅威となる~!」
突然、そんなセリフが耳に入ってきて、ぎょっとして俺は振り向いた。
喋っていたのは子供達だ。なんかワイワイ言いながら、庭を走り回っている。言ってたのは、ジュリウスか! 幻想月影が好きって言ってた子だ。
「なに驚いてんだよ、能男! うちの子達が幻想月影ごっこしてるだけじゃねえか」
驚いていた俺にイージフが笑いながらフォロー。
「なにそれ、そんな遊びがあるんだ……」
「子供達の間で流行ってるらしいんだよ。ま、ガキってもんはヒーローが好きだからな」
「子供はヒーローが好き……まあ、そうだね。しかし、さっきイージフの子供が喋ってたのは、幻想月影がデストリューマーと戦う時に口にする言葉だよね? よくそんな言葉知ってるなあ」
「ん? なんだ? お前も幻想月影も知ってんのか? あのセリフは、よく特番で紹介されるんだよ。やるたびにうちの子が食らい付きやがるんさ。けど、お前も詳しいなんて驚きだ」
「まあね。俺も好きなんだ、幻想月影」
好きっていうか、幻想月影は俺なんだけどね。
改めて、俺は子供達のやりとりを眺めている。左胸辺りに三日月のプレートを下げているジュリウスが幻想月影役で、他がデストリューマーとかそんなんだろうか。ストーリーは分からんが、なんか戦っているのは分かる。あと、楽しそうにやってる辺り、みんな幻想月影が好きなんだろうなあ。
俺の活躍が子供達のごっこ遊びとしてポジティブに受け止められているのは、とても気分が軽くなる。自分のやったことが好意的に受け止められるなんて、これほど嬉しいことはない。幻想月影として冥利に尽きる。
……だけど、一方で思うこともある。
「ヒーローはカッコいいよな。カッコいい見た目して、カッコいいアクションして、いつもキラキラ輝いている。けど、大人になって、社会に出るようになって思い知るんだ。ヒーローなんかじゃなくても、この国の秩序のために働いている時点でみんなカッコいいんだって」
そして、まともに働くことすらままならなかった過去を持つ俺に、幻想月影であるとのぼせ上がることなんて出来ないってのもね。
「へえ、成る程、確かにその通りだ。能男、お前、結構いいこと言うじゃねえか!」
「幻想月影にハマるうちのガキ共にも聞かせてやってくれ」
まさか、アドとイージフから同意を得るとはね。ちょっと驚き。
やがて、日も暮れて俺達はアドん家の中で二次会。
主にやったのは、子供達とのゲーム。要するに、俺のいた世界でもあったテレビゲームみたいなもんだ。けど、あそこと違うのは、ゲームの世界に自身の意識を転送して、その世界で遊ぶという酷く未来的なシステムだってこと。
ゲームなら、学生時代にあっちの世界でもやり込んでいた。就職した後は仕事で時間ほとんど持ってかれてやれてなかったけど……まあでも、別に下手ではない。
……結論から言うと、ボロ負けした。なんだよ、アドの子達めっちゃ上手いじゃないか! てか、こっちもゲンロクや教会巡りのやりすぎで全然ゲームやってなかったし! 本格的にゲームもやってみようかな。予算なら
さて、とうとう夜も遅くなって、子供達も何人か誘われるようになり始めた頃、アドからこんな提案が。
「なあ、能男。せっかくだし、泊ってかねえか? 客人用の部屋なら空いてるし、どうだい?」
俺は驚いた。……正直な話、友達の家に泊まるってイベントも、実は生まれて初めてだったりする。特に断る理由はないが、明日も平日なんだよなあ。
「どうする、ゲンロク? アドの誘いに乗るかい?」
「明日もホワイトテンプルの出勤日ではありますが、コルテス家から同時に出勤して問題ないと存じます。私は、コルテス様の誘いに乗ることを推奨いたします」
「やっぱり? じゃあ、泊まるよ。今晩はよろしく頼むわ」
ゲンロクの助言もあって、俺はアドの誘いに快諾した。かくして、俺はアドん家で泊まることに。一方、イージフは私用によって帰宅した。
で、アドからの提案はもう一つあった。誘われたのは、二階にあるベランダ。洗濯物を干せる程度の面積かと思いきや、まさかのサマーベッドみたいな椅子が二脚も余裕で置けるほどの広々な空間。アド曰く「ここで二人っきりで飲まねえか」とのこと。まさかの、男二人で三次会に突入ってわけだ。
サマーベッドの感触は初めてだ。こんなもんが当たり前にある暮らし、相当な金持ちじゃないと有り得ないよね。看板持ちでもその気になれば手に入るもんなの? それとも、俺が金の使い方がおかしいだけ? 興味ないだけ?
三次会だから酒は当然として、俺達にとって『つまみ』として最高だったのは、目の前に浮かぶ巨大な――
「すごい月だな。いまにも落ちてきそうだ」
俺は思わず呟いてしまった。満月が、椅子に横たわる俺の目の前一杯に広がっている。あっちの世界と比べてわりかし惑星に近い軌道を回ってるからかは知らんが、とにかく近い。
「やべえだろ? 子供達が寝静まった夜に、これ眺めながら飲む酒が最高なんだ」
感嘆する俺に、アドが笑いながら答えた。
「成る程な。俺も、家に帰ったら実践してみようかな。出来たらだけど」
そんなことを言いながら、月を眺める俺達。
ふと、二人でぼんやりと月を眺めながら飲んでいると、おもむろにアドが口を開いた。
「あの月、ヤベえよな。あの明るさを見ちまうと、ちょっとばかしの隠し事なんざ、本当にどうでもいいって思っちまう」
「? そういうもんかね」
「なあ、能男、ちょっと良いか?」
そう切り出して俺を見るアドの目は、わりと真剣みがあった。
「初めて会った時から、ちょっと思ってたんだが、能男は何かを抱えているのか? 最初会った時も、なんか暗いオーラ振り撒きながら広間を歩いていたし、今日このパーティに誘うきっかけだってそうだ。なんか、辛い過去でもあるのか?」
「それは……」
アドにそんなことを言われ、俺は驚き戸惑った。
けど、アドが俺を誘ってくれたのは、俺を元気づけるためだ。俺を信頼して、この会に呼んでくれたんだ。ここで何も喋らず、自分だけが抱えているのは、かえって悪い気がしてきた。
「実は……」
アドは、看板持ちとして最も付き合いの長い男だ。だから、いつまでも黙っているのは良くない。アドなら、これを打ち明けても問題ないだろう。
「俺、異世界から来たんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます