白河の清きに

 気が付いた時、俺は見知らぬ部屋の中にいた。


 学校の教室くらい広い室内に、互いに向き合った机の列が何列も整然と並んでいる。


 机のひとつひとつにはノートパソコンが置かれ、書類が積まれているのもある。


 書類が極端に平積みされた机が、妙に気になった。なんでだろう。とても身近に感じられる。


 あれ? なんで、俺、こんなところにいるんだ?


 俺は、なんのためにここにいるんだ?


 俺には、しなくちゃいけないことがなかったか?


 でも、それはどうやってするんだ?


 そもそも、何を俺はすべきなんだ?


 誰かが俺を見ている。


 誰だ。俺には、その人に言うべき何かがなかったか?


 でも、それはなんだ?


 待ってくれ。なんでその人は、そんな怖い顔で俺を見ているんだ……?


 ★★★


「……!?」


 俺はベッドの上で横になっていた。


 顔を上げると、時計が朝の八時を指していた。


 酷い夢だった。


 俺はもう、あんなオフィスで仕事の報告とかしなくていいんだ。


 なのになんで、夢の世界でわざわざ再体験しなくちゃいけないんだ。

 

 ★★★


「おはようございます! 休日なのに早起きとは、健康的ですね、マスター!」


 リビングに移動すると、再びゲンロクの元気な挨拶が出迎えてくれた。


「おはようゲンロク。いや、早起きしたっていうよりは、悪い夢を見て目覚めてしまったんだ。おかげで、せっかくの休日なのに気分がブルーだよ」


 あの後、二度寝しようと思ったんだけど、また同じ夢を見てしまうような気がして、寝ようにも寝れなかった。で、結局、起きてしまった。


「そうですか。朝からそれは災難ですね」


 そんな俺の気持ちを察してくれたのか、ゲンロクが少しトーンダウンした声で答える。その後、すぐに明るい表情でフォローした。


「……きっと、寝てる間に悪い目に遭ったってことは、その分、目が覚めている間は良いことが起こるってことですよ。何しろ、今日はクリアストリームのマッディラ神殿への参拝です。気分を上げるためにも、お着替えと、美味しい食事をなさって下さい!」


 ゲンロクの明るさは、さっきまで自分が何で落ち込んでいたのかすら分からなくさせてしまう。つくづく、俺は単純なんだなと思い知らされるよ。


 ゲンロクが言っているクリアストリームとは、マトゴマと同じく、サンダーバニーに隣接する地域の一つだ。マンションに停まってる自動運転のシェアリングカーを使えば、一時間もかからずに到着する場所なんだが、これまた変わった地域なんだ。


 クリアストリームは、どんな地域か。まず良い点から先に言うと、いるだけで国民日当ニットーの額が増える。で、次に悪い点は――


 ゲーテッドコミュニティよろしく町をぐるーっと囲う城壁が見えたら、そこがクリアストリームの入り口だ。ゲームとかでしか見たことのない重厚そうな城門の近くに、検問所のような広い施設が設置されている。


 入り口の段階から厳重そうな時点でお察しの通り、クリアストリームは規則に厳しい。同じ国とは思えないくらい、市内でやっちゃいけないことが多すぎる。


 ゴミのポイ捨ては勿論、飯の食べ歩き、飲み歩きは厳禁。移動しながらの携帯端末の利用どころか、人目に付く場所で携帯端末を使うことそのものも禁止。とある区画に至っては、私語も途中で立ち止まることも禁止。そのくせ、会う人には明るく挨拶しないと、メタファーではなく法的に不審人物扱いされる。


 違反すればその場で警備ロボットから違反切符を切られ、蓄積されれば強制的に市外へ追放される。いや、それで済めばまだ良くて、酷いと罰金や期間限定による国民日当ニットーの打ち切りとかもされる。


 要するに、いるだけで労役並みにしんどい町ってのが、クリアストリームなのだ。


 検問所に入ろうとすると、わりと強面なデザインのアンドロイドから呼び止められた。で、車ごと赤外線のスキャンみたいな光を通される。で、車内に不審物が無ければ問題なしと通してもらえる。ちなみに、空港と同じで液体の入ったペットボトルも除外されるから、飲み物は市内に持ち込めない。


 あと、スキャンの際に自分が免許証とか幻想国の国民証を持ってるかどうかも確認される。国民証はアナログの紙なら常にバッグに肌身離さず持ってるし、データとしての国民証も俺の携帯端末とゲンロクのメモリーに内蔵されているから問題ない。ちなみに、国民証には前科持ちかどうかもきっちり書かれており、そういう人も市内には入れない。


 え? 俺の不法入国? メイナルドから洗礼された時に、何とかしてもらったらしいから問題ないってよ。


 あと、ついでに服装検査もされる。クリアストリームの景観にそぐわぬ服装をしてる奴は、その時点で着替えを要求される。着て良いのはスーツのようなフォーマルな服くらい。流石に俺も、最初知った時は校則かよ。とは思ったよ。


 正直、スーツには二度と袖を通したくなかった。スーツは俺にとって、嫌な思い出の象徴だ。生地が肌に触れるだけで、あのオフィスの嫌な雰囲気を思い出して、気分が悪くなってしまう。


 けど、ゲンロクが言うには、スーツの色そのものはあまりクリアストリームでは制限がないらしい。だから、俺は黒のジャケットに白のワイシャツではなく、思い切ってグレーのジャケットにピンクのワイシャツにしてみた。


 奇抜なコーデなんて、向こうの世界じゃ身に着けられない。変に注目されるし、それで仕事が出来ないんじゃ目も当てられない。けど、こっちの世界じゃ違う。そもそも仕事のためにスーツを着るわけじゃない。それに、向こうの世界じゃ縁の無かった服を着ることによって、あの頃から脱した気分になれる。生まれ変わった気分になれるんだ。


 しかも、あの世界と違って、隣にゲンロクがいる。ゲンロクも俺と同じくフォーマルな服を着てる。服はきちんと着ればその人の魅力を充分に高めてくれるってのはまさにその通りで、起伏の激しい体型の彼女がシャツとスカートのコーデを身に着けるだけで扇情的に映る。ここだけの話、あまりにも魅力的過ぎて「午前中では、には応じかねます」とゲンロクから窘められてしまった。


 クリアストリーム内の適当な駐車場に車を停め、俺とゲンロクはマッディラ神殿へと向かう。


『善良な市民の皆様のご尽力により、本日もクリアストリームは秩序ある町となっております。これからも、市民の皆様の秩序維持活動の御協力を御願い申し上げます』


 車を出て早々、駐車場近くにあるメガホンから市内放送が聞こえてきた。こういうのはそこら中にあって、検問所にもあったし、通りを浮遊しているドローンや街頭にも設置されている。


 カメラは一応、持ってきてある。けど、カバンの中だ。肩からぶら下げていると、不審物を持ってるからって理由で警備ロボットがすぐさま駆け付けて来て、違反切符を切ってくるそうだ。なんでそれ知ってるかと言うと、さっき市内放送がそう言ってたから。


 ちなみに、警備アンドロイドではなく警備ロボットなのは、見た目が人っぽくないから。ぱっと見、アームと車輪とカメラ付きのゴミ箱にしか見えないのよ。あ、口にしたら警備ロボットに対する暴言として違反切符を切られるから言えないんだけどね。


 どんだけ厳しいのよ。と、思われるかもしれんが、町を歩くとすぐわかる。治安がアホみたいに良い。道端で露店を開く者は勿論、路地に唾や痰を吐く人間なんか絶対にいない。そんなことをしたら、常に町中を飛び回っているドローンのカメラに撮られ、すぐさま警備ロボット共から違反切符を切られてしまうから。


 それに、俺はすぐ気付いた。規則だらけのこの地域が、真面目な――特に余計な行動さえしなければ何の問題のない、じっとしている従順さだけさが取り柄の人間にとって、ひたすら都合の良い町だってことに。だって、何も考えずに規則に従って歩いてりゃ、それだけで割増の国民日当ニットーが貰えるんだからね。


 マッディラ神殿へ行く前にちょっと腹ごしらえ。セイレーンカフェという馴染みの店があったので、俺達はそこへ向かった。シュガーマン通りのなら良く通ったものだが、まさかクリアストリームにもあったとはね。


 セイレーンカフェもまた、以前にちょびっと紹介したエレメンタルグループの店と似たようなシステムを使っている。いわゆる、人間の労働者が少数とアンドロイドの従業員が多数というスタイルだ。


 けど、シュガーマン通り店とは異なり、クリアストリーム店には人間の従業員がいないっぽい。恐らく、クリアストリーム外と違って、アンドロイドに危害を加えたり店の運営の邪魔をする人が少ないからだろう。


 クリアストリームのセイレーンカフェには展望テラスの席があり、俺達はそこに座った。横を見ると、クリアストリームの美しい町並みやの他の地区の景色が広がっている。クリアストリームって、わりと海抜の高い丘に作られているんだよね。


 ふと、ゲンロクの方を見る。俺が注文したセイレーンカフェ特製ミックスパフェのバックに正装の彼女が座っているのを見ると、昼休みにスイーツを食べに来たOLにしか見えない。


 一応、言っておくがゲンロクはパフェなんて食べれない。彼女は今、店が用意してくれたワイヤレス給電機能付きクッションの上に座って電力を供給してもらっているだけだ。しかも、すでに腹いっぱいなのか、クッションを隣の席に置いてしまっている。


 てか、可愛い。だから、その姿を写真に収めたくなる。


「駄目ですよ、マスター。クリアストリームでは、みだりな写真撮影は禁則事項です」


「そうなの? こっそり撮るのとかでもダメなのか?」


「店を出るころには、知らず知らずに携帯端末の中身を調べられてて、写真撮影をしてしまったとばれてしまいます。マスターのカメラなら猶更です。もし撮影したことが発覚されれば、写真データごと端末を没収された挙句、その日の国民日当を打ち切られてしまいます」


「マジか。じゃあ、もしかして、俺がカメラを持ってくる意味なんて無かったんじゃないのか?」


 こんなに目の前に可愛いゲンロクがいるのに写真に収められないとは、なんてもったいない。てか、この店の写真すらダメとか、流石はクリアストリームだ。展望テラスから眼下に見えるファームスワンプとはえらい違いだ。


 ファームスワンプはクリアストリームと対照的で、規則が非常に緩い。どれだけ緩いかと言うと、大通りを見れば地べたに座って露店を開いている人達が沢山いて、壁は至る所に落書きまみれ。町中を喧しい音楽が鳴り響き、場所によっては賭博施設や性風俗も立ち並んでいる。


 ファームスワンプは俺も行ったことがあるけど、途中でゲンロクが絡まれてえらい目に遭ったことがある。彼等にはデストリューマーのようなあくどさが無かったから良かったけど、事態が事態だったら幻想月影が一般人を殴り飛ばす展開になっていたかもしれない。


 そんな思い出もあるからか、俺はクリアストリームもファームスワンプもどちらも長くはいたくない。白河クリアストリームの清きに魚の住みかねて、元の濁りの田沼ファームスワンプ恋しき。なんて言葉こそあったけど、ぶっちゃけどっちもどっちだ。


 さて、セイレーンカフェを後にして、いよいよ目的地のマッディラ神殿へと向かう。


 マッディラ神殿はクリアストリームのほぼ中央部にある。柱廊にぐるっと囲われた立方体のような見た目をしているんだが、なんだろう。俺がいた世界にもあったような気がする。わりと歴史の永い国にあったよね。


 教会ではなく神殿であることから分かるように、ここでは別に話を聞きに行くために来たわけじゃない。ただこの敷地内をぐるっと回るだけで、国民日当ニットーに特別ボーナスが加算される。だけど、たったそれだけで金が貰えるとかそんな甘い話なんてあるわけなくて、それこそ構内の規則は労役並みに厳しい。


「隊列を乱さないで下さい。少しでもずれたりしたら違反として町から追放しますよ! そうなれば今日の国民日当ニットーは没収になります! なに? 気分が悪くなったから出たい? そのコンディションでこの神殿に来たあなたの責任ですよ。この町から出なさい。以上です!」


 ちょうど、マッディラ神殿の入り口辺りで厳しいこと言ってる警備ロボットがいた。気持ち悪くなったのだろうか、身体をくの字にして口元を抑えている女性がいる――恐らく彼女に向かって、あの警備ロボットは追放だのなんだの言ってるのだろう。


 病人相手にあんなこと言うなんて理不尽かもしれんが、神殿構内の規則ってもうそれくらい厳しいのよ。ちゃんと回って来れた人なんて少ないんじゃないの? って思うレベル。


 当然、あんな警備ロボットが神殿にはそこら中にいるから、撮影なんて無理だ。売店とか神殿から遠ーく離れたとこにしかない。隊列を乱すってのは、歩き方を周りと合わせる努力をしなきゃいけないわけだから、神殿内の景色をぼんやり眺めている余裕なんてない。


 おかしい。ただの観光気分でいた俺が間違ってた。なんだか神殿の門が、会社のプレゼン発表会場の入り口みたいになっている。


「緊張しないでください、マスター。私が隣にいます。私に歩調を合わせていれば、警備に目を付けられることなんてありませんから。リラックスしていきましょう」


 そんな俺を察してくれたのか、ゲンロクが俺に手を差し出してくれた。人肌に限りなく近い質感と素材を持つ第六世代のアンドロイドの皮膚が、こんなに暖かいとは思わなかった。あと、ゴメン。俺の手汗が酷くて。


「ありがとう、ゲンロク。君が隣にいてよかった。俺がいた世界では、こんな場所に行ったとしても、俺の隣にはゲンロクみたいな女の子なんて絶対にいなかったから」


 なんてこと言ってたら、警備ロボットからの視線を感じた。なんだよ、アンドロイドの前で臭いセリフ言うのも違反切符モノなのか? ほんとに厳しいな!


「マスター、構内では誰かと手を繋いで歩けないだけですので」


「ああ、そういうことね」


 かくして、俺達はマッディラ神殿の中に入る。神殿らしく瀟洒なデザインを施された警備ロボットらに囲われながら、美しい整えられた植木の庭を他の参列者たちと共に歩く。


 当然、歩くのに集中しなくちゃいけないから、庭の様子を見ている余裕はない。ひたすら頭と心を無にして、周囲に合わせて歩く。


 まるで体育の授業だ。厳しい体育教師のもと、行進の練習をしていたあの頃を思い出す。今思い返せば、あの頃は楽だったなあ。何も考えずに、ただ周りに流されていればよかったんだもの。


 いよいよ神殿内部に入る――そんな時だった。とある参列者グループの様子がおかしいことに。なんか、ぼそぼそ喋っている。当然ながら、警備ロボットが怒る。


「そこ! この神聖なる神殿内部で私語とは言語道断ですよ! 今すぐ出て行きなさい!」


 単なる注意ではなく、いきなり退去勧告。しかし、彼等は動く素振りを見せない。


「なあ、ちょっと思ったんだけどよ。ここには俺達のドローンは呼べねえんだよな。つまりさ、ちびちびやるのはダメってことだよな……」


 なんだろう、この人達。黒いスーツにちょっと派手めなネクタイと見た目はまともなリーマンって感じがするのに、言ってることが妙に物騒なんだけど。


「我々の勧告を無視とは良い度胸ですね。ならば、力付くで出てってもらいます。あと、国民日当ニットーは一週間凍結とさせて頂きます!」


 男達を警備ロボットが囲う。アームを掴まれ、抵抗する素振りこそ見せるものの、瞬く間に動きを封じられてしまった。


 男達が「離せ!」と喚いている。


「ふざけんな! だから、こんなガチガチなんざ、あるだけで目障りだ! ぶっ壊してやれぇ!」


 その時、悲鳴や怒号のような叫び声と、轟くようなエンジン音が遠くから響いてきた。その情報はこちらの警備ロボット達にも届いているようで、「なに? 車両がこちらに向かっている? 対処しなさい。こちらもこちらでやるべきことがあるんです」なんて男を組み伏せながら応答している。


 続いて、警備ロボットが言ったのは、「なんですって? 巨大すぎて対応が出来ない? それはどういう意味で――」そこから先は俺は聞こえなかった。だって、聞く必要が無かったんだから。


 そこから先は一瞬の出来事だった。


 まず見えた光景は、構内の木々や施設を薙ぎ倒しながら現れたオフロードダンプトラック――主に大規模な土木工事に使われる、二階建ての家屋ほどもある巨大車両――に、ブルドーザーのバケットやら鉄板やら有刺鉄線やらで要塞みたいに補強させた怪物。


 次に俺が見たのは、そいつが俺達の目の前を猛スピードで横切り――マッディラ神殿に突っ込んだ瞬間だった。


 衝撃、轟音……遅れて、悲鳴。


 俺は尻餅を付いて倒れていた。あとちょっと前にいたら、俺達は目の前の怪物トラックのタイヤに潰されていたって理解した瞬間、脚ががちがちに固まった。


 そうだ。ゲンロクはどうした!? 反射的に彼女の方を見た俺の目に飛び込んできた光景は、崩れた神殿の瓦礫が、彼女達のいる集団めがけて落下せんとする一瞬だった。


 きっと、今までの俺では何も出来なかっただろう。


 でも、それでも良かったんだろう。余計なことを何もせず、ただ倒れていれば、パートナーロボットを喪った哀れな犠牲者の一人として済んでいたのだろう。


 だけど、今の俺がそれに甘んじるのは、ホワイトテンプルから下賜された――


 ――幻想月影の力が許さないだろう。


 軽自動車ほどもある瓦礫は、ゲンロク達には届かなかった。


 幻想月影の怪力が、瓦礫を受け止めたのだから。


 

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