この国の全てが――

 地震か? とか、そんな冷静な判断なんかしてる余裕なんてなかった。すでに爆風とか瓦礫が、身廊の席に座る俺達めがけて襲ってきたんだから。


 幸い、俺の座ってる席は隅っこだった。だから、すぐさまゲンロクの肩を掴んで、もろとも側廊へと飛び込んで逃げた。


 だけど、安心してる暇なんてなかった。上を向いた俺は見てしまった。脆くなった天井を突き破って、教会の鐘が落下してきたのを。あんな巨大な塊が参列者の所に落下すれば、大惨事は免れない。


 まあでも、ここに俺がいて、なおかつ皆パニクって誰ひとり俺の変化には気付いていないってのは幸運だった。


 鐘は落ちなかった。なぜなら、側廊から飛び出した幻想月影(俺)が、掌底で真横に吹っ飛ばしたから。


 吹っ飛んだ鐘は何本かの柱を巻き添えにして壁を突き破った後、力を失って外陣の庭を転がる。鐘って、ただ打ん殴るだけじゃデカい音はしないんだね。


 空中でとんぼ返りをして、俺は柱頭から枝のように伸びた装飾の上に着地する。


 俺の眼下から、参列者たちの視線が集まる。「幻想月影……?」みたいな声もぼそぼそと聞こえてくる。知名度もなかなか出たんだなって思ったけど、今はそんなのに浸ってる暇なんてないわけで。


「この教会は崩壊する! みんな、ここから逃げるんだ!」


 俺の叫びが、混乱する参列者を一つにした。教会の出入り口と、俺が鐘を飛ばして開けた穴――二か所から皆が一斉に脱出する。俺は、逃げ遅れた者を探す。幻想月影のサーチ能力なら、出来る。


 いた。身廊の隅っこ。翼廊付近に、腰が抜けて倒れている爺さんがいる。その真上から、瓦礫が落ちてくるのが見えた。


 生体組織への電磁干渉リーガルハック――電脳の力を脚に込めて加速。柱頭からの飛び蹴りで瓦礫を破壊。さて、無事を確認しなきゃ。と、爺さんの方を見たら、既にゲンロクが彼を立たせていた。いや、ゲンロク、いつの間に俺の代わりに!? でも、


「ありがとう。じゃあ、外に出してあげて」


 ゲンロクは「了解しました」と首肯して爺さんの補助をした。彼女は、目の前にいる幻想月影の正体を知っている。分かっているから、自身の安全よりも俺のサポートを選んだのだろう。これもまた、第六世代の性能ってやつなのだろうか。


 俺の予測どおり、ドリスコル教会は崩壊した。一部の屋根が崩落しただけではあったが、轟音といい粉塵が穴や出入口から噴出する様といい、崩壊と呼ぶには十分な惨事だろう。


 最も良かったことに、犠牲者はゼロだった。逃げ遅れた者もいない。動揺を知らぬアンドロイド達が参列者を導いてくれたことがデカいんだろう。


 さて、ここからが重要だ。あれは爆発だ。自然災害じゃない。てことは、こんな罰当たりじゃ済まないことをしやがった不届き者がどこかにいるはずだが……。


 いた。隠れてすらいなかった。いつの間にか、黒にマゼンタというどぎつい色彩のバンが何台か教会の敷地内に停まっていて、その近くに複数の男女が立っていたのだ。


 皆ガスマスクにもVRゴーグルにもフルフェイスにも見える奇怪な仮面を被っており、その素性は分からない。着ている服はスーツやらパーカーやら防弾着やら様々だが、バンと同じく黒にマゼンタという派手な色彩なのは共通している。あと、周囲に置かれた備品や身に着けてる装備品が妙に物騒なのばかりだ。


 だけど、俺が本当に恐怖を感じたのは、見てくれじゃなかった。非実体のタブレットを弄っているガスマスク男の隣にいたひょろ長い体型の男――フルフェイス頭の人物が呟いた一言だ。


「……んだよ。あれだけ派手にキメておいて、壊れてんのも死んでんのもゼロかよ。だりぃ」


 背筋が凍ったよ。普通に血の通った人間だったら、こんな状況でそんなこと絶対言わないもん。だから、俺は思わず叫んだ。


「なんだよそれ……何言ってんだよお前っ!」


 謎の集団の視線を俺は一挙に浴びる。彼等からの感情は読み取れぬ。ただ、何かをぼそぼそと喋っている。


「なんだあいつ?」


「しらね」


「あいつじゃないか? 噂の幻想月影」


「うちらの仲間を狙ってるあいつか」


「めんどい奴にあってしまったな」


「だりい」


「いっそのこと、またやっちまうか」


「そうだ。邪魔者だから、消しちまおう」


 次の瞬間、何かが彼等の背後から飛翔してきた。ミサイル? 違う。ドローンだ。四方にプロペラを乗せたドローンが、ミサイルのような爆弾を抱えている。


「俺達がポイント稼げなかったのは、あいつが邪魔したからだ」


「あいつのせいだ。教会は壊せなかったが、あいつならいける」


「あいつに責任を取ってもらえ」


 成る程、要するにドリスコル教会の天井が崩壊したのは、爆弾抱えたドローンがぶつかったためか。で、そいつはその二号機。つまり、どちらにせよ教会壊した実行犯はお前達ってわけだ。


 覚悟しろよ。お前達の会話、幻想月影の力でばっちり録音しといたからな?


 俺は教会からの生存者たちに避難を促す。一方で俺は逃げない。代わりにドローンへ右手を翳す。


 次の瞬間、ドローンが止まった。動力を失い、地面の上にぽてっと落下する。その後、ポンッと音がしてドローンが爆ぜた。大教会の天井を破壊するほどの大爆発の代わりに、『ハズレ』と書かれた煙だけが虚しく宙へと消えていく。


 ドローンも爆弾もSephirOSで制御されている以上、幻想月影の合法的干渉リーガルハックの対象になる。対象になる以上、不発にさせるなんて造作でもない。


 連中の感情は読み取れない。だけど、流石にこれは想定外だったはずだ。流石はレオーネだ。凄い力をくれた。


 レオーネといえば、あの話を思い出す。幻想月影の定期チェックで研究室を訪れた時だ。過去にゲンロクを検査するのに使っていたカプセルに入れられて検査されたわけだが、ガラス越しにレオーネの楽しそうな顔がなんだか眩しかった。


『デストリューマー討伐頑張ってんじゃん! 戦闘データも取れるし、治安も少しは良くなるし、いいことずくめだよねえ』


 こんなに嬉しそうに褒められたのは、学生時代にテストで良い点を取った時かもしれない。


 で、重要なのはその後だ。検査が終わった後に、レオーネはこんな話題を振ってきた。


『なあ、能男。お前、幻想月影やってるってことは、要するにスーパーヒーローじゃん? 決め台詞とか考えてねえの?』


『決め台詞? 考えたことないなあ』


『はあ? なんだよそれ。幻想月影やっといてそれ考えてねえってなんなんだよ。スーパーヒーローには決め台詞は付き物だろ! それ考えてねえで幻想月影やってるとか考えられねえよ』


『うーん。俺もヒーローってのは好きだし、セリフを考えてないってのは確かに問題か。どうせなら、幻想月影の能力に相応しいのが良いよね。合法的干渉リーガルハックと関係ありそうなやつとかどうだろう。例えば――』


 俺の提案したセリフに、レオーネは眼を輝かせた。


『いいねえ、それ! 大風呂敷を広げた感じがいかにもスーパーヒーローっぽくてカッコいい! 合法的干渉リーガルハックにも関わりあるし、敵をやっつける感じも出てるし、あたしは好きだぞ! 採用だ!』


 てなわけで、彼女からも採用された台詞を、俺は目の前の悪党どもに言い放ってやった。


「覚悟しろ。この国の全てが俺の味方となり、お前達の脅威となるんだ!」


 対する相手は、


「なにが、俺達の脅威になるんだって?」


 集団の中でも特に体格の良い奴等が俺の前にやって来た。皆背丈が俺より大きい。ランニングシャツのような防弾着着てる人の二の腕から、隆々たる筋肉が露出している。手に持ってる武器は何だ? 鉄パイプ? チェーンソー? ショットガン? 物騒にもほどがあるじゃないか。


 ……でも、初戦のガボンよりは、ちっちゃい。


 先人が俺目掛けて鉄パイプを上段から振り下ろそうとした刹那、巨体が吹っ飛んだ。俺にとっては上段突き、そいつにとっては腹腔への中段突き。素早いモーションで踏み込まれた一撃に、宙を舞った巨体が連中のバンの一台に直撃し、車体を横転させた。


 続いて襲い掛かるチェーンソー。合法的干渉リーガルハックの対象外である切断機具が、大振りな横薙ぎで迫る。が、チェーンソーが捉えたのは虚空の残像。俺は既に跳躍している。そこから身を一回転させて放たれた旋風脚が巨漢の顔面を直撃。吹っ飛んだ巨体は後続の連中を巻き込み、一方のチェーンソーはバンの一台に突き刺さって使い物にならなくなった。


 最後はショットガン。銃の回避は流石に無理。ボクシングの原理で腕で上半身をガードさせるのと、敵が発砲したのは同時。俺の腕に被弾した痕である光の点々が残る。しかし、散弾のいずれも電脳の光に阻まれ、幻想月影の外殻にすら至らぬ。


 敵がポンプを引いて排莢――その隙に肉薄。ガードの体勢から両腕を腰に引き寄せ、一歩踏み込むと同時に相手の胸元へ両腕で掌底を叩き込む。銃器と周辺機器を壊すほどの勢いで吹っ飛んだこの巨体もまた、後ろにいた仲間とバンを巻き添えにした。


「あいつ、やべえぞ。仲間を呼ぶんだ」


 主力の三人がやられて流石に危機感を持ったのだろう。仲間の一人が携帯端末を取り出して耳に当てる。この世界にもそういう機具はあるのだ。しかし、そいつもSephirOSの根っこが絡まっている。だから、こっちの加減次第で――


 突然、耳を当てた男が身体を痙攣させた。合法的干渉リーガルハックで携帯端末に流れる電流を変化させて漏電させたのだ。後は、自ら耳元にスタンガンを当てたのと同時。その場で昏倒する。


 機具を壊され、主力を倒され、仲間を呼ぶ手段を絶たれ、彼等に残された手段は一つしかなかった。


「引くぞ! 仲間の元に戻るんだ!」


 一台だけ残ったバンに、無事だった者達が殺到する。全てのドアが閉まる。俺は右手を翳しながらゆっくりと近付く。彼等は気が動転しているようだ。その車だって、SephirOSの根っこが絡まっているのに。


 連中は近付く俺に挑発をしていた。バンに罠があるのか、はてまたこの場から速やかにずらかれると思っていたようだ。だけど、彼等はすぐに気が付いた。車が動かないことに。そして、ドアも窓も開かないことに。合法的干渉リーガルハックによって車としての機能を失い、ただの棺へと成り下がっていたことに。


 車内からひたすら「出せー!」という叫び声が聞こえるのを尻目に、俺は警察へ通報する。


 警察が現場に来た時には、既に俺は変身を解いてゲンロクと共にマトゴマの群衆に消えていた。連中が残した端末から、ひたすら彼等がやった証拠を垂れ流しにさせたままにしてね。

 

 ★★★


 俺は既にウェブログでいくつか記事を上げてるため、ハンドルネームも決まっている。幻想月影をヒントに『月』をテーマにしつつ、敢えて『月』って単語を使わずに、俺の世界にいたとある活動家の文章を参考にして作った。名付けて、『よぞらのかがみ』だ。


 だけど、今日は筆が進まない。日が暮れてもなお、俺はウェブログになんて書こうか迷っていた。


 この世界にもテレビは当たり前にあるんだけど、どのニュース番組の話題もドリスコル大教会爆破事件一色に染まっていた。やはり、教会なんていう神聖なもんぶっ壊されたなんて大事件としか言いようがないもんな。


 犯行グループは全員御用となったようだ。しかし、彼等の動機は不明であり、他にもメンバーがいるとみて調査を進めているらしい。連中はあの規模でも氷山の一角でしかないようだ。恐ろしい。


 あと、教会の爆発と同じくらい放映されていたのが、幻想月影の雄姿だ。圧倒的な強さで犯行グループを制圧した幻想月影を誰かが撮影していたらしい。まあ、幻想月影が犯人逮捕に貢献したのは事実だよな。


 報道曰く、幻想月影の活動については賛否両論らしい。まあでも、今寝室に飾ってんだけど、あんなカッコいいフィギュアを作ってくれる人がいるんだから、世間の評価が『否』ばかりってわけじゃなさそうだよね。それは幸い。


 で、今直面している問題なんだけど、ウェブログが書けない。


 ドリスコル大教会についての俺の感想を、可愛いゲンロクの写真を載せてたくさん書こうと思ってたのに、あの爆破事件のせいでやりづらくなったじゃないか! 大教会が壊れて国中が意気消沈してるのに、一人その写真あげて楽しんでるとか、どんだけ空気読めないキャラなんだよ。絶対、不謹慎だって顰蹙買うわ!


 でもなあ、写真があった方が有り難いって言う人もいるだろうし……ここは迷うよなあ。


「なにか、お困りですか? マスター」


 そんな俺を察したのか、ゲンロクが声をかけてくれた。


「ああ、ゲンロク。実はちょっと困ってるんだ。今日はドリスコル大教会の参拝について記事を書きたかったのに、あの爆破事件が起きちまっただろ? 神聖なもんが壊されちまったってわけで世間は大変な状況なのに、そんな中でドリスコル大教会の写真とか上げた記事なんて書いて大丈夫なのかなって思うんだよ」


「そうですか。では、マスター。アンケート機能を使ってみるのは如何でしょうか。爆破事件が起きてしまったけど、写真を見たいと思う人はいますか? って、そのウェブログなら読者の人達に訊くことが出来ますよ!」


「ホント!? そんな便利な機能があるとは気付かなかったよ。早速使ってみるよ」


「あと、これは私見ですが、私はドリスコル大教会の写真を上げて大丈夫だと思います。マトゴマの住民達の中には、ドリスコル大教会を心の拠り所としていた人が少なくありません。実物が破壊されてしまった今、写真であれ当時の面影を残す資料の存在を有難がる人は多いと思います。ですので、私は写真の投稿に賛成します。それに、不謹慎だと言う者は確かにいるかもしれませんが、それは少数派だけだと推測します」


 俺は目を丸くした。そんな私見が、まさかゲンロクから飛び出すとは思わなかったからだ。だけど、俺の背中を押すには十分すぎるメッセージだ。


「ありがとう、ゲンロク。おかげで書く気力がわいたよ」


「いえいえ、マスターのお役に立てたのでしたら何よりです」


 礼を言うと、ゲンロクは目を細めて穏やかな笑みを返してくれた。


 俺は書く。ドリスコル大教会はすごかったこと。だけど、爆発事件によって台無しになってしまったこと。現場で心に傷を負った者のことを考えると、軽々しく写真を上げるのも躊躇われること――本心を文章に曝け出し、最後に写真を出して欲しいか否かのアンケートを追加して記事を締めくくった。


 ちなみになんだけど、俺はソファの手すりにくっ付いている半流動体の詰まった穴に指を突っ込んで、目の前にある非実体ディスプレイに字を書きこんでいる。穴の使い方は、かつて俺がゲンロクの容姿を決めるのに使った装置と一緒だ。書きたい文章を思い浮かべると、穴の中にある半流動体が俺の脳波を読み取って、適切な文章をディスプレイの中に表示させるのだ。で、細部が気に入らなかったら、キーボード入力で微修正すれば完成する。


 まさに画期的なシステムだ。ちょっと考えるだけで適切な文が作れるため、ウェブログの執筆作業がとても捗る。同じ文章でも、俺がいた世界では書き終える時間は天と地ほどの差があるだろう。


 なお、テンプル美術館で知ったんだが、半流動体の文字入力システム開発の指揮をとったのは、ホワイトテンプルのプロダクトマネージャーである小柏アレクサンダーだそうだ。開発の指揮をとったってことは、システム開発の技術力に優れているだけじゃなく、立案からマーケティング、法務関係などに至るまで、全部彼がチームを回してやったってことだからね。


 見てくれからして凄かったアレクだけど、どんだけ優秀なんだよあの人は。俺なんかじゃ、そんなの逆立ちしたって出来ない。


 幻想月影の報道を見ながら、俺はウェブログを書く。


 明日は平日だ。でも、苦痛じゃない。まさか、そんな日々がやってくるとは本当に思わなかった。


 アレクと違って幻想月影やウェブログくらいしか出来ない俺でも、この国は許容してくれる。


 俺は、この国が好きだ。

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