どこの世界にもいるもんなんだな

 あれから数日が経った。簡単なオリエンテーションをアンドロイドから受け、ホワイトテンプルの一員としての日々が始まった。


 自分の身体がセフィア幻想国の身体に馴染むまで、少し時間が掛かった。だって俺は、働かなきゃいけないのにちゃんと働けない世界にずっといたんだ。働かなくても大丈夫って説明こそ貰ったけど、まだ順応しきっていない。


 まるで、深海から急に浅瀬へ釣り上げられた深海魚だ。


 なにもしなくてよいはずなのに、なにかしなければならない強迫観念ばかりが体中を渦巻いていて、ひたすら――初日とかサンダーバニー支社の広場をぐるぐる歩き回っていた。


 アドとの交流が始まったのは、この時だった。彼の陽気な振る舞いが無ければ、俺の順応はさらに遅れていたかもしれない。


 一応、俺達に業務が全くないわけじゃない。ホワイトテンプルの生産が間に合わなくなった場合は、俺達のうちの誰かが生産の手伝いをする。人間が作業する特別スペースに何人か集められ、現場仕事や事務仕事の応援をするのだ。


 俺も、図書館の読書中に応援要請のランプが館内に光っているのを見て、現場に急行したことがある。時間を取られるが、応援手当が月末に加算されるので不満は全くない。むしろ、何もしてない自分に対する罪悪感が緩和されるからありがたいくらいだ。


 俺やアドの立場は、労働者がやることを行わない代わりに、ホワイトテンプルの代表として社内や地域社会の秩序維持に貢献する人達らしい。なんか難しいことを言っているが、要するに、ホワイトテンプルというスポンサーがついたニートだ。だからなのか、俺達のような階級の人間は、ホワイトテンプルの看板を背負っているだけの非労働者である点から、俗に『看板持ち』と呼ばれている。


 階級としては非エリートのド庶民であるが、はっきり言って、俺からすりゃ一番都合のいい立場だ。働かなくてもいい上に、職場に勤めている人間としての世間体まで得られているんだからね。


 で、休日。特に何もやることがなく、「なんかいいことないかなー」なんて家の中で呟いていると、「それならばマスター、ホワイトテンプルの教会巡りはいかがでしょうか」なんてゲンロクから提案されてしまったので二人で行くことに。


 つーか、待って。アンドロイドとはいえ女の子と二人で町を歩くって、これって端から見ればカップルじゃん。デートじゃん!


 さておき、アレクが支給してくれた腕時計型携帯端末――そこから俺達の前に投影されるナビ付きホログラム地図を頼りに町の中を歩いていると、確かにあった。いかにも教会っぽい雰囲気の建物が。


 ぱっと見た印象は、三角屋根と尖塔が特徴的なキリスト教会。けどあれと違うのは、十字架の代わりに樹木のような形をした別のシンボルが乗っかってる点だ。団扇のようにも見えるんだが、『聖樹像』と呼ばれるれっきとしたホワイトテンプルのシンボルなんだ。


 いや、支給された従業員の衣装やサンダーバニー支社の雰囲気から感じていたし、オリエンテーションや会社紹介のパンフレットでも確認してたから分かっていたが、宗教法人としての顔まであったなんてすごいな、ホワイトテンプル。


 中は既に人が満杯で、隅っこにやっと二人分のスペースがあったので、俺達はそこに座った。


 しばらくすると、教会の壇上に司祭のような風貌の男が立つ。こめかみにランプがないことから、少なくともアンドロイドではなさそう。


 教会の中が静まり返る。司祭が命じているわけじゃない。教会の空気がさせた? 違う。司祭が立ったら全員が沈黙することが、この教会のより良い風土を生産する行為だとみんな分かっているからだ。


 ここから司祭が長々と話を始めるわけだが、わけわからん神話の話とかで、はっきり覚えていない。けど、わりと印象に残った部分はあったので、そこだけピックアップする。


「有史以来、人間は人間自らの手で生産活動を行い、金を稼ぎ、国を動かしてきました」


「現在、その役割を担っているのは、AI達です」


「AI達が代わりに生産を担うおかげで、我々は必要なものを買い、必要なサービスを享受し、今を幸福に生きているのです」


「現在の幸福な日々を与えてくれるAIに、全てをもたらしてくれたSephirOSに、我々は感謝しましょう」


 アレクが言ってたことと一緒だ。SephirOSという言葉は、入社時のオリエンテーションで聞いたよ。


 俺にとってはまだ新鮮すぎる話だけど、他の参列者からすれば至極当然の退屈な話なのだろう。居眠りしてる人も見受けられる。でも、変なヤジは飛ばさない。この神聖な雰囲気は壊さない。みんなでこの雰囲気を生産しようっていう意識があるから。


 これは、後に他の教会で聞くことになるフレーズだが――マナーなどの簡単なルールを守って場の雰囲気を維持することが、AIが仕事のほとんどを担う世界において、ほとんどの人間に残された生産活動なのだから。


 それに、利己的なメリットだってある。


「マスター。ご自身のウォレット残高を確認してみてください」


 教会を出てすぐにゲンロクがそんなことを言うもんだから、俺は携帯端末を開いて中身を確認した。で、すぐに分かった。


「増えてる!? まさか、参列してくれたからホワイトテンプルから特別手当が出たってこと!?」


「そういうことです。ホワイトテンプルの有難い御言葉を聞くという善い行為に対する、国からの報酬だと思ってください」


「そんな太っ腹なことある? お布施と逆じゃん」


「まあ、せっかく遊ぶはずの時間を我慢して、じっと動かずに説教を聞く行為は、労役並みに苦労することではありませんか」


 ゲンロクからの説明に、俺はちょっと苦笑いした。黙って説教を聞くってのなら、意味こそ違うが向こうの世界で何度も経験している。その程度で、労役並みだって? ……まあ、この世界の基準で見たらそうかもしれないな。むしろ、あっちの基準の方がおかしいと考えた方がいいのかも。


 その後も、サンダーバニーにある教会をゲンロクと一緒に廻った。色んな所に色んな教会があった。流石に、二度目の有難い話を聞くのは遠慮した。あと、どこの教会にも、参列者はたくさんいた。みんな、やっぱり金が目的なのかな。それとも、話を聞くことの方が目的だったりするのか?


「まいっか。これだけ金があれば、話を聞くために行こうって余裕も出るもんね」


 なんて言葉が教会巡りの真っ最中に俺の口からふと出てしまったんだが、これ、誰にも聞こえてないよね? あ、ゲンロクは気付いてないようだ。それとも、聞こえているけど反応してないだけかな? どちらにせよ、何も言わないのなら安心してもいいよね?


 ★★★


 その事件は突然起こった。確か、シュガーマン通りに隣接する人通りの少ない町、イラ通りなる住宅街を歩いていた夕暮れ時だろうか。


 通りをゴミ収集車が稼働していた。見た目は、俺がいた世界でも見かける典型的なパック車。ゲンロクの解説によると、あれと異なる点として――


 作業員がすべき捜査は後ろにあるリフトに専用のゴミ箱を乗せるだけ。あとは、リフトが勝手にゴミ箱を傾けて中身を荷台に飲み込む。


 運転手はいない。すべて自動運転。というか、作業員もアンドロイド。


 ――という完全自動化仕様。


 珍しいもんだなあ。と、眺める俺。道端のゴミ箱を乗せて歩く従業員の傍らで並走する自動運転のパック車が、なんだか主に懐くゾウのようで愛らしく見える。


 と、ここで従業員と向かい合う方向から、柄の悪そうな集団が歩いてきた。そのうちの一人が、作業中のアンドロイドの近くで何かを落とした。


「おい。このゴミ忘れてっぞ。見逃してんじゃねえぞ、ボケ!」


 カランカランと転がる空き缶を指さして男が毒づく。それ、さっきあんたが落としたのじゃないか?


「これは、失礼いたしました。同じく処分いたします」


 アンドロイドは突っ込むこともせず、素直に応じた。身を屈めて缶を拾――おうとした次の瞬間だった。


 男がアンドロイドの腹部を思いっきり殴った。さらにそいつが言った衝撃的な言葉は、突然の行為に瞠目する俺の耳にはっきりと聞こえた。


「ゴミ見逃すなんてダメなアンドロイドだな。てめえも一緒に捨てられちまった方がいいんじゃねえの?」


 連中の行動は早かった。近くのゴミ箱にアンドロイドを放り込むと、他の奴らがパック車のリフトの上に乗せてしまった。文字通り機械的に稼働するパック車には、まさか中に相方が入っているなんて知る由もなくて……。


 金属がひしゃげる音がした。金属が破砕される音って、こんなにも凄まじいのか。


 連中は、下品な笑い声をあげていた。金属すら砕くパック車の威力や音が面白いのか、仲間を殺めてしまっているのに気付かないパック車が滑稽なのか、ひたすらその場で狂ったように笑い転げていた。


「ほら、もうダメな仲間はいねえよ。さっさと帰りな!」


 仲間の一人が運転席のボタンを押すと、仕事が終わったと判断したパック車がどこかへと走り去ってしまう。嘲笑う男たちに見送られながら。


「なんなんだよ、あれ……」


 奴らの悪行を呆然と見ていた俺に、ゲンロクが答える。


デストリューマーdestrumerです」


「デストリューマー?」


「社会秩序を守るという生産活動をほとんど行わず、ひたすら破壊的な消費活動しか行わない暴徒たちの総称です。破壊者destroyer消費者consumerを合わせて生まれました。彼等の暴力は弱い立場の生産者に主に向けられています。彼等の行為により、犠牲になったアンドロイドは少なくありません」


 説明するゲンロクに表情はない。けど、心なしかこちらに寄り添っているような気がした。


「そんな奴がいるなんて……。大丈夫だよ、ゲンロク。、俺が君に出来るわけないじゃん」


 と、連中の視線を感じた気がして、俺はゲンロクと共にその場を後にした。


 仕事が人間からAIに置き換わったからこそ、代わりに仕事をしてくれるAIやアンドロイドはとても大切な存在だ。仕事をしなくちゃいけない世界で仕事の出来なかった俺だからこそ、その重要さはより分かっているつもりだ。


 なのに、そんな大切なアンドロイド達を傷つけて、あまつさえ壊して、そのうえ壊されているのを笑い飛ばすなんて……。そんなふざけたことをするやつなんて、どこの世界にもいるもんなんだな。


 町巡りの最後に、酷く気分が悪くなるものを見てしまったよ。


 ★★★


 ホワイトテンプルの看板持ちになってから十日ほど過ぎた、ある日。セフィア国民としての日々に身体が順応してきたなって思えた俺に、レオーネから再びお呼びがかかった。


『あんたに協力してえことがある。アレクもメイナルドCEOも同意している、ちょっと面白いプロジェクトだ。だから、あたしの研究室に来てくれないか? あと、ゲンロクも連れて来てくれ。稼働状況が知りたい。期日は――』


 なんてメッセージを仲介役のドローンから突然貰ったわけで、俺は期日にさっそくゲンロクを連れてレオーネの研究室へと向かった。


「いやー、久しぶりだな能男。あれ? ちょっと顔色よくなってね? なんかあった?」


「いや、特にないよ。たぶん、ゲンロクの作ってくれるご飯が美味しかったからかもしれないね」


「マジかよ。さっそく、第六世代の性能の良さが出ちゃった感じ? てか、なんか雰囲気も明るくなったよな? ここ来たばっかの時とか、ぶっちゃけ、めっちゃ暗かったよなあ!」


「まあ、こっちの世界に来たばっかだったんだから、いろいろ整理つかなくておかしくなるのは当然でしょ」


「そっかあ。てか、能男ってそんなに喋るタイプだったか? これも第六世代の影響か? それとも、異世界人に隠された力のひとつか?」


「前者はありえるかもだけど、後者は絶対ないと思う」


「なんじゃそりゃあ。ちょっと期待して損したぜ」


 なんてやり取りを初めにやってから、本題に入る。まずは、ゲンロクの可動チェック。SF映画にありがちな人一人入るカプセルの中にゲンロクを入れて、様々なスキャンを通して検査を行う。


「異常は特に無し……か。ま、十日しか稼働してねえから当たり前か。けっこう大事に扱ってくれてんだな――ん? んんんんん?」


 ここで、タブレットを睨み付けるレオーネの表情が変わった。書かれているデータの内容はさっぱりだが、彼女がその一部に眉間を寄せて凝視している。次の瞬間、こちらを見た彼女の顔は、赤いんだか青いんだか分からない色に染まっていた。


「お、お、お、お前、やりやがったなぁ~っ!? いや、ヤッたなぁ~っ!? ゲンロクとぉ!」


 見事に的中され、今度はこっちが彼女と似たような顔色になってしまった。


 そうなのだ。実は、この地にやってきて初めて気持ちが落ち着いてきたあの夜、本当に俺はやってしまった。


 だって、仕方ないだろ。夜のベランダで星を一緒に眺めていた時に、彼女に言われてしまったんだよ。


『微弱な感情の高ぶりと、ホルモン濃度の変化を感知しました。……いいんですよ。私には、機能もあるのですから』


 ゲンロク側から誘われてしまった以上、俺に断る理由がなかった。自分の中で高ぶる本能もまた、構わぬとばかりに気持ちを後押ししていた。


「あ、ああ、うん。お互いに、初めてを、捧げあっちゃったよ」


 俺が答えると、レオーネは余計、恥らっているのか引いているのか分からない顔になっていた。


「初めて? 初めて!? お前まさか、今までに人間とヤッたことねえのに、ゲンロクとヤッたってのか? 考えられねえ。お前のいた世界には女はいねえのか? お前は何をやってんだ……?」


「いやその、あっちの世界にも女の人はいるけど、それと出来るかどうかは関係ないから。でも、性能に問題はないんでしょ? ちゃんと、その後、洗ってるし。それに、同じような人はセフィアでも普通にいるんじゃないの?」


「いるけどさあ。あたしの部下にもいるっぽいけどさあ……。それに、ヤるくらいじゃ壊れることもねえけどさあ……。そういうことをすんのは、魅力のねえ男だって相場が決まってるぜ。能男もそういう人間だったのか? それとも、これもあんたが異世界人だからか?」


「少なくとも異世界人云々は関係ないよ。魅力のない男で悪かったね」


「ああ、そうかい。ま、せっかくのゲンロクを壊さなかったことだけは認めてやるよ」


 その後も彼女は、「うわー、口元を中心に唾液の残りがあるし……」「胸を弄った形跡がすげえ。どんだけおっぱいすきなんだよ。マザコンかよこいつ……」とドン引きワードをひたすら口にしていたが、とりあえず異常なしというわけで検査は終了した。


「不本意ながら能男の残念な面を知っちまったが、ゲンロクの貴重なデータが得られたから良しとするか」


 レオーネからの好感度が下がった気がするが、まあ、予想外だったから仕方ない。別の話を振ってみる。


「あのさ、アレクやメイナルドさんも来ている計画ってなに?」


「ああ、それか」


 ここでやっと、俺がここに呼ばれた本題へと話は移る。


 一息ついた後、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、レオーネは俺に訊いてきた。


「能男さ、パワードスーツみたいなのって興味あるか?」

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