この世界に来た経緯

 なんでこうなったのか分からない。結局、何がどうなっていたのかすら分かっていない。


 そもそも、納期や期限がバラバラな仕事を複数もやるってのが俺には無理な話なんだ。ただでさえ、自分がどんな仕事をしているのかすら上手く答えられないってのに、自分がこの仕事をどれだけの早さと精度で出来るかも把握できていないってのに、ちゃんとこなせるわけがなかったんだ。


 多分、俺は何かの仕事の期限を守れなかったんだと思う。別にサボってたわけじゃないんだ。他部署に依頼する気はあったんだ。けど、交渉の仕方が間違っていたのか逆に怒らせる展開になっちゃって、結局間に合わせられなかったんだ。


 それから色んな仕事が間に合わなくなって、とうとう客と上司まで怒らせる展開になってしまった。重要そうな会議の場で、色んな部署の人達の前で、俺は晒し上げられた。


 もはや何を言われたのかは覚えていない。ボリュームの大きい声で、ひたすら良くないことを言われていたのは分かっている。対応を求められたが上手く答えられず、ひたすらこの場が終わることだけを望んでいた気がする。


 あの日、俺はその落とし前として夜遅くまで仕事をしていた。日が変わりそうな時間帯まで残業をしていたのは全く初めてじゃなかったけど、翌日までになんとか仕上げなければ、また何かを言われるのだけは明らかだった。


 でも、流石に無理過ぎて逃げた。オールなんて出来るわけが無かった。明日、何かを言われるのかはどうでも良くて、上司がとっくの昔に帰っているのを理由に退社した。


 車通勤だったけど、ひたすら憂鬱なドライブだった。真夜中の帰路、終わる気配のない仕事や鬼のような形相で怒る客や上司の姿、期限通りに終わらせられなかったことをまた責められるだろう明日の光景ばかりが、頭の中を埋め尽くしていた。


 だから、道路を封鎖していたフェンスを車で突き破っていたのにすら俺は気付かなかった。何かに当たったかな? って思った時には、俺は建設途中の橋を登っていた。


 やばいって思った時には、車は途切れた道を飛び越えて川底へと転落する真っ最中だった。


 落ちる瞬間、身体が浮いた。


 目の前に、ライトで照らされた漆黒の水面が見えた。


 異常なまでに時間が遅く感じられた。


 俺は死ぬって思った。


 でも、怖いって思わなかった。


 むしろ、逆だった。


 よかった。って、


 もう終わるんだ。って、


 俺のせいで誰かに迷惑がかかることからも、誰かに怒られることからも、何も出来ないことにうちひしがられることからも――解放されるんだ。って。


 ★★★


 ……波の音だけが聞こえていた。


 顔に水のかかる感覚がして、俺は目を覚ました。


 俺は、砂岸の上で俯せになっていた。


 起き上がろうとして、少しよろけた。


 目がぐわんぐわんする。ちゃんと砂地の上に足付けて立てているか?


 やがて、くらっとする感覚も収まってきて、まともに直立しているって分かって、やっと俺は周囲を確認することが出来た。


 俺がいるのは川岸だった。だから最初、ここは本当に死後の世界なんだって思った。だって、死後の世界って彼岸っていうだろ? あんな目に遭って川岸に流れ着いたんだ。普通そう思うじゃないか。


 でも、川の向こうに無数のビルディングが林立しているのを見た時、俺は少し眉を顰めた。ここが死後の世界ってのか? 死後の世界ってのは、思ったより近代的なんだな。まあ、誰も見たことが無いんだから、近代的なわけがないってこと自体が根拠のない思い込みなんだろうけどさ。


 此岸の方を見ると、ひたすら広い砂地とブロックを積み上げて作られた身の丈以上に高い段差があり、俺の位置からは白いガードレールのようなもの以外何も見えなかった。


 一体ここは何処なんだ? そう思っている俺に、更なる困惑がやって来た。


 いつの間にか、俺の目と鼻の先に謎の物体が浮かんでいた。バスケットボール大の白い球体で、表面は金属のような質感があり、アンテナみたいな棒が伸びている。中央にあるデカいカメラのような目玉が、俺をじっと見つめていた。呆けている俺の姿が、少し歪んでそいつのレンズに映っている。


 なにこれ、ドローン? もはや驚く体力すらなかった俺だったが、次の瞬間、そいつはアラートを響かせて叫んだ。


『侵入者! 侵入者! 幻想国外の人間と断定! 侵入者! 侵入者! 至急、国境警備隊の応援を要請! 侵入者! 侵入者! 国境警備隊は現場に急行せよ! 侵入者! 侵入者! 座標は56――」


「え? え? ちょ? 何? まっ」


 俺は困惑した。気付いた時には、俺は漆黒の戦闘服に身を包んだガスマスクの集団に包囲された。彼等からは生気の類は感じられない。淡々と仕事をこなすタイプの人間達なのか、それとも、こいつらは元々存在なのか……俺には分からなかった。


 気付いた時には、俺は腕を掴まれてどこかへ連行されていた。


 ★★★


 俺は生まれて初めて、取調室なる部屋に連れて来られた。


 けど、更に俺を困惑させたのは、俺の取り調べを担当する相手だ。強面の刑事みたいな人間がするのかと思いきや、相手はどう見てもロボットだった。いや、ブリキのおもちゃにありがちなカクカクした類ではなく、人間らしいシルエットこそしてたんだけど、どう見ても人間には見えなかった。おまけに、隣には別のドローンみたいなのが浮遊しているし。


 ロボットは淡々とした口調で俺に質問してきた。内容は、名前とか年齢とか住所とか生年月日とか。だから俺は答えた。名前は大梨能男、年齢は27、住所は(長いし正確に言うと問題だから省略)だって。


 すると、ロボットはドローンと顔を合わせた。ロボットからは表情なんて全く読み取れないが、腕を左右に広げて掌を上に向ける動作の意図は大方察せる。「さっぱりわからん」ってやつだ。


『検索します。……そのような人名、地名、年代は存在しません』


 は? ドローンの返答に、俺は眉を顰めた。俺どころか、俺が生まれ育った地だけじゃなく、年代すら存在しない? 何言ってんだこいつ?


 ロボットはもう一度俺に同じ質問をしてきた。だから答えた。答えは全く変わらん。しかし、向こうの反応も変わらなかった。


『検索します。……そのような人名、地名、年代は存在しません』


『虚偽発言の可能性あり。再度、審査を要請します』


『バイタルサイン、およびメンタリズムサイン、影響なし。心拍数の上昇こそ見られますが、取り調べによる緊張の範囲と判断。虚偽発言の可能性は見られません』


『精神錯乱の可能性あり。検査を要請します』


『検査開始。肉体と精神に疲弊が見られますが、何かしらの疾患および錯乱の形跡は見られません。全て、正常の状態です』


 その後もロボットが何かを提案し、ドローンがひたすら俺に訳の分からん光を当てながら検査発表を淡々と続ける作業が続く。しかし、いずれも異常はなし。当然だ。俺は何一つふざけずに真面目にやってるんだ。


『精査を要求します』


 いや、だからさ、ロボットが何度俺の裏をかこうと思った所で結果は同じだから。別の答えなんて、用意すらしてないから。なんか、気持ちがざわついてきた。


「あのさ、ここどこなの? 俺、全然分からないんだけど。そもそも日本なの?」


 すると、ロボットとドローンが揃ってこちらを見た。無機質な連中がぎょっとしたかのようにこちらを見たもんだから、俺も驚いてしまった。取調室の空気が張り詰める。あれ? もしかして、俺まずいこと言った?


 ドローンの光が再び俺を通過する。今までとはこれまた異なる色の光。光の壁のようなものが完全に俺を通り抜けた途端、ドローンが何かを感知した。


『わずかな次元波長の乱れを頭部より感知。原因は不明。専門分野の応援を要求。検索を開始します』


「え? 何それ?」


 思わず声が出ちゃったよ。次元波長? なんだその都市伝説みたいなワード。そんな言葉この世に存在するのかよ。てか、分かる人なんているのかよ。


『検索完了。ホワイトテンプル、チーフエグゼクティブオフィサー、ヨハン・メイナルド。ホワイトテンプル、プロダクトマネージャー、小柏アレクサンダー。ホワイトテンプル、ロボティクスデベロップメントチーフ、レオーネ・シエラ……彼等の召喚を推奨』


『否定。彼等が応じる可能性、5%。こちらからホワイトテンプルへの身柄の引き渡しを推奨』


『同意。現地メインサーバーに情報送信を開始。彼等と面会可能な時間を検索中……』


 その後もわけの分からんやり取りが展開されたのだが、要するに、ここがどこで、ここでは俺がどんな立ち位置なのか色々と分かる人に引き合わせてくれるらしい。それは俺にとっても有難い。いきなり訳の分からんところに飛ばされて、こっちはひたすら動揺しかしてないんだ。


 ――これが、あの世界からここに迷い込んだ経緯。


 あの地獄のような世界から、真の意味で楽園に迷い込んだのだと俺が理解するのは、これからもう少し後の話だ。

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