働かなくても良い社会

「おはようございます、マスター! 今日もいい天気ですね!」


 目覚まし時計じゃまだ眠気の抜けない俺を、パートナーロボットのアンドロイドが元気な声で起こしてくれた。清々しいほどに快活な彼女の声は好きだ。まぶたについた泥のように残る眠気まで、一気に吹っ飛ばしてくれる。


 半身を起こして、部屋に来てくれた彼女の姿を見る。こめかみ辺りにセンサーのようなランプが付いているのを除けば、人間と全く同じ。長い髪をポニーテールに束ね、ジーンズにシャツというシンプルな衣装の上にエプロンを重ねている姿は、人間の若い女性と何ら変わらない。


「おはよう、ゲンロク。今、何時?」


「朝の八時でございます、マスター。昨日と同じ時刻での起床になります。規則正しい生活が送れてますね、マスター」


「ああ、そうだね」


 褒め言葉も添えて答えてくれたゲンロクに、俺は微笑み交じりに返した。正直、悪い気が一切しない。最新のアンドロイドには、その時その時の持ち主の心理や体調を感知して適切な追加ワードを出力する機能がある。俺なんかじゃ到底真似できない高機能だ。


 ちなみに、ゲンロクってのはアンドロイドである彼女の名前だ。最新鋭である第五世代のアンドロイドの更に次の世代――第六世代Generation6のアンドロイドだから、ゲンGenロク6だ。俺が名付けた。


 第六世代Generation6が由来ならゲンGenロク6ではなくジェンGenロク6が正しいんじゃないかって? そこは、響きと好みの問題だ。俺は、ジェンロクよりゲンロクの方が好きだ。


 え? そもそも名前が女の子らしくない? でも、かつて俺がいた世界には戦艦や銃などを美少女化したゲームがあって、『武蔵』とか『HK416』とか女の子らしさから遠く離れた名前の美少女キャラが山ほどいたんだ。でも、違和感なんてなかった。それと同じノリで、俺は彼女にゲンロクって名前をあげたんだよ。別におかしくはないだろう?


「朝ごはん作るんで、身支度を整えてダイニングに来て下さいね、マスター」


 そんな言葉を残して、ゲンロクは俺の部屋を後にする。さて、ここでいつまでもうだうだしていたら、ゲンロクの作ってくれる朝ごはんが冷めてしまうだろう。そうならないためにも、俺は速やかに身支度を整える。洗顔なども忘れちゃいけない。


 着替えを済ませてダイニングに行くと、既にテーブルの上には朝食が並んでいた。白米、味噌汁、煮物に焼き魚という和朝食のフルコース。ゲンロク――というか最近のアンドロイドの料理レシピの豊富さを以てすれば、和朝食くらい文字通り朝飯前なんだよな。てか、この世界にもコメとかあるのが驚きだ。


 食事を済ませたタイミングで、ゲンロクが食器を台所へと持っていく。その間に、俺は仕事へ行くための準備をする。


 ……まったく、『仕事へ行く』なんて言葉を使ってしまうなんて。前にいた世界の感覚が、まだまだ俺は抜け切れちゃいないな。


「そんじゃ行ってくるよ、ゲンロク。帰る時間はいつもの予定。遅くなったら連絡するから」


「分かりました。それでは行ってらっしゃいませ、マスター!」


 元気な声で見送られ、俺は住居のマンションを出た。それにしても、さっきのやり取り、夫婦と変わらないよな。元の世界にいたときは、こんな人生なんて永遠に来ないと思ってた。いや、これから始まることなんか、もっとありえないんだけど。


 今の俺が職場と呼んでいる場所は、徒歩15分で辿り着く。満員電車ですし詰めにされることも、運転のストレスに晒されることもない。何より、乗り物に乗っているときには気付かなかったものを見れる。


 箱をぶら下げたドローンが頭上を飛び去っていく。方角は俺のマンションじゃなさそうだが、配達している真っ最中なのだろう。


 塀の方で物音がしたのだが、猫のような見た目をした愛玩動物型のロボットがこっちを見ていた。俺が近付こうとすると、聴覚センサーを逆立てて生垣の中へ消えてしまった。


 ――そんな光景を眺めながら歩いていると、辿り着くのが俺の職場だ。


 ホワイトテンプル・サンダーバニー支社。その規模たるや、実はすでに出勤してた時から建物の姿が見えていた。


 例えるならば、白亜の大聖堂。白い壁で造られた巨大な礼拝堂と広場やビルが隣接する様は、かつて俺が写真だけで見たことのあるサンピエトロ大聖堂を髣髴とさせる。


 ホワイトテンプルは、俺のいる国、セフィア幻想国の中で最も巨大な企業の一つだ。どんな会社かというと、IT企業。で、具体的にどんな業務をやってるのかというと――多すぎて一言じゃ言えないけど――いちばんメジャーなものとして、この国全てを管理する超巨大なオペレーティングシステム『SephirOSセフィロス』の開発・運営・管理をしている。


 SephirOSセフィロスとは何ぞや? と聞かれても、俺は上手く答えられない。とにかく、この国全てに普及しているどでかいインフラシステムだという曖昧な答えしか出せない。要するに、俺が持ち歩いているケータイからマンションにあるパソコン、果ては企業や国のサーバーに至る全てのデータまで、SephirOSが関わってるんだ。


 そんな偉大なもんを作った企業に勤める俺の業務は何か。


 開発や管理? 悪いが、俺にはコンピューター関連の知識なんざからっきしだ。プログラミングはおろか、周辺機器の管理だって出来ない。というか、並大抵の運営業務ならAIが代わりにやってる。


 事務仕事? 残念だが、その手の庶務的な仕事は全てAIで賄える。


 現場仕事? それもほとんどAIとアンドロイドが全て担っている。俺達が関われる分野など、どこにも残っちゃいない。


 では、何をしているのかって?


「おはよう、ヨシオ!」


 これまた陽気な声がして、俺は振り向いた。


 そこにいたのは、俺と同年代くらいの中肉中背の男。短い黒髪に浅黒い皮膚、彫りの深い顔立ちが特徴的で、俺と同じ衣服――作業着のようにも、修道士が着込むスカプラリオのようにも見える――を身に纏っている。


 そんな彼に、俺もまた返事をした。


「おはよう、アド!」


 アドリアーノ・貴明たかあき・コルテス――それが彼の本名だ。名札代わりの非実体デバイスにも、彼の名前が書かれている。それと、出身地や年齢とかも。


 俺がこの世界に迷い込んだ時、一番世話になった人物の一人が彼だ。歳は近いが、ホワイトテンプルに入社した時期は俺とそんなに変わらない。だから、実質同期みたいなもんだ。


「なあなあ、今日は何すんだ? イージフの連中が4v4フォー・ブイ・フォーテンプル杯の仲間集めてて今日練習があんだけど、ヨシオは参加するか?」


「いや、俺はスポーツは苦手だから遠慮するよ。今日もこの広場をぐるっと周ったら、テンプル美術館と図書館を回って時間を潰す予定さ」


「なんだ、そいつは残念。じゃあさ、またそこでなんか面白そうな話見付けたら教えてくれよ」


「分かった。そっちこそ、もしその4v4に参加することになったら、良い話を聞かせてくれないか?」


「もちろんさ。俺はああいうのは大得意だからな。イージフの連中が喜んで俺をチームに迎え入れるのは時間の問題さ」


「マジかよ、頼もしいな!」


 なんて他愛もない会話を繰り広げながら、俺とアドは構内の広場を歩く。


 これが、俺達の業務だ。


 ふざけちゃいない。俺は真面目に言っている。


 さっきも言ったが、この国における労働は、ほとんどAIが担っている。人間が出来る仕事なんて、ろくに残っちゃいない。つまり、この国で働くことの出来る人間なんてほとんどいやしない。


 では、どうするか。その問題への答えとして、この国はとあるロールモデルを提案した。話せば長くなるが、一言だとこれ。


 ――AIが生産を行い、人間が消費をする社会。


 もっと簡単に言えば、働かなくても良い社会ってわけだ。


 こいつは、俺のような人間にとってこの上なく素晴らしい社会だ。なんせ、働かなくても金が貰える。働かなくてもモノが買える。一生遊んで寝て暮らしたって構わない。そんな楽園のような社会を、この国は作ってくれたんだ。マジなんだ。嘘じゃない。


 さて、楕円形をしたサンダーバニー支社の広場は、大型のスタジアムをすっぽり呑み込むほど巨大で、焦点の部分に二つの噴水、中央に一本の方尖柱オベリスクが建っている。


 方尖柱オベリスクの周りを、ホログラム映像で作られた非実体の巨大なウサギが常に飛び回っている。あれは、この町――サンダーバニーのシンボルだ。俺達はこの町の市民である。ってことを印象付けるために、あのウサギはいつも広場を跳ねて回ってる。


 一応言っておくが、この広場には俺以外にも山ほど人がいる。具体的な人数は分らんが、少なくとも1000人は軽く超えている。当然、彼等もまたホワイトテンプルの従業員だ。観光客じゃない。というか、この会社は一般に無料開放されているわけじゃないので、ホワイトテンプルの人間以外ここには来れない。その証拠に、みんな俺と同じ格好をしている。わざわざ同じ衣服を着て訪れる観光客なんていないだろ?


 やがて広場をぐるっと回ると、俺とアドは解散する。ウォーキングという軽い運動を終えた後に俺が向かったのは、広場に隣接する建物――テンプル美術館だ。


 テンプル美術館には、ホワイトテンプルに関係あるものが展示されている。SephirOSの大樹モデルに、最新型アンドロイドである第六世代、セフィア幻想国の末端に位置するカールマークスランドのインフラが完成した話や、最近提携した企業との内容まで展示されている。


 眺めていると、俺もホワイトテンプルの仕事に関わっているような錯覚に陥ってしまう。でも、テンプル美術館に飾られた数々の展示物は、全て会社のAIとそれらを制御する『労働者』達の功績によるものだ。会社に飼われているだけの俺は、これらとは何一つ関係ないんだよね。


 やがて、食堂で昼食の時間。金を払えば、アンドロイドの調理師達が、すぐさま卓の上に料理を乗せてくれる。


 食堂ではアドのような見知った人物と会えず、結局俺は一人で飯を食った。一人飯は喜楽だ。集団だと誰かと合わせなきゃいけなくなるから、退席のタイミングとか掴めなくて酷く窮屈になる。なら、俺は一人で食ってる方を選ぶ。


 次は、図書館。ホワイトテンプルの社員向けにのみ開放されているんだけど、その規模は町の図書館を超えている。複数の階層に別れて山のような本棚が並んでいる様は、ファンタジーの世界で見た巨大な書斎そのものだ。


 空いている机に適当に座り、非実体の操作盤を起動させる。やり方はタッチパネル式の端末そのものだから、操作性は感覚的。慣れた手つきで読みたい本を指定すると、程なくして指定の書籍を積んだドローンがこちらにやって来た。 俺がそれらを机の上に置くと、ドローンはすぐさまどこかへ飛び去っていく。


 この読書している時間こそ至福の時だ。図書館には俺以外にも人がそこそこいるが、誰もうるさく喋ったり変な物音を立てたりはしない。なぜなら、それがホワイトテンプル図書館の規則であり、図書館に訪れた者がすべき生産活動だからだ。マナーを守って快適な図書館の雰囲気を維持することが、ここのいる俺達の労働なんだ。


 ふと、俺は席を立って外を見る。窓の向こうで構内に置かれたサッカー場にて4v4に励む社員達がいる。軽やかなユニフォームを身に纏い、チームに分かれて対戦している。その中で一番目立つプレーをしている人物がいた。アドじゃないか! 宣言通り、チームに快く迎え入れられたのか!


 あれもまた労働だ。ルールを守って楽しい4v4の雰囲気を作っている。立派な生産活動をしているだろ?


 あらかた本を読んで満足した俺が図書館を出ると、とある男が多数のAIを引き連れて廊下を歩いていた。


 着ている衣服からして俺やアドリアーノとは風格が違った。俺の感覚だと、現代人が着るスーツと神父の着る派手なカソックを足して二で割ったよう。


 何より、容姿が良すぎる。人の上に立つ人間としての高潔さと若い男としての爽やかさが見事に調和した顔立ちは、俺なんかとは比べ物にならないほど端麗だ。てか、同性すら魅了してしまう。


 俺は彼を知っている。小柏おがしわアレクサンダー。アドと並んで俺と縁のある人物で、通称はアレク。この時代に於いて一握りの人間しかなれない生粋のエリート『労働者』の一人だ。


「こんにちは」


 俺はアレクに挨拶をした。挨拶はこの国における生産活動の基本だ。


「こんにちは」


 アレクもまた俺に微笑み交じりに挨拶を返した。たったそれだけの所作でも、彼が俺達にとって雲の上の存在であることを分からせるには十分すぎた。


 やがて、もうすぐ帰る時刻がやってくる。俺達は、ホワイトテンプルの構内に六時間以上滞在したら帰宅するよう命じられている。八時間以上いると、明確な申請理由でもない限りドローンに追い出されてしまう。


 陽が沈むにはまだ早すぎる時間帯だけど、俺には滞在する理由が無かったので帰路に就く。途中、広場で再びアドと合流した。ユニフォームから社員服に戻っていたけど、いい汗を流した後なのか、どこか雰囲気が晴れやかだった。彼曰く、4v4チームのサンダーバニー支社代表に選ばれたらしい。俺達の住む町の代表として活躍する日が楽しみだ。


 マンションに帰った俺は、ソファに座るとゲンロクと一緒にリビングにある端末を起動させた。非実体のディスプレイがソファの手前に生成され、デスクトップの映像を映し出す。


 デスクトップの右下に新規の情報が来ていた。内容は、国からの入金のお知らせだった。


『本日もご苦労様でした。本日の国民日当を支給します。セフィア幻想国の国民として、今後もより良い社会の雰囲気づくりに励んで参りましょう』


 そんなメッセージと共に、10000Nナッツの金が俺達の口座に振り込まれていた。


 国民日当。ニットーって俺達は呼んでるんだけど、要はこの国のコミュニティへの寄与に対する報酬として支給される、国からの賃金みたいなもんだ。生活保護とは全然違う。この国の国民であれば、みんなが貰える金なんだ。


 しかも、俺達はホワイトテンプルの社員でもある。そこからのお給料だって、俺達は月単位で貰っている。


 国民日当にホワイトテンプルからの給料――くどいようだが、それらの金を使ってAI達が生産してくれたものを購入して消費し、経済のサイクルを回すのが俺達の役目なんだ。


 信じられないだろうけど、これがこの国のマジのシステムだ。労働の対価として金を貰っていた世界からすりゃ、酷く常識から逸脱した社会だ。


 俺達が労働をやっていたなんて、ここに住んでいると嘘のように感じてしまう。いや、嘘のままで良い。俺にとって労働は、トラウマそのものなんだから。


 ここで時間軸を、しばらく過去話へと移そう。

 

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