第5話儀式

人が訪ねてくるのには、3つの理由がある。


1つにはお別れのためである。


また1つには、村のために犠牲になることに対し、感謝の意を表するためである。


村人はそれぞれ、思い思いの品を携えてやってくる。


だから春先の儀式までの間、その家は大いに潤うことになり、まれには選ばれて良かったと言う家もいるくらいだ。


そして3つ目の理由は、監視のためである。


選ばれたことを喜ぶ家がいる一方で、ひどく嫌がる家もある。


周りの慰めにも耳を貸さず、自分達だけが不幸を一身に背負ったかのように嘆き悲しむ。


前の年にも、その前の年にも、誰かが贄に選ばれたはずだ。そのお陰で大水は起こらず、助かったはずなのだ。


しかしそんなことには目もくれず、彼らは自らが作り出した不幸の殻に閉じ籠る。中には籤に不正があったと言い出す者までいる。


そういった連中を見張るのが、儀式までの間、村の大きな仕事となる。


儀式は春の初め、畑を起こし、新しく種を蒔く前に行われる。この後でなければ、仕事をすることはできない。


儀式は神官が主導する。

とはいえ、大したことをするわけではない。

朝、神官は森から出て、川辺の決まった場所で待っている。


そこへ贄がやってくる。

1人で来る場合もあれば、誰かと一緒のこともある。

神官は川の水よりも冷たい目でちらりと贄を見るだけで、何か言うこともすることもしない。


贄が納得し、覚悟を決めているのなら何の問題もない。袖に石を入れて、川の中へ進むだけだ。


しかし1ヶ月以上に渡る猶予期間の間に決心がつかなかった場合や、土壇場で怖くなった場合などには面倒なことになる。


贄は生きたまま川に入らなければならない。嫌がるのなら周りの者が縛り上げて、無理矢理沈めるしかない。


儀式には殆どの村人が立ち会うから、人手に困ることはない。


けれど押さえつけるのにも、投げ込むのにも、神官が手を貸すことはない。ただ冷めた目で成り行きを見ているだけだ。


たいがいは若い女が相手とはいえ、組み付くには不利な体格だからかもしれない。


あるいはそんな無骨な振舞いは、下の者がやることだと思っているのかもしれない。


いずれにせよ、儀式の主導者とされる神官は、他のどんな村人よりも傍観者然としている。


贄が水の下に消えた後も、神官は暫くその場に留まっている。


すぐに帰る場合もあれば、日が暮れるまでいることもある。神官が川から離れたところで、儀式は終わる。


実際、神官が関わっているのはこの程度だ。


昔はもっと違ったのかもしれない。神官が中心になって、儀式めいたことが何か、行われていたのかもしれない。


けれどそれは誰にも分からない。村には神官がいない期間が長く続いた。そしてその間に、神官が関わっていたとされる多くのことが失われた。もう覚えている人もいない。


儀式が終わると神官は森へ戻り、他の人々もそれぞれの家へと帰って行く。翌日から畑仕事が始まり、村の日常が戻ってくる。

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