第3話 悲しき炎の子 前

呼吸をすると、身体が悲鳴を上げた。

これは気温によるものか、敵が近くにいるからなのか。

判別がつかないどうでもいいことを放っておいて、俺たちは歩みを進める。

『祭壇』に人の気配は微塵もない。

時刻は午前零時、放たれた炎と灯篭が道を照らしている。

見渡す限り、木が生い茂る此処は先に見える燃え盛る森とは正反対。

払拭すべきはこの夜闇ではなくこの空間に満ちる恐怖だろうか。

途中、大きな骨の塊があったが、それを無視して本殿へ通じる階段を昇る。

階段は全部で五十段程度、両端には五段の間合いで灯篭が設置されており、神秘的に思わせる趣向がこらしてあった。

 静かな足音を響かせて、常識とは乖離した非常識へと向かう。

足が、本殿へと踏み込んだ。

―――――――悲しい闇が、哀しい闇へとすり替わる。

俺達の視界に、満遍なく炎が揺らめく。

祭壇の本殿たるこの場は、なんとも質素な作りとなっていた。

炎柱を中心に石作りの柱が七本、コンクリートが貼られていない土が剥き出しになった足場。辺りを見渡してみても、目につくものは他にない。

 作り自体は普通の祭壇だ。

ただ、その世界が異常だった。

広がる空間は、炎さえも含めて眠り続けている。何もない空間で、ただ一人寝ているような、そんな感じ。

その眠りは永劫に、目覚めなど絶対に訪れない。

 全てを映す月を背に、人型の炎が炎柱から現れた。

その周りに、十五人の炎を連れて。



          *****



闇に浮かぶ、十六の炎。

炎たちに容姿など存在しない。身長や体系は辛うじて見て取れるが、誰が誰なのか全くわからない。

炎の内の一人、真ん中に立つ神性は亡霊と言うほど不確かな在り方をしていない。確かにそこに在る。

 亡霊は、その周りにいる十五の炎だろう。中心に立つ神性を守るように立つ彼らは、時々存在が揺らいでいる。

友情や絆の類か、それとも取引でもしているのか、あの神性は世界の法則に逆らって無理やり彼らを引き留めているらしい。

今目の前にあるその情景は、悍ましいというよりも―――――――

「なんというか、綺麗だな、これは」

と、困惑交じりに呟いた。

それを聞いてコトネは困惑しているが、既に戦闘態勢に入っている。

「早く、殺さなくちゃ」

コトネの呟きに、殺意と敵意を感じたのか、炎たちが俺たちを見据える。

交わす言葉も情も無く、通じる言語さえ無い。

 俺とコトネが刀を引き抜く。刀身三尺程の、神秘を地に斬り伏せる凶器を。

炎たちの視線に殺意が籠る。

すう、と神性の手が動いた。

神性の手が流れ、その指先は俺達の方へと向けられる。

「来るぞ」

生気を感じない夜、俺の声は長く残響した。


ぐらり、と炎たちが揺れる。あやふやな彼らは、それを指示として受け取り敵である俺達に襲い掛かる。

コトネが動く。わずか、一度だけ。

「本当に、神性?」

十五の炎の内、二人の首が斬り落とされた。

神性は、それで微かに怯んだようだ。

自分の神核を砕き、微量ながら与えた子供が一瞬でその世界から切り離されたされたのだ、うろたえもするだろう。

「子供たちは君に任せるけど、大丈夫かな」

少し悩んだ後に、コトネがコクリと頷いた。

コトネは襲い来る子供の炎を対処すべく、その場から一時離れる。

「―――――――!」

明確な死が、近づいていることを知っているのだろう。もっとも、理解しているのは奴の頭ではなくその肉体だが。

炎が、弾けた。

奴の身体ではなく、俺の目の前が。

威嚇。こちらに近づいてくるなという意思表示。困ったことに、俺に見逃すなんて選択肢は無い。

一歩、前に出る。

第二撃、今度は左腕辺りに火の粉が当たった。

更に一歩。続いてくるだろう第三撃が放たれる前に、奴の核を視る。

幻想、神秘を現世から切り離すためには、それを斬らなければならない。普通の人間には見えないからこの目は特有の魔眼か何かに分類されるのだろうが、まあどうでもいいことだ。

そこに在るのなら、概念レベルのモノでも斬り伏せる。今までだって、そうやって来たのだから。

 刀を掲げる。奴の核以外に見るべきものは無い、ただ、そこに的を絞る。

刹那、前方より炎の一矢が放たれた。

勿論、神性の作り出したものだろうから斬り伏せる。いつ持ち出したのか、本来炎を使う神が持たぬであろう弓をつがえていた。神名は、天之麻迦古弓だろうか。まだはっきりしたことは分からない。

「無駄なんだよ。どれだけ祭壇を強固にしたところで、神秘を斬ることに特化した存在には通用しない」

呟いて。走った。

この疾走を止めるべく、何度も矢が放たれたり目前が爆破されるが、そんなものには束縛を感じない。

炎が逃げ惑う。助けを呼んだところで、もう既に全員が殺されているだろうから。

「それに、何より俺が動いた時点で、君の終わりは目に見えているんだ。君にとっての失態というのは、子供たちを殺したことだろうね」

静かな、けれど確かな呟き。

奴が何処に行こうとしても、この祭壇を出れば消滅してしまう。どのみち逃げることはできない。

―――――――炎がようやく、顔を出した。

「アアアアアアアアアアアアア!」

炎は更に力を込めて矢を放つ。言葉を話していたのだとしたら奴はこう叫んでいたのかもしれない。

燃えろ、と。

その叫びを無視して、言い返す。

「燃えるのはお前だけで十分だよ」

奴の目前まで急接近し、核に刀を押し通す。霞を斬ったかのような感覚。だが、間違いなく核を斬った。

出血などある筈も無く、一度痙攣して、輪廻への帰還が始まった。

炎から刀を抜き取る。

その動作に釣られ、炎が背後へと倒れこみ、そのまま、炎であったその身体は膨らんで破裂した。

 まるで、海上へと上がっていくクラゲのように。


そうして、俺達は元祭壇から立ち去る。

上空には、散塵になった炎が、輝いていた。

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