ハッシュタグ死にたい、でヒットする愛しの屑たち
一
年間約三万人が自殺を選ぶこの島国でも、月別に自殺の件数を見ていくと、五月から六月にかけてが最も多いというのは統計上明らかになっている事実である。そして誰もが一度は名を聞いた事があるであろうあの太宰治も、六月十三日に入水自殺した事で有名である。
春から夏へと変遷していくこの時期に自ら死を選ぶ人間が多いのは何故なのだろうか。どちらかというと春の花粉症の方が鬱陶しくて死にたくなるし、秋はハロウィンだか何だかで馬鹿騒ぎしている奴が多くて死にたくなるし、冬は人肌が恋しすぎて僕のような孤独な人間が凍死してしまいそうになるのはまだわかるが、何故よりによって春先なのだろう。新しいステージへと旅立っていく仲間と、何も変われていない自分とを比べて劣等感に苛まれるであろうことは原因の一つとして容易に想像ができるが、そもそも自殺をするまで精神的に追い込まれているような人間が、わざわざ死ぬタイミングなんて思慮するわけがない。つまりたまたま人数が多かっただけだとここでは仮に結論付けたい。
ところで一番楽な死に方とは何なのだろう。ツイッターの検索機能で「ハッシュタグ死にたい」で検索したらヒットするようないわゆる病みアカウントの界隈では、多くの人がこの答えを求めている事だろう。溺死や焼死といった死に方は相当な苦痛が伴うことが明白であるし、オーバードーズやリストカットでは生存してしまう可能性が極めて高い。ネットで調べてみると、苦しくない首吊りの仕方があるらしいが、それも本当なのか甚だ疑問である。
ヤフーの知恵袋で、「一番楽で痛くなくて迷惑もかけなくて、綺麗な死に方はないですか」という質問に対し、誰かが「老衰」と答えているのを見たことがある。確かに寿命を全うすることが一番リスクもなく、綺麗な死に様なのかもしれない。だがおそらく質問者にとっては、最も必要の無い答えだっただろう。その回答は「あなたが死にたいと思った今日は、昨日亡くなった人が生きたかった明日なんだ」というおきまりの一文で締めくくられており、ベストアンサーに選ばれていた。思わず舌打ちをしてしまいたくなるクサい台詞だった。生きるか死ぬかは当人の問題であって、そこに他人が介入できる余地など微塵もないのに。
ちなみに僕は、どうせ死ぬなら地雷除去の作業中に派手に吹っ飛んで死ぬか、パラシュートなしでスカイダイビングを決行して絶景を目に焼き付けながら最期を迎えたい。
前置きが長くなってしまったが、大学とは一種の自殺か、それか社会の縮図みたいだと僕は思っている。講義後の誰もいなくなった教室で、僕はすることもなく座り込んでいた。大学に来る事、講義を休まずさぼらず受ける事はまず大前提で、その上にレポートやらテストやらの点数が加味されて成績が決められる。大学に籍を置いている以上、僕らは単位や成績に縛られる。僕のことを何一つ知らないであろう教授が、数値や点数だけを見て僕を見定める。どれだけ過程が素晴らしいものであっても結果がすべてなのは、資本主義が激化した末路とも言えるが、この世の中に生きるためにそれは仕方のない事だと割り切るしかない。出来損ないは当然のように省かれる。より効率よく金になる人材を社会は求めている。そうして僕らは学歴や職歴で人間性まで図られるのだ。心底、うんざりする。これでは大学というより、社会を回すのに都合のいい人間製造工場と名付けるのが妥当だ。
果たしてそこに何の意味があるのだろうか。いや、そもそも意味があるのかないのかを気にしだしたら負けなのだろうか。何にも疑問を持たない鈍感な馬鹿者になればよかったのか。フランス語が理解できて、それが将来僕の役に立つのだろうか。歴史を学ぶだけで、過去の過ちを二度と繰り返さずに済むのだろうか。人の体の仕組みを理解すれば、心さえをも読み取ることが可能になるのか。
それらが叶う日は決して来ない事を僕は知っている。知っていたはずなのに、そんな考えを吹き飛ばしてくれる何かが大学にはあるのではないか。そう信じて受験勉強に励み、それなりに多くの学生が志望するこの大学になんとか合格したのだが、それがどんなに愚行だったかを知るまでには、それほど時間はかからなかった。
結局ここも一緒だ。
努力を貶す人がいて、自分の利益ばかりを優先する人がいて、そんな人同士がつるみ、群がり、寄ってたかって真面目な人を無自覚に攻撃する。真剣であればあるほど、真摯であればあるほど、生きづらい、息がしにくい。狡賢い人ほど甘い汁を吸い、堅実な人ほどその犠牲になる。ならばもう、真面目でいたって何にもならないのではないか。僕がどう頑張っても、他人は他人なりに自分の物差しで僕を評価し、結果のみを僕に要求し、分別するのなら、自分らしくある努力など理にかなっていないように思われた。それならどういう人種が愛され、周りから求められやすいかを分析し、それをうまく演じることに労力を割いたほうが余程効率的だ。
ならば自分らしさとは一体何なのだろう。
それは時に自己紹介で、サークルの新人歓迎会で就職試験の自己PRで、先輩との付き合いで、あるいは思いを寄せる異性とのデートで、様々な場面で臨機応変に必要となってくるものである。そしてその印象が良ければ良いほど物事がうまく運びやすくなる訳だが、それは逆から言えば相手からどう思われるかと言っても説明がついてしまう。つまり僕以外の誰かにとって、僕の自分らしさなんてはなから見られていないのだ。大事なのは自分にとって相手がどれだけ有益か。ただそれだけであって、裏を返せばどれだけ僕のことを有益だと思わせるかということなのである。
例えば自己紹介だったら、第一印象でこいつといれば楽しそうだなと思われた人ほど中心に立つだろうし、企業の面接だったら、会社に貢献するだろうと思われた人の方が採用されるだろうし、意中の異性に好かれるためにはまずその人の理想や好みに近づけるのが手っ取り早いのではないか。ならばもう自分らしくある事なんて全てを手に入れた人にのみ与えられる特権のようなもので、どうしても何かを得たい人にとってはとても手にすることのできない高級品に近い。
僕にはそんな贅沢をする余裕がない。才能も特技も特に持ち合わせておらず至って平凡な僕がそれでも何かを渇望するなら、それ相応の犠牲を払うしかない。そうして自分を捨ててきたことがいつか報われることだけをひた信じて。だがしかし、結ばせたい実ほど蕾にすらならないのがいつも現実である。いつからだっただろう。希望という二文字の響きが、ことごとく冷淡で鋭利な刃物のように襲ってくるようになったのは。
「なあ、僕たちってなんのために生きているんだろう」
大講義室をでて、昼から何の予定もなかった僕は、同じクラスで同じく暇を持て余していた佐野に誘われて、大学近くのファストフード店に来ていた。
「知らないけど、何の意味もありゃしないんじゃない。この星の生命システムを保持するために組み込まれたプログラムの一環みたいなもんだろ。命を繋ぐとか言ったら聞こえがいいかもしれないけどよ。所詮そんなもんなんだからさ、お前はまたごちゃごちゃと色んなことを考えているんだろうけど、だいたいまだ十九年しか生きてないんだからわかるわけないじゃん。死ぬ頃にはわかるんじゃない?」
べたっとした油のにおいが、僕の鼻腔を撫でまわしていたのが気に障ったが、僕は話を続けた。
「そうかもしれない。というか、それがほぼ正解なんだろうけど、だとしたら人間って、欠陥というか、かなりの不備があると思わないか」
「具体的には?」
佐野は、熱っと言いながら揚げたてのポテトを頬張っている。
「今こうしてお前とポテトをつまみながらくだらない話をしている。たまに酒を呑む。煙草も吸う。飯も食うし眠たけりゃ寝る。お前はサークルに行くし、サークルの飲み会で適当に女と寝る。その間にも僕は部屋にこもって文章を書く。決まった時間には起きて僕たちは大学に行く。そしてどうでもいい教授のどうでもいい講義を受ける。レポートを書く。課題は期限内にやる。単位が欲しいからな。眠れない夜には夜更かしをする。バイトして生活費を稼ぐ。そのどれもに意味がないとして、何故意味がない事を繰り返すのかと疑問を抱いてしまうのは僕らの脳が発達したからで、僕らに心が備わっているからだろ?」
佐野は聞いているのか聞いていないのかよくわからない曖昧な返事をした。
「だとしたら、心さえなかったらよかったんじゃないのか」
「うーん、よくわかんないけど、俺は心があっていいんじゃないかと思うぞ」
「なんでだ」
「セックスが気持ちいいと感じられるから」
佐野とは、高校の時からの付き合いで、東京の高校から、偶然大阪の同じ大学に進学したのだが、僕はいまだかつて彼以上に自分の欲求に忠実な人間を見たことがない。進学に文学部を選んだのも、可愛い女の子が多そうだからだと、入学式を終えた後に行ったラーメン屋で語っていた。満面の笑みでこれからの抱負を話していた佐野は、どこで繋がったのか、その時点でもう既に同じ学部の目ぼしい女子の連絡先を複数所持しており、それを僕に自慢しながら、店員に硬めの替え玉を注文していたのをよく覚えている。僕は彼のそういうところが嫌いだった。彼は何事も器用に要領よくこなし、楽においしいところだけを持っていくのが上手いタイプだった。
その後彼はポテトを食べながら、このあいだ心理学部の女とヤッたんだけど大人しい性格の割にエロくて最高だったとか、高校の時に実は生徒とデキているんじゃないかと噂されていたあの先生が寿退職したらしいとか、ピンサロは安さだけで選ぶべきじゃないとか、ドンキの駐車場に集るヤンキーの会話よりも中身がないと思われる話をして、最後の一口をぺろりと平らげた。
「で、お前の方は最近調子はどうよ」
「僕がどうだろうと、お前には関係ないだろ」
「そんなことばっか言ってるからお前はいつまでも俺以外に友達ができねえんだよ」
「別にお前のことも友達だと思っていない」
店内には平日の昼間にも関わず人が溢れていて、何故かこの時間にいる制服姿の集団や、昼食を取りに来たのであろうスーツを着たサラリーマンや、席を何人分も独占して机に置き鏡を置いて化粧直しをしている女性を順番に一瞥して、僕はほとんど冷めてしまっているホットコーヒーを啜った。
「ははっ、相変わらずの減らず口だな。てか、それにしても今日熱くね?」
僕がどんなに悪態をついても、彼はむしろ嬉しそうにへらへらと笑っている。ディスられることに快感を感じるマゾヒストなのか、それとも何も考えていないのか、よく分からないが、確かに彼の笑った時にちらりと見える八重歯は妙に愛嬌があって、こいつの周りにいつも人が集まる理由がなんとなくわかる気がした。
彼が言うように今日は五月の初旬にしては夏日とも言える暑さで、今朝方のニュースでも、近年稀に見る異常気象だとして、熱中症に気を付けるよう呼び掛けていた。街中でも半袖の人や日傘を差している人が目立っていた。冷房が効いているはずの店内でさえ暑く感じてしまうのは、目の前の彼が馴れ馴れしく友達呼ばわりしてくるのが暑苦しいからだろうと思われた。
「なあ、お前って確かもうバイトしてたんだったよな」
入学式を終えたその足で、周りの人間が入学式の大きい看板の前で集まって写真を撮り、インスタに投稿しているであろう隙に、僕は大学の近くにあるコンビニに面接に向かい無事合格して、翌日、皆が皆友達作りに夢中になっている時にはもう店長にレジの打ち方を教わっていた。一人が怖くて入学してすぐに臨時的に作られるその薄っぺらい交友関係よりも、お金の方が何倍も信用できたし、無理を言って東京から出させてもらった母親に少しでも負担を減らしてもらいたかったから、一刻も早く自分で稼ぐ必要があったのだが、誰にも話したことがなかったそれを、何故か佐野が知っていることにもう驚愕などしなかった。
「してるけど」
「あの大学からちょっと行ったとこの、文具店の前にあるとこだよな。あんな分かりにくいとこにコンビニなんてあったんだな」
誰にも触れられたくなかったから選んだ絶好の地形だったはずなのに、あまりにも発覚が早すぎる。一体彼はどんな情報網を駆使しているのだろうか。もはや不思議の域を越えて不気味なくらいだ。
「・・・」
場所までばれているとは思っておらず、さすがに驚きを隠しきれず言葉をなくしていると、彼はあそこ、人気全然ないけど経営とか大丈夫なのかなと、余計なお世話を通り越してむしろ侮辱だともいえる心配をして見せた。
「なあ、俺もそこ誘ってくれよ」
「お前が来たら確かにその人誑しっぷりを存分に発揮して大幅に経営難を回復させそうだな」
「だろ。俺がいれば百人力さ。それに、お前がいるんなら楽しそうだ」
「悪いけど僕は全く楽しくない」
「ははっ、まあそう言うなって」
僕がどんな言葉で彼を攻撃しても、彼にはどんなダメージも与えられないことはもうそろそろ僕も感づいていたが、人懐っこいへらへらとした笑顔が妙に僕の癪に障るから、僕も攻撃の手を緩めるわけにはいかないのだった。どちみち、働きだしてまだ一ヶ月のまだまだ新人の僕には、誰かを勧められるほどの立場ではない。けれどあまり断り続けても彼がしつこいのは目に見えていたので、彼の手前では今度店長に話を通しておくよと言っておいた。
「ほんとか!サンキューな!」
バイトどうこうの話だけで大袈裟に喜ぶ彼を見て若干罪悪感を覚えたが、こんなやつに罪悪感を覚えている自分の良心とやらが馬鹿々々しくて笑いそうになった。嘘をつくこと、騙すことなんて、誰もが日常的に息を吐くように行っている事ではないか。
それから僕は佐野に、職場の雰囲気はどうだとか、仕事の内容はどんなだとか、可愛い店員はいるかとか、とにかく質問攻めを食らいに食らいまくって、一通り訊き終えた彼はやけに満足気だった。
「・・・」
「・・・」
次から次へと口を開いていた彼がようやっと口を閉じ、束の間の沈黙が訪れる。だがそれも長くは続かなかった。
「これからお前、暇か?」
「六時からバイトがある」
本当はバイトなどなかった。現在の時刻は二時半である。
「六時か。そんな時間はかかんねえんだよ。ちょっと付き合ってくれよ」
「いや、やっぱ四時だったかも」
そう言いかけるもそれも間に合わず、彼は僕の手を引いて店を出た。自動ドアが開くと同時になだれ込んでくる空気はじめっとした熱を纏っていて、少し夏の匂いがした。
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