第5話 漆黒婦人がやってくる。

 夕暮れ時。それぞれ委員会活動で普段よりも帰りが遅くなっていたゆい陸人りくととは、一緒に帰るために教室で待ち合わせをしていたのだが、


薪辺まきべ、帰り際に申し訳ないが、職員室まで来てくれないか」


 結の待つ教室に入る直前、陸人は担任教師の白木しらきに呼び止められた。その様子は結の方からも窺い知れたので、「気にしないで行ってきて」と小さく頷いた。


「教室で待ってて」


 そう言って教室前を後にしたまま、陸人は戻って来なかった。


「……遅いな」


 30分が経過し、日も完全に落ちてしまった。職員室に呼び出されている相手に連絡を取るわけにもいかず、やきもきする。


「ああ済まない。そういえば薪辺は小町こまちを待たせていたんだったな」


 申し訳なさそうに苦笑しながら教室に戻って来たのは、陸人ではなく彼を呼び出した白木の方であった。


「先生、陸人は?」

「実は薪辺のお母さんが出先で負傷して病院に運ばれたんだ。さっき薪辺を呼びに来たのもその件でな」

小母おばさん、大丈夫なの?」

「僕の方ではそこまでは把握出来ていない。ただ、家族に病院まで来てほしいということだったので、薪辺は急ぎタクシーで送り出したよ。小町にも伝言してほしいと頼まれていたんだけど、別件でバタバタしていて伝えるのが遅れてしまった。申し訳ない」

「それじゃあ、陸人はもう学校にはいないんだね」

「事情は僕の方でも聞いている。仕事が終わってからでもよければ、僕が家まで送っていこうか?」

「ありがとう先生。だけど、まだそこまで遅い時間ってわけじゃなし、一人でも大丈夫」

「そうか。けど、十分に注意するんだよ」

「うん。分かってる――それじゃあ、また明日ね、先生」


 白いリュックを背負い直し、結は足早に教室を後にした。


 〇〇〇


「……やっぱり、それどころじゃないよね」


 家路についた結は駅までの道すがら、小母さんの容態を確かめるメッセージを陸人へ送ったのだが一向に返事はない。病院で母親に付き添っているとなると、スマホを確認している余裕などないだろう。状況は気になるが返事がないことも致し方ない。

 スマホをポケットにしまいかけて結はふと、親戚である美子よしこはこのことを把握しているのだろうかと気になった。陸人が他の身内への連絡まで気が回っていない可能性もある。余計なお世話かとも思ったが、こちらから美子にも一報入れておくことにした。

 教えてもらっていた電話番号へと発信。仕事中で出られないかなとも思ったが、6コールで美子は電話口へ出た。


『結ちゃん、どうかした? もしかして周囲で異変が?』

「いえ、私のことではないのですが、陸人のお母さんが怪我で病院に運ばれたと聞いたもので」

伯母おばさんが? 何時の話?』

「学校に連絡があったのが40分くらい前です」

『おかしいわね。だってつい20分前に、伯母さんから私にメールが届いたわよ? 週末に焼き肉をするから時間があれば食べに来ないか、なんて平和な内容だったし、とても病院に運ばれたようには』

「……変ですね。担任の先生は確かにそう言って――」


 不意に、背後から刺した影に結の表情が凍り付く。シルエットの頭部に、特徴的な女優帽の形が見て取れたのだ。


 体を震わせながら、恐る恐る振り返ってみるとそこには、黒いドレスに黒いケープを羽織り、頭には深々と黒い女優帽を被った漆黒婦人が立ちはだかっていた。色白な肌には、狂気をはらんだ釣りあがった笑みが浮いている。


「……漆黒婦人?」

『結ちゃん! どうしたの結ちゃん――』


 漆黒婦人が強引に結の手からスマホを奪い取り、通話を強制的に断ち切ってしまった。恐怖に体が弛緩しかんし、結はその場にへたり込んでしまう。現在地は大通りからは外れた住宅街へと続く小路。人通りは無いが、近くには明かりの灯った民家も多く、助けを呼ぶことは可能だ。


 恐怖を振り切り、結は大声で助けを求めようとするが、


「駄目だよ叫んだら。君と僕だけの時間が台無しじゃないか」

「かっ――」


 漆黒婦人が大きな手で結の喉を締めた。その手は女性ではなく男性のものだ。長身も、男性だったというのなら決して特徴と呼ぶ程ではなくなる。

 そもそも漆黒婦人という名称はその風貌から名付けられたもの。婦人と呼ばれているから女性であるというのは、先入観以外の何物でもない。卵が先か鶏が先かと陸人も言っていたが、そこまで計算した上で犯人は漆黒婦人というみのを被ったのだろう。

 

「……どうして……あなたが」


 写真越しでも遠目でもない、間近で確認した漆黒婦人の顔は、結も良く知る人物であった。毎日のように耳にしている声も、聞き間違えるはずがない。


「……先生」

「どうしてSNSの更新を止めてしまったんだい小町? 僕はもっと君と一緒に写真に写りたかったのに」


 黒いドレスとケープ、女優帽を身に着けた白木しらき数矢かずやは結の喉を締めたまま、よどんだ瞳を近づける。顔と顔とが、吐息がかかる程に近い。


うららがいなくなってしまった今、僕にはもう君しかいないんだ。僕がこれから君をもっと美しくしてあげる。さあ、一緒に行こう」

「……誰か……助け――」


 結の意識が薄れかけたその時、


「……お返しします」

「がっ!」


 真横から強烈なタックルを受けて白木の体が転倒した。首を開放された結はせき込みながらも必死におもてを上げた。


「……陸人」

「……ボディーガードとしての役目は果たさないとね」


 駆けつけた救世主は陸人であった。頭部から流血し、その影響で体がふらついている。


「……薪辺、気絶させたはずなのに」

「……人を見かけで判断しない方がいいですよ……僕、これでも武闘派で体も頑丈なんで」


 とはいえ、血を流している状態での長期戦は不利だ。決めるなら今しかないと、白木が立ち上がったタイミングを狙って陸人は速攻で仕掛けた。


「少し眠ってな。漆黒婦人」

「あがっ――」


 白木の顔面に体重を乗せた強烈な右ストレートをお見舞い。ノックバックした白木は仰向けに倒れ込んだ。


「陸人!」


 体は限界だったのだろう。拳を振るった反動で陸人も転倒しそうになるが、慌てて駆け寄った結が抱き留めたことで、地面へ体を打ち付けずに済んだ。


「陸人、一体何がどうなっているの?」

「……白木に呼び出された後、突然背後から頭を殴られてね。意識を失った後、どうやら用具箱に閉じ込められていたらしい……君と僕を分断する策だったんだろう」

「……だから陸人は先に帰ったって嘘を」

「……道中、警察や救急には連絡をしておいた……すぐに――」

「陸人! ちょっと陸人、しっかりして!」


 今の結に出来ることは、救急車が到着するまでの間、脱力した陸人に必死に声をかけ続けることだけであった。救急車かパトカーか、あるいは両方か。闇夜を貫くサイレンの音はまだ遠い。

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