第4話 気に入られてしまった。

「……嘘だと言ってよ」


 楽観虚しく、偶然では終わってくれなかった。

 異変が起こったのは相談から一週間後。陸人りくとの助言もあり、下手に気張らず普段通りの生活を送っていたゆいだったが、休日の夕暮れ時、愛犬との散歩中にSNSなど関係なく、何気なく撮影した河原の写真に、対岸に佇む漆黒婦人らしきシルエットを発見してしまった。逆光で全容が掴みにくいが、特徴的な女優帽の形状がしっかりと見て取れる。


「二度目となると偶然とは考えにくいわね」


 その日の内に、結は陸人の家で彼の親類だという女性刑事――黒野くろの美子よしこと対面した。美子はストレートの黒髪と色白な肌が印象的な長身の美女だ。モデル業でも通用しそうなルックスで、このような異常事態でなければ結も美の秘訣を尋ねていたところだろう。

 事情は陸人を通して伝わっており、もしもまた周辺に不審人物が現れた際はすぐさま連絡するように言いつけられていた。仕事終わりだったということで、美子は直ぐに相談に乗ってくれた。


「ウラ……久世くぜうららさんの周りに現れていたのと、同一人物なんでしょうか?」


「その可能性は高いと思う。一部ネット上などで騒がれているとはいえ、久世さんの周辺に不審者が出没していたという事実はあまり知られていない。第三者による模倣とは考えにくい以上、久世さんの死と何らかの関係がある可能性がある。この件は正式に上にも報告しておくわ」


「噂されているように、やはり彼女の死には事件性が?」

「近くにいた人達の談として、彼女の落ち方、どうにも不自然だったようなの。眩暈めまいでふらついたというよりも、背後からの衝撃で突然バランスを崩したようだったって」

「つまり、誰かに突き飛ばされた?」


 首を縦に振って肯定する美子の表情は渋面だ。


「ただ、久世さんが突き飛ばされた瞬間を目撃した人はいないし、防犯カメラにも決定的な瞬間は写っていなかった。もっとも、仮に彼女を突き飛ばしたのが例の不審者だったとして、殺人を実行に移そうとする時にまで、あの目立った格好をしていたとは考えにくいけども」


「……確かに、あの目立つ格好だったら、絶対に誰かが目撃しているはずですよね」

「もちろんこちらとしても、出来る限りのことはするけど、小町こまちさん自身も十分注意してね。写真に写り込んだ漆黒婦人の姿に囚われては危険よ。怖いことを言うようだけど、不審者は平凡な通行人として近づいてくるかもしれないから」

「はい」


 分かりやすい恐怖よりも、忍び寄る恐怖の方がよっぽど恐ろしい。

 結も普段は移動の足に電車を利用している。久世麗のような目に遭わない保証などどこにもない。不審者が往来に溶け込むような平凡な風貌ふうぼうをしていたなら、それを警戒するのは至難の技だ。今になって思えばツバの広い女優帽という風貌自体が巧妙な手口だったのかもしれない。口元以外の表情が隠れる上に、風貌にばかり目がいき、身体的特徴にまで意識が向きにくい。


「状況が落ち着くまでは、なるべく一人では行動しないことをお勧めするわ。お家も近所だし、リクもなるべく一緒にいてあげて」

「まあ、それなりにね。最初の相談を受けた者として、知らぬ存ぜぬでは恰好がつかないし、都市伝説にかこつけて悪行を働こうとする者は、1オカルトマニアとして許しがたい」

「ありがとう、陸人」


 友人の有希ゆきたちとは家の方角が真逆なので、帰宅中は一人になることが多い。陸人が一緒に行動してくれるというのは素直に心強いし、口では理屈を並べながらも、幼馴染の身を案じてくれることが何よりも嬉しかった。


「大丈夫よ。結ちゃんに直接の被害が及ぶ前の解決を目指すから」


 美子の心強い言葉を持って、この日の相談は御開きとなった。

 結の周辺に現れた不審者についても警察が本格的に捜査を進める。これ以上、状況が悪くなるはずなどないと、誰もがそう信じていた。


 〇〇〇


「結。最近よく薪辺まきべと一緒にいるけど、あんた達ってそんなに仲良かったっけ?」

「言ってなかったっけ? 陸人とは幼馴染で家も近いんだよ。ほら、最近なにかと物騒だからボディーガード的な」

「とかいって、本当は放課後デートなんじゃないの?」


 美子に相談してから一週間。今のところ結に危害は及んでいないが、同時に捜査の方にも大きな進展はない。良くも悪くも状況に変化はなかった。それでも、見回りに当たってくれている警察官や登下校時に付き添ってくれる陸人の存在が心強く、休み時間に有希と談笑を交わす程度には、結は平常心を維持出来ていた。


「今も昔も陸人とはそういうのはないよ。昔から知っているからか、あまり異性としては意識したことはないんだよね」

「ふーん。まあ確かに、見たところ色っぽい関係には見えなかっただけどさ。けど、ボディーガードならボディーガードで、少し頼りなくない?」

「人を見かけで判断したら駄目だよ。陸人、小さい頃から空手習ってて、ああ見えても黒帯だよ」

「まじで? 正直、ただのオタクだとばかり思ってた」

 

 素で驚き、不躾全快で有希はあんぐりと口を空けていた。


「あっ、アップした写真にコメントついている」


 驚きも程々に、有希は通知音に気付き、スマホの操作を開始した。

 笑顔の有希とは対照的に結の表情は渋い。漆黒婦人が写り込んでからというもの、怖くなって一度も写真を撮らず、SNSも更新していない。それ故に漆黒婦人の動向が掴めなくなっている部分もあるが、一時の安寧あんねいすがりたいのもまた、人間らしい感情というものだ。


 しかし、この判断が必ずしも正しかったとは限らない。

 SNSの休止は結に一時の安寧をもたらすと同時に、漆黒婦人にとっては自己の存在をアピールする場を失ったことを意味するのだから。


 これから何が起こるのか。

 それを知るのは漆黒婦人と呼ばれるくだんの人物だけだ。

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