第10話『全員銭湯態勢!』

 まだ昼の2時にもなっていない、窓辺から春の日差しが舞い込む午後。

 マンションの八神奈津子の部屋のドアの向こうでは、何やら絡み合う男女の姿が……。

 皆さん。真昼からお盛んなことで! などと彼らのことをバカにするのはかわいそうである。32歳になるまでまったく男っ気がなかった奈津子にとっては、長い長い冬を超えて、やっと巡ってきた春。

 一方二宮にしても、上司と部下という関係を乗り越えるまでが、長く険しい道のりだったのだ。

 二人は今、幸せの絶頂にあると言ってよい。

 だから二人は会うたびに、『お花畑状態』と化していた。



 愛の行為も、そろそろクライマックスを迎えようとしていた。

 日頃、職場では鬼係長の奈津子も、この時だけは妙にしおらしくなる。

 そのギャップが、また二宮には愛おしいのだった。

 二人の頭上では、ハカイダーと電人ザボーガーとグレンダイザーが……

 神妙な面持ちで、二人の愛の営みを見守っていた。

 最初の頃は、自分を見下ろすそれらのフィギュアが気になって仕方のなかった二宮だったが、最近ではずいぶん慣れてきた。



「ああっ、好きよ……」

 弾んだ息遣いで、奈津子はシーツをクシャッとつかみ、体を弓なりに反った。

 奈津子のあえぎ声を聞いた二宮は、茶目っ気を出して思わず聞いてみた。

「奈津子、僕のことどれくらい好き?」

 こういう時、普通はどう言うだろうか?

 両手を一杯広げて『こ~んくらい!』と可愛く言う女性もいるだろう。

 海よりもとか空よりもとか、はたまた宇宙の広さほど! なんてスケールのデカいことを言う子もいるだろう。

 はてさて、奈津子の答えやいかに?

「ああっ、あなたのこと『ゴールドライタン』よりももっと好きよ!」



 ゴールドライタン???



 ……分からん。



 まぁ、奈津子にしてみれば大好きなそれよりも好きだ、ということを言ってくれているのだろう。二宮は、無理矢理好意的に解釈することにした。

「ああ、『大鉄人17』 よりも好きなのよおよぉぉ」

 …………。

 ダイテツジンワンセブン???



 ……ちゅーことは、ボクはロボット並かい!



 ちょっとだけ、聞いたことを後悔した二宮であった。



 二人が、平日の昼間からエッチなどできるのには、わけがあった。

 今日から、二人は勤め先である大海物産の慰安旅行に行くのだ。

 もちろん、商売の会社だけに全社挙げて一斉に休むわけにはいかない。

 課ごとに、日をずらして行くのである。今回出発するのは、営業課。奈津子が係長を勤める販売企画二係は、そこに属する。

 行き先は、熱海。夜は、温泉宿に宿泊する。

 今日の夜7時半から出発するバスに乗り、夜の内に現地へ。

 次の日丸一日をそこで過ごし、翌朝帰宅、というスケジュール。

 なかなか気前の良い会社である。

「熱海に行ったら、海辺でゼッタイ『金色夜叉』やりましょうね!」

 貫一お宮をどうしてもやりたい奈津子の鼻息は、荒い。

「係長、それだけはやめましょう……」

 ゼッタイに、恥ずかしい。ってか、いつの間にか呼び方が職場モードになっている二宮であった。

 ともあれ、それぞれに旅行の準備もあるだろう、ということで本日の営業課に関わる面々は午前中で業務を終え、帰宅を許されたのだ。そして夜にまた集合となる。



「係長、まだ時間もありますし、ちょっとそこの銭湯つかってから行きません?」

 一戦交えたところで、マンションの狭い風呂場でのシャワーよりも広い銭湯がいいなぁ、とちょっと思った奈津子は、二宮の提案に大賛成の意を表明した。

 奈津子のマンションの近所には、まだ昔の風情を残した伝統ある銭湯が残っていた。どちらかと言えば近頃は、近代的でオシャレな『スーパー銭湯』なるものが主流だ。奈津子には、どうしても「スーパー戦隊」としか聞こえていないが。

 そんな中にあって、そこは古き良き時代の銭湯そのままを、今の時代に伝えていた。何かにつけレトロなものが大好きな奈津子には、たまらない場所なのであった。



 二人が風呂道具と着替えを持って、銭湯に行ったところ——

 のれんをくぐると、何だか中が騒がしい。

「おばちゃん、お湯の温度、何とかなんねぇか!?」

「ねぇ、ちょっとぬるいわよ!」

 奈津子は靴を木製の靴入れにいれてから、女湯に通じる入り口の引き戸をガラリと開けると……大勢のお客に囲まれて困り果てている、番台のおばちゃんがいた。

「どうされたんですか?」

 奈津子に気付いたおばちゃんは、済まなさそうに言う。

「ああ、ごめんねぇ。たった今、ボイラーが壊れちゃってねぇ。お湯をこれ以上沸かせなくなったんだよ。修理業者に来てもらうのにも時間がかかるし、悪いけど私にゃどうしようもないさね」



 風呂に入る気満々でやってきた奈津子は、何とか食い下がった。

「本当に、どうしようもないんですかぁ?」

 男湯側から、どこかのオヤジが叫ぶ。

「俺ぁ今から体洗うところだったんだっ。お湯が出ねぇことには、話にもならん! 一体どうしてくれるんだぁ?」

 急なアクシデントに見舞われた銭湯を思いやらない、自分本位なオヤジの言い分に奈津子は思わずカチンときた。

「昔みたいに薪で沸かす設備も残してあるから、そっちに切り替えれば沸かせなくもないんじゃが……私の歳じゃあそれもできんしのう……」

 おばちゃんの言葉を聞いた奈津子の目は、きら~んと輝いた。

「二宮!!」

 反対の男湯側に、職場のノリで叫ぶ奈津子。

「は、はいっ」

「今から、薪で風呂沸かすわよっ」

「ええっ!」

 壁の向こうから、二宮がうろたえる声がする。

「おばちゃん、案内してっ」

 


 かま場に案内された、奈津子と二宮。

 腕まくりをし、二人はジャージのズボンの裾を膝まで上げる。

「うっしゃああああ行くわよおおおおお」

 炉の中に薪をセットし、幾分かの油をしみこませる。

 奈津子は、ガッチャマンの歌を歌いながらチャッカマンで火をつける。

「二宮、ふいごの用意はいいわね?」

「はっ、はい……」



 ……な~んでこんなことして、汗まみれにならなきゃならないんだぁ?

 何のために風呂に入りにきたのか、分からないじゃないかぁ!



 でも、奈津子が点火されてしまえばもう後戻りはきかないことを知っている二宮には、とにかく従う以外に道はないのだった。

「へいへい、頑張りますとも——」

 ふいごと呼ばれる、火力を増すための送風器具でどんどん火を煽る二宮。

 炉の中で、次第に火の勢いが増し加わっていく。

「……もうひと火力ほしいわね。おばちゃ~ん、もっと簡単に温度を上げるコツってない?」

 壁向こうの番台に聞こえるような大声で、奈津子は叫ぶ。

「枯葉とかおがくずとかブチ込めば、薪が燃えやすくなる足しになるでよ!」

 それを聞いた奈津子は、ゆっくりと二宮を見つめた。

「やっぱり……ボクですか?」

「そう、アンタ」

 二宮は肩を落として、大きなゴミ袋と共に出かけていった。

 銭湯の裏手は、神社のあるちょっとした森だったのだ。



 燃やせ燃やせ真っ赤に燃やせ~と『闘将ダイモス』の歌を歌いながら、奈津子のテンションは上がりまくりだった。

 次から次へと、薪をつぎ足していく奈津子。

 すでに燃え切った薪が、炭のように真黒に変色してゆく。

 奈津子の手足は、すすで真っ黒になった。

 こぼれ落ちる汗をその手で拭うものだから、顔まで真っ黒だ。



「おーい姉ちゃん、まだぬるいぞ~ 頑張ってっか??」

 攻撃モード全開の奈津子は、怒り心頭であった。

「うるさああああああい!」

「ひいいっ ごめんなさい……」

 恐れをなしたオヤジは、それからずっと静かになった。

 周囲も湯気だらけだが、奈津子の頭からも汽車のように煙が上がる。

「こっちは必死こいて沸かしてんだっ! 黙りさらせええええ」

 伽椰子か貞子並に怖い姿と化した奈津子は、まさに鬼であった。



「かっ、係長! おがくず拾っててきましたぁぁぁ」

 これまた、土だらけの汚らしい格好になった二宮が——

 ゴミ袋にパンパンのおがくずを、二袋分も集めて戻ってきた。

「ナイスやあああ二宮! うらっブチ込めやああああ」



 ……一体、どこの組のヤクザか。



 空中に舞う火の粉。飛び散る汗。

「燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろおおおお仮面らいだぁぁぁぁ」

 半狂乱の奈津子。

「科学忍法火の鳥やあああ! 今だ出すんだっブレストファイヤアアアア!」

 二宮も、最近奈津子にかなり影響されつつあるようであった。 



 二人の活躍により、銭湯のお湯はいい湯加減になった。かまの中が高温になったので、あとは一定時間ごとに薪をつぎ足すだけで事足りる。

 おばちゃんは、二人に感謝して涙を流した。

 これ少ないけど、と言って一人三千円の入った封筒をくれた。

 奈津子は初め断ったが、おばちゃんが『是非に』と言うので最後はありがたく受け取った。これで、時給千円で働いたような勘定になる。

 喉の渇いた二人が、おばちゃんに差し入れてもらったラムネをおいしそうにゴクゴク飲んでいる時——。

 二宮が素っ頓狂な声を上げた。

「ああっ、もう行かないと慰安旅行のバスに間に合わないっ!」

「何ですってえええええええ!!」

 時計を見た奈津子は、絶叫した。

「行くよ二宮!」

「ええっ、この恰好のままでですか!?」

 躊躇する二宮を尻目に、奈津子はすでに荷物を抱えて駆け出していた。

「置いていかれてもいいのっ? 四の五の言わずに来なさいっ」



 新宿のバスターミナルに集合した営業課の面々は、大笑いした。

 炭鉱から出てきた鉱夫のように真っ黒な、奈津子と二宮。

 そのままで『黒飴那智黒』の宣伝になりそうである。

「……よくその恰好で電車とか乗れましたね」

 注意する以前に、みな唖然としてしまったというのが本当のところである。

「座席には座らなかったし、つり革も手を拭いてつかんだから問題ないですっ」

 奈津子と二宮は、旅行中ずっと皆の笑いの種になった。



 この二人は、何だか見てて飽きないやー。

 今や奈津子と二宮のカップルは、大海物産になくてはならないスター的存在(?)になっていたのだ。

 決してバカにしているのでも、からかっているのでもない。



 ……うらやましいなぁ。二人で過ごす毎日が、楽しかろうなぁ。



 二人を見て皆、そう思うのだった。

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