第6話『アダルトショップのキセキ』
その電話を、不審に思うべきだった。
八神奈津子がOLになって一人暮らしを始めてからは、お盆と年末年始以外は会うことのない疎遠な弟、恭二からいきなりの電話があったのは、三日前。
「よう、姉貴。相変わらず男っ気はナシかい?」
第一声からして、まったく失礼な弟である。
しかし、彼は自分の方こそ27歳にして結婚相手どころか彼女ができる気配すらないことを、思いっきり棚に上げていた。
このままでは、八神家は断絶する——
大げさだが、縁談のない二人の子どもに、両親は気を揉むことしきりだった。
奈津子にしても、美人とは言えないにしても、カテゴリー的には『マシな』部類に入る。
偏差値で言うと、真ん中よりちょびっとだけ上、くらいか。
合コンに参加したりなど、決して努力していないわけではないのだが……奈津子には、不思議とロマンスが訪れない。
恭二の口の悪さに慣れていた奈津子は、軽く受け流す。
「あんたこそ何よ。急に連絡を寄こすなんて、何かあったの?」
そこで急に、恭二の口調がしおらしくなった。
「姉貴の力を、貸してほしいんだよう!」
恭二の話を要約すると、こうである。
彼は、最近になって転職をした。『成美書店』というお店の雇われ店長らしい。
書店、というからには多分本屋さんのことであろう。
以前からアルバイト募集をしており、新聞のチラシや求人誌などにも広告を出しているのだが、なかなか応募がないのだ、という。
そこで仕方なく、店長自らがアルバイトに任せるような部分も担って頑張っていたらしい。
しかし、今週の土曜日は店長としてどうしても抜けられない出張が入ってしまったのだという。
そしてその日に限って、シフトに入れるバイトの子がたった一人しかいない——。
恭二は、奈津子が土日が休みなのを知っていて、そして腹の立つことに男がいないからどうしても外せない予定などない、ということも計算した上で、奈津子に泣きついてきたのだ。
「お願いっ。朝の11時から夜の10時まで頼むよっ。その代わり、一時間の休憩と食事休憩も入れて、時給1500円出すよ。あと、食費と交通費もこちらで持つから」
初めは乗り気でなかった奈津子も、時給を聞いてキラ~ンと目が輝いた。
業務内容を聞いても、レジで商品のバーコードを読み取って金銭の受け渡しをするだけだという。
それくらいなら、奈津子にもできそうだ。
……えっと、12時間労働だから、1500×12=18000。
おっ、一日のお手伝いにしたらなかなかの額じゃない?
交通費も食費も持ってくれるんなら、その満額丸儲け、ってことねっ。
のどから手が出るほどお小遣いの欲しかった奈津子は、二つ返事で了承してしまったのだった。
そして、土曜日当日。
「えっと、確かこの辺のはず……」
住所と簡単な地図を書き付けたメモを見ながら、奈津子は繁華街をキョロキョロ見回しながら歩いた。
やがて、建物の前面にいかめしい字体で『成美書店』と書かれた大きな看板が視界に入ってきた。
しかし、店の入り口を一望した奈津子は、我が目を疑った。
「なっ、なっなっなっなっなっなっ」
店の名前から本屋だとばかり思っていたその店は、奈津子の予想を見事に裏切った。
AV女優が制服やナース服でにっこり笑っているポスターが所狭しと貼り付けてあり……
ガラス張りの壁からのぞく店内には、まるで図書館のようにDVDがぎっしりと詰まっている。
「恭二のアホ~~~~!!」
詳しく突っ込んで内容を聞かなかった自分もバカだが、恭二に至っては明らかに確信犯だ。
こんな大事なことを伏せておくとは!
詳しいことをわざわざ言えば、断れると踏んで、しらばっくれたのだ。
そう言えば、国道走ってたら 『信長書店』とか 『豊臣書店』とか、戦国大名の名前を冠したふざけたアダルトショップがあったが、あれと似たようなものか。
店内を見ると、確かに本もある。
ただしアイドルや裸の写真集や成人雑誌・エッチ描写ばかりの成年コミックに限られているが。
書店、と言えなくもないが、明らかに詐欺だ。
「じょ、冗談じゃないわよっ」
赤面した奈津子は、クルッと体を反転させて駅へと戻りかけた。
「ちょ、ちょっとお待ちください!!」
突然自動ドアが開いたかと思うと、大学生風の若者が飛び出してきた。
「店長から聞いてますっ。奈津子さん……ですよね?」
違いますっ、と言いたいところだったが、ウソと食品偽装が何よりもキライな奈津子は、思わず正直に 「ハイ」と言ってしまった。
店員らしいその子は、ガバッと歩道に土下座をした。
そして、奈津子の目を見ながら、切実な声で訴えてきた。
「お願いしますっ。あなたにすれば扱ってるモノは品のないものですが、まっとうな商売をやって頑張ってますっ。今日は一日ボク一人なんで、奈津子さんがいてくださらないと、休憩も食事もタイヘンなんですぅ~」
奈津子は、腕組みをして哀れな店員を見下ろした。
なかなかの好青年である。
奈津子が抱いていた、アダルトショップの店員像とはかけ離れていた。
彼女の一人いても、全然おかしくはない。
ま、騙されたとはいえ、ここで私が逃げたら弟も困るだろう。
それに、食事休憩もままならず働く苦痛は分かるから、見過ごすに忍びない。
何より、『まっとうな商売』というセリフに負けた。
販売ということに関わっている奈津子は、困っている商売人を見て放っておけなかった。
「分かったわよ。やりゃあいいんでしょ、やりゃあ!!」
フンッ、と荒く鼻息をついた奈津子は、ドスドスと自動ドアをくぐり、店内に入っていく。
「あ、ありがとうございますっ!」
奈津子の後ろから揉み手をしながら、腰の低い青年はヒョコヒョコとついていった。
「新田瞬、っていいます。今日は一日よろしくお願いしますっ」
W大経済学部の学生で、この店の数少ないバイトの一人だった。勤続3年で、雇われ店長として最近入った恭二よりもこの店では長い。言わば、業務に関してはベテランである。
それにしても、キャプテン翼に出てくる冗談のような名前に驚いた。
たった今会ったばかりだが、きっと奈津子は一生彼の名前を忘れないだろう。
「隼(はやぶさ)シュートできる?」
思わず、奈津子はそう聞いてしまった。
「や、サッカーは苦手っす」
新田君は、そう言って頭をかいた。
今は、まだ11時を過ぎたところだ。実質的な開店は12時かららしい。
「それまでは開店準備の作業になります。店に届いた新入荷商品の仕入れと陳列、そして過去に売れた分の再入荷分の補充とかが主な仕事っす」
どういう服装で来たらいいのか分からなかった奈津子は、いつも会社に行く時のスーツ姿であった。
……こんなことなら、ジーンズにトレーナーで来るんだった。
この店でこの姿で、変に誤解されないかどうか心配になった。
とりあえず、店員用の黄色いエプロンをスーツの上からつけた奈津子は、新田君からレジ打ちの仕方を教わった。
商品の包装に必ず付いているバーコードを読み取ると、PC画面上に商品名と金額が表示される。
合計金額を伝え、受け取った金額を入力すればレシートが発行され、表示されたお釣りを渡す。
至極分かりやすいシステムだ。
「特価品とか割引のシール貼ってるやつは、処理がややこしいので僕を呼んでください。それ以外でも、何か聞かれて分からなかったりした時も遠慮なく声をかけてくださいね。それじゃ、僕は新商品の仕入れ作業を奥でやってますんで、店番お願いいたします」
奈津子は、とうとう単身、店を任されてしまった。
ついに、時は12時を刻んだ。
足マットや灰皿、『新作・新レーベル続々入荷!』とか『中古買取強化!』などと書かれた旗のついたのぼりは、新田君がすべて準備した。
二人・三人と店内に客の男たちが吸い込まれてゆく。
そして、それを迎え撃つは——
この店始まって以来初めての女性店員、奈津子。
さすがに、開店してすぐに商品をレジに持ってくるツワモノはいないようだ。
やはり、そこはゆっくりと品定めをしてから来るのだろう。
奈津子がザッと商品を観察した感じでは、新作DVD一本が¥2500~¥3800くらいが主流であった。
廉価版や中古になると1000円台とか、もっと安いもので500円なんてのもある。
大昔、映画などのビデオテープが1万円以上した時代のことを考えると、まぁ安くなったものだ。
さきほど、新田君が業界のことを色々説明してくれた。
……ひと昔前までは、AV見るのなんて皆レンタルで済ませてきたんですけどね。
最近になってメーカー同士の競争激化で価格も下がり、レンタル向け商品よりもより品質の良い、マニアなニーズにも応えた作品も充実してきたから、このセルビデオの商売が成り立つんです。
買ったAVを見飽きたら、客はこちらへ買い取りに出してきます。
そしてそのお金に少し足して、また新しいのを買う。
そう考えると、それほど目玉の飛び出るお金はかからないんで、財布の紐もゆるむんですよ。
なるほど——
初めはただただバカにして軽蔑していたが、ビジネスマンとして勉強になる部分も多く、かえって別な世界をのぞき見れて奈津子は喜んでさえいた。
……でもですね、最近TSUTAYAなどのレンタル店でもですねー
本来は置くべきでないセル専用の作品が、レンタル解禁になってしまっているんですね。
さすがにそこはまだ規制があって、全部が全部ではなくごく限られた作品だけなんですけど。
それでもやっぱり、こちらとしては歓迎できない状況です。
新作だけでなく、良質な過去作品とて立派な収入源ですからね。
レンタルにあるから、とそっちを利用されるのはやっぱり悲しいもんですよ。
……商売の世界って、どこでも戦いなんだなぁ。
奈津子は、改めて気合いが入った。
「いらっしゃいませっ」
自動ドアが開いて入ってきた中年男性に、奈津子は元気よく声をかけた。
何気なくレジを振り向いた客は、驚愕の表情を浮かべた。
「ひいいいいっ」
ひきつけを起こしたように体をのけぞらせながら、客はヒョコヒョコと、店の奥へと吸い込まれるように消えていった。
……しっかし、店広いな。
さっきの新田君の説明によると、ビデオが二万本はあるらしい。
「デカいとこだと、もっとありますよ。映画とかも入れて4・5万本とか」
奈津子には、信じられない世界だった。
……例えシチュエーションが違っても、要するに内容は…エッチでしょ?
そんなに無数に作品生み出さきゃいけないわけ? 男というのはよく分からん。
新田君によると毎日、しかも日によっては50本近い新作が入荷されてくるんだそうだ。
そして売れなくなったものをドンドン返品していくから、新陳代謝の良すぎる子どもの体のようなシステムだ。
……へぇ~男の人にしてみたら、どれも違うのかね~
ヒマな奈津子は、後ろの棚に並んだ在庫のビデオを片っ端から眺めては、つぶさに観察しまくった。
今日一日だけの店番でいいのに、一体どこでその知識を生かすというのか?
開店から20分。ようやく、一人の客がレジ前に立った。
「すみませ~ん」
よく見ると、さっき挨拶した中年男性だ。
「いらっしゃいませっ」
奈津子は気合十分で、機械で商品のバーコードをこすりにかかった。
しかし。中年男性がびっくり仰天してしまうことが起きた。
「え~、『ミラクル美乳』 一点、『沙樹の制服エッチ』 一点、『萌えあがる募集若妻』 一点……」
「ちょちょちょちょちょちょちょちょちょちょちょ」
店内の客が、みな青ざめて振り返る。
さぁ、あわてたのは客の男性である。
奈津子は、スーパーのレジのおばちゃんよろしく、いちいち商品を読み上げだしたのだ!
てか、最近はスーパーだって声を出すところはほとんどないであろう。
これには、客の男性も恥ずかしくて穴があったら入りたくなった。
……いや、決してヘンな意味ではなくて。
「ななななななな奈津子さんっ!」
店の奥の事務所から、新田君が飛び出してきた。
「ただ、バーコードこするだけでいいんですっ! 商品の合計金額とお預かりとお釣りだけ、声を出してくださいっ」
新田は男性客に謝ると、再び姿を消した。
奈津子は、言われたとおり静かにレジ業務を行った。
しかし、奈津子がいちいち商品を手にとって凝視するので、客の男は結局恥ずかしさから解放されることはなかった。
最後の商品のパッケージを見た奈津子は凍りついた。
『児童売○投稿ビデオ 子○しか愛せない大人たち』
アダルトビデオの存在もある程度仕方ないか、などと思い始めていた奈津子も、これには大憤慨した。
商品を持つ手が、プルプルと震える。
「こ、こりゃまずいっしょ!?」
店員の信じられない言葉に驚いたのは、客だ。
商品を買ってもらって本来なら有難がるべき店員が、客の趣味に対してこりゃないだろ、と難癖をつけてきているのであるから——
「な、なに?」
男性は、自分が何か悪者にでもなったかのような錯覚に囚われた。
思わず、商品を棚に戻してより健全な(そんなものあるのか!?)作品に変えなければ、という義務感のようなものが、彼を襲った。
「や、やっぱまずいですかね…?」
すると、また奥から新田君が転げ出てきた。
かわいそうに、これでは落ち着いて仕入れ作業もできないだろうに!
奈津子が来たことで、より神経の細る思いを強いられている新田君だった。
「ななななな奈津子さん! ちょっと事務所のほうへっ」
わっ、私はただ……と叫びながらジタバタする奈津子を後から羽交い絞めにして、事務所に連れ込み閉じ込めた。
「どうも、申し訳ございません。新人の店員なもので……」
ひきつった笑顔を浮かべ、ペコペコ頭を下げながら新田君はレジを守った。
そして、店内全体に放送で呼びかける。
「え~、ただ今タイヘンお見苦しい部分がありましたことをお詫びいたしますっ。レジにて商品名を読み上げたり、お買いになった商品に文句を言うなどということは絶対にありませんので、どうか安心してお買い求めくださいませっ」
30分後。
新田君からみっちりと注意を受けた奈津子は、再びレジに立った。
「確かに、いい趣味じゃないと言えばそうですけどっ、ウチは客商売なんっす! 何買ってくれるんでも、お客様は神様ですっ。それに、ああいうものはたいがいが18歳以上のモデルを使った『ヤラセ』のようなものですから。奈津子さんがヘンな心配をしなくてもいいっす」
奈津子は、複雑な心境だった。
確かに、お客さんのニーズに答えることは大事だ。
しかし、こういうものまであえて提供するのが、金儲けとはいえ果たしてよいことなのだろうか?
いくら子ども役が18歳以上だったとしても、そういう嗜好を助長するというのはいかがなものか?
しかし、弟の顔を潰すわけにもいかなかった奈津子は、我慢することにした。
やがて、眼鏡をかけた小太りの若者が奈津子の前に現れた。
「すいまっせん。ちょっとお聞きしたんですけど……」
9割方、奈津子に答えられるはずがないのだから、新田君を呼ぶほうが確実だ。
しかし、何でも自分の力でやってみたかった奈津子は冒険に出た。
「はい、何でしょう?」
若者は、ズレた眼鏡を上げて不思議そうな表情をした。
ホントにこの人で分かるんかいな? とでも言いたげだ。
「探して見つからなかったんですけど…『巨乳プリンプリン物語 Vol.3』 って、在庫ありますか?」
「はぁ?」
奈津子は、必死で想像した。
プリンプリン物語、って——?
……『プリンプリン物語』っていう人形劇のことじゃあないよね、きっと。
「少々お待ちくださいっ」
奈津子は、レジにあるPCを必死に操作しだした。
このレジ用のPCは、タイトルや女優名から商品の在庫が確認できるようになっている。
さっそく、『プリンプリン物語』と入力して、検索ボタンをクリックするとー
巨乳プリンプリン物語 vol.1~3
メーカー : Moodyz
価格 : 各¥2,850 (税込)
在庫 : vol.1 (女優:北川瞳) →3 /vol.2 (女優:仁科百華) →2 /vol.3 (女優:浜崎りお) →1
……おおっ、一本在庫があるじゃないの! 私も、やればできるのよっ。
「あのっ、一本在庫があるみたいなんですけど」
奈津子は、店内の見取り図を片手に店内を歩いた。
取り扱うメーカーが100以上あり、それぞれにコーナーがある。
迷路のような棚と棚の間を、必死で捜し歩く。
ようやくムーディーズというメーカーの棚まで来た。
うしろからついてきた眼鏡の若者は、心配気に言う。
「そこ、さっき僕も探してみたんですけど…」
なるほど、奈津子がそこを探してみても、若者が言うようにそのビデオは見つからなかった。
しかし、データベースに間違いがなければ、絶対に1から3まで店内に置いてあるはずなのだ。
「う~む」
腕組みをして、奈津子は考え込んだ。
何かが、心に引っかかる。
……巨乳、巨乳、巨乳——
「そうかっ」
いきなり奈津子はダッシュした。あわてて若者も後に続く。
「あったーっ!」
奈津子の指差す先には、プリンプリン物語のDVDが燦然と輝いていた!
若者は、感嘆の声を上げた。
「そうかっ、『巨乳作品の特集コーナー』にあったのかぁ!」
喜んで、若者は vol.3 をつかんだ。
「……ところで、あなたこのvol.1 とvol.2 は買ったの?」
奈津子は、何気なしに聞いた。
「いえ、僕は浜崎りおちゃんのファンなんで、3だけが目当てなんです」
まるで、背後で尺八の渋い音でも鳴ったかのように、奈津子の顔が険しくなった。
「何ですって! あなたには 『巨乳愛スピリット』 っていうものがないわけぇ!?」
若者は、奈津子の予想外の言葉に驚いた。
「はぁ。巨乳愛スピリット…ですか」
さらに無茶な熱弁を振るう奈津子。
「巨乳をこよなく愛さなくてどうするのっ。あなたの清きその一本の購入が、このシリーズの存続を支えるのっ。全部揃えることで少しでも売り上げが上がれば、回り回ってそれに出演したりおちゃんのお株だって上がる、ってもんでしょ。違う?」
ムチャクチャな理論である。極めつけに、奈津子は歌いだした。
♪ 巨乳を愛するひ~と~は~ こ~ころ清き人~ ♪
絶対ウソや! 歌ってる本人がそう思ったが、この際、売れれば何でもいい。
またズレた眼鏡を上げた若者は、1~3まで全巻つかんだ。
「か、買いますっ! 食わず嫌いなだけで、もしかしたら他の子も結構いい子かもしんないし……」
ほとんど、押し売りスレスレである。
新田君が近くにいたら、さぞ青ざめたことだろう。
そこから、奈津子の快進撃は続いた。
巧みな話術で、本来客の買う予定でなかったものまでどんどん買わせていった。
店員が女性、というもの珍しさも手伝った形となった。
暇があれば、10箇所あまりを映し出す防犯カメラを食い入るように眺めた。
その結果、万引き犯を捕まえることに成功した。
買わない商品を持って入り口を出るとブザーが鳴るのだが、最近の知能犯はパッケージに仕掛けがあるのを知っていて、中身のDVDだけをこじ開けて持っていく、というズルいことをするのだ。
普通なら警察にすぐ通報するところだが、あまりにも犯人が泣いて頼むので、奈津子は彼と取引をした。なんとDVDを十本買っていくことで、見逃すことにしたのだ。
「今、そんなに持ち合わせがないんですけど」
動じることなく、奈津子は冷たく言い放つ。
「クレジットカード決済があるでしょ?」
「…はい」
奈津子はどこまでも鬼であった。
「係長、こんなとこで一体何やってるんすかぁ!?」
店の自動ドアをくぐった大海物産の社員、二宮は叫んだ。
彼は、販売企画二係の係長、奈津子の部下である。
土曜日ではあったが、早急に奈津子に目を通して欲しい企画書があった二宮は、奈津子の居所を尋ねてわざわざここまで来たのだ。
奈津子に場所は教わったが、まさかアダルトの店だとは思っていなかった。
「ああ、二宮。ちょうどいい、お前も何か一本買っていきなさい」
「はぁ?」
……そんな恥ずかしいこと、できるわけないじゃないか!
よりによって係長に、『これください』 なんてAV持っていけるかよ!
嫌がっているのが顔に出ていたのだろう。奈津子は瞬時にそれを悟り——
「二宮。これは係長命令ですっ。あんたの大好き~なエッチビデオを選んで、さっさと持ってきなさいっ。制限時間は今から20分」
「そそそそそそそそそんな殺生な!」
反論したって、覆るわけがない。
奈津子とは長年の付き合いで、二ノ宮にはそれが分かっていた。
彼は死刑台に立つ心境で、肩を落として売り場へと歩いていった。
粘着気質の奈津子は、ちゃんとストップウォッチでタイムまで計りだした。
しばらくして、二宮がレジへやって来た。
「こっ、こっ、これで……」
二宮から商品をひったくった奈津子は、顔をしかめてそれを見つめた。
それは、『吉木りさ』というグラビアアイドルの水着姿をひたすら撮った、イメージビデオと呼ばれる超ソフト路線のビデオだった。
「こらっ、二宮!」
ヘビににらまれたカエルのように、二宮は固まった。
「ひいいいいっ」
ラーメンの鬼・佐野実に匹敵する厳しさである。
「お前は、本当に見たいものを選んだんじゃなぁぁい! ただ、無難なものをイヤイヤ持って来ただけだぁ! 本当にあんたがたまらなく興奮するものを持ってきなさいっ」
さすがに、長い付き合いの奈津子も同じく二宮のことはお見通しであった。
「は、はいっ」
本来は仕事の話で来たのだということを、洗脳されたかのように忘れてしまった二宮なのであった。
親に悪い点数のテストでも見せにくるかのような元気のなさで、二宮は足を引きずるようにしてレジへ再びやって来た。
明らかに、顔色が悪い。
「どれどれ」
奈津子は、原稿を持ってこられた編集長のような偉そうな感じで、ジロジロとそのDVDを眺め回す。
「『犯られまくる淫乱ドM女教師』? まぁ、すごいタイトルだわね。あんたがこういう方面を好きだったとは意外ね。てっきりロリ系が好みかと思っていたのに」
その言葉を聞いて二宮は、握りこぶしをつくってギュッと力を込めた。
奈津子は、自分のしたことを後悔するほどびっくりした。
涙が、二宮の頬を伝う。
「違う!」
その絶叫に、店内の客はみな驚いて二宮に注目した。
「僕が、僕が本当に好きなのはっ……」
遠くのコーナーにいた客も、興味津々で遠巻きにレジに近付いてくる。
皆、声にこそ出さないがー
「本当に好きなのは、一体何だっ。さぁ、早く続きを言え!」
……と心の中で叫んでいた。
スゥッと大きく息を吸い込んだ二宮は、またとない爆弾発言をするのだった。
「係長! いや、八神奈津子さん、あなたなんだぁ!」
奈津子は、心臓にくさびを打ち込まれたドラキュラのような顔をした。
新田君を始め、その場の客は凍りついた。
数秒の静寂の後、一人が拍手をした。
それに同調するように、一人・そしてまた一人……。
そして、二人を祝福するような大喝采となった。
こんなところで告白されるのも、冷静に考えれば何だかなぁ、というシチュエーションなのだが。
それでも奈津子は、内心うれしかった。
そして、ちょっぴりだけど涙を流した。
長年の付き合いで二宮のことはよく分かっているつもりだった奈津子も——
この点では、完璧に見落としていたようだ。
午後10時を過ぎて、奈津子と二宮は店を後にした。
その日のその時点での売り上げは、75万。
新田君が言うには、ここ3年ほどで最高の売り上げだという。
良い日でも4・50万。平日の悪い日だと、20万を切ってしまうこともあるそうだ。
この成美書店は、夜の3時まで開けているのだという。3時までの営業で、売り上げはさらに上がるだろう。奈津子はこれで店長の弟君に、大きな貸しをつくったことになる。
新田君は、奈津子に深々と頭を下げた。
「後は任せてください。店長も喜びますよ、本当にお疲れ様でした」
今日はなぜか、やたらに夜空がきれいに見える。
奈津子は顔を赤くしながら二宮に言った。
「あの企画書はあれでOK。休み明けに、大倉課長に直接提出なさい。それと、さっきのことだけど——」
二人の間に気まずい、それでいて何だか心が浮き立つような空気が流れた。
「ホントに、私みたいなのでいいの? 探せばもっと若い子もいるでしょうに」
月を見上げた二宮は、晴れ晴れとした顔をしていた。
「係長じゃなきゃ……ダメなんです」
それを聞いた奈津子は、今までの長いOL生活の苦労のすべてが、吹き飛んだ。
気丈な彼女も、涙を流してグスグスと鼻をすすった。
「係長命令です」
往来の中ではあったが、二宮の腕に自らの腕を絡めた奈津子は、厳かに命じる。
「社外では、私のことは『奈津子』と呼びなさい」
奈津子は今回の一件で、騙されたと言って弟の恭二にかみつくのはやめにした。
だって、弟が二宮の気持ちを知るチャンスをくれたんだから。
かえって、感謝してもいいくらいだ。
もう、『男っ気なし』と陰口を叩かれてきた奈津子ではない。
素敵な恋に、いや愛に——
やっと巡りあえたのだ。
~ 終 ~
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