第7話ヤスミと頼子と……

若い頃……といっても、まだ三十路にまでも大学時代の半分くらいの猶予がある年齢の自分にとって10年の歳月も長いとは言い難い。なぜなら、今の年齢から10年以上を遡ると頼子は経験値不足な未成年になってしまい、それ以上、たとえ半分の5年でも過去へ戻ればやっと自慰に目覚めたばかり中学生。

ほとんど、子ども。ハッキリ言えばガキなのであって、本当は興味深々、性欲盛々のくせに同性との恋愛どころか、コソコソやってるヘタな自慰にすら背徳的罪悪感を持っていた頃になってしまう。


――おー。青っ臭さっ。……ったく、恥ずかしいんだよ、中学生の私。生理の出血を『痔病』と勘違いして大騒ぎする馬鹿ガキが詰んない同人誌に参加して、やれBLだ、これは百合でございます……なんてのが笑わせるのだよ。おまえなんかに、レズビアンの何が解るんだ、なにが?


解る訳ないだろ。相手は15歳の子どもだよ。


あまりにも口汚ない罵り方に心の声が自重を促すけれど、憎い相手は昔の自分なので容赦がない。


――もう。まったく。あれが、将来、作家業に就けるって言うんだから世の中、間違ってる。頼子先輩も頼子先輩だよ。あんなだった私に、優しく丁寧に句読点の位置からピリオドの打ち方まで教えてくれちゃってさ。こら、青ガキの私。先輩に感謝しろってんだ!


……いや。感謝はいつもしてるな。

自分で青臭い自分にキレている場合ではない。

こうやって関係ない事に気を取られて、話が逸れるから何度も原稿を書きなおすはめになるのだ。

冷静になれ。馬鹿ガキの私は、もういない。



……よし。冷静になったぞ。

そうだ。そもそも私の創作技術は、先輩が教えてくれたんだ。先輩の好きな表現や言いまわし、得意なフレーズも、みんな私の中で生きていて、それを職業として自分の独立した生活を守ってる。

いろいろダメな私に、どうにかだけど食べていける技術も貰ったんだ。


……ああ。私の中に先輩がいる……!


そう思うと、胸が熱くなって、頼子は涙が出るほどの愛おしさに自らの両腕に自身の身を抱きすくめて、深く熱い吐息をついた。

先輩は、子どもの背伸び遊びに毛がはえた程度だった私の文才を、誰よりも早く、高く評価してくれた師匠でもあった。パソコンのキーボードを叩く頼子の肩に軽く顎を乗せ、ときにはマウスを動かす手に手を重ねて、頼子が新しい文章を紡ぐたび、嬉しそうに頷き、頬ずりもして、良い文が書けると『うん! 名文! どんどん上手くなるね。ハイ。ご褒美』……そう呟きながら頬に優しくキスしてくれた。


――ご褒美を貰うのが嬉しくて、私、信じられないぐらい頑張っちゃったんだよなぁ。たまにヘタなもの書くと『メッ! こういう事書いちゃあダメ! あとでお仕置きだよ』って。ふふふ。お仕置きとか言って、ご褒美と内容が同じか、もっと気持ちいいコトされるんだもんね。いっぱいお仕置きのときは『かわいい』って言いながら。いっぱいご褒美のときは『愛してる』って。

気がつけば、頼子の両頬は唇を濡らすほどにあふれて、舌の先で舐めると海の水みたいに甘塩っぱい。



「ああ。先輩、先輩! 好き! 好き! 愛してる!」

気がつけば頼子の指先は、いつの間にか、泣いているかのように濡れた花弁の奥深くまで呑み込まれ、もう片方の手のひらは胸のふくらみを激しく揉みしだいていた。


「はぁ、はぁ……SEX…大好き。先輩と同じぐらい大好き。あ、ダメ! 止まらない!でる! 出る!」


頼子は眉間を寄せ唇を噛んで絶頂の衝撃を全身に浴びる瞬間を迎えるための準備を整え終えつつあった。そしてそれは、いや、それも先輩が教えてくれたSEXの頂点。『けものになる呪文』の詠唱によって思考の安定を失い愛情の火薬を炸裂させる魔法。

そのときは突然に訪れる。


「ウッ…出るゥゥ!」


頼子は勢い激しく頭を左右に振りながら、弓形に大きく反り上がって震える腰に制御不能な無重力感を覚え、開ききった花弁から微かに高い水音をたてて湧き出る温湯が手首までを洗い、腰のラインをつたって絨毯にしたたり落ちていくのを感じた。浮いた腰の下は、もう愛の湿地になっている。パシャリと湿った音をさせて浮いた臀部を着地させると、両手のひらに握った乳房をこねるように揺すりながら何波も続けて襲いくる悦楽の波に身体を転がし、先輩の声と口調を真似た獣の呪文を唱え続けた。


「……変身…。私は獣。世界で一番いやらしい淫乱の雌豹。先輩……ヨリコが感染してくれた淫乱は、もう、手の施しようがないの。脳がいやらしく爛(ただ)れてる…あっ…またイク。ああ! もっと、もっと女とセックスしたい。女が欲しい!あ! 堕ちる!」


瞬間。稲妻が走るような快感が電流のように頭から足の爪先までを貫き、子宮の中で爆発する。

それは無限に生まれては、弾け消えて、またうまれてくる泡のような快楽の連鎖。悦楽の地獄と表裏一体の天国。快楽の天使に変身した獣はさらなる悦びと等価の愛情を得なければ己の存在を維持できないことを承知しながら、そのリスクを棄てられない。


――そうよ。だから私は性の狩人になった。快楽の天使でい続けるために。矛盾かもしれないけれど愛し過ぎた先輩を、もっと愛するためには先輩より淫乱である必要があった。他の女を抱くたびに、先輩への純愛を更新できる事を知ったから……。


「……ふう。我ながらインモラル文芸してるよなあ。いやらしすぎっていうかね。普段書いてる作品よりも、こっち方面の方が合ってんじゃないの?」


嵐のような快感と興奮がピークを過ぎて、頼子は少しだけ冷静さを取り戻していた。

そうだ。先輩と出会ったのは大学の文芸サークルで、その実態が秘密のレズビアン倶楽部だったわけだが、その伝統は古く、聞けば1970年代のなかば頃には今と同じスタイルだったという。あえて『今』と表現するのは、現在も後輩たちがよろしくやっていて、OGを含むレズビアンのネットワークが健全と機能しているからだった。6歳歳下で準彼女の南ちゃんと知り合えたのも『百合根党ユリネット』とか『アマゾーン』などの暗号で呼ばれる、その伝統的秘密結社のおかげなわけだ。



矢隅先輩。つまり、頼子先輩だが、そのサークルのホープ的な人で、文章が上手く、文芸雑誌や投稿サイトのコンクールに参加しては、しばしば名門文学賞の最終選考まで名前が残ったり、投稿サイトの月例賞など、小さい賞を何度も獲得していた。


「あたし程度じゃプロは無理だよぉ」


そんな風に苦笑する謙虚な人でもあったけれど、その先輩から受け継いだ技術は、ちゃんとプロの業界で通用しているのだから、やはり先輩には本物の文才があったのだろう。

だからこそ――。

……そう。だから私は憧れの先輩の名前にあやかったペンネームで名門文学賞にチャレンジして、今、読むと、まだ少し未熟だなって解る、それでも一生懸命書いた作品が佳作入選したのをきっかけに作家の道に進むことを決めたんだ。その筆名が……

頼此矢須美よりこのやすみ』。私が先輩のものだって意味で考えた。


『ねえ、この筆名。なんて読むの?』


黒縁メガネが良く似合う美人の初代担当さん。苦笑いするから、私、胸を張って答えたんだ。

「あ、あの……暴走族、ちょっとだけやってましたから。『夜路死苦ヨロシクぅ!』 ……ってカンジで。ハイ」

我ながら無理があると思ったけれど、先方は柔軟に対応して、いい落とし所を見つけてくれた。

『まあ、拘りも有ろうし、さりとて筆名は看板だから読みやすい方が良いし。音の響きは悪くないから、どう? いっそ全部ひらいて『ひらがな』にしてしまっては』


『よし。きまった。それじゃ、キミのことは『ヨリコくん』って呼ぶね。ハハハハハ。何だかどっちが上でどっちが下か解りにくいけど、そういうのも珍しくていいんじゃないのかな!』

この瞬間から私の、名前は『ヨリコ』になった。


自分で自分の両肩を抱きしめて泣いていると、突然に電話が鳴った。

時刻を見ると午前2時。

相手は、南ちゃんだった。

……南? また、何かあったの?

「南ちゃん。どうしたの?」


『起きてた? ……良かった。ねえ。今から部屋に行っていい? ううん、絶対に行くかんね!』


「えっ。い、いいけど。今どこにいるのよ? あんたの部屋でしょ?」


『違う。玄関の前。いいなら開けてよ』


「はあ?! ち、ちょっと待ってっ」


裸のまま起き上がり、玄関のドアスコープに目を近づけるとスマホを耳にあてたまま、オリーブ色のミリタリ鞄を袈裟懸けしたトレンチコート姿の南ちゃんが、ほんとうに、ドアの前にいたので、ヤスミは驚いた。

……うそ。マジで来てる。

ヤスミは慌ててインターホンの受話器を取ると外にいる南ちゃんに告げた。


「びっくりしたあ。今、開けるから早く入って!」


こっちは裸だけど、訪問者が南なら問題ない。チェーンを外し、ドアを内側へ引くと、南ちゃんは、まるで仔犬のように玄関に滑り込むなり、裸のヤスミに抱きつき、唇を重ね、舌を絡ませた。

銀縁の丸眼鏡にキャラメル色の長い三つ編みを揺らして舌を動かす南ちゃんの身体を抱きしめると、コートの下に服を着ていないのがすぐに解った。


「……下着。付けてないんだね」


腰のすぐ下を撫でながら訊くと、南ちゃんはコクンと頷き、ため息まじりな甘い少年声で答えた。


「うん。どうせ、すぐに脱ぐんだし。ひと通り、鞄の中に詰めてきた」


……はあ。何て積極的な。ここまで来る途中で痴漢にでもで出くわしたらどうすんのよ? ホントにばかなんだから。ばか南。

そう思った瞬間、ヤスミの花弁が蜜を流す。

「あたしさ、スミ姉に淫乱、感染されたんだ。責任とって……くれるでしょ?」


可愛いくねだる少年声に応えるかわりに、ヤスミは南ちゃんのコートを脱がせ「ばか。ばか。南のばか」と呟きながら何度も深いキスを繰り返した。


「……淫乱、感染しちゃってゴメンね。私、責任とる。……ほら」


ヤスミは、いわゆる、つるぺたボディの南をじっくりと目で眺めてから、ほんとうにペタんこな胸に実った乳首を口に含み、その甘味を楽しむ。

裸の身体に、まだロングブーツを履いたままのアニメキャラっぽい南の姿を見て、さっき、いちど落ち着いたはずの性欲は一瞬て充填されていた、それも南の美しさと健気さが、ヤスミの心に愛の嵐を巻き起こす。


「こんな夜中に。タクシー代、かかったでしょ?」


「ううん。でも終電過ぎてたから自転車で来ちゃった。どうしてもスミ姉に会いたかったんだよぉ」


それを聞いてヤスミは目を瞬いた。1時間以上はかかる夜道をひとり自転車をこいで走っている南ちゃん……南の姿を思ったら、その健気さと愛しさに目が潤み、涙が頬をつたった。

「……ばか。そんな無茶して。もう、しばらくは帰さないからね!」

優しい声で囁きながら南の裸体を床に倒してブーツを履いたままの両脚を少し乱暴に開くと綺若草を綺麗に剃り落とした桜色の貝をヤスミの舌が舐めあげる。

「うっ……気持ちいい……これをされたかったの。あ…あ…。……ヤスミ。いい。このまま、あたしを犯して!」

「もちろんよ。めっちゃめちゃに犯して、愛してあげる!」

 ヤスミは微妙な舌の動きを少し強め、仰向けになった南の裸体を、それこそ舐めるように鑑賞し、肌の匂いも楽しんだ。


……綺麗。なんて綺麗なの。

妖精。天使と表現するより南の美貌には、そちらが似合う。

しばしば「ハーフなの?」と訊かれ、繁華街を歩いていると欧米かららしき外国人観光客に、道順や、お店の場所を訊かれて……。


「お、おー。ソーリイ。ミー、キャノント・スピークイングリッシュなんだがね。ビコーズ・アイム・ジャパニーズガール・ハア。あたし、英語、よう、せんでかんわぁ。tier,more,tier……ハァ」


……と。テンパって危なげな英語に焦った中部訛りが混じった謎の言語で答える様子や、カートゥーンのキャラみたいにコミカルな表情がたまらなく可愛い。でも、セックスに陶酔しているときの南は、果てしなく美しい妖精そのもの。快感に抗って、さらに強い快楽を求めようとするときに見せる苦悶のそれにも似た眉間のすじ。性欲に任せて絶え間なく紡ぎでる少年声の淫語。達したときに反り返る綺麗な背中を破り、透き通った蜻蛉の羽根が生えてもおかしくないほどの変身は普段とのギャップでさらに彼女の魅力を高める。今もまた……。

「スミ姉! 開いて! 裂けるぐらい開いてあたしの中を見て! スミ姉になら、何されてもいい! 妊娠させて!

 声で答えるかわりに、ヤスミは固くした舌を南の中深く差し込みながら、南の味に既視感を覚えた。

……これ、先輩の味? でも、最近、も味わった。ヤスミが私なんだから、城址公園で私が押し倒したのは……南ちゃんだったってわけ?

そう思った途端、すべての疑問は氷解した。

 そうだった。最近『百合ブーム』だとかで、取引先の版元さんやゲームメーカーから複数のオファーがきたので、無理を承知で、ぜんぶ受けてしまったのだ。

 二十四時間。部屋に引きこもって小説を書く、モチベーション維持のため激しいオナニーをする、また小説を書くの繰り返し。頭の中はレズで一杯。

 食事は片手で食べられる、コンビニのおにぎりやらブリトーやらで済ませ、ラストスパートの頃にはゼリーパックで瞬間栄養補給。平均的な仮眠が三時間程度。

 これで身体に良い訳はないが、全部こなせば、その売り上げは一ヵ月間で百万円を少しオーバーするのだから、お世辞にも売れっ子ではない『やすみよりこ』にとって、こんなチャンスは滅多にない。

 創作というのは、筆者ひとりが登場人物全員になりきって描かないとリアリティが出ない。

 だから、いちどに十数人を相手に脳内乱交パーティー状態になる訳で、途中に仮眠をしたりすると夢と現実の境界線が曖昧になることもある。

 いちばん大事な発想だって無限ではないから、当然、実体験も引っ張り出して、さも創作でございますを装う訳だ。

 この実体験だが、実際の順序通りに思い出すのではないから、時間や時期が前後して、まるで記憶のモザイク状態になる。

 魅力的な女性たちが奔放に、かつ、美しく愛し合うインモラル小説も、その楽屋は惨憺たる無粋の極みなのだが、それでも女とSEXの摂取過多に胸もお腹も壊さないというのだから、我ながら、これも才能なのだろうと『やすみ』の自覚を取り戻した頼子は呆れつつも納得した。

 ……淫乱レズの底なし沼だな、私も。……と。今のフレーズ使えるな。ええと、どの作品の何処に配置すればいーんだ?

このような無茶が一週間続いて、期日通りに作品の脱稿、納品を済ませた時、もう頭はフラフラ、目先はクラクラで、シャワーを浴びる余裕もなく全裸のままベッドに倒れ落ちて爆睡半日。

その睡眠途中、たかぶった神経がオナニーを要求したので、すぐにイケる宝物として大事にしていた『頼子先輩』との思い出の配役をシャッフルして、自分は先輩に、自分の役に、現・恋人の南ちゃんをあてた妄想をオカズにして、あと、ちょっとで絶頂に達っそうというその時に、さきほど……といっても、まだ数時間前だけれど、南ちゃんから『先輩が亡くなった』という衝撃的な電話がかかってきたものだから一時的な記憶の混乱が起きて、今に至ったのだろう。

 タネと仕掛けの辻褄が合えば、それほど怖いものではない。そうだ。この前、南ちゃんと愛し合ったのは、締め切り地獄が始まる数日前。

 そんなに昔の話ではなかったのだが、創作用に作っておいたシチュエーションが淫靡な妄想の装飾として取り込まれてしまったのだ。

 ……あっちゃあ。ダメだねえ、私も。これじゃあ夢野久作の小説もびっくりの記憶混乱じゃんか。

 南ちゃんが達する嬌声を聞き終えて、半分満足すると、ヤスミに戻った頼子は室内灯の豆球がつくる幽かな黄色い灯りの中にスッと立ち上がってドレッサーの姿見に映った自分の裸体と容姿をはっきりと確認した。

 栗色のウェーブがかかったセミロングの髪。睫毛の長い大きな両目。なぜか困ったように見える下がりぎみの眉。

 そんな歳でもないのに、しばしば『ロリBBA』とからかわれる小さな胸、ぽっこりとしたお腹も、どれひとつとっても宝塚系でボーイッシュだった頼子先輩には似ていない、女の子然とした自分が、ちょっと困惑したような表情で鏡の中から、こちらを見ている。

 「……ははあ。ヨリコ先輩になりきって、自分で自分を犯してたってワケか。混乱しとるなあ、私も。……淫乱の混乱」

 そう小声で呟くと、ついでに、しようもない駄洒落が浮かんで、ヤスミはクスクスと笑った。

 すると、いつの間に背後に立ったのか、南ちゃんの温かい両手が、ソフトボールより少し小さなヤスミの胸を、ふんわりと包んでいた。

「ん…………」

 乳首に触れる指の感触が、また性欲を刺激した。それも、愛情をたっぷり含んだ濃厚なやつだ。

「スミ姉。鏡を見ながらひとりでオナニーなんてズルいぞ。……ねえ。するなら、一緒にしようよォ」

『スミ姉』。南ちゃんが専用にしている自分の呼び名。『ヤスミお姉ちゃん』だから『スミ姉』だ。

そう呼ばれている自分は、もう既に南ちゃんを『カノジョ』と呼ぶには相応しくないほど愛していた。

……南ちゃん、ううん。南は、ミナミが今の私の恋人。この娘になら、私を全部あげられる……!

だから、吐息まじりの声でヤスミは囁き、妖精みたいなミナミの身体を抱きしめた。

「ミナミ。愛してる。あんたと一緒なら、私、いつ死んでも良いよ」

「……あたしも愛してる。……ヤスミ。大好き……!

 南ちゃん……恋人と交わす。優しく甘くキス。そのキスは、ちょっぴり涙の味がした。


 かくして、ヤスミの心中で記憶の整理と清算が完了し、作家の『やすみのよりこ』はSNSに『疲労回復のため全休中』とだけツイートして携帯の電源もネットも切断し、恋人とふたりきりの数日を過ごした。

 それから南ちゃんの押し掛け同居が完了するまで、それほどの時間はかからなかった。

もともとサッパリしていて実家とも縁の薄い断捨離性質なミナミは住所変更など、ヤスミにとってはチンプンカンプンな法的手続きをサッサと済ませ、もともと頼子先輩の部屋だった、丘陵中腹の古いマンション。

現・ヤスミ宅の共同世帯主となった。

 同居者がひとり増えた訳だから、何かと物入りもあったが、幻覚をみるほど頑張って稼いだ百万円強の印税や原稿料も、おおいに役立った。もう、ええとこ、新婚生活である。

 しかし、一緒に暮らし始めて、ヤスミが驚いたのは、ミナミの生活能力の高さもそうだが、その創作センスだった。

バイト兼業でヤスミのアシスタントをしながら本格的な投稿作品執筆。もちろん百合小説だ。

 頼子先輩にとってのヤスミがそうであったように、ミナミは、一を教えれば十を理解し百に昇華するという、イマイチ売れないプロのヤスミから見ても天才肌だったのだ。

 少しコミカルな話だが、ミナミの筆力は、いちど愛し合うたびに上達し、知識欲と天然の発想力も手伝ってか、僅かの間に、もう教えるべき技術がない……とヤスミを震撼させるほどの成長をみせたのだから驚くなというほうが無理だった。

 それでもミナミは少しも増長せず、事も無げに言った。

「スミ姉がね、エッチするたびに、あたしの頭に作品の『卵』を生み付けているみたいなんだヨ。それを抱いて温めるのが楽しいの」

 これは、大変な『天才』を拾ってしまったかもしれない。いや、天才だ。

 それなら、私にはふたりの子どもである『作品』を産ませ、育む義務がある……! 頼子先輩が私の才能を孕ませてくれたように……。

 ヤスミが、そんな使命感にかられて、頼子先輩に貰った子種をミナミの脳髄に毎日生み付けるうち、ある日、ミナミは、はにかんだように、こう告げた。


 …………スミ姉。あたし、スミ姉の赤ちゃん、できたみたい。


そして、三カ月後。ふたりの頭に身籠もって、ふたりの指先から生まれた初めての子ども……作品は信じられないほどの賞賛を受けて、一瞬で南をプロの小説家にしてしまった。

その筆名は『保美野やすみのみなみ』。生まれ変わり、輪廻転生なんてオカルトを云々するつもりもないが、役者が代わってリメイクされた映画を観る感じだ。

初版・百万部越えという、なんだか漫画のような展開に百合根党の仲間たちによる祝賀会が催され、賞賛と祝辞の中で、デビュー早々にヤスミとミナミのユニット結成と結婚も宣言。

積み上げられた見本刷りの山とアマゾーン仲間に囲まれて楽しそうなミナミの笑顔に自らも頬を緩めるヤスミは『私たちの孫だね』と、嬉しそうに囁く頼子先輩の声を聞いた気がした。


『ヤスミと頼子と真夜中に』 完

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ヤスミと頼子と真夜中に……《分割版》 シイカ @shiita

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