第6話結婚の魔法
鏡の中に映った自分のシルエットが妖しく仰け反り激しく頭を振るのを見遣ると、全身を針で刺すような甘美な刺激が容赦なく襲ってきて、思わず歓喜の悲鳴をあげてしまう。
同時に快感の激流に溺れながら大声で呼んだ先輩の名前に驚き、瞑っていた両目を見開き瞬いた。
頼子!? 私の名前じゃない。なによ、ソレ。私と先輩が同じ名前だったってわけ?
そんな馬鹿なことがあるはずないでしょう! そうだ。私はまだ先輩が死んでしまったなんて思っていないから混乱してるのよ。さっき電話で南ちゃんに聞かされるまで、私は、いつも通り記憶の中のヤスミと愛し合ってる最中で急ブレーキのショックを受けたし。
あり得ない話だけれど、仮に、私と先輩の人格が二分割同一だったとしても、片方が死んじゃってるなら、今、先輩をオカズにオナニーをしてる私は誰なわけ? やっぱり頼子は私だよ。でも……先輩の意識とか魂が私の中に入って私になってるのだとしたら、どうだろう?
頼子は落ち着いて考えた。
ーーーそう。よく漫画とかにある恋人同士の人格が入れ替わるってヤツ。ああいうことって絶対にあり得ないのかな? この身体は頼子先輩の。私の容姿は先輩に生き写し。双児姉妹以上に頼子そのもので……。
いや。ほんとうに、そうか?
確かに私はメタルの眼鏡をかけるけれど、コンタクトの方が圧倒的に多い。背も高くないし、髪だって先輩みたいなベリーショートじゃないではないか。
ーー何よ? ぜんぜん似てないじゃん。それじゃ似てるって……性格が?
二重人格っていうなら解るけど、同じ性格がふたつあって容姿が似るのは、ちょっと無理があるような気もするけれど、まあ、あるとして、記憶や経験のまでというのはクローンだってあり得ないのは科学的なデータが証明してるじゃない。……でも。
科学や理屈では説明のつかない不可能をいとも簡単に可能する方法で、それが出来てしまったから、物理的にはふたりでも実質的にはひとりの人間がいる……そんな説明の付け方ならある。
……それが『結婚の魔法』。
頼子は自らが導き出した答えに微かな戦慄を覚えた。
冗談かタチの悪い創り事。人によっては……たぶん、これが大多数の共通見解に落ち着くのだと予測は容易いけれど、私は神経あるいは精神の病気または障害を抱えた人だということになるんだろうし、それを否定したら、そうでなくとも、もっと深刻な病気にされてしまう事ぐらいは冷静に判断できる。他に無理矢理な説明をつけるなら『性癖』だろう。
つまり、慌淫(こういん)ともいうべき淫乱な発情を私の深層心理が自己嫌悪していて、それを善意に肯定するため偽りの個性を演じる虚言癖の一種という解釈。あくまで『癖』だから異常まではいかないので、私は自分を『ちょっと変わった性癖の持ち主』という事にして他人の詮索を回避するための言い訳に使用している。実はこれこそ虚言なのだが、他に他所から見てヘンなところがない以上は仕方ない。嘘は嫌いだけれど自己防衛のためだ。
ほんとうは誰も知らない秘密の真相があるのだけれど医学的にも科学的にもアウトだし、それが証明できたとして、無粋な研究の材料になるのは御免だ。
ーーーーあの魔法の儀式。あれが今の私を生み出したの? ……ああ。それなら私になる前の頼子先輩。真実を教えて。
頼子は左の手首に愛蜜に濡れた中指と人差し指を、そっとあててみた。もう傷痕すら残っていないけれど先輩と私は、ここで心までひとつになった。
そして思い出す。先輩と交わした魔法の儀式のこと。
「手首、切るの? これで?」
頼子は震える小声で先輩に訊いた。
アロマキャンドルの炎が揺らめく仄暗い空間の中で先輩がコクリと頷く。
「そう。切るの。でも、深く切っちゃダメよ。血が出る程度に肌を裂くだけ。傷が残らないように気を付けてね。そう。私が先にやってみせるから、見て覚えて」
落ち着いた声で、そう告げると、先輩は浴室から持ってきた小さな安全カミソリを自分の左手首のの上にあててスッと横に滑らせた。
剃刀が動いた後に一拍遅れて、傷というよりミリペンでひいたような細く小さな線が浮かび上がったかと思うと、それはやがて切れた皮膚から滲み出た先輩の血だと認識できるまで、たっぷり三十秒はかかった。それほど浅く小さな傷だった。
「ね? こんな風に。怪我にしちゃダメ。これ、破瓜の血と痛みを意味する儀式だから。幸せを感じる痛みと血じゃないといけないの。わかる?」
「う……うん。」
頼子はコクリと頷くと、先輩がしたように、右手首に剃刀をあてて、そっとうごかした。痛みは殆どない。どちらかと言えばヒンヤリと冷たい感じだ。
痛みだけをいえば、指先が自分の子宮口に届いたときのほうが何倍も痛かったし、出血量にしても、たぶんそうだと思えた。
「……痛い?」
先輩の訊く優しい声に頼子は首を横に振って答えた。
「ううん。ぜんぜん。調理実習で指切ったときのほうが、ずっと痛かった。それに……」
「それに?」
「先輩の肌を切った剃刀で切れたんだなって思うと、なんか、嬉しい」
はにかんだ頼子の声に先輩のあつい吐息が聞こえた。
「それじゃ、いい? ふたりの傷口を重ねて」
「う、うん……ええ、ハイ」
ふたりの手首が重なりお互いの傷口から染み出た血が交じり合ったとき、頼子は軽い眩暈と甘い快感をともなった心臓の痛み、そして胸が熱くなる不思議な感覚をおぼえた。
頭の中に先輩が産み付けた愛の卵から幸せが孵(かえ)る瞬間が迫っているのがわかる。
それは先輩も同じらしくて彼女の喉から小さな嬌声が漏れるのが聞こえた。
「……う」
やがて先輩は、今までにないほどの艶声で魔法の言葉を唱えはじめた。
エコエコアザラク……響け祈りよ。エコエコザメラク……炎と燃えよ。
……そうか。先輩との関係は自然消滅じゃなかった。先輩の記憶や経験は残っているから、私は、私にも先輩にもなれた。
そう。自分でも不思議だけれど、私は頼子で、自身の記憶も先輩の記憶もちゃんと持っている。だとしたら、ヤスミは誰で、どこへ行ったの?
三年前に亡くなったのは、結局、誰なわけ?
南ちゃんは電話で最初にはっきりといっていた。
『……ヤスミさん、亡くなってたんだって。もう、三年近く前らしいよ』
おかしい。確かに、そう聞いたから、その直前まで記憶のヤスミを抱いていた私は、その事実を実感できなくて、それで……。
「えっ? ち、ちょっと待って。何で南ちゃんがヤスミのコトを知ってるの? 紹介どころか、ヤスミの話だってした事ないじゃない!」
先輩の訃報を、知らない人の名前と間違えるなんて不自然だ。でも、南ちゃんも、レズ倶楽部の友だちも、みんな、まるで私とヤスミの関係を知っているような口ぶりだった。
でも、間違えているとも、私をからかっているとも思えない。だいいち、南ちゃんは、亡くなったのは『頼子先輩』だと確認もしたから、今、こうして混乱しているんじゃないか。
そこまで考えたとき、頼子はハッとして、ある事に気づいた。
ーーー南ちゃんって中部の生まれで、同じ言葉を関東のイントネーションと逆さまに発音することがあるけど……まさか。
頼子は南ちゃんと、方言の話で盛り上がったときのことを思い出してみた。
あれは、ふたりで洋風居酒屋に行ったときのこと。
『カレーとカレーってさ、間違えやすいよね』
『南ちゃんが注文したのは、どっちのカレーなの?』
『魚のカレーだわぁ。カレーの唐揚げ。ちゃんとオーダー入ってるか心配でかんね、あたしは。関東では発音が逆さまになるって知らなかったでねー』
南ちゃんは、わざわざ、どことなく可愛い故郷の言葉で言うと苦笑しながら肩をすくめてみせた。
待つ事しばし。運ばれてきた料理は『カレーピラフ』だった。これなら確かに『カレーの唐揚げ』と言えなくもない。
お店側も困惑した末にした出た回答事だろう。
こう来たか! ……しばらく笑って、カレーピラフは仲良くふたりで食べた。
魚の方なら『カレイ』と『イ』の部分をを強調すればいいとアドバイスしたが、本人的には『してるつもりなんだわ』……と、照れ笑いを浮かべていた。
ここに至って、頼子は久しく忘却していた先輩のフルネームを突然に思い出したのだ。
ヤスミさん……そうか。大事な事だから、南ちゃんは最初だけ先輩の苗字を丁寧に……。
やはり亡くなったのは、もうひとりの私、頼子先輩だった。確信した途端、目尻から大粒の涙が流れて頬を濡らした。
どんなに好きで互いに愛し合った人でも近況を知る術が無ければ、その生死すら知ることはなく、知った事で、その人とは、もう二度と逢えない事を実感する。
頼子は、今になって、やっとそれを実感した。
そうか。頼子先輩は、もういないんだ。私が初めて愛した人。出会ったときは他人だった。なのに肉親よりもお互いのこと事を理解し合えた元恋人は、もう、この世にいない。いや、3年前には既にいなかったのだ。便りがないのは元気な証拠……なんていうけれど、できることなら、もういちど逢って、成長した私を抱いて欲しかった。
……抱いて欲しかった? ううん、違う。そうじゃないな。抱かれたいんじゃなくて、成長して大人になった私が10歳年下の頼子先輩を抱きたかったんだ。
これが私の本音だろう。そうでなければ、南ちゃんとだけでは処理しきれない性欲をヤスミと先輩を交互に、ときには、ふたり同時にオカズにしてのエア3Pなんかして夜毎のオナニーにふけったりしない。
そう考えた途端、喪失感は激しい性欲に変わって、脳髄は今すぐに強く甘い恍惚を要求し、それを得るための行為を再開することを身体に命じる。
「はあ……っ……だ、ダメ。……くる…波がくる…あっ。あっ。欲しい! 欲しい!」
「……頼子。私があんたを犯してあげる! さあ、自分の指で花弁を開くのよ。我慢しないで溶けた宝石を漏らしなさい。せんぶ私が飲んであげるから! あんたは誰にも渡さない。私の赤ちゃん孕みなさい。妊娠なさい!」
頼子は二十歳の先輩が耳元で囁いてくれた淫靡な愛の言葉をなぞるように声に出して快感を貪った。
同性が愛し合う術の全てを教えてくれた大好きな先輩の優しい声が記憶の中から呼び掛けてくる。
なんて可愛い淫乱なの、あんたは。違う? ふふふ……嘘いいなさい。ほら、こんなに欲しがってるじゃない。あっ。いい! 私も! そうよ、子どものあんたに、私が淫乱を感染したのよ。ごめんね、淫乱、感染しちゃってゴメンね! そのかわり、私をあげる! 淫乱の楽しい苦痛から解放されるまで私を犯して!何されてもいいから!……ミンのあそこ、舐めさせて。……あんたと私は、ひとつになるのよ。……ふふふ。私たち、名前も似てるんだし、ほんとうに結婚できたらいいね。はあっ……! そう。そうよ。もっと突いて。あうッ! ……ミンは私のお嫁さんになりなさい……。
10年近い刻を経て今も鮮明に輝いている先輩の、淫語に包んだ愛の言葉。ただ、ときおりハリが飛ぶように入ってくる違和感、記憶から欠落していた言葉が気になり、頼子は自分の花弁の中に抜き差ししていた指の動きを止めた。
ーーーなんだっけ? 付き合い始めたばかりの頃だけ先輩が使ってた……言葉? ……ええと。
自慰の陶酔を雑念で妨げることに勝る無粋と不快はないのだけれど、いちど気になってしまうと、せっかくの快感に水をさす。だから、思い出すなら早く思い出して、サッパリしてから先輩への供物を捧げよう。だって先輩がいちばん好きで喜ぶものは、私がいちばん知っているもの。
「……先輩。またあとでね」
頼子は、そう言い置くと、遠くに置き去りにさた記憶の墓場を静かに掘り返し始めた。
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