第5話先輩

「……………」


間違いだ。絶対、どこかで話が行き違ってる。


『……できたら墓前に参って泣いてあげてね。あたしは嫉妬したりしないからさ。……ふう。大事な要件は以上ね。あ。そうそう』


南ちゃんはクスッと笑うと、件の少年声で囁く。


『エヘヘ。さっきの、素敵だったヨ。……大好き。そんじゃ、またね。ちゅっ』


声のカタチがハートになりそうに爽やかキスの音が聞こえて、通話は終了。南のばか。こういうカッコつけた事を平然とするから、こっちも諦めがつかないんじゃないか!

浮気。先輩の事もあるけれど、ヤスミに対して申し訳ない気持ちがツライ。まだ訊きたい事や確かめたい事がたくさんあるけど、この記憶の混乱的な行き違いは自分で解決しなきゃ。



寝間着がわりのTシャツを脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸になって赤い絨毯に身を投げ出すと、その解放感でベッドに横たわるより気持ちが落ち着く。

布団に入るときの頼子は、いつも裸だ。

ドレッサーに脚を向けるのは、闇の帳の中でオナニーに陶酔する自分のシルエットを眺めて興奮を高めるためなのだけれど、今は謎の行き違い現象の正体を明らかにするほうが先だ。頭のモヤモヤがさっぱりしたら、そのあとに迎える絶頂も、ひと味違うだろうから、それを楽しむ準備だけしておけばいい。


ーーさて。何が問題なんだ?


行き違った話を整理するのは、そう難しくないはずだ。仮に、この混乱をミステリー小説に例えると、登場人物は、私、ヤスミ、先輩の3人きり。

探偵役が、私なら残ったふたりのどちらかが被害者で、どちらかが犯人に決まっているから数学的に……というか算数レベルに単純だ。

だけど、これはそう簡単にはいきそうもない。

ここで問題になっているのは、そのうちのひとりが三年前に亡くなっていたという事実。それを、ついさっき突然に知らせた私が少なからず動揺している点。加えて、3人の相互関係が、ちょっと複雑だったから、話自体が混沌としている事。あとは……。

それぞれの距離が作った時間差?


「……時間差……か」


交差させた両手のひらを子宮の真上あたりに置いて自分のお腹を優しく撫でながら頼子は真っ暗な天井を見上げて考えた。

そう。思えば私はヤスミとも先輩とも、ずいぶんと長い間、会っていない。その空白期間のうちに、ヤスミが死んじゃった……そう聞いたはずだったのに、どうしてか実感が無くて。ここを考えるには、ちょっぴりツライ記憶の引き出しを開ける必要がある。それは、頼子がヤスミとの素敵な情事を経て、正式な恋愛への発展を望んだときに遡る。


もう5年。いや、もう少し前になってしまうだろう、ヤスミとふたり、外界と謝絶されたホテルの一室で獣になって過ごした二日間。

サービスで備え置きの安いカップ麺をふたりですすり「あんまり美味しくないね」と、ふたりで笑ったあと、また、ふたりで激しく愛し合って。屋外では太陽が昇り、また沈んでいく時間の経過を時計の数字だけで判断した濃密な愛の中の、空白の一日。

ホテルの部屋から宅配のピザを注文するという、生まれて初めての小さな贅沢もふたりで楽しんだ。

このまま刻が止まって欲しい。わたしたちもろとも世界が滅亡しろ。

あの時ほど真剣に望んだのも初めてだった。

ぼんやりとだけれど、頼子の脳裏に『心中(しんじゅう)』という言葉がよぎるほど、ふたりは愛と性の快楽に溺れていた。かけがえのない幸せが、そこにはあった。


「ヤスミ。お願い! 私の彼女になって! 遊びじゃない、ほんとうに結婚して欲しいのよ。それは、いろんな障壁が一杯あるのだってわかってるけど。でもね! 法律では認められてるんだよ! お願い! 私、もう、ヤスミがいないと死んじゃうよお!」


頼子はベッドの上に正座し両手と額をシーツに擦り付けてヤスミに嘆願した。真剣だった。

でも、その願いは聞き入れてはもらえなかった。

様々あった理由は、心中まで考えた頼子にとっては摘んで捨てろ、クソでも喰らえ程度の詰まらない、あまりにもありきたりなものばかりで概要すら思い出せないけれど、切れ長の目じりから大粒の涙を流しながら、頼子の希望に応えられない事を詫びる涙声と、手のひらで顔を覆うヤスミの震える肩だけが記憶に焼き付いた。


……泣いたなあ。私も。


喉の奥が苦くなるほど、抱き合って泣いた。

結局、別れたくないという点では双方の合意が成立してヤスミは頼子の恋人になるという着地点を得たが、その結論は、実質、新しい彼女が出来た止まりの不完全な恋愛成就だったのだろう。

灼熱の炎と燃える愛の獣は、いつか終わらなくてはならない別離れの怖さを含んだ、毒蛇のように美しい有毒生物みたいな感覚に変化してしまった。


背徳感とは少し違うかもしれないけど、命をあげるぐらい惚れて愛した相手にフラれたのだから、メンタルにダメージを負うのは仕方ない。

もちろん『彼女』としてのヤスミは申し分ない子だったし、この関係を創る事が頼子の、当初の目的だったのに、何かが違ってしまった。


ーー温度差? あんまりバケ学化したくなかったんだけどもね。


暗い天井を見上げて、溜め息ひとつ。

じんわりと瞳が潤み、スンッと鼻を鳴らしている自分の女々しさに、ちょっと苛立ちながら、肘を枕に寝返りをうつ。忘れられない。ううん。忘れたくないんだ、私は、ヤスミのことを。……なのに。

辛い思い出に頼子の胸は擦り傷のように疼いた。

ヤスミの笑顔、肌の匂い。舌の甘みを思い出すと頼子の手、その指先は無意識のうちに、また自分の胸をまさぐり、しっとりと濡れ始めた花弁を慰め始めていた。


「はぁ…はぁ…はぁ…。ヤスミ。あんたはどこへ行っちゃったの?」


暗闇の中で頼子は声に出して過去の記憶の中に生きているヤスミに質した。

彼女になってからのヤスミは、ますます美しくなり、前にもまして頼子を魅了したが、その存在は、 空気のように少しずつ透き通っていった。それは身体を重ねるたびに感じる、喪失感に似た消滅感。例えるなら温かい霧が次第に温もりを失い、ひんやりとした湿気に変わり頼子の身体に染み入ってくる。そんな儚い感覚。

それから1年ほどして、ヤスミは頼子の側から、ほんとうに自然に消えてしまった。少しずつ疎遠になっていったのかもしれないけれど。これも自然消滅というのだろうか?


「……ああ、ヤスミ。ばか。ヤスミのばか。……。ウ。わ、私はあんたが見えなくなっても、こうやって……毎晩、あんたのコトをオカズにしてるんだよ。イクときにはね……名前も呼んでるの。わかる? 私は今でもヤスミだけの淫乱恋人やめられないの……!ごめんね、ヤスミ。で…も、…これだけは、言わせて。ヤスミ! あ、愛して……あうっ!」



身体がびくんと震えて全身が微かに汗ばんで、軽くて小さな飛翔が過ぎた。ほんの少し荒い呼吸の音だけが室内に聞こえて、また、頼子はひとりになる。

そのときの陶酔と痛いほどの愛情を共有した幸福感の記憶が新しい性欲を脳に湧き出させるけれど、今は我慢して、自分の疑問と向き合わなければいけない。

何も心配ない。自分で自分の身体を愛するのは、いつでも、いくらでもできる。

頼子は毛足の長い真紅の絨毯に裸体を横たえ、両目を瞑って大切な記憶をしまってある秘密の沼に心を沐浴させた。そうして自分の艶やかな息遣いを聞きながら、あらためて最初の恋人だった先輩との記憶を辿り始めた。

三年前。既に亡くなったという先輩と私のことを。


 ------浪漫はあったけど。『魔法』っていうのは……。先輩にしては可愛いっていうか、ちょっと幼いコトやったよなー。

忘れてた。私はいつのまにか先輩の歳を追い越していた。死んじゃったのは三年近く前だというけど、私の中の先輩は18歳のままで、今の私から見れば10歳も歳下の子どもなんだ。まだ子どもなんだから仕方ない。だからというのでもないけれど、昔は恥ずかしくて呼びにくかった名前を……先輩は「呼び捨てにして」って、いつも言っていた下の名前を呼んでみる事にした。今は私が『お姉さま』なんだから、それもいいでしょう。


「あ、あっ! 先輩!  ウッ……よ……先輩っ! ううっ!」


 名前を呼ぼうとすると、指先を濡らす花弁から暖かい液体が流れ落ちるのがわかった。

人差し指と中指で分け開いた花園の中心に硬く立てた中指を人差し指と一緒に音がするくらい乱暴に激しく差し入れると、逆巻く快感の渦に飲まれる。

その瞬間、さっきまで忘れていた先輩の名前を大きな声で呼んでいた。

初めて愛して、愛してくれた先輩の名前を。


「よりッ……! 頼子先輩! 頼子おおお! 好き!大好き! あ……愛して……あっ? おちる? おちる! 堕ちるゥーー! きゃああああああ!」

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