第2話 悪意の目覚め

部屋を出発して10分経つ。


ここは、はたして現実なのか?


先程から、景色は如何程にも変わっていない。

その廊下は深い荘厳さに包まれており、地平線の彼方まで続いているような錯覚を受ける。

窓も装飾も一切無いことが余計に、そう思わせてしまう。

いや、実際に広いのだ。

横幅だけを見ても、一般の民家であれば丸ごと入ってしまうだろう。


天井に至っては最早


そして驚くべきは、分かれ道の数。

枝分かれなんてものじゃない。

少女は既に、3桁を超えるであろう数の分かれ道を通り過ぎている。


―――とうに帰路は少女の頭から消えていた。



“このような意匠の建築、ちっとも理解できない”



・・・こんな建物があるの?

構造上ありえない、というか横長すぎる。

ひょっとして、私は地下にいるのか?

それとも異次元空間?

現実感が薄れていく。


そうだ、と少女は思い出す。


この世界に来るまではTVゲームをしていたんだ。

そしたら急に。

TVが光ったんだ。

そこで記憶が途切れてる・・・。


少女「もしかして、この世界はゲームの世界なの・。・?」


突拍子もない推理である。

自分の身が、光に飲み込まれてTVの中に吸い込まれたのだと。


少女は本気で


さっきも思った。

広い廊下ばっかりの建物って現実感がないんだ。

誘拐犯なんて本当にいるかも怪しい。

ここは何処なの。

例えば、私が光に飲み込まれて異世界転生したなら、それはそれで説明がつく。

い、いや、光に飲み込まれた幻覚を見たとか?

誘拐犯がそういう薬を嗅がせて?

でもあの光りようは異常だった。

そこだけははっきりと覚えてるのもどうもね・・・。

自分の記憶がはっきりしないのがこんなにもどかしいなんて。

それに、もしここが異次元だとして、結局この廊下はなんなん!

もう足が悲鳴をあげそうだよぅ。


少女は弱音を吐きたい気持ちを抑えながら、角を曲がって前を見据えた途端。

少女の心拍数が高まる。

小さいが、確かに人影が見えたからだ。


少女「第一村人発見なの・。・!」


少女ははっきりと見える位置まで近づく。

人影は1人、道を遮るように立っていた。

全身真っ黒のレインコートを着ており、手には床材の棒切れを掴んでいる。

後ろ姿なのか、性別が判断できない。

少女は不用心にも、その人影に近づいていく。


少女「ちゃお☆ ちょっと話がしたいなの・。・v」


人影が声の方向に振り向く。

顔がよく見えない。


「・・・! ・・・。」


予想を反して低い声よりも。

顔に意識を逸らされた。


この男の人、何?


冷や汗をかきながら笑っている。

そしていきなり。

男は、げらげらと大爆笑したのだ。

――瞬間。


男は速攻で距離を詰め、手に持った棒切れを少女に向けて振りかぶった。


少女「・。・!」


突然の奇行。

その行為には明らかな殺意が含まれていた。

だが、男は軽く舌打ちをする。


避けていた。


少女は男を用心深く観察していたのだ。

その男に感じたものは鮮烈な悪意。

狂気と憎しみしか感じ取れない。

十人中十人が、同じ印象を感じ取るに違いない。


その男は誰が見ても


少女は恐れた故、無意識に後ろに飛び跳ねていたのだ。

その結果、偶然にも攻撃を避ける事に成功した。

一見おかしな行動だが、今この場では、最も最善な選択となった。


「・・・。」


少女の思考が止まる。


・・・え?

危なかった。

・・・なんで。

怖い!


少女の中で警鐘が響く。

吐き気が止まらない。

だが、男の初手を躱せたという事実が、少女にほんのちょっぴりの勇気を湧き上がらせた。


少女「いきなりなにをするなの・。・!」


「なにをする?決まってるだろ?殺すんだよ。お前ら・。・を全員な!」


少女の思考がまたしても止まる。

次々と予想に反した言葉が飛んでくる。


いや、それよりも。


会話が成立していることに驚きである。

殺すとは言っているが、男は最初の一撃以降襲ってこない。

少女は対話を試みる。

相手が誰であれ、最悪の出会いであれ、今は情報収集が再優先事項なのだと少女は腹を括った。

この奇妙な世界にて、ようやく人間に出会えたのだから。

このチャンスは、少女にとって無視は出来なかった。


少女「ちょっと待つなの・。・!話し合うことはできないなの・。・?」


「・・・?馬鹿か?俺はお前ら・。・を殺すために来てるんだ。」


男は何を今更といった顔で見つめてくる。


殺すために来ている?

私を?

何かの間違いでしょ?


少女「・・・どうして私を殺したいなの・。・?」


至極当然な質問だった。

だが、それが失言であったことを、少女はすぐに後悔した。


「そんなもん・。・が憎いからに決まってるだろうがあああああああああああっ!!!」


男が怒りに震えて叫びだしたからだ。

一瞬で空気が変わる。

少女は半歩、後ずさる。

男もまた半歩、前進する。


「いつもいつも!お前ら・。・はネット上に現れて!変な顔文字使って何処にでも湧いてくるのムカつくんだよ!!どこの界隈にも迷惑かけやがって!!・。・の読み仮名はれいかなのだぁ?!知るかよそんなの!!自称女だと?!嘘つけやあぁ?!中身はどうせ中年のオッサンなんだろうが!!!いい年して恥ずかしくねぇのかよ?!今じゃあ沢山の・。・が生まれ!互いに慣れあって!ネット上各地で悪質な荒らし行為を続けている!!もううんざりなんだよ!!やっと・。・を消せる世界ができたんだ!このチャンスを逃すかよ!」


今もなお、男の怒声は止まらない。

少女はあまりの情報量に頭痛を感じ始めた。


「・。・」。

ネット上で、もっと限定するなら生放送サービスサイトでたまにみる顔文字。

ある一人の女子学生が生み出した顔文字。

チャットで「なの・。・」という語尾をつけるのが特徴だ。


この「・。・」に対して、途方も無い憎しみを抱えていることは理解できる。

確かに、元祖が去った今、「・。・」の顔文字を使う奴にロクな人間はいない。

一定数を除けばほぼオッサンというのも事実だ。

今現在でも、少数の「・。・」たちはネット上各地で、あるいは現実で悪意ある事件を引き起している。

もちろん、それらは世界にとって、取るに足らないものではある。

だがしかし、「・。・」を詳しく調べることは絶対におすすめしない。

その意味を即座に見抜ける者は一定数いるだろうが、何も分からぬほうが明らかに幸せだろう。

不快な思いをせずに済む。

とくに、日本人であるならば。


だけど私は?

確かに私も「・。・」だ!

ネット上で散々使ってきた顔文字だ!

でも、でも私はっ!

善良な一般人だよ!

家で大人しくゲームしてるだけだけの無害な!

私は違うって!

というか・・・逃げないとっ・・・!

ううう。

なに・・・?

頭が痛い・・・。


に襲われながらも、少女はこの後、男に向かって捨て台詞を喚くことになる。



少女「ちょっと待って!色々言いたいことはあるけど!まず始めに私は女!・。・! そりゃ・。・使ってる一部は男かもしれないけど・。・! とにかく! 話が支離滅裂になってるから落ち着くなの・。・!それに、世界ができたってどういうことなのだ・。・? 詳しく教えてほしいなの・。・!」


おかしい。

なぜ私は逃げもせず、だらだらと言葉を発しているの?


男の表情から、光が消える。

火に油なんて比喩では到底到達できない、悪意そのものを少女は垣間見た。


「ああああああっっ!!!! なのなのうるせえぇんだよぉ!!その顔文字も止めろやあぁああ?!!どうせテメェも男なんだろうが?!!?!ぅぅううううああああぁあああああぁああああっ!!!」


瞬間、音も無く火蓋は切られる。


男は一心不乱に棒切れを振り回しながら、走り込んでくる。

少女は驚く間も無く、両腕で頭をガードしようとするも、頬に鈍い痛みが走る。

先程の初撃とは、比べ物にならない程の速さと力。


まるで野球ボールのように。

バットとも言える凶器に打たれて、少女は吹き飛んだのだ。

男は雄叫びを上げ、勝ちを確信した。









少女の中の、何かが目覚めた。


・・・男が狂気に囚われ、正常な思考を失っていたことが功を奏した。

男は気づけない。

少女は壁に叩きつけられながらも受け身を取っていたことに。





壁に叩きつけられるほどの衝撃に面食らったことは確かだよ。

だけどね、そんなの当たらなければいいんだ。

二度と当たるものか。

あの男の攻撃はさっきので見切った。

観察しろ。

男の攻撃パターンを予測、間合い、こちらの勝ち筋・・・。


それらの洞察は一瞬の如く行われた。


そして少女は烈風の如く、男に向かって走り出す。


さすがの男も、一瞬動きを止める。

今にも倒れそうな少女が、急に猛ダッシュしてきたのだから。

その少女の表情は打って変わって余裕の笑み。

己は負けぬと、絶対の確信を持っているように見える。


男は突進に合わせ、攻撃を振りかざすが、少女はそれを最小限の動きで避ける。

素早く間合いに入り込み、男の顎に向けて少女の拳が。


少女の殴打とは思えない音が響く。


男は苦しむ表情をしながら、その場で倒れこむ。


「・・・許さねぇ・・・テメェらは・・・絶対に・・・。」


男は気絶した。

少女が思い描いた勝利の軌跡はまさに、先手必勝であった。

男と少女が邂逅して、わずか2分の出来事である。


倒しちゃった・・・。


そして少女は。


・・・なんなのこの力は!!


今更気づく。


喧嘩なんてしたことない少女がだ。

最初から戦い方を知ってたかのような。

逃げたいという気持ちとは裏腹に、気付いたら体が勝手に動いていた。

そしてその願望を実現させた身体能力。


少女は、自らが起こした「力」に恐怖を抱き始める。

余りに未知すぎるのだ。

戦闘時、少し強気な性格へ様変わりしたことも。

男へ殴りかかる際のダッシュが、人間のそれを遥かに超えていたことも。

自分が自分じゃないような感覚。


「男の人、気絶してるなの・。・ この世界のこと聞きたかったけど・・・、起こしたらまた面倒になりそうなの・。・;」


この男の人・・・普通じゃなかった。

私も何処か普通じゃない・・・。

人を殴ったのなんて初めてだよ・・・。

・・・起きてきたらどうしよう。

冗談じゃない。

早く出口を見つけなくちゃ・・・。


少女は置かれている状況が、予想より遥かに深刻な事態であることを認識する。



少女は散々迷った挙げ句、気絶している男をそのまま放置し、先へ進むことを決意した。

数えきれない分かれ道を乗り越えて、ようやく得た手掛かりを、傍目から見れば投げたすという暴挙。

だが、結果的にそれが正解へと繋がるのだ。





取り残された男の肉体から、闇のオーラが迸る。


、溢れ出る闇は勢いを増していく。

本来、ここで出会うはずのなかった二人。

予想外のイレギュラーは時に、新たなイレギュラーを生み出す。


「許さねぇ・・・許さねぇ・・・。」


意識を失いながらも呟き続ける男。



彼の周りの絨毯が腐った。

木造の壁面が崩れ始めた。

亀裂が走り、黄ばんだ液体が滲み出ていく。






人類史上最悪ともいえる悪意は、今、目覚めつつある。



つづく

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