第14話 五章 抵抗 その2

 午前零時を過ぎるとスライムたちの勢いは落ち着いてきた。一度中に引き入れたせいで数自体は減っており、手ごろな虫や小動物も食べつくしたのか、大きさもほとんど変化はなかった。板塀をよじ登ろうとするスライムこそ少なくなったが、赤紫色の『這いずるものクローラー』たちは板塀の下をうろつき、土を自身の粘液で濡らしていた。


「よし、いいですよ」

 ニコラスの合図でロビンとエドガーは急いではしごを駆け下りた。弾は尽き、何度もスライムを引きはがしたフォークも折れて塀の外へ落ちてしまった。応援も来ない。もはや留まることは死を待つだけだった。三人は撤退を決めた。板塀や門扉は壊れるかもしれないが、武器も道具もなしに守り切れるものではない。無駄死には御免だった。

 ロビンは落ちていた木の枝の先端をかがり火に近づけた。明かりと武器の代わりだった。ここから村の南側まで突っ切らなくてはならない。慣れ親しんだ小さな村ではあるが、命がけだった。スライムの徘徊する今は戦場を歩くようなものだ。事実、北門から南門までは広場を通じてほぼ一直線であるが、暗闇の中をスライムがうごめいている。

 ロビンたちが選んだのは板塀沿いに進むルートである。スライムは村の中心部に集中しているため、数も少ない。

「どうしてこんな目に」

 ロビンがぼやいた。

「ちくしょう、何だよこれ」

 涙目のままぶちぶちと独り言を続けた。

「おう、もう黙れよ」

 エドガーが苛立たしそうにたしなめる。前述のようにスライムは表面が感覚器の役目を果たしている。声を出すのはスライムを呼び寄せる行為である。ロビンたちはスライムの生態については知らなかったが、声を出すのはまずいというのは狩猟の基本である。

「わかっているよ」と不貞腐れたように吐き捨てる。ロビンとて猟師の端くれである。声を出さずにはいられなかった。物見台から今までスライムに襲われるという恐怖の連続で、精神はすり減っていた。スライムの脅威はまだ去っていない。何か話さなければ黙っていれば恐怖に耐えかねて発狂してしまいそうだった。

「外の連中はどうなったのかな」

 スライムを招き入れてからずっと見張り台で村の外を見張っていたが、最後まで人影は見かけなかった。

「そんなもん、決まっているだろ」

 エドガーの不安そうなつぶやきをロビンは鼻で笑った。

「あの数を見たよな。助かるわけねえだろ」

「おいバカ」

 エドガーがロビンの脇を小突いた。振り返ればニコラスが泣き笑いのような顔でまっすぐにロビンを見据えていた。

「悪い、その、悪気はないんだ」

「いいですよ」ニコラスは手を振った。「親父が死ぬわけありませんから」

 笑いながらも目の奥には青い炎のような不安と焦りと恐怖の色が見て取れた。

 三人は途中二回ほどスライムの姿を見かけたが、両方とも一匹だけということもありすぐに振り払うことができた。このままいけるかとも思ったが幸運は続かなかった。半分を過ぎた辺りで、家の陰で横倒しの馬の尻を見かけた。ひっ、とロビンがすくみ上った。近づいてみると、スライムが馬を頭からむさぼっていた。鞍の形から農家のアルミンの馬だと知れた。馬の持ち主がどうなったか三人は知らなかったが、無事だと思いたかった。馬の首から上はスライムの中に埋まっていた。不気味な音だった。熊のようにかみ砕くのではなく、焦げるような、流れるような、まるで溶けた鉄でもすすっているような音だったという。食事に夢中なのか、こちらに向かってくる様子はない。

 逃げようと、エドガーが一瞬走りかけた時、別のスライムが反対側の路地から寄って来るのが見えた。その上、今来た道からもスライムがにじり寄ってきているのが見えた。目の前には馬を食べるスライム、後ろは当然板塀である。逃げ場はない。ロビンは股間が熱く濡れるのを感じた。

「まずい、囲まれたぞ」

「上に逃げましょう」

 ニコラスはそう言うなり家の壁に飛びついた。木製の二階建てである。普通ならよじ登れるものではないが、壁として組まれた板はきれいに削られたものではなく、でこぼこもあり釘がはみ出ている箇所もあったという。そのため壁を登ることもできたのだろう。

 あっという間に屋根の上に登ると、ニコラスは腰ひもを外し、ロビンに向かって垂らした。

 スライムに捕まるより早く、ロビンとエドガーは屋根の上に登ることができた。

 眼下には赤紫色の粘液が、もどかしそうにはい回っている。

「またスライムの上かよ」ロビンがうんざりという感じでぼやいた。

「とにかくこのまま」

 屋根の上に朝までいれば助けも来るかもしれない、と言いかけたエドガーの表情がこわばった。

 火のついたスライムが、三人のいる家に近づいているのが見えた。だが、問題はそれだけではなかった。

 スライムの側には馬小屋がありそこには飼葉が山のように積まれている。引火すればあっという間に燃え上がるのは目に見えていた。

 困惑する二人の前でニコラスがぽつりと言った。

「一か八か、飛び移るしかなさそうですね」

 ロビンとエドガーの顔から血の気が引いた。

 隣の家の屋根までおよそ四フート(約六・四メートル)、地上であれば助走をつければ可能な距離だろうが、不安定な屋根の上では飛び移れるか自信などなかった。失敗すれば、落ちるだけではない。スライムのど真ん中に飛び込む羽目になる。ロビンもエドガーもしり込みするが、ためらっている時間はなかった。スライムが馬小屋に入ると、たちまち飼葉に火が付いた。灰色の煙が上がり、三人のいる屋根の上まで上がってきた。

「俺が先に行きます」

 ニコラスは腰ひもを締め直し、背を屈めると屋根を蹴り、猫のように走り出した。短い助走で一気に速度を上げ、飛び上がった。泳ぐように両腕をばたつかせ、夜空を舞った。もう少しで隣家、と思われた途端、急速に勢いを失い、隣家の壁の前で落ちていく。ロビンは息をのんだ。

 ニコラスの体は自由落下をはじめ、加速しようかという寸前で止まった。背伸びをするように伸ばした両腕が屋根の雨どいをつかんでいた。歯を食いしばり、ニコラスは自身の体を屋根の上まで引き上げた。

 ロビンとエドガーは安堵の息を吐いた。

「さあ、早くこっちに!」

 ニコラスは素早く立ち上がり、呼び掛ける。成功したのが嬉しいのか、弾むような声だったという。ロビンもエドガーも一歩を踏み座せなかった。二人ともニコラスほどの運動能力は持ち合わせていない。失敗すればスライムの海に真っ逆さまだ。おそらく助かるまい。

「早く」

 ニコラスがもう一度呼び掛ける。ためらっている間に炎は二階まで迫っていた。ロビンたちは焦った。想像以上に火の回りが早い。後日、生き残った家族の証言によると、アルミンは祭りが終われば馬を増やす予定であり、既に購入も決めていたという。事前に飼葉も増やしていた。

「早くこっちへ!」

 ニコラスがもどかしげに叫ぶ。スライムは登ってくる気配はないものの家の周りを徘徊してどこかへ去る気配はない。止まっていれば火に巻かれてしまう。迷っている時間だけ状況は不利になる。

「ああ、もうちくしょう!」

 エドガーは髪をかきむしると四、五歩下がり、まっすぐ隣家の屋根の上のニコラスを見据える。やけくそだった。叫びながら助走をつけて走り出そうとした途端、踏みしめた屋根の辺りが陥没した。炎ではなく、老朽化により屋根はもろくなっていた。踏み抜いた屋根板の深さはせいぜい足首程度だったが、既に助走を始めていたため、足を取られて思い切りつんのめってしまった。どうにかこらえようとするが勢いを殺しきれず、エドガーの体は宙に投げ出された。とっさにロビンが腕を伸ばし、エドガーの腰の辺りをつかんだが一度ついた勢いは止められなかった。二人は連なるようにして屋根の上から地面に落下した。重く鈍い音が一瞬響いた。

 苦痛に顔をしかめるロビンとエドガーの周りに好機とばかりにスライムがにじり寄ってきた。四方を囲まれている。

 助けは来なかった。

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