第15話 五章 抵抗 その3

 スライムの襲撃から難を逃れ、バルトはこのまま森の中を突っ切る獣道を駆け抜けて村に戻りたかったが、ケヴィンは村から山頂への舗装された道まで戻るよう提案した。獣道ではまたいつ頭上から襲われるかも知れない。

 一度はかわせたけれど次も上手くいく保証はどこにもなかった。ケヴィンの案に従い、一度山道に戻ろうとした時、悲鳴が聞こえた。

 バルトは声の主をすぐに察した。あの声は聞き覚えがある。小さな村のことであるし、バルトは顔も広い。

 そのバルトがまず思ったのは「どうしてこんなところに?」という疑問だった。

 ケヴィンも足を止め、耳を澄ましている。

 もう一度悲鳴が聞こえた。ケヴィンは獣道を走り、声の方へと向かった。

 バルトも後を追った。反論の余地はなかった。

 悲鳴は小さな女の子のものだった。

 

 ここで時計の針を少し巻き戻す。

 村の惨劇など知ることもなく、ヴィオラとエリカは夜の森の中にいた。

 虫かごの蛍をカンテラ代わりに獣道を歩いていた。エリカを先頭に、そのすぐ後ろにひっつきながらヴィオラが続いた。

 村をひそかに抜け出した二人の冒険は最初からトラブル続きだった。道に迷って何度も同じ道をぐるぐる回る羽目になった。曇り空なので途中何度か転びそうになった。おまけに熊でもイノシシでもない、大きな動くものがしょっちゅうそこらを動き回っているため、木の上に登ったり物陰に隠れたりしなければならなかった。遠くなのではっきりとはよく見えなかったけれど、図体がでかいわりにとにかくのろまでどこかへ行ってしまうまでにじりじりしながら待たなくてはならなかった。あんな怪物は今まで見たことがなかった。おまけに途中からは銃声まで聞こえるようになった。帰りたい、とヴィオラは何度もぐずった。その度にエリカは「ハチミツ分けてあげないよ」「ここまで来たんだから最後まで行こうよ」と脅したりなだめすかしたりして引っ張ってきた。

 不幸中の幸いは、あの変なもの以外は怖い獣が出てこなかったことだ。熊や狼どころか、ウサギも蛇もフクロウも出てこない。風もないため不安をかき立てられるような枝葉のこすれる音もしない。静かだ。

 どのくらい歩いただろうか。やっとのことで獣道を抜けると小さな花畑に出た。白い花や黄色い花かがたくさん咲いていて、昼間はとてもきれいなのに今は気味が悪い。

 花畑の向こう、ちょうど二人が出てきたのと反対側に小さな楓の木が生えている。

「あの木だ」

 あの木の枝に蜂の巣がある。

 二人は花畑を突っ切って、楓の木の前に出た。エプロンドレスに花びらや花粉がついたが、お構いなしだ。

「あった」

 エリカがうれしそうに声を上げた。蛍火のカンテラをかざすと、楓の木の枝の下あたりに蜂の巣が垂れ下がっている。

「無事だね」

 ヴィオラも顔をほころばせる。熊の足跡もない。きっとまだここには来ていないんだ。

「それじゃあ戻ろうか」

 無事を確認した以上、早く戻らないとお父さんやお母さんにしかられてしまう。

「ねえ」とエリカがヴィオラの袖を引っ張る。

「どうせなら蜂の巣を持って帰らない?」

「ええ」とヴィオラは目玉が飛び出そうなほどびっくりした。

「ムリだよ」

 蜂の巣をつつけば蜂が怒って刺しに来るから近づいちゃダメだとお父さんもお母さんも言っていた。

 だから今回も遠くから確認にするだけのつもりだった。

「大丈夫だよ、ほら。蜂もいないじゃない」

 確かに、いつもならおっかない羽音を立てて巣の周りを飛び回っているミツバチたちが今は一匹も飛び回っていない。養蜂箱に入っているハチミツを取るのは悪いことだけれど、蜂が自然に作った巣からハチミツを取っても罪にはならない、と神父様もおっしゃっていた。

「でも、あんなに高いよ」

 蜂の巣はエリカとヴィオラの頭上にある。大人の背丈ほどもあるだろう。自分たちにとれるとは思えない。

「これで落っことせばいいんだよ」

 そう言ってエリカが拾い上げたのは長い木の枝である。虫かごをヴィオラに手渡し、両手でびゅんびゅんと威勢よく振り回すが、どうにも足下が頼りない。木の枝に振り回されている感じがする。

 案の定、振り上げたとたん、エリカはバランスを崩して尻もちをついてしまう。よっぽど痛かったのか、しかめっ面をしていた。

「やっぱりムリだよ」ヴィオラがその顔をのぞき込みながら言うと、エリカは大人びた(大人たちが言うところのこましゃくれた)顔を作った。

「平気よ、二人がかりなら」

 蛍の虫かごを足下に置いて、二人で木の枝を振り上げると、頭上の蜂の巣をえいえいと叩く。

 最初はおっかなびっくりだったけれど何度叩いても蜂の巣からミツバチが飛び出してくる様子はなかった。そこで思い切って力を込めて何度も枝を打ち付けるとようやく蜂の巣は木から転げ落ちた。

「やった」

 エリカは木の枝を離すと虫かごを拾い、蛍の光で蜂の巣を照らし出す。

「あるよ、ハチミツ」

 黄白色をしたかたまりが何個も巣に付いている。これを溶かせばハチミツの完成だ。

「でも、どうして蜂がいないんだろう」

「きっと引っ越ししたんでしょ。この辺りは熊がうるさいからね」

 ヴィオラの当然の疑問をエリカは訳知り顔で言い捨てた。

「そうだ」と熊の恐怖を思い出してヴィオラは真っ青になる。

「ねえ、早く戻ろう」

「そうだね」エリカは大きな布を取り出した。蜂の巣をそこに運び、おおざっぱな手つきでくるんだ。あっという間に完成した包みを重たそうに背負った。

「それじゃあ蛍はヴィオラが持ってね」

 言われたとおり、蛍の虫かごを手に持つ。来た時とは逆にヴィオラが先頭だ。

 引き上げようと意気揚々と花畑の中に足を踏み入れた。

 その時だった。

 花畑の中で何かが動いた気がした。気のせいではない。風のない花畑で確かに花や茎や葉が揺らめいた。

 もしかして、熊? ヴィオラは怖気をふるった。

「誰かいるの? 熊さん?」

 絵本に出てくるような優しい熊だといいなあ、と都合のいい期待しながら虫かごをかざした。現実は予想も期待も超えていた。

 大きなねばねばした変な生き物が花畑の中から這い出てくるのが見えた。おなかの中にはミツバチの頭や足が固められたように浮いている。

 二人は悲鳴を上げた。

 わけもわからず木の向こうに隠れようとした時、ぼとり、と楓の上から粘っこいものが落ちてきた。

 やはり赤紫色をした、粘っこいかたまりのようなものがぷるぷる震えながら這いずるように二人に近づいてくる。

 二人はもう一度悲鳴を上げて逃げ出した。あれが何なのかはわからないけれど、とても怖いものだと言うことは直感的に理解できた。木の上から落ちてきた変な奴のおなかの中にも鳥の頭や虫の頭が見えた。あれに捕まったらきっと食べられてしまう。花畑を遠回りしながら来た道へ戻ろうとするその行く手を三匹目の変なものが通せんぼした。

 エリカは足を止め、一瞬迷ったものの花畑の方に飛び込んだ。ヴィオラも後を追った。

 花畑を踏み分け、かき分けながら進むと後ろでふっと暗くなった。

 思わず振り返ると、放り出した虫かごを木の上から落ちてきたやつがおなかの中にぺろりと納めていた。怖くなってヴィオラはもっと勢いよく走り出した。

 ほかの変な奴もじっとして見逃してはくれなかった。最初に現れた奴は花を踏みつぶしながら花畑の中を追いかけてきているし、三匹目も花畑の中に入ろうとしている。

 そこでいつの間にかエリカを追い越していることに気づいた。振り向くと、エリカは背負った蜂の巣が花に引っかかって、うまく走れないようだった。

「捨てて捨てて」涙声でヴィオラは叫んだ。このままじゃああいつに食べられてしまう。

「やだ」エリカも顔中涙でくしゃくしゃだ。でも蜂の巣を捨てようとしない。

「食べられちゃうよ、捨てて」

「やだ」

 祈るように頼み込んでもエリカは首を縦に振ってくれない。

 このわからずや。言い出したら絶対に聞かないんだから。

 説得をあきらめてヴィオラはせめて少しでも走りやすいように手で花畑をかき分けながら逃げる。何かの草で手を切ったのかちくりと痛みが走ったが、気にしている余裕はなかった。心臓はばくばく、顔も汗と涙と鼻水でくしゃくしゃだ。服も靴もだって花びらや花粉や泥で汚れてしまった。

 なかなか抜けられず、まるで花の海でも泳いでいるかのような錯覚を感じながら走っていたが、ついに終わりが来た。花が途切れ、背の低い草むらへと転がるように飛び出す。

「エリカ、こっちこっち」

 振り返って呼びかけるとエリカは蜂の巣を背負いながらようやく花畑を抜けるところだった。すぐ真後ろにあの変な奴が迫っている。

「早く早く」

 涙声で呼びかける。エリカは返事をする余裕もないようだった。ようやく花畑を抜けてほっとしたとたん急に大きくのけぞった。花畑の中から木の枝のように伸びた変な奴の体が、エリカの背負い袋にへばりついていた。

 勢い余って尻もちをつく。思い切り打ち付けたのか、なかなか立ち上がれないようだった。

「捨てて捨てて」

 ヴィオラはもう一度叫んだ。蜂の巣を捨てなければ、食べられてしまう。

 さすがのエリカもあきらめたらしく、首に提げた背負い袋を外そうとする。ところがこわくて震えて手がうまく動かないらしくなかなか袋は外れない。

「早く早く」

「わかってる!」赤ん坊の泣き声のような返事だった。

 懸命にきつく結んだひもを外そうとしていると、ずるりとエリカの体が後ろに下がった。あの変な奴が引っ張っているのだ。

「エリカ」

 ヴィオラは急いで駆け寄るとエリカの手を引いた。思い切りのけぞりながら引っ張るけれど、エリカの体はどんどん花畑の方に引き寄せられていく。

「痛い、離して痛い」

 エリカが首を振った。腕が痛いのと、このままではヴィオラまで食べられてしまうという気持ちがない交ぜになっているようだった。ヴィオラは手を離さなかった。

 ずり、と大きくエリカの体が引き寄せられた。

 変な奴の体は既に背負い袋の半分近くを包んでいる。あと数秒もあればエリカを丸呑みにしてしまうとヴィオラは悟った。

 エリカが悲鳴を上げた。 

 銃声がした。

 背負い袋に食らいついていたねばねばが蜂の巣ごとはじけ飛んでいた。

 勢い余って、ヴィオラに覆い被さるようにエリカの体が前のめりに倒れる。

 もう一度銃声がした。

 変な奴の体がはじけ飛んだ。

 音のした方を向くと、猟師のケヴィンおじさんが煙の立ち上る銃を構えていた。

「無事か、お前ら」

 どたばたと足音をさせてバルトおじさんが駆け寄ってきた。


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