第13話 五章 抵抗 その1
五章 抵抗
村が惨劇に見舞われている時、捜索隊はどうなったのだろうか。ここでまた時計の針を彼らが村を出た直後まで戻す。
スライムの誘導はロニーとヤンと交代し、ケヴィンらは捜索を続けていた。反対側にスライムを誘導すると、ケヴィンとバルドは先ほどスライムと遭遇した地点まで戻ってきていた。
ケヴィンは地面を焦がすようにたいまつを低くして、行方不明になった若者たちを探した。バルトは猟銃を構えながらいつでも発砲できるようにした。一人が捜索、もう一人が護衛である。交代で捜索に当たった。
道の脇からジムソンとティムに渡した猟銃を二丁見つけた。弾倉を調べたが、どちらも発射した痕跡はなかった。ほかにもいくつかの血痕を見つけたものの、めぼしいものは見当たらなかった。
「いないな」
「当たり前だ」
バルトのつぶやきにケヴィンは不機嫌そうにうなずいた。
元々、彼は期待などしていなかった。スライムは腹の中に納めてしまえば服でも何でも死ぬまで離しはしない。食われたのなら腹の中に決まっている。
スライムを見つけて腹の中をこじ開けて方が手っ取り早い。
おまけに子供二人が行方不明だという。勘弁してほしい。エリカとヴィオラが行方不明であることは、既に村長が飛ばした伝令からケヴィンたちにも伝わっていた。
「お前それ、絶対にあいつに言うなよ」
バルトは苦々しい顔つきをした。脳裏に浮かんだのはクンツの父親のアドルフの顔だった。ケヴィンとは長年猟を共にしていたが、とっつきにくい性格は変わらない。腕はいいのだが、ものの言い方というものを知らない。
見つけた遺品は背負い袋に回収し、その後も三十分ほど捜索したが成果は上がらなかった。
「そろそろ」ロニーたちと合流しようとバルトが口を開いたとき、遠くで爆発音がした。とっさに音のした方を見ると、夜の闇に煙が上がっているのが見えた。スライムを村の中に招き入れ、火をくべた時の音であり煙であった。
バルトは血の気が引くのを感じた。
「村の方だ」
「戻るぞ」
ケヴィンは言うやいなや猟銃を担いで村の方へと駆けだしていた。
あらかじめ決めていた集合場所に戻ってきた。そこで猟銃を空に向かって二度放った。
「ロニー、ヤン。戻ってこい。ジャコモ、こっちだ!」
夜空に向かい、声高に叫んだ。
重大な発見や異変が起こった時には猟銃を二発続けて撃つ。あらかじめ打ち合わせしていた方法だった。銃声が止むまでじっと耳を澄まして待ったが、足音も近づいてくる気配もなかった。もう一度、二発撃った。五分ほど待ったがやはり来なかった。
「来ないな」
「戻るぞ」
バルトの不安げなつぶやきに構わず、ケヴィンは猟銃を背負うと村へと歩き出した。
「おい、待て。まだあいつらが」
「次は俺たちの番だ」
相変わらず端的な返事だが、言いたいことはバルトにも理解できた。
ロニーとヤン、ジャコモに何かしらの異変が起こったことは確実だ。もし何かの事情で動けないとしても返事代わりに銃声を響かせることはできるはずだ。それができないということは、スライムあるいは別の獣にやられたと見るべきだ。仮にまだ生きているとしても、助けに行くのは難しい。スライムと遭遇したとしても、銃が役に立たないのは先程体験したとおりだ。おまけにどこにいるかもわからずこの夜の森の中では二次被害の可能性が高い。いなくなったモリッツたちを探しに来てこの有様だ。下手にうろつき回れば、今度は自分たちがやられる番だ。
村にも異変が起こっているようだし、ここは一刻も早く戻るべきだ。
論理的だが、村の未来を支える若者や、長年猟をともにしてきた者たちへの情は一切なかった。
「他人のことなんかどうでもいいという感じでねえ。相手が何を思おうと我関せずって顔で銃の手入れをしていましたね。まったく憎たらしい人でしたよ」
銀髪の老婆はかの猟師に対し、ご自身の病室でそう述懐した。
バルトはぶん殴ってやりたくなった。猟師としての腕には信頼しているが、人付き合いというものが欠けている。
ロニーは二十八歳、ヤンは三十九歳、ともに猟師である。ロニーは猟師の例に漏れず酒飲みだが、動きが機敏で獲物を追いかけていく。銃を構えながら森の中をすいすい進んでいく。ヤンはむしろ辛抱強く待ち構えて、獲物が近づいてきたところを撃ち抜く、いわば待ちの猟が得意な男である。猟のスタイルは対照的だが二人とも情に厚い。ロニーには猪に足をやられたときに助けを呼びに行ってもらった。ヤンだってしょっちゅう山鳥を分けてもらっている。
ケヴィンにしたってそうだ。二人には何度も熊の追い込みを手伝ってもらっている。ケガをして二人に担がれて村に担ぎ込まれてこともあった。
ならば少しは探すべきだろう。おい、止まれ。
バルトがそう言うと、ケヴィンは足を止め振り返った。
「懺悔なら神父に聞いてもらえ」
それだけ言い残してまた歩き始めた。
バルトが怒鳴りつけようとした時、ケヴィンは腕を水平に伸ばし、手のひらを水平に向けると指を二本曲げた。猟では当然声を出せない状況もあるので、猟師の間でいくつか符牒を決めている。今のは「動くな」の合図だ。
バルトも猟師である。すぐに気を引き締め、ケヴィンと背中合わせになるようにして銃を構えた。
耳の痛くなるような静寂に、バルトは背筋の凍る思いがした。
夜の森の中にもかかわらず、虫の音やフクロウの鳴き声、葉のこすれ合う音、何もしないのだ。むしろ年齢から来る耳鳴りの方がうるさいくらいだ。いつもの猟とは違う。命を狙われている感覚に怖気を震う。
森に入れば返り討ちに遭うこともある。事実、猪に足をやられたこともある。それでも、その時でさえも攻めるのはこちら側だったはずだ。
でも今は違う。狩人はスライムであり、自分たちは哀れな鹿であり、間が抜けて鈍重なイノシシなのだ。
息苦しさを覚え、二度大きく息を吸ったとたん、どん、と背中から突き飛ばされた。
予想もしなかった方向からの衝撃につんのめるも、大きくたたらを踏んで、どうにか倒れずにすんだ。何事か、と思考がようやく追いついた時、背後で重いものが落ちる音がした。岩や人とは違う。水の詰まった革袋が落ちたときのような、どこか頼りなさと不安定さを感じさせる音だった。
バルトが振り返った時、目の前には赤紫色のスライムがぶよぶよとした巨体を震わせていた。粘液のかたまりの中に、見覚えのある顔が漂っているのが見えた。ロニーである。
一体どこから、と考えるより早く、ちょうどスライムを挟んで向かい側にいたケヴィンが発射した。
尾を引く轟音とともにスライムの体が一瞬はじけ飛ぶ。
そこで我に返ったバルトも銃口を向け、引き金を引いた。
スライムの真ん中の辺りに弾が当たったが、やはり効いた様子はなかった。
「一体どこから?」
「スライムだからな」
口からついて出たバルトの疑問をケヴィンが冷静に拾った。
「あいつらは上から襲ってくる」
スライムの攻撃方法として有名なのが、上からの奇襲である。
地下洞窟などの天井近くにへばりつき、獲物が下を通りかかったところで重力に従い、落下してくる。人間に限らず動物は、頭上からの攻撃にもろい。かくして、多くの人がスライムに溶かされ、その一部となった。ここで疑問に思われた方もいるだろう。
そもそもどうやって上まで登ったのだろうか? と。
動きの鈍重なイメージと違い、スライムは木登りの得意な魔物である。
こんなデータもある。『魔物生態学会誌』一八六七年万緑月号によると、ノイルラー国立大学のフィリップ教授がスライムの移動速度について実験を行った。一五フート(約二四メートル)の木の上にあるエサをどのくらいの速度でとれるか、十回計測した。その結果、平均三〇〇秒で樹上まで到達したことが明らかになった。
手足を使う動物と違い、全身から分泌される粘液で体中を使って登ることができるのだ。人間の頭上程度ならば一分もあれば登ることができる。
ロニーがどういう状況で襲われたかは不明だが、夜の森の中で頭上から音もなく降ってこられたら防ぐのは困難を極める。
バルトもケヴィンが突き飛ばさなければ、食われていただろう。事実村の中ではラモーナ(十一歳)は木の上に避難したものの、よじ登ってきたスライムに捕まり死亡している。ゾルフの樹液を塗っていなければ板塀も乗り越え、村の中に侵入していたのは想像に難くない。
既に四発も弾を受けているが、スライムがダメージを受けた様子はなかった。
ケヴィンはもう一度銃口を構える。
「やめろ、ケヴィン!」バルトは懇願するように叫んだ。
ケヴィンの目に苛立ちが宿る。猟銃の先に赤紫色の小さな水玉がへばりついているのが見えた。至近距離で発射した時、飛散したスライムの一部が飛び散っていたのだろう。小さなスライムの破片はそれ自体が意志を持ったように銃口の中へと潜り込もうとしている。
「ちっ!」
ケヴィンは忌々しそうに猟銃を草むらへ放り投げる。代わりに背負っていたティムたちの猟銃を背負い袋から引っこ抜く。長年愛用していた猟銃ではあるが、見切りは早かった。ほかの破片もずるずると芋虫のように地面を這いずりながら大きなひとかたまりへと戻っていく。
「逃げるぞ」ケヴィンがあごで指し示す。「村にもこいつが来ているはずだ」
この期に及んで反対する理由もない。一緒にいたはずのヤンとジャコモの安否も気になるが、今は村の方が最優先だった。バルトは背中を向けないよう、後ずさりながらスライムから距離をとる。当然、地上での速度は人間の方が遙かに速い。すぐにスライムを引き離した。
この時点でケヴィンの行動はほぼ合理的である。
トリックスターのように、いたずらに事態を混乱させる者もいない。
それ故、全くの結果論になるのだが、この時の行動をケヴィンは生涯後悔することになる。
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