第12話 四章 惨劇 その3

 ロビンとエドガー、ニコラスは北門の見張り台で抵抗を続けていた。見張りと、いまだ外にいるスライムへの牽制のために居残っていた三人だったが、暴走したスライムは北門側にも戻ってきていた。そのため、板塀の内と外、両方に気を配らねばならなかった。ニコラスも猟銃を置き、農作業用のフォークで塀からスライムを引きはがしていた。撃ち続けて銃身が熱くなり、弾はもうすぐ尽きようとしていた。炸裂弾は既に弾切れだった。

 ロビンは何度も死を覚悟した。

「ちくしょう、もう殺せよ、殺せよ」

 エドガーは顔中ぐっしょり濡らしながら農具を振り回していた。やばい、とロビンは思った。涙と汗が混ざってはた目に区別がつかなかった。既に体力も精神も限界に来ていた。ともすれば自分からスライムの大群に飛び込んでしまいそうな雰囲気だった。

「あきらめないでください」

 ニコラスが励ました。

「助けは来ます。スライムだってずっと村に居続けるわけじゃありません。がんばりましょう」

 年下の若者に励まされ、自身に鞭打ちながらロビンはフォークの先端でスライムを門扉から引きはがし続けた。

  

 村の外へ逃げたのは南側だけではない。上へ逃げたものもいる。

 木こりの娘のリーアン(当時十七歳)は、スライムの『暴発』を見ると屋根の上に登り、スライムをやり過ごしていた。

 火の付いたスライムが家に近づき、壁を焦がし始めると、今度は屋根伝いに塀へ飛び移った。そこから村の外の大きな木をよじ登り、救助が来るまで木の幹にしがみついていた。子供の頃のあだ名は山猿だったという。

 山猿は後年、ふもとの村の農家に嫁入り、花のような娘を産んだ。

 一部の悲運な者を除けば、早い時点で村の外に逃れたものは助かっている。

 悲惨なのは村の中に取り残された者たちだ。

 スライムは火のついたまま逃げ遅れた村人たちを狩って回った。動きは遅くとも多量のスライムに囲まれては、逃げ道はない。

 この時点で既に一フートを超えていたという。飛び越えることもムリだったろう。

 スライムに溶かされれば死体も残らない。

 狭い地下洞窟で服や靴が宙に浮いているのを見つけて、近づいてみると通路いっぱいのスライムだったという話も残っている。

 おまけにスライム自体が移動する状況からしても死体から殺害場所や死亡状況を特定することはほぼ不可能だ。

 そのため以下は目撃証言によるところが多い。

 アルミン(三十八歳)は自身の畑に逃げ込んだところでスライムに囲まれ、溶かされた。ユーリ(五歳)は自宅に逃げ込み、お気に入りの人形を持ち出そうとしたところに入り込んだスライムに襲われた。家の中からは「この子は食べないで」と泣き叫ぶ声が聞こえたという。リリー(四十一歳)は南門へ向かったものの既に門は閉じられていたため、村中を半狂乱で逃げ回った。最後は井戸のふたをひっぺがし、中に逃げ込んだところを頭上からスライムに覆い被された。

 チャールズ(五十二歳)とヤナ(四十六歳)の夫婦や、木こりのライムント(三十二歳)は死亡時の詳しい状況も不明である。ただ後日、掃討されたスライムの粘液の中から彼らのものとおぼしき指輪や髪飾りなどの金属が見つかっただけだ。


 被害報告は目撃証言だけでない。中には被害者自身が残した手記が残っている。

 近年、手記の真偽について疑問視する声もあったが筆跡鑑定の結果、本人の筆によるものと結論も出ている。

 ブルクハルトはトレメル村の人間ではない。木材の仲買人であり、本来は村より遥か西にある、南ゲーベル(現・ゲーベルツェルム)の生まれである。父親のバスティアンは三代続く材木問屋の主だった。ブルクハルトもまた父の後を継ぐべく、父の店で働いていた。

 事件当時、二十五歳。木材の買い付けでしばしばトレメル村を訪れていた。買い付けに来る材木商はほかにもいたが、ブルクハルトは木こり連中に酒を振る舞い、家族にまで手土産を用意するので評判がよかった。その日村にいたのも木こりのウーツから祭りに誘われたためだ。

 祭りが始まると濁り酒をたらふく飲んで上機嫌だったそうだ。スライムが現れ、祭りの中止が伝えられると、興ざめした顔をして今夜の宿に決めていたウーツの家へと戻った。ウーツの家は広場からやや北側にある木製の二階建てだ。与えられた二階の一室に入ったのが彼が目撃された最後の姿である。

「明日の昼には帰る」

 ウーツの妻に言い残した最後の言葉である。

 ウーツの妻の証言によると、スライムが出たと聞いてもさしておびえた様子も見せなかったらしい。たかがスライムと高をくくっていたのだろう。この対応に危険を軽視しすぎていたという声もあるが、侮るというのならトレメル村のほぼ全員が侮っていた。責めるのは酷というものだろう。

 正確な状況は不明だが、ウーツの家は暴走したスライムに取り囲まれていたという証言もある。おそらくは酒に酔って騒ぎに気づかず眠りこけて、気がついた時には階下をスライムが埋め尽くし、逃げることもままならなかったと思われる。眠ったまま亡くなった訳ではないとわかったのは前述の手記が発見されたからだ。どういう意図で手記を残そうとしたかまでは定かではないが、階段の上でスライムに抵抗した様子がありありと伝わってくる。 

 見つかったのは事件より二年後、コルネリウス報告書の作成後である。ウーツ家を取り壊す際、家屋を解体していた村の者が天井裏で発見した。

 鉛筆書きで、紙はブルクハルト本人の手帳である。わずか数ページではあるが、迫り来るスライムへの恐怖が綴られている。恐怖のためか字がゆがんでいて読みづらい箇所や、全く意味不明の部分もあるが、可能な限り正確に写してある。『真実のトレメル村』など既存の書籍でも掲載しているが、あえて本書でも取り上げさせていただいた。意味不明な部分には注釈を付けてある。


 ◆◆◆

 また悲鳴が聞こえた。これでもう七回目だ。また誰かが食われたかのかも知れない。ウーツの家の二階で寝ていたら悲鳴が聞こえた。窓を見下ろすと地獄が広がっていた。人の大きさほどもあるスライムが村のあちこちを這いずり回っている。体に火が付いたまま動いている奴もいる。村の中はひどく明るい。火を使わない祭りの日に燃えているのは家や牛舎や人だ。窓から煙が立ち上り、火にまかれ、木の爆ぜる音を立てて燃えている。めきめきという音がした。ここからは見えないがどこかで屋根の落ちたのだろう。教会の方からは女の悲鳴が聞こえた。悲鳴はするのに人影は見えない。時折、銃声がする。どこかで抵抗を続けているのだろうか。さっきから叫んでいるのに返事はない。みんなどこに行っちまったんだ、ちくしょう。下で音がした。またか。あのノコトリゾ(筆者注 フンボルト地方の言葉で油虫の蔑称)。這い寄る音がする。ぴちゃぴちゃ水音がする度に背筋が冷える。


 ◆◆◆

 またスライムが来た。狭い階段を這いずりながら登って来やがる。穂先に火を付けて階段の下まで払い落とす。普通のホウキだとそのままひっついて来やがる。穂先がもう真っ黒だ。階段の下には、ぬるぬるとしてねばねばした水がべっとりついていた。もういやだ。【以下、二十文字ほど判読不能】帰りたい。


 ◆◆◆

 ホウキはもう限界だ。柄まで燃やして半分以下になってしまった。もうホウキはない。手斧で階段を壊すしかない。何度も叩き付けるが踏み板を二枚ほど壊したところでまたスライムが登ってきた。シーツに火を付けて階段の下に放り投げる。スライムは火に当たるとひるむけれど、しばらくするとまた上に向かってくる。足もない口もない、ゼリーみたいな体で殺意を感じる。イヤ違う。これは食欲だ。あいつら俺を腹の中に納めたいだけなんだ。ヨソへ行けよ。俺なんかより食いでのあるやつがいるぞ。


 ◆◆◆

 もうこの辺りの人間はみんな食い尽くされてしまったのかも知れない。窓の下にはスライムだらけだ。屋根の上から避難しようにも飛び移れそうな建物は見当たらない。おまけに屋根に帰し【原文ママ】が付いて登れない。叫んでも叫んでも誰も助けに来やしない。喉がもうからからだ。


 ◆◆◆ 

 失敗した。手斧を落とした。踏み板を怖そうとしたらスライムが間に割り込んできた。ぐちゃりと真っ二つになったと思ったらまた斧を包み込むように一つに戻った。しかもまだ生きている。なんで死なないんだよ。振っても振ってもはがれない。そのうち手斧の柄から腕の方に這い上がってくる。慌てて下に放り投げた。これでもう武器なしだ。


 ◆◆◆

 喉から血が出た。叫びすぎて喉がやられたらしい。スライムはまだ階段を上ってくるベッドやイスで作ったバリケードも役に立たなかった。もうすぐこの部屋に入ってくる。誰か助けてくれ。俺は酔っ払っていない。正気だ。正気なんだから、こんなスライムなんか見えるわけがないんだ。さっさと消えてくれ。軍は何しているんだ。死にたくない。神様。【ここからまた数行判読の難しい文字が続く】


 ◆◆◆

 父さん母さん、あなたの息子に産まれて幸せでした。リーノ(注 ブルクハルトの妹)は父さんの言うことを聞いてよく商売を手伝ってあげてください。さようなら。


 スライムへの抵抗から始まり最後には家族への遺書で占められている。天井裏へ隠したのはスライムに食べられないためだろう。実際の文字はもっと千々に乱れ、動悸や息苦しさがひしひしと伝わってくる。

 発見後、手記は家族の元へと届けられた。息子の手記を受け取った父親はその場で泣き崩れたという。


 直接スライムに溶かされた以外の死者も出ている。

 マルセルは屋根の上から塀を乗り越えて森の中へ逃げ込み、姿を消した。後日、捜索隊によってガケの下から遺体で発見された。夜の森をひた走るうちに誤って転落したものとみられる。

 オラフ、ペッツ、リヒャルトは南門近くの櫓に登り抵抗を続けていた。オラフは木こり、ベッツは猟師、リヒャルトは農家の出である。三人は村人を逃がすためにスライムを引きつけていた。オラフはニコラス同様、炸裂弾で撃ち抜き、ペッツは銃の代わりにクワを振り回し、リヒャルトは火の付いた棒を振り回して迫り来るスライムを退けていた。

 午前零時を過ぎてもスライムは獲物を求めて村の中をさまよい続けていた。

 既に体に付いた火は消えているが、一度刺激された食欲はとどまることなく血と肉を求め続けた。


 トレメル村は災厄の泥に飲み込まれていた。


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