ささみサラダ・七鉢目

 恭司きょうじは非番の日に、ちょくちょく「焼き鳥まいど」に顔を出すようになった。

 もちろん彦一の焼く串とビールが目当てであるが、あの日、つぐみと出会ってからは目的がひとつ増えた。

 つぐみは週に二回しかアルバイトをしないので、恭司は空振りする日のほうが多かったのは仕方ない。


 月末間近の金曜日。

 恭司は期待をいだいて「焼き鳥まいど」の暖簾のれんをくぐる。


「まいど!」


「まいど、いらっしゃ」


 つぐみは洗い場から顔を上げて挨拶する声が、途中で止まってしまった。


「恭ちゃん、いらっしゃい。

 カウンターでいいかい」


「はい!

 むしろカウンターのほうが嬉しいです」


 恭司は満面笑みを浮かべ、ほぼ満席の店内へ入ってくる。

 つぐみはすでに、大ジョッキに生ビールを注ぎ始めていた。


「さってと。

 なにを」


 飲むかと、彦一ひこいちが問う前に、つぐみはカウンターに座る恭司の前に大ジョッキを置いた。


「おいおい、つぐみぃ。

 まだ注文を訊いちゃあいないぜ」


「いえ、彦一さん。

 ぼくはまず最初に、これをいただくのが好きなんです。

 ありがとう」


 恭司は真っ直ぐな視線で、つぐみを見つめる。

 つぐみも目をそらさずに恭司を見る。

 ふたりの心臓は相当な早さで脈を打っていた。


「あら、そうなんだ。

 つぐみもようやく常連さんの好みを把握してきたってことかな」

 

 相変わらず超合金の鈍さを発揮する彦一は、満足そうに妹の姿に微笑んだ。


 ~~♡♡~~


 日曜日のお昼前。

 つぐみは菓子間かしま薬局のカウンターに座り、みどりとおしゃべりしている。


「そうなんだ。

 つぐみちゃんが、恋ねえ」


「みどりさん。

 これって、やっぱり恋なんですか?」


「うん、間違いないよ、その感情は」


 白いシャツにブラウン系のチェックスカートの上から白衣を羽織っているみどり。

 つぐみはTシャツにジーンズとラフなスタイルだ。


「みどりさん、正直言うとね。

 わたしはいままで、そのう、男の人とお付き合いしたことがないの」


「えーっ、ウソでしょ。

 だってつぐみちゃんほどの美人さんは、そうはいないよ。

 言い寄ってくる男性は多いのじゃない?」


「ええ、まあ、これまで何人か交際を申し込まれましたけど。

 すべてお断りしてきてるの。

 一級建築士になるためには、相当勉強しなきゃならないってのはあるんだけど」


「わかった、彦ちゃんでしょ」


 つぐみは驚く。


「彦ちゃんに遠慮してるのかな。

 あいつは今まで、つぐみちゃんたちのお世話一本やりできてるからね。

 おにいちゃんをさしおいて、ってところか。

 もしくは」


 みどりは少し意地悪そうな表情を浮かべた。


「彦ちゃん以上の男性に出会ってこなかったから。

 どう?

 わたしは後者だって推測するんだけど」


 つぐみはコクリと素直にうなずいた。


「前にさ、ひばりちゃんが同級生に交際を申し込まれて、断ったって話は聞いてるの。

 そのときふたりとも、彦ちゃん以上の男性しか興味ないって答えたんでしょ」


「はい、そのときは半分冗談でしたけど、半分はその通りなんです。

 わたしもひばりも、やっぱりおにいちゃんが大好きだし。

 おにいちゃんより素敵な男性って、本当にいなかった」


「ところが、突然恭ちゃんというマッチョなイケメンくんが、颯爽さっそうと登場したわけだ」


「うーん、だけどわたしは、そのひとのことはまったく知らないし。

 ただ外見に魅かれているだけだったら、わたしは修業がたりないなあって思ってるんです」


 みどりは店内のクーラーボックスから、二本の缶ジュースを持ってきた。


「どうぞ。

 でもね、つぐみちゃん。

 あなたの心眼は、ちゃんとひとを見抜く力はあるよ」


「あっ、ジュース、ありがとうございます。

 そうかなあ。

 だってお話したこともないんですよ」


 みどりは真っ白な歯を見せ笑った。


「恭ちゃんはさ。

 わたしも小学生のころしか知らないけど、とても頭が良くて優しい子でね。

 もちろん顔も可愛くって、子どもらしい綺麗な瞳を輝かせてたの。

 多分正義感が強かったから、消防士さんになったのじゃないかな。

 それにさ。

 彦ちゃんは恭ちゃんを弟のように可愛がっていたし、いまの恭ちゃんをすごく褒めてるよ。

 いい男だ、いい男だって」


 つぐみは思案気な表情を浮かべる。


「そうかあ。

 おにいちゃんが認める男性だったのか」


 手にした缶ジュースを乾いた喉へ流し込んだ。


 ~~♡♡~~


 だが、つぐみと恭司の間に進展はなかった。

 どうやら恭司は度々通ううちに、つぐみがお店に顔をだす曜日を把握したようで、非番の日と合致するする日は必ずお店の暖簾をくぐようになっていた。


「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」、「こんばんは」と「ごちそうさまでした。また来ます」の会話だけがかろうじてふたりの交わすことばであった。


 月が替わった、第二土曜日。

 台所の冷蔵庫に置いてある時計が、午後三時を差している。

 ひばりは部屋着のまま、棚や茶だんすから空いたタッパーやガラス瓶を取り出して、風呂敷に包んでいる最中である。


 階段を下りる音が聞こえてきた。

 白いインナーに就職活動をするときのような黒系のスーツスカート姿で、つぐみは妹の奇怪な行動をいぶかしげに観察する。


「えーっとぉ、まだ包めるかなあ」


 ひばりは指をくわえて棚を物色する。


「ひばり」


「ああ、つぐみちゃん。

 わたしの専用お弁当箱も一緒にしておこうか。

 あれなら結構詰めこめるしぃ」


「ちょっと待って。

 あなたがいまその風呂敷に包んでいるのは、いったいなんでしょうか」


 つぐみは腕を組む。


「これはねえ、彦ちゃんとつぐみちゃんにぃ、持っていってもらうのよ」


「その大量のタッパーを、持っていけと?」


「うん。

 だってぇ、今日は立食パーティなんだからぁ、お料理は相当な量が用意されてると思うんだぁ。

 だからぁ、お土産用にこれに入れてもらってきてね、ってことなんだもーん」


 あっけらかんと言いきるひばり。

 つぐみはめまいに襲われた。


「あのねえ。

 わたしたちはあくまでも、講演会へ行って勉強してくるの」


「その後、ご馳走をぉいただくんでしょ。

 あっ、もうひとつ風呂敷をだして」


「ストップ!

 わたしはどうやってあなたの行動を止めるか、頭をなやませてしまうわよ」


 そこへ縞のワイシャツにノーネクタイで、紺色のジャケットを着た彦一が階段を下りてきた。

 生成きなりのチノパンを履いている。


「やっぱり普段着なれてないから、なんだか窮屈だよ。

 おっ、つぐみは準備できたか。

 えーっと、その大量のタッパーはいったいなに?」

 

 彦一はドングリ眼で台所のテーブルを指さした。


 ~~♡♡~~


 彦一とつぐみはそれぞれ手提げかばんを持ち、商店街から歩いて目的のホテルへ向かっている。

 午後三時半。

 すっかり太陽が我が物顔で、まばゆい光を地上に降り注いでいる。

 土曜日の通りは、とにかく人通りが多い。

 ふたりは慣れたもので、縫うように歩いていく。


「しかし、まさかひばりがお土産を大量に持って帰ってこいだなんてなあ」


「今日はおじいちゃんがひばりを連れて、『ななぼし食堂』で夕飯をすますって。

 ぎんさん、驚くだろうね、ひばりの食欲を目の当たりにして」


「違いない。

 ええっとホテルはどっちだっけ」


 彦一は手にした手紙で確認する。

 本陣ほんじんメーエキ商店街を抜けると国道があり、大小さまざまなビルが建ち並んでいる。

 往来を走る車の音や、通りを行き交うひとたちの話し声が、熱せられた大気に渦を巻いていた。


「おにいちゃん、こっちこっち」


「おう」


 兄妹は手でひさしを作り、雑踏のなかを進んでいく。

 商店街から十分弱歩いたところで、目的地である「ホテル・ニューオオタミ」の看板が掲げられたビルを発見した。

 ふたりは玄関前に立ってホテルを仰ぎ見る。


「俺は、てっきり豪華なホテルかと思ってたんだけどなあ」


「かなりボロ、いえ歴史のある建物ね」


 五階建てのそのビルは、お世辞にも素敵なホテルとは言えなかった。

 一階は居酒屋グループの店舗が店を構え、ホテルは横のエレベータから二階のロビーへ上がるようだ。

 彦一とつぐみは目を合せ、エレベーターのボタンを押した。

                                  つづく

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