第三話「焼き鳥職人は、万事休す」
ささみサラダ・一鉢目
毎週月曜日は、「ヘアサロン・トミィフロムロンドン」の定休日である。
オーナー美容師、
美容師の世界大会である「世界理美容技術選手権(ヘアワールド)」に三十歳のときに日本の選手として参加し、見事銀メダルを受賞したのである。
この世界大会は美容師の世界では最高峰のコンテストといわれている。
二年に一度、世界理美容機構(OMC)の主催により、世界中の国から選ばれた美容師・理容師が一同に介する、まさに世界最高の大会であるのだ。
この世界選手権大会は出場資格も厳しくて、参加できるのは、世界理容美容連盟(CIC)等に加盟している世界五十二ヵ国の理容美容の技術者で、一ヵ国につき、美容・理容それぞれ一チーム三名ずつという厳しいものとなっている。
銀メダルをサロンの壁に、額に入れてディスプレイしてある。
あれから七年。
富蔵はカット技術のさらに高みをめざしていた。
同じ美容師である妻の
明菜とのあいだには三人の年子の女の子を、中学二年生筆頭に授かっていた。
子どもたちは富蔵とそっくりの顔立ちであり、四人で歩いていると「瓜四つ」と言われる。
ちなみに富蔵は自分のことをトミィと呼ばせていた。
常に最先端のファッションに身をつつみ
本人はまったく気にしていないのが幸いであった。
若い頃は引き締まったボディであったのが、ここ最近かなりお腹が張り出してきている。
「もうっ、イヤになっちゃうわ。
このビール腹」
富蔵はオネエではないし、同性にもまったく興味はない。
だが、短髪にグルーミングされた髭、オネエ言葉、さらに今日は身体にピッタリとフィットしたラメ入りの純白のランニングウエアと純白のレギンス、さらには銀色のバレエシューズとくれば、やはり首を傾げたくなる。
少し前に上映された、伝説のロックバンドの映画。
その主役であるシンガーをメタボに太らせたら、多分いまの富蔵に近いであろう。
その前に、このコーデで夕暮れの商店街を歩いていると、どう見てもランニングシャツにステテコ姿の中年オヤジだ。
それでも気にしない富蔵、アッパレである。
久しぶりに富蔵は焼き鳥でいっぱいやりたくなり、オフの日にこうして商店街へやってきた。
インバウンドで来日する観光客が増え、本陣メーエキ商店街もかなり恩恵を受けている。
わかるひとにはわかるが、わからないひとにはまったくわからない、奇異なスタイルの富蔵は、通りを歩くだけで外国人観光客にバシャバシャと写真を撮られている。
そんなときにはニコリを微笑み、ついでにVサインなんかも突きだしてサービスする。
カメラを首からぶら下げシャッターを押すアジア系観光客数名は、「日本ではいまの時期にハロウィンを開催するのか?」とか、「あなたは、お化け屋敷の主演スタッフなのか?」と自国の言葉で問いかける。
富蔵は「イエース、イエースよん」とわけもわからず笑顔をふりまきながら、行きつけの「焼き鳥まいど」を目指していた。
~~♡♡~~
「おこんばんはーっ」
富蔵は年季の入った
「まいどっ!」
「あらまっ、どしたの今日は。
つぐみちゃんまでお店のお手伝い?」
午後五時半。
「焼き鳥まいど」の店内は八割がたお客さんでにぎわっているが、カウンターの内側には紺色の
「トミさん、いらっしゃい。
カウンターでいいかな」
彦一は焼き場で煙に目をしばたたかせながら指さした。
「もちの、ロンよ。
アタシは彦さまの凛々しき焼き姿を拝見しながらおビールをいただくのが、一番好きなの。
ところでさあ。
つぐみちゃん、アルバイトなの?」
つぐみはやや長めのボブカットをゴムで後ろでくくり、シンクで洗い物をしている。
「はい、今日から週二日だけですけどね」
ニコリと微笑む。
彦一は炭の火加減を見ながら、用意してある今日のつきだしをカウンターに置いた。
「はいよ。
今日は
小骨もきっちり処理してあるから、遠慮なくいって」
「あらぁ、アタシはこれに目がないのよっ。
良かったわ、今日来て。
じゃあ、生ビールの大ジョッキをいただこうかしら」
「生大ね、あいよっ」
彦一はビールサーバーから、大きなビールジョッキに注いでいく。
「はい、お待たせ。
いや、なにね。
実はさ、
彦一はきめ細かい泡で蓋をされた、冷えたビールジョッキをカウンターに置いた。
~~♡♡~~
「いっただっきまーすっ」
居間の座卓には
珍しく家にいて庭の手入れをしていた
大きな声でいただきますをしたひばりは、黄色のTシャツにお気に入りのショートパンツ。
つぐみは綿のチェック柄シャツの袖をまくり、スエットの下を履いている。
彦一はいつもの紺色作務衣だ。
「やっぱりぃ、アタシは彦ちゃんのカレーライスがぁ、この世で一番美味しいと思うなあ」
あふれるくらいにルーをかけたカレー皿に、スプーンを差し込む。
「うん、わたしも大好き。
今日は夏野菜と牛肉だね」
「
特にこの
文太は冷酒をあおりながら、うなずく。
「今の時期にゃあ、もってこいの野菜だな、おい」
座卓にはカレーライスのほかに、カリカリに焼いたベーコンをトッピングした野菜サラダと、これも野菜がたっぷり入ったミネストローネのスープが置いてある。
彦一お手製の、らっきょうも小皿に盛ってあった。
障子戸と廊下のガラス戸は全開であり、閉められた網戸から住宅街の音が聞こえてくる。
テレビからは、今日一日のニュースが流れていた。
「そうだ、ひばり」
彦一は思い出した。
「なんでしょうかぁ、彦ちゃん」
「今月末だったよな、保護者会って」
ひばりはすでに大盛りカレーを、ほぼお腹に入れている。
まさにカレーは飲み物、である。
「えーっとぉ、あっ、そうだった」
「にいちゃんがいくからさ。
先生には出席の紙を提出しておいてな」
「わっかりましたぁ。
ということでぇ、アタシはぁ、もういっぱいお替りを頂戴することにいたしまぁす」
言いながらお皿を両手で持って、台所へ行く。
「ひばり、食べるの速すぎ」
つぐみはまだ半分も食していない。
「あははーっ。
大丈夫よ、つぐみちゃん。
ちゃんと残しておくから」
「おいおい、ひばりよ。
その鍋には約十人前はあるんだぜ」
「えーっ!
アタシがこうやってご飯にかけるとぉ、あとは少ししか残らないよ」
彦一はあわてて振り返る。
「って、おまえ。
じいちゃんの分を残しておかなきゃ」
「ああ、わしならオッケイ。
このベーコンのしょっぱさが、ちょうど酒のあてにピッタリだからよ。
若い
文太は台所で悩んでいるひばりの後ろ姿に、優しく声をかけた。
つぐみはスプーンでミネストローネをすくいながら、妹の食欲にため息を吐く。
「あれだけ食べてスタイルはわたしよりもいいって、ちょっとショックだわ」
「そうだなあ。
今じゃあブラジャーも、ひばりのカップのほうがでかいもんなあ」
しみじみと彦一は口にした。
「おにいちゃんのエッチ」
「だってよ。
俺は毎日毎日、おまえたちの衣類を全部洗濯してるんだぜ。
微妙な変化だって、見逃さないこの洞察力」
「そんな洞察力は、必要ありません!
そうだ、ところでおじいちゃんにおにいちゃん」
文太はコップを傾けながら、彦一はらっきょうをかじりながらつぐみに顔を向けた。
つづく
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