鶏めし・十一杯目

 自治会役員および、ひばりをのぞく絢辻あやつじ家の面々は、まだ決断できずにいた。


 はたして目の前の料理は、神への背徳行為には当たらないのか。

 それよりも、平凡な胃は受け付けてくれるのか。

 もっとその前に、本当にこれは料理であるのかと思い悩んでいる。


「このソース、すっごく香り豊かでぇ、お肉もやわらかいですぅ。

 おっとぉ、このサソリちゃんはこの前逃亡を図った悪い子ね。

 あたしの胃に収監いたしまーす」


 ひばりはサソリの大きなハサミをパリンと口で割り、音をたてて咀嚼そしゃくしていく。

 みなは互いに顔を見つめ、ナイフとフォーク、もしくは箸を持った。


「お、おい、ひこ


「なに、じいちゃん」


「おめえ、料理はよう、熱いうちに食わにゃあ」


「じいちゃんこそ、『焼きの文太』だろ。

 焼き加減を確認してさ」


 彦一ひこいちの背後に座るみどりが声を上げた。


「美味しい!

 このサラダ、アリの卵が口の中で弾けて、それに香草が複雑な味わいをもたらせてくれるわ。

 イクラやタラコよりも、もっと上品な風味なの」


 彦一は背中越しに、みどりを振り返る。


「みどりん、マジに食べてるの?」


「当たり前じゃない。

 だって、本当に美味しいもの。

 みなさんも早く召し上がれ。

 もう目からうろことは、このことよ。

 なぜもっと前に、こんなお料理に出会わなかったのか、わたしは悔しい」


 みどりはいったん動き出した手が止まらず、ひばりのようにパクパク食していく。


 彦一は顔を正面にもどすと、意を決したかのようなしかめっ面だったつぐみも、フォークに差したクロコダイルの肉を口に入れ、とたんに笑顔を浮かべた。


「おにいちゃん、おじいちゃん、だまされたと思って食べてみて。

 すっごく美味しいから」


 彦一と文太ぶんたは目を合せ、うんとうなずいた。


 食材を聞いていなければ、フレンチ料理そのものだ。

 見た目も美しく盛られ、香りがたまらなくいい。

 カウンター席からも「これは美味い!」と声が上がり始める。


 フォークとナイフで肉を少しだけ切り、彦一は目を固く閉じたまま「えいっ」とばかりに口へ放り込んだ。

 トリュフの香りと肉の味わいが、混然一体となって鼻孔を抜けていく。


「ああっ、しあわせ」


 うっとりとした表情から一転、キッと真剣な顔つきに変わり、彦一は次々と料理を口に運んでいく。


 カウンターやテーブル席からは、カチャカチャとせわしない音だけが聞こえてくる。

 全員がマリアの料理に夢中になっているのだ。


 心配そうな顔で立っていたアンディは、ホッと胸をなでおろしていた。


 ~~♡♡~~


 以前にもいただいたミノムシ茶が、最後に出された。

 全員が満足げな表情を浮かべている。


「ゲテモノ、なんて呼びかたははたしてどうなのかな、と思いますなあ。

 これはどう味わっても、高級フレンチですぞ」


 利休帽に和服の先生は、ミノムシ茶をすすりながら、誰にでもなくつぶやいた。


「先生のおっしゃるとおりですなあ。

 普段は口にしていないからといって、食わず嫌いではいけません」

 

 ぎんさんも爪楊枝で歯をせせりながら言う。


 彦一も大満足であった。

 視覚、嗅覚、そして味覚をおおいに刺激され、あらためてフランス料理の技法に驚いている。


 キッチンのドアを開いて、マリアとアンディが姿を現した。


「みなさん、いかがでしたでしょうか、姉の料理は」


 みどりが大きくうなずく。


「アンディさん、マリアさん。

 こんなに美味なるお料理をだしてくださって、ありがとうございます」


 彦一が拍手し、続いて店内にいる全員が拍手した。


「アタクシはフレンチのシェフでありながら、現在過去未来の料理界の在り方に、大変な不満をお持ちなのでございます。

 ひとは生きるために他の命をいただかなければいけないと、神はお決めになってしまったのでございます。

 でもそれを可哀想と思うとひとは、餓死でございます。

 だからアタクシはフレンチの技術を習得した者として、どんな命もパーフェクトにお成仏させてあげるために、料理します。

 しかも大量の銭を投入することもせず、神、ノー、悪魔でも、お財布に優しい料金設定で。

 ダメか?

 はい、ここでファイナルアンサー」


 マリアは美しき表情で、みんなを見回す。


「あたしはぁ、すっかりマリアちゃんのファンにぃ、なってしまったのでございますぅ」


 ひばりが笑顔で応える。

 みどりは吟さんに問うた。


「ねえ自治会長、いかがでしたか。

 こんなに美味しいお料理を提供してくださるマリアシェフを、商店街としてみなで応援しませんか」


「うん、わしはもろ手を挙げて大賛成。

 いかがかな、役員さんがた」


 吟さんの言葉に、全員が首肯した。

 アンディは丸い顔が膝に着くくらい大きく下げる。


「みなさん、ありがとうございます!」


 横に立っているマリアは不服そうな表情を浮かべ、アンディに声をかける。


「なぜみなは反対する?

 アタクシの作るお料理は、たまげるほどとても美味しくて、閉鎖されたお口にあいませんでしたのかしら」


「おねえさん、逆ですよ、逆。

 商店街のみなさんは、おねえさんのお店を応援してくれるっておっしゃってくれているのです」

 

 マリアの顔に薔薇が咲いたような、美しく気品にあふれる笑顔が浮かんだ。


「ではアタクシはこのお店を、オープンすることが許可されたと思い込んでいいとな!

 嬉しきお知らせにアタクシは、安っぽいお涙ちょうだいしてしまうでございまするぅ」


 ブルーサファイアの瞳からツーッと涙が流れた。


「マジに綺麗だなあ、マリアさんって」


 彦一は心の声を、思わず口にしてしまった。

 それを耳にしたみどりは額にピキッと青筋を立て、振り向きざまに肘で彦一の後頭部を打ち抜いた。


 ガキッ!


 かなり大きな音が響く。


「あらぁ、彦ちゃん、失礼いたしました」


 彦一は白目を向いて、意識をはね飛ばされていた。

 一部始終を見ていたつぐみは、「これは、おにいちゃんが悪い」とみどりに拍手するのであった。


 ~~♡♡~~


 試食会から十日経ち、いよいよマリアのお店がオープンすることになった。  


 シャッターは上げられ、お店の表はプロの職人を雇って飾り付けられていく。


 オールドウッドを重ね合せた壁に、ハンギングバスケットが何カ所か取り付けられ、色とりどりのパンジーやガーベラが植えられる。


 木製のドアの上には、ひらがな検定三級と自称するマリアの筆文字を印刷した、「まりあのしよくどお」の看板が掲げられた。

 

 彦一は買い物ついでに、お店が出来上がって行く様子を見るのが日課になっていた。


 そしてようやく「まりあのしよくどお」がオープンする。

 自治会からはスタンド花に胡蝶蘭こちょうらんが届けられた。


 アンディはお店のホームページを立ち上げ、宣伝に協力する。

 ゲテモノ料理でありながら、フレンチの技術を惜しみなく使って出される料理の数々。

 しかも、「えっ、こんなに安くていいの?」と首をかしげる料金設定に、食べにきたお客さんたちは驚く。


 口コミで噂が広がり、「まりあのしよくどお」は、今では本陣ほんじんメーエキ商店街のニューフェースとして、連日満員となっていた。


 ~~♡♡~~


「まいど!」


 彦一は暖簾のれんをくぐってきた、新しいお客さんに挨拶した。

 時刻はまもなく午後九時だ。


「あれっ、マリアさんじゃないの」


 ブロンドの髪が煙の間から見える。

 真紅のキッチンコートではなく、花柄のシャツに黒いレギンスはまさにどこぞのモデルさながらの美しさを醸し出している。


 店内にいるお客さんたちも、口を開けたままマリアに見惚みとれている。

 カウンターが空いており、マリアは物珍しげな顔つきで腰を下ろした。


「ははーん、ここがクセモノと呼ばれて久しい、ヒーコイッチイのアジトでございますわね。

 こういうのを日本語では、ウサンくさいと呼びます。

 と、解説したところで、アタクシもチキンを腹いっぱいいただく所存でございますの」


「ア、アジト?

 まあお店だわね。

 連日大盛況でよかったね、マリアさん」


 彦一は今日のつきだしである、麻婆春雨の小鉢を置いた。


「ミロリンとヒーコイッチイにはなんとお礼を申し上げるべきか、アタクシは迷宮に入ってしまってますでございますのよ、これが」


「なあに、そんなお礼なんて水臭い。

 すべてはマリアシェフの腕ってことだよ。

 なにか焼こうか。

 といってもうちは焼き鳥専門店だけどね。

 ヤモリの串焼きは、もちろんおいてないってことだけど」

 

 ふたりは笑った。

                            第二話 終り

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