鶏めし・九杯目
「はあっ?
ということはだよ。
わたしが美味しくいただいたクッキーって、まさかの粉砕された蟲たちがブレンドされていたってこと?
ドッヒャアアッ!」
真相を明かされたつぐみは、居間の畳にひっくり返った。
夕飯も済み、
「つぐみちゃん、とーっても美味しかったでしょ。
ああ、また食べたくなってきちゃったなあ、あたし」
ひばりはスプーンをくわえて宙を仰いだ。
「まあ確かにサックサクで香ばしくって、後を引く味だったのは認めるわ」
上半身を起し、つぐみはうなずく。
「それでさ、じいちゃん。
来週の今日、つまり土曜日にね。
自治会のお歴々に集まってもらって、マリアさんの作るゲテモノ料理の試食会が行われるんだ」
「ほう、そいつはなんだか面白えことになってきたな、おい。
さっきの続きじゃねえけどよ。
わしも戦時中には、腹に入るならなんでも食ったもんよ。
ゲテモノったって、それはわしら人間が勝手にそう呼んでいるだけだ。
命をいただくことに、変わりはあるめえ。
意外におつな味かもしれねえしな」
「やっぱり文ちゃんは話がわかるなあ。
あたしはぁ、若手代表でつぐみちゃんと一緒に参加するんだよ」
「ちょっと待って、ひばり。
わたしは行くなんて言ってないから」
「えーっ、だってえ、あのクッキーを食べちゃったんならぁ参加義務が発生するんだよぅ、試食会の」
彦一は湯呑に熱いお茶を注ぎ、座卓に置いていた。
「てっきり俺はさ、高級な紅茶だと信じて飲んでしまったんだ」
「ああ、あのミノムシ茶ねぇ。
いい香りだったわよねえ、彦ちゃん」
「おにいちゃん、ミノムシ茶なんていただいたんだ!
ちょっと引いてしまうわたし」
開け放たれた廊下側の障子戸。
廊下のガラス戸も全開で、夜風が心地よく居間を通り過ぎていく。
家族
「マリアさんはフレンチの一流シェフだそうだから、まっ、食材はおいといてだ。
いったいどんな料理を提供してくれるのか、同じ料理人としては興味あるんだけどね」
彦一は口元をすぼめて熱いお茶をすする。
「自治会の連中が来るんならよ、わしもちょっくら顔を出しにいってみるか」
「おっ、ここで『焼きの文太』がぁ参加宣言ですぅ。
こうなったらつぐみちゃんもぉ、
「わかったよ、ひばり。
大学へトンズラ図ろうかと思いもするけど、みんなが行くなら仕方ないね」
~~♡♡~~
同じころ。
ここは「ななぼし食堂」の
主人の
すでに暖簾はしまっているが、数名の男女が店内のテーブルを囲んで座っていた。
そのなかに、みどりがいる。
「というわけで、本日はお忙しいなか、自治会役員のみなさまにお集まりいただきました」
現在自治会長を務めているのは、この店の店主である吟さんだ。
白髪に板前帽をかむり、べっ甲ぶちの眼鏡がトレードマークである。
笑うと前歯が一本欠けているのがわかる。
「そうか、それでわかったよ」
大将は自治会の副会長である。
「この頃たまにさ、このアーケード街でえらくべっぴんな金髪女性を見かけるようになったんだ。
てっきり隣町にある外人バーのホステスかな、なんて思っていたけど。
でもあれほどの美人を雇えるような店だったかなあ、って
「そうですなあ。
たしかにわたしもそのなんでしたっけ、ああ、マリアさんか。
テレビロケの下見に来た、モデルのタレントさんかと思っていましたなあ」
利休帽に和服の印鑑屋のご主人、通称「先生」もうなずく。
先生は自治会の会計である。
みどりは一同を見渡し、確認する。
「この
もちろん暴力団関係の店舗や性風俗はご法度としておりますが、防犯部長としてマリアさんを見る限り、とても真面目な料理人であると判断します。
もちろん実弟のアンディさんのお人柄は、みなさんよくご存じですわね」
「アンディさんのおねえさんなら、大丈夫じゃないかなあ。
あっ、若輩のぼくが差し出がましいことを、すみません」
ポロシャツにチノパンの若者、神社の跡取り息子である
彼は自治会青年部の部長である。
「いや、次代を背負うきみたちの力量が、この商店街が生き残れるかどうかにかかっておる。
遠慮は無用」
先生は優しい眼差しを元ちゃんに向けた。
吟さんはみどりを見て、一同に笑顔で言う。
「先生の言葉通りさ。
わしらから若い衆へバトンを渡せるかどうか。
まあたしかにゲテモノ料理ってきくと眉をしかめちまうけど、ものは試しってもんだ。
自治会役員のみなさん、一度味あわせていただくってことでいいかな」
役員全員が挙手した。
みどりは内心胸をなでおろす。
ここでもし反対意見が多数ならどうしようかと悩んでいたから。
役員会は解散となり、みどりは通りに出るとスマホで彦一に電話をした。
「あっ、彦ちゃん。
晩ご飯はもう終わった?
ならいいかな。
今ね、自治会の役員さんたちとの話し合いが終わったところ。
いえいえ、疲れてなんかいないよ。
心配してくれるなんて、嬉しいな。
いや、なんでもない。
それでね」
みどりはシャッターの下りた商店街を、薬局まで戻っていった。
~~♡♡~~
「まいどっ」
彦一は焼き場で串を焼きながら、暖簾をくぐって入ってきたお客さんに声をかける。
新しい週がスタートした。
土日で充分心身を休めた彦一は、元気いっぱいである。
月曜日の午後八時。
店内はほぼ満席状態だ。
ご新規さんはスーツを着た若い男性ふたり。
一見さんのようだ。
「ああっと、せっかくお出で下さったんだ。
ちょっと待ってもらってもいいかな」
彦一は立ち込める煙の間から、ふたりのサラリーマンに申し訳なさそうに言う。
「ええ、もちろんです。
ここの焼き鳥を食べたら他は食えないって評判を聞いて来ましたから」
「悪いね。
えっと店の前にパイプイスが置いてあるからさ、ちょっとだけ座って待っててくれるかな。
そのかわり、キンキンに冷えた生中を一杯サービスするからね」
彦一は焼き場で串を返しながら、ウインクする。
席の大半はお馴染みさんたちだ。
このお店が繁盛するならひと肌脱がなきゃいかん、と急いで目の前の焼き鳥とアルコールを胃に収めようとした。
彦一は目ざとく目配せし、言った。
「そんなにあわてて食べたら、味がわからないよ。
ゆっくり楽しんでいって」
カウンターで、ジョッキのビールを一気にあおろうとした中年サラリーマンふたりは、途中で止めた。
「えっ、だって彦さん。
せっかく若いひとが来てくれたんだから。
俺たちはいつも楽しませているしなあ」
「うん。
これだけ飲んで食って、あの料金じゃあ商売にならないでしょ。
回転率を上げなきゃ」
彦一は苦笑を浮かべながら、その心意気が嬉しかった。
「お客さんに気を使わせる店は、絶対に続かないってえのが先代の考えでね。
儲けはもちろん重要だけど、この『焼き鳥まいど』はさ、一日頑張ったひとたちが少しでもホッと息をついて、焼き鳥とお酒でストレスを発散してくれたら、それが一番嬉しいわけ。
だから本当に気を使わないで」
中年コンビは、心から笑顔を浮かべた。
「ありがとう、彦さん。
実はもう少し飲みたいなと思ってたんだ。
いいかな」
「もちろん。
じゃあ黒霧島のロックをふたつ、作っちゃう?」
彦一の顔にも笑みが浮かぶ。
こうして「焼き鳥まいど」の営業は午後十一時まで、お客さんがとぎれることなく続いた。
つづく
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