鶏めし・八杯目

 トントントンッ、と包丁のリズミカルな音が台所から聞こえてくる。

 彦一ひこいちはショッキングピンクのフリル付きメイド用エプロンを作務衣さむえの上から着て、夕飯の準備をしていた。


 マリアのお店をでたあと、みどりと別れ商店街で買い物をしてひばりと帰宅したのである。


 ひばりの希望で、今夜はトンカツをメインにして、あとは付け合せのポテトサラダ、キャベツの千切りにトマト。

 文太のつまみには、枝豆を湯がいておく。


 顔を出した鮮魚店でイカの一夜干しをすすめられ、それも軽くあぶって出すことにした。


 あとは玉葱たまねぎとお豆腐の味噌汁と、糠床から胡瓜きゅうり人参にんじんを箸休めに用意する。

 冷蔵庫の上に乗った小さな時計が午後六時を回った。


「ただいまあ」


 玄関をガラガラッと開けて、大学へ行っていたつぐみがもどってきた。


「つぐみ、おかえり」


「ただいま、おにいちゃん。

 あれっ、ひばりは?」

 

 台所に顔を出したつぐみが目を閉じて、炙られているイカの匂いを嗅ぐ。


「ああ、現在猛勉強中だってさ。

 中間考査では、学年トップの座を死守するなあんて言ってな」


「そっかあ。

 ひばりの集中力って、すごいものね」 


 つぐみは居間の座卓に乗せられた木の器に、クッキーが盛られているのを発見する。


「ご飯まで待てないから、ちょっといただこうかな」


 ひとつつまんで口に入れようとしたとき。


「ああっ!

 つぐみ、待ったあ!」


「えっ?」


 すでにクッキーをポリポリとかじっていた。


「た、食べちゃったのね、それ」


「いけなかったの?

 だってここに置いてあるし。

 あら、かなり美味しいわね、このクッキー」

 

 言いながらもう一枚取り、立ったまま食べる。

 食べ始めると止まらない。


「これは既製品ではなくて、どなたかの手作りね、おにいちゃん。

 あっ、みどりさんか」


 彦一は申し訳なさそうな顔つきで、菜箸さいばしを持ったまま首をふった。


「それはみどりんじゃなくてさ。

 ほら、ひばりもお世話になってる、商店街に英会話教室があるだろ」


「うん、アンディ先生」


「そのアンディさんの、おねえさんが作ったクッキーなんだ」


「えっ、アンディ先生っておねえさんがいたの?

 初耳よ、それは。

 でもすごく香ばしくって、何枚でもいけちゃいそうだわ」


 つぐみはさらにつまんだ。


「そ、そうか、そんなに美味しいのか」


「おにいちゃんも、いただいたんでしょ」


「いやあ、俺はちょっとまだ心の準備ができていないから」


 つぐみは眉をしかめる。


「それで、そのおねえさんとやらは遊びに来たわけ?

 日本に」


「ううむっ。

 なにから説明したものか。

 ああっ、トンカツが揚がり過ぎちゃう!」


 彦一は夕飯づくりに専念することにし、くわしくは食後に話そうと決めた。


 ~~♡♡~~


 夕食がすべて座卓に並ぶころ、ガラガラッと玄関を開ける音とともに、「けえったぜ」と文太ぶんたが帰宅した。

 土日だけは家族全員で夕飯を囲むからだ。


「お帰り、じいちゃん」


「おうっ。

 これはイカの一夜干しの匂いだな、おい。

 それと、トンカツか。

 いいねえ、酒がすすんじまうわな」


「手洗いとうがいはしてよ。

 変な病気を家に持ち込まれたら大変だからな」


「てめえ、なんでわしが病気を持ちこむんだ」


 言いながらも素直に洗面所に向かおうとして、ふと足を止める。


「そういやあ、彦よ」


「うん」


「なんでも、えらいべっぴんな外人さんが出没してるって、知ってるか。

 八百松やおまつの大将が、どこかのモデルか女優じゃあねえかって、騒いでたんだけどよ。

 背ぇが高くってな、金髪の髪を揺らしながら通りを歩いてたんだって」

 

 彦一は、「ああ、そうらしいな」とあいまいに濁す。


「わしは純和風なおなごが好みなんだけどもよ。

 一回くれえ、拝んでみてえなあ、おい」


 事情を知らない文太は、鼻唄を口ずさみながら洗面所へ向かった。


 午後七時の時報とともに、「おーい、できたぞぅ」と彦一は階段下から声をかける。


 バタンッと勢いよくドアを開ける音が響き、ドドドッとひばりが一番に居間へ登場した。


 家着用のTシャツに、夕飯の支度前に彦一が補修しておいた、お気に入りのショートパンツ姿である。


「もうお腹がペコペコだよぅ。

 トォンカツ、トンカツトトンカッツゥ」


 奇妙な節回しで歌いながら、ひばりは自分の定席へストンと座る。

 続いてスエットに着替えたつぐみが階段を下りてきた。

 ガラッと廊下側の障子戸を開き、黒の作務衣さむえを着た文太が上座に胡坐あぐらをかいた。


「さあ、じゃあ食べようか。

 ご飯は炊いてあるから各自でよそってくれな。

 じいちゃん、ビールを冷やしてあるぜ」


「彦、おめえさんも一杯どうだ」


「そうだな、明日も休みだし、今日は色々な意味で疲れたから付き合うかな」


 ひばりとつぐみは台所に立ち、茶碗に炊飯器からご飯をよそう。

 つぐみが冷蔵庫から瓶ビールを出してきた。


「おっ、気が利くじゃねえか」


 文太は嬉しそうに、ビルの蓋を栓抜きでシュポッと抜いた。


 食事するときにテレビはつける。

 ただバラエティ番組などではなく、ニュース番組をBGMのように流すのだ。


「いただきます!」


 全員が声を合わせて夕飯を食べ始めた。


「トンカツにはぁ、絶対にウスターソースよねえ」


 ひばりはドバドバとソース瓶を傾ける。


「ちょっとかけすぎなんじゃない。

 それだとトンカツのサクッとした衣が台無しよ」


「ええっ。

 だってえ、あたしはぁいつもこれくらいはかけないと、ダメなんだからあ」


「いいよいいよ、ひばり。

 好きに食べな」


 つぐみは口元を尖らす。


「おにいちゃんったら、ひばりには甘いんだからあ」


「そんなことはないぜ。

 俺にとっては、つぐみもひばりも大切な可愛い妹なんだから」


「ビールにゃあ、この枝豆が最高だな、おい。

 茹で加減、塩加減共に及第点だ、彦」


「そりゃどうも」


 テレビで、日本の捕鯨船を海外の自然保護団体が襲ったとのニュースが流れていた。


「あいつらはよ、どうして日本を目の敵にしてるのか、わしはわからんわ」


 文太はビールを傾けながら言う。


「動物愛護は必要だけど、クジラって昔から日本人の大切なタンパク源なのよね」


 つぐみは切ったイカを箸で持ち上げ、つぶやいた。


「まあな。

 ところ変わればさ、食べ物だって異なっちゃうかな。

 そのイカだって、絶対に食べない国もあるだろ」


「えーっ、こんなに美味しいのにぃ。

 喰わず嫌いなんて、もったいないなあ」


 ひばりはソースのしたたるトンカツを嬉しそうに口へ運ぶ。


「わしゃあ、先の大戦には参加できる年齢じゃなかったけどよ。

 あのころ戦地へ行ったひとたちは、大半が病気と餓死でなくなったんだ。

 敵さんの鉄砲玉で死ぬのもいやだけどよ、餓死なんてのは御免こうむりたいわなあ」

 

 しみじみと文太はため息と一緒に言葉を吐く。


「戦争には行かなかったけど、じいちゃんたちも食糧不足で難儀してたんだろ」


 彦一もゆっくりとビールのグラスをかたむける。


「ああ、いまの飽食の時代にゃあ想像もつかねえ食生活だったわい」


「食べ物はあったの?」


 つぐみの問いかけに、文太は首をふった。


「ひでえもんだったなあ、つぐみ。

 白い米なぞ夢よ。

 サツマイモのつるや、田んぼで捕まえたかえるとかな。

 イナゴなんかも食って腹をもたせたもんだ。

 それでも食えるだけマシって時代だった」


 文太がしみじみと語る昔話を聞いて、それまで勢いよく食べていたひばりが、しょんぼりと肩を落とし、座卓に箸を置いた。


「あたしはぁ、毎日お腹いっぱいご飯をよばれているのに。

 なんだか申し訳なくなってきちゃった」


 シクシクと涙が頬を伝う。

 彦一はあわてて座卓の下のケースからティッシュを数枚取り、ひばりに渡した。


「ひばりは感受性が豊かだからな。

 泣くなよ。

 でもさあ。

 俺たちのご先祖さん、じいちゃんも含めて、一生懸命この国を建てなおしてくれたから今があるんだ。

 たしかに餓死するひとはまずいないし、作り過ぎた食材をいとも簡単に廃棄する時代になっちまったけどさ。

 俺たちは先人たちに感謝することを忘れなければいいんだ。

 それよりもな。

 いっぱい食べてさ。

 毎日明るく元気に過ごして、俺たちの子孫にそれをバトンタッチできるようになればいいんじゃないかな。

 にいちゃんはそう思うぞ、ひばり」


 ひばりはティッシュで涙を拭きながら、コクンとうなずいた。


「さっ、いただこうじゃないの。

 それに、食事が終わったらみんなに相談があるんだ」


 彦一は真面目な顔つきで言った。

                                  つづく

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