鶏めし・五杯目

黒蜥蜴くろとかげセット』の半分をいただいたひばりは、何食わぬ顔でおとなたちの会話を聞いている。


「そうなのです。

 わたしのおねえさんは、フランスで修業したシェフなのです」


「つまり、フレンチ料理人ってわけだ」


 彦一ひこいちはみどりを見た。

 みどりは首肯する。


「はい。

 フランスの有名な料理店で腕を磨いて、てっきり母国のアメリカでお店を開くものだとわたしは思っていました。

 ところがどっこい。

 おねえさんは、なぜか日本での就労ビザを取得して、この地で店を開きたいとわたしに言ってきたのです」


 アンディは肩をすくめ、両腕をあげた。


「お店って、フランス料理のかい?」


 彦一の問いに、アンディは深く大きなため息を吐き、隣のみどりに助けを乞うような視線を向ける。


「それがね、彦ちゃん。

 フランス料理じゃないの」


「だっておねえさんはフレンチのシェフなんだろ?

 あっ、じゃあなにか、イタリアンかな?

 まさかの、中華料理?」


 彦一は、お冷の氷を美味そうに噛み砕いているひばりと目を合わせた。


「あたしはぁ、ベトナム料理って食べてみたいなあ。

 フォーにパクチーとかいっぱいのせて」


「えっ、ひばりってパクチーなんか食べたことあるの?

 家では出したことないけどなあ」


「だからあ彦ちゃん。

 食べたことがないから食べたいのぉ」


「そ、そうか」


 兄妹きょうだいの会話を聞きながら、みどりはテーブルの上に身をのり出し口元に両手をあてがった。


「ヘビ、コウモリ、ミミズ、ウーパールーパー」


 みどりは声を潜め、ささやいた。


「えっ?

 なんだって?

 謎かけかい?

 それがどうかしたの、みどりん」


「それらを食材に使った、お料理よ」


 彦一は口を開けたまま固まった。


「あたしぃ、わかったあ!

 いわゆるぅ、ゲテモノ料理って種類でしょ」


 ひばりの素っ頓狂な声に彦一は、ハッと我に返った。


「ゲ、ゲテモノ料理ィッ?」


 アンディは真ん丸な顔を縦にふる。


「そうなのです。

 わたしのおねえさんは、ゲテモノ料理店を開くつもりなのです」


「だから彦ちゃん。

 ふつうの一般的なフレンチのお店としておねえさんに開店してほしいのだけど、そのためになにか良い知恵はないかと、アンディさんは相談にこられたわけ」


「いや、それもそうだけどさ。

 なぜフランス料理のシェフがゲテモノ? を扱うって路線になっちまったのさ」


 腕を組む彦一。

 アンディは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「おねえさんの料理人としての腕前は、身内びいきではなく本物だと思います。

 ただ昔から少し変わった思考があったことは、否めません。

 フランスで修業を終えたおねえさんは、一年ほどかけて色々な国を旅しました。

 フランス料理の古い形式やら格式を、アレンジしたいとの想いからだったようです」

 

 一度言葉を切り、アンディはお冷のグラスで口を湿らせた。


「おねえさんはアジアのある地域で、出会ってしまったのです、ゲテモノ料理に。

 脳天をハンマーで殴られたような衝撃を受けたそうです」


「そりゃあ、受けるわなあ。

 だって、爬虫類や昆虫だろ」


 眉を寄せる彦一。

 みどりも話を聴くたびに表情を曇らせる。


「これほど美味なる食材に、どうして気づかなかったのか。

 料理人として、痛恨の極みだったそうです。

 それからです。

 ゲテモノ料理の神髄を極めるためにさらに世界をまわり、ようやく技術を手にしたおねえさんは、この地でゲテモノ料理を広めんと決意したそうなのです」


「決意ったって、いったい誰が食べにくるのよ。

 ゲテモノ料理愛好家なんて、そんなにいないだろうし」


「あたしはぁ、ちょっと興味あるかもー」


 ひばりの声に、彦一は片眉を上げた。


「ひばりねえ、いくらおまえが無類の大食漢といえどよ、コウモリだぞ。

 トカゲの丸焼きだなんて」


 自分の言葉に彦一は宙を向く。


「丸焼きかあ。

 備長炭で焼いたらいったいどのような味になるのか。

 なんだか、美味そうなイメージが」


 みどりはそんな兄妹きょうだいをあきれた顔で見た。


「彦ちゃん。

 そんな想像はしなくてもいいから。

 アンディさんとしては、なんとかおねえさんの愚行を阻止したいがために相談してるのよ」


「ああ、そうだったね。

 わるい。

 それで、おねえさんは」


「はい。

 お店の改装を、ひとりでやっています。

 お店のハコにお金をかけるよりも、食材を重視したいらしいのです。

 異様にお高いフレンチ料理界に一石を投じるためには、料金体系をぐっと下げて、誰もが気軽にお食事できるようにしたいと言っています」


「じゃあさ、いまから行ってみようか」


「あたしもぉ行くわよ、ミスター・アンディ」


「そうね。

 ここで話し合ってても仕方ないし。

 じゃあ行ってみましょう」


 みどりは伝票を持って立ち上がった。


 ~~♡♡~~


 商店街は相変わらずひとが多い。

 四人はざわめきのなか、ほとんど会話もせず進んでいた。

 季節はまもなく梅雨のシーズンを迎える。


 人々の熱気とアーケードに差し込む太陽の光で、通りは蒸し暑い。

 彦一はふところから日本手ぬぐいをだして、額の汗を拭いた。


 路地に面した角に、そのビルは建っている。

 一階はシャッターが閉じており、二階には「アンディ英会話教室」の看板が掲げてあった。


 アンディは三人を路地からビルの裏側に案内する。

 少し錆の浮いた鉄のドア。

「当ビル二階・アンディ英会話教室」とプリントされたプラスティック製の表札だけが、ピカピカに磨かれていた。


 そのドアを開けてなかへ入る。

 狭い踊り場があり左手には二階へ続く階段、正面にはもう一枚ペンキの剥げた鉄製のドアが閉まっていた。


 なんだか得体のしれない瘴気しょうきが漂っているようで、彦一はゴクリと喉を鳴らす。


「では、まいります」


 アンディはノブを回す。


「ちょ、ちょっと待った、アンディさん」


 彦一はアンディの肩に手を乗せた。


「はい?」


「いや、なんでもない」


 彦一の額にひとすじの汗が流れる。


「それでは」


 アンディの丸っこい指がノブをつかんだ。


「いや、やっぱり、ちょっと待った」


「どうしたの、彦ちゃん」


 怪訝けげんな表情でみどりが彦一を見上げる。


「たしか、おねえさんは、この奥でそのうゲテモノ料理を作っちゃったりしようとしてるんだよね」


「ええ、残念ながら」


「ということはだ。

 もうすでに食材となる爬虫類や蟲が、わんさかと運ばれてるかもしれないよな」


「おねえさんは極秘に進めていますから、わたしもくわしくはわからないのですが」


「仮にだ、仮に。

 食材がすでに搬入されておったとしてだな。

 全部が死んでるわけじゃあないかもしれないよね」


 彦一の問いに、アンディは不思議そうな表情を浮かべた。


「ああ、もちろんです。

 乾燥させているならともかく、どんな料理にするにせよ、食材は鮮度が求められますから」


 もっともな返答に、彦一はいつでも全速力で逃げ出せるような体勢をとる。


「あーっ、彦ちゃん。

 まさかコワいんじゃないでしょうねえ」


 みどりは言いながら、がっしりと彦一の腕をつかむ。

 腕力では敵わない。


「な、なにをおっしゃるの、みどりん。

 たかがトカゲでしょ?

 ちいちゃなカナブンでしょ?

 俺がそんなものを怖がるなんて」


 ひばりが何食わぬ顔で言う。


「でもぉ、彦ちゃんはお店にゴキちゃんがちょろっと走るだけでぇ、家族全員を集合させてぇ、死に物狂いで殲滅せんめつさせようとするんだよぉ」


「ひ、ひばりちゃん。

 うちは食べ物商売なんですよ。

 ゴキちゃんが発生してだな、不衛生な店だなんて口コミで騒がれちゃたらさ、評判ガタ落ちになるでしょ。

 そう!

 だから俺は害虫から店を死守すべく」


 みどりはため息を吐いた。


「ごたくは結構よ、彦ちゃん。

 なんならここでひとり残って待っててよ」


「そうだよぅ、彦ちゃん。

 あたしはぁ、すでに興味津々なんだからぁ」


 アンディは場の空気を読んだ。


「たしかに彦一さんのおっしゃることは一理あります。

 毒蜘蛛くもや大蜈蚣むかでなど、もしみなさんに危険が及んでは申し訳ありません。

 とりあえずわたしひとりが入って、おねえさんを呼んできます」


 毒蜘蛛に大蜈蚣と聞いて、みどりも額にひとすじの汗を流した。


「わ、わたしは別に平気なんだけどぉ。

 そう?

 アンディさんがそうおっしゃるなら、待とうかな」


「あたしはぁ、いくもーん」


 スキップしながら魔窟へ入って行こうとするひばりを、彦一は必死で止めた。

 ガッチャアンッ、とドアが閉まった。


 シンと静まりかえる踊り場。

 一分経過し、さらに五分経った。


「みどりん、まさかおねえさんとアンディさん、大量の毒蟲や毒蛇に襲われてるんじゃ」


「っんなわけないでしょ、彦ちゃん。

 たかが食材じゃない」


「でもさ、うちで扱ってる鶏とはわけが」


 その時だ。

 バキッバキッ、バリバリバリッ!

 ガラガラッドッシャーンッ!

 と、ものすごい音がドアの向こう側から響いてきた。

                                  つづく

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