鶏めし・四杯目
喫茶店「サーカスの怪人」の店内には壁に本棚があり、
さらに映画やテレビドラマになった作品のポスターや写真が、大きな額に入れられ飾ってある。
お馴染みさん連中はそれこそ馴染んでいるから、まったく気にしない。
アケチさんの作る定食や、サイフォンで
「それで、みどりん。
アンディさんの相談事って、どんな内容なのさ」
彦一は揚げたてのエビフライに、自家製タルタルソースをからめながら訊く。
みどりは向かい合って座っているひばりが、とんでもないスピードで『少年探偵団ランチ』を食す姿に驚愕の表情を浮かべながら、味噌ラーメンをすすっていた。
「そうそう、それ。
アンディさんがあのビルの二階を借りて、英会話教室を開いてるんだけど」
「そこまでは知ってるよ。
で、そのアンディ英会話教室がなにか問題なのかい?」
「彦ちゃん、質問。
一階がいまどうなってるかって、知ってる?」
その問いかけに、唐揚げを笑顔で頬張るひばりが手を挙げる。
「えっとぉ。
なんだかシャッターを閉めたままぁ、工事なのかお引越しなのか、ガタガタしているような音が聞こえてきたよ、この前の授業のとき」
「工事?」
彦一はビルの外観を思い出す。
ビルといっても鉄筋コンクリートの二階建てであり、それほど広い敷地ではない。
みどりはレンゲでチャーハンをすくい、うなずいた。
「ひばりちゃんの言う通り、一階は改装工事をしているの」
「でも業者がシャッターを開けて何かをしている様子は、なかったような。
俺の勘違いかなあ」
「ううん、彦ちゃんは正しいわ。
それでアンディさんが悩んでいるのよ」
みどりの言葉が理解できず、彦一は箸を持ったまま首をひねる。
なぜ改装工事に、二階のアンディさんが困っているのか。
今度はひばりもお世話になっている、アンディさんを思い浮かべた。
本名アンディ・ブラックモア。
アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。
外国語教師としての資格と就労ビザを所有しており、英会話教室と専門学校の講師として働いている。
ただ好青年と解釈する中味は、彼の人間性だ。
とても礼儀正しく、商店街の自治会にも入り、ご近所の評判もかなり良い。
一方、見てくれである。
身長は彦一よりも低いのに、横幅が相当デカい。
いわゆる、メタボ体型である。
しかも米国人のわりに、顔に凹凸がほとんどない。
のっぺりとした真ん丸な面立ちだ。
だから笑顔を浮かべると両目が線を書いたようになり、愛嬌があった。
もちろん日本語は母国語のように操る。
カランッ、とお店のドアに吊るしたカウベルが鳴った。
彦一とひばりは入口に背を向けた席のため、新規のお客さんは見えない。
みどりがそちらに手をふった。
「アンディさん、ここ、ここよ」
彦一とひばりは背後を振り返った。
入口には真っ白なカッターシャツに紺色のズボンをサスペンダーで吊るした、金髪碧眼のビヤダルが立っている。
いや、アンディそのひとであった。
まだ暑い季節ではない。
ところがアンディは額から汗をしたたらせ、手にしたハンドタオルでひっきりなしに顔をぬぐっている。
「ああっ、みどりさん!
大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。
おやっ、彦一さんにひばりさんまでご一緒に?」
アンディはやや高めの、よく通る声でテーブルに寄って来た。
「ミスター・アンディ、グッドゥアフタヌーン」
ひばりは手をふり、挨拶する。
「やあ、いつも妹がお世話になっちゃって」
彦一も頭を下げた。
「いえいえ、ひばりさんはとても優秀な生徒さんです。
わたしも、とてもお教えがいがあります」
近寄って来ただけで、ものすごい圧迫感がある。
お腹周りは力士のようだ。
ただニッコリと浮かんだ自然な笑顔は、見る者を
「アンディさん、悪いんだけど先にランチをいただいちゃったわよ」
みどりはテーブルを指さす。
アンディはあわてて両手をふった。
「もちろんですとも。
あっ、どうぞみなさん、お構いなく召し上がってください」
そこへトレイにお冷のコップを持ってきた小林少年が、オーダーを取りに来た。
すっかり禿げ上がった還暦の男性を少年と呼ぶのはどうかと誰もが思っているが、このお店では当たり前なので指摘するお客さんはいない。
「わたしは、この『
メニューを指さしながら、アンディは小林少年に告げる。
「ミスター・アンディ、年下のあたしがぁ老婆心ながらと、違和感のある言葉を使っちゃいますけどぉ」
ひばりはすでに誰よりも早くプレートの上を綺麗にし、小首をかしげた。
「ひばりさん、プリーズ。
その老婆心とやらをお聞かせいただけますか」
「あのぅ、この『黒蜥蜴セット』は女性向けのサンドイッチですよ。
あたしならぁ、かるーく五皿はいただけてしまうほどの量しかありませんの」
ひばりは向かいに腰を下ろした先生の、お腹をじっと見つめる。
黒蜥蜴とはこれまた奇妙なネーミングであるが、江戸川乱歩の長編小説「黒蜥蜴」からちょうだいしたようだ。
黒蜥蜴は、物語にでてくる女性盗賊のことを指す。
一般の喫茶店であれば、レディースセットといったところか。
「ああ、ひばりさん。
ありがとうございます、お気遣いくださり。
でもいまはこれで充分なのです」
ハアッと知らずため息を吐く。
みどりは気の毒そうな目を向け、それを彦一に転換する。
「そういうわけなのよ、彦ちゃん」
「いやいや、だから俺は名探偵ではないから。
どういうわけなのさ、結局」
海老の尻尾まで噛み砕きながら、ごくりと飲み込んだ彦一。
『黒蜥蜴セット』が運ばれてきた。
彦一、みどり、ひばりはランチをきれいにたいらげ、ドリンクはそれぞれホットコーヒーにレモンティ、そしてマンゴージュースをオーダーした。
「それでは、いただきます」
アンディは胸の前で両手を組み、神さまへの感謝の言葉を口ずさんだ。
「実はね、あのビルの一階は改修工事を行っているんだけど、周囲には極秘扱いなんだって」
「まさか、ヤバい連中が違法な裏カジノかなんかをするために」
「いや、彦ちゃん、安心して。
いたって健全なお店になる予定よ」
「じゃあさ、なぜ極秘なの」
みどりは横でサンドイッチをゆっくり頬張るアンディをちらりと見て、顔をもどした。
「お店のオープンを、サプライズでしたいそうなの。
新しい経営者のかたは」
「サプライズって。
別に健全なお店、なんのお店か知らないけど、ご近所にサプライズしたってあまり意味ないんじゃないかなあ」
彦一は作務衣の腕を組んだ。
隣に座るひばりはストローでジュースを飲みながら、じっとアンディが食べているサンドイッチに、まるで獲物を狙う
気づいたアンディが、ニコリと微笑み皿をひばりの前にづらした。
彦一は「こらっ、ひばり。女の子がそんなはしたない」と、とがめるも、どこ吹く風と、ひばりは嬉しそうに手を伸ばし、「サンキュウッ、ミスター・アンディ」と素早く口に運んだ。
「すみません、彦一さん」
「あっ、いや、こちらこそ申し訳ない!
いまたらふく食ったところだってえのに、こいつ。
もう年中腹を空かしてて、少しはレディらしくしてくれないと」
「ああ、いえ、そうではなくて。
若いひとは、いっぱい食べないといけません」
アンディのフォローに、ひばりはドヤ顔で兄を見上げる。
「わたしが謝罪したのはですね。
そのサプライズだとか奇妙な行動を取っているのが、実はわたしの姉なのです」
「はっ?
アンディさんの、おねいさん?」
彦一は大きな目をさらに見開いた。
つづく
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