鶏めし・三杯目

 土曜日はここ「本陣ほんじんメーエキ商店街」では特売サービスディとして、各お店はそろいのノボリを店前に掲げる。

 かなり安いので、近隣以外からも買い物客が訪れる。


 また鮮魚店、精肉店、惣菜店では店前にフライヤーや棚を出して焼きイカやコロッケ、唐揚げといった香りから胃袋を刺激する商品を販売するため、若者や外国人観光客がそれを目当てにやってくるのだ。


「ああっ、このかぐわしき油の匂いにぃ、あたしのお腹が」


「ひばり。

 まだ十時前だし、朝ご飯もいったい何人前召しあがったと思ってるの」


 彦一ひこいち作務衣さむえ雪駄せったを履き、横を歩く妹に意見する。


 ボーダーのシャツにキュロット姿のひばりは、可愛い小鼻をひくつかせながら彦一を見上げた。


「あたしはぁ、おうちで一番若いのだよ、彦ちゃん。

 したがって、アッという間にお腹で消化されてしまうのです。

 お肉屋さんのコロッケってぇ、これがまたどうしてあんなに美味しいのか。

 リケジョのあたしはぁ、一度研究しようと目論んでいます」


 こう見えて、実は三兄妹きょうだいのなかで一番勉強ができるのが、ひばりなのである。


 飯をひとさまの二倍、いや三倍以上軽く食すだけのことはある。


 通知表も音楽以外の教科は、すべて最上級の「5」をもらってくるのだから大したものである。

 

 生みの親であるママは、プロのヴァイオリニストであったにも関わらず、なぜか音楽だけは大の苦手のひばり。


 ふたりは混雑する通りを歩きながら、菓子間かしま薬局の前にたどり着いた。


「えっ!」


 彦一は、店前に大勢のお客さんがわらわらとたかっているのに驚愕する。

 外見から、アジア大陸からの観光客たちらしい。


 ふだん、土曜の特売日であっても薬局が混むことはほとんどない。

 だからたいていは、みどりひとりが店番をしているはずだ。


「彦ちゃん、なんだかすごいひと」


「ああ。

 もしやみどりん、てんてこ舞いになっちゃてるのじゃ」


「よーし、護身術の師匠を弟子のあたしがお助けしまーす。

 いくわよぅ、彦ちゃん!」


 ひばりは勇ましく鬨の声をあげると、彦一の腕をひっぱり、走りだす。


「いっ、痛いから、ひばり!

 そんなにひっぱったら痛いから!」


 彦一は脚をもつれさせながら、ひばりと共に店内へ飛びこんで行った。


 ~~♡♡~~


「助かったわぁ、ひばりちゃん。

 ありがとうね、お手伝いしてもらっちゃって」


「いえいえ、なにみずくさいことを。

 だってえ、みどりちゃんはぁ、あたしの師匠なんだから、当たり前なんだもーん」


 押し寄せていた観光客の団体は、処方箋しょほうせんがないと販売できない第一種をのぞく医薬品やら、洗剤に消臭剤、避妊具にいたるまで、店内に陳列されていたほとんどの商品を購入し、去って行った。


 軍隊アリが通過した森のように、棚からはほとんどの商品がなくなっている。


「それにしたって、あなたのおにいさま、こんなに体力がなかったっけ」


 みどりは白衣の袖をまくり上げて接客をしていた。

 長い脚にジーンズが良く似合う。


 みどりのさげすんだような視線を浴びている彦一は、カウンター前に置かれた椅子に座り込み、カウンターに突っ伏していた。


「あははっ。

 彦ちゃんの細腕はぁ、串しか持てないのでーす」


「情けない。

 ああ、情けない。

 情けない」


 悪口を耳にし、彦一は顔をゆっくりふたりに向けた。


「いや、ちょっと待った。

 あのね、俺は精一杯頑張っていたでしょ。

 言葉も通じないのに、身振り手振りで」


 みどりはお店のクーラーボックスから、冷えた缶コーヒー二本とオレンジジュースの缶を持ってきた。


「だけどさあ、ひばりちゃんって語学の才能バッチリだよね。

 外人さん相手にペラペラなんだもん、驚いちゃったわ」


 みどりからオレンジジュースを受け取ったひばりは、満面笑みを浮かべてプルタブを引く。


「あたしはぁ、将来宇宙物理学者になってぇ、NASAへ就職するんだよ。

 だからぁリケ女だけど、英語もうーんと勉強してるんですぅ」


「はあっ、エラい!

 さすがはわたしの愛弟子よっ」


 女子トークから外された彦一は、ポツンとカウンターに座ったまま、みどりから受け取った缶コーヒーをかたむける。


「コーヒーが沁みるなあ。

 ところで俺たちは、なぜこの多忙な任務を背負わされ」


 彦一は首をひねり、本来の目的を思い出した。


「いやいや、お店を手伝うために来たんじゃないってえの。

 みどりん、今日は、あなたに呼ばれて俺たちは来たんだよ」


「えっ?」


「なに、その『えっ』って疑問符は。

 あなた、昨日店に飲みに来て、相談があるって言わなかったっけ?

 アンディさんの件で。

 だからひばりも連れてきたんだよ」


 寄せていた眉を、みどりはつり上げる。


「そうだったわ!

 ごめーん、彦ちゃん。

 お店がパニック状態だったから、すっかり忘れちゃっていたわ。

 ごめんねえ」


 みどりはしゃがみこんで、おもねるような視線で彦一を見上げた。

 ポッと頬を染める彦一。


 ひばりは、「なんてわかりやすいんだ、彦ちゃんって」とつぶやいた。

 みどりは腕時計を確認する。まもなく正午だ。


「じゃあ、いこっか」


「えっ、どこへ?」


「彦ちゃん、この場合ぃ、みどりちゃんはぁ、あたしたちと一緒にミスター・アンディの所へいくんだなあって推測しないとぉ」


「俺、名探偵ナントカじゃあねえし」


 彦一は聡明な妹に、口元を尖らせる。


「もう、高校生にムキになっちゃって」


 みどりは姉のような笑みを浮かべた。


〜〜♡♡〜〜


 三人は商店街の喫茶店「サーカスの怪人」へ出向いた。

 店内の四人掛けテーブルへ座る。


 薬局は、みどりがシャッターを下ろしてきている。

 どうせ明日の日曜日は隔週の定休日だし、商品を倉庫から補充しなくてはならないから。

 予想外な特売デーであった。


 この喫茶店の店名である、「サーカスの怪人」。

 かなり変である。

 店主のアケチさんが、江戸川えどがわ乱歩らんぽを敬愛してやまないことから、少年探偵団シリーズのひとつ「サーカスの怪人」から命名したらしい。


 もちろんアケチさんは、本名ではない。

 御年七十歳を迎えるアケチさんは、その風貌が乱歩の描く名探偵明智あけち小五郎こごろうに似ているため、開店当初から親しみを込めてお客さんたちはアケチさんと呼んでいるのだ。

 ご本人もそれが嬉しいらしい。


 みどりはアンディとこの喫茶店で、午後一時に待ち合わせているという。


「きょうはわたしの驕りよ。

 ランチタイムを楽しみましょう」


「みどりん、俺たちのぶんは払うから」


 生真面目な彦一は言う。

 みどりは白衣を脱ぎ、白いトップスにジーンズ姿であるがシンプルなぶん、その美貌を際立たせていた。


「だってふたりがヘルプしてくれなかったら、多分わたしはキレてお客さまたちにお帰り願ったかもしれないからさ。

 わたしにここは任せて」


「いわゆる恫喝どうかつ、ね。

 そりゃあ、みどりんにキレられたらお客さんは一目散に逃げるわなあ。

 そこいらのチンピラよりも断然コワ」


「ひ、こ、ちゃん」


 みどりは切れ長の目でギロリとにらんだ。

 極道もビビる、この目力。


 彦一は「いもんなあ」という言葉を、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。

 みどりの地雷を踏んだらどんな目に合うのか、幼い頃よりいやというほど身体が覚えている。

 あやうく失禁するところであった。

 その窮地を妹が救ってくれる。


「あっ!

 あたしは『少年探偵団スペシャル』のぉ、特盛をお願いしようかなあ」


 天真爛漫てんしんらんまんな声で、メニューを指さす。

 彦一は呪縛から逃れたかのように、ホッと椅子にもたれる。

 少し漏れていたのは、内緒である。


「あっ、あーっと。

 じゃあ俺は『コゴローランチ』ね」


「っもう、彦ちゃんたら!

 わたしはマジにお嫁入り前の、清楚な乙女なのよ。

 失礼しちゃうわね。

 ええっと、わたしは『怪人二十面相ランチ』にするわ」


 店内はお昼どきでもあり、にぎわっている。

 アケチさんが「小林少年」と呼ぶアルバイトのウエイターと、「文代さん」なるウエイトレスが店内をせわしく周っている。


 ちなみに「小林少年」は証券会社を定年退職した、六十歳の男性であり、「文代さん」はアーケード街裏の新興住宅で、主婦をしている五十歳を過ぎた婦人である。


 三人は、オーダーを取りにきた小林少年に、それぞれ注文をした。


 ちなみに『少年探偵団スペシャル』は、煮込みハンバーグに唐揚げとコロッケ、さらにケチャップで彩りも鮮やかなスパゲッティとサラダがワンプレートに乗っている。

 若者向けの一皿だ。


『コゴローランチ』はナゴヤ名物エビフライ二尾とサラダ。

 セットには、ご飯とお味噌汁がつく。


『怪人二十面相ランチ』は変幻自在の日替わりランチで、本日はアケチさん特製の味噌ラーメンと半チャーハンがセットになっている。

                                  つづく

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