第二話「焼き鳥職人は、食わず嫌い」

鶏めし・一杯目

 ガラッと店のドアが開く。


「まいどっ」


 彦一ひこいちは煙の立ちこめる焼き場から顔を上げた。

 時刻はまもなく午後八時。

 カウンターとふたつあるテーブルは埋まっていた。


「あらっ、みどりんじゃないの」


 彦一は焼き途中の串を両手で返しながら、暖簾のれんをくぐってきたお客さんに目を向けた。


「なんだあ、たまには彦ちゃんの焼いてくれる串でいっぱいやりたかったのにい、満席じゃないの、ちょっとぉ」


 みどりはカウンターを陣取っている、常連のお客を切れ長の目でにらんだ。


 すでに薬局のシャッターは下ろしてきたのだろう。

 白衣ではなく、ブルーの半袖シャツに紺系のカーゴパンツスタイルだ。


 古武術師範の鋭い一瞥いちべつは、常連の商店街店主たちを震え上がらせる。


「あっ、みどりちゃん。

 わしらはそろそろ引き上げるところだったんだ」


「どうぞどうぞ、このカウンターの特等席へお座りください」


 カウンターで、いそいそと三人が立ち上がった。


「あれ、まだ三十分も経ってないのに」


 彦一は不思議そうな顔で店主たちを見つめる。


「ああ、いやなにね。

 これからちょっと野暮用でさ」


「そう?

 ここへ来たらホントゆっくりしてよね、遠慮せずにさ」


 彦一は三人から代金をもらう。

 みどりは三人に色気を充分含ませた流し目を送り、「悪いわねえ、なんだかあわてさせてしまって」と鼻にかかる艶々つやつやな声音で会釈した。

 初老の店主三名は、みどりのお色気に顔を上気させながら出ていく。


「わたしからの、特別サービスでございまあす」


 三人にウインクを送り、ついでに手をふると、木製の椅子をカウンターから引き出して腰を降ろす。


「あいよ、今日のつきだし」


 小鉢のなかには「山形やまがただし」をかけた冷やっこ。


 山形だしは胡瓜きゅうり茄子なす、みょうが、大葉おおば、それに生姜しょうがと昆布を細かく刻み、昆布のとろみがついたところへしょうゆ、みりん、酢と砂糖を少々まぶしたタレをかけてある。

 これをご飯や豆腐にかけて食すのだ。


 山形県村山むらやま地方の郷土料理である。

 近ごろでは牛丼のチェーン店でも、バージョンのひとつに取り入れているメジャーな料理である。


「あっ、これは涼しげ。

 じゃあ飲み物は、梅酒のソーダ割りをもらおうかな」


「梅酒ソーダ割りね、あいよ」


 彦一は後部の棚からピカピカに磨いたグラスを取り、梅酒の入った瓶から柄杓ひしゃくで原液を入れる。

 当然ながらこの梅酒も彦一のお手製だ。

 添加物は一切入っていないから、梅本来の香りと旨味が鼻孔をくすぐる。


「みどりん、なにか焼こうか」


 梅酒ソーダ割りをカウンターへ出して注文を訊く。


「そうねえ。

 彦ちゃんが焼いてくれるなら、なんでも美味しいくいただけるわたしなんだけど」


「それならさ、こんなのはどうよ」


 彦一は悪戯を仕掛ける子どものような表情で、なにかを焼き場で作業しだす。


 みどりは「ああっ、やっぱりこのおだしっていいねえ。冷やっこが別物よ」と小鉢から豆腐を口に運ぶ。

 しばらくして。


「はいよ、お待たせ」


 お皿に盛られた二本の串。

 みどりはまだ熱い煙を出している焼きたてのそれを、眉をしかめて見つめる。


「これって」


「うん、砂肝だよ」


「砂肝って、こんなだったっけ」


「ああ、普段出してる砂肝とは別さ。

 これから気温がどんどん上昇していくから、夏場にはもってこいの新バージョンなんだ」


 みどりは一本持ち上げた。

 このお店では、砂肝はひとつを丸ごと焼いて提供してくれる。

 口に入れて歯で噛むと、プッンッと弾けるような感触が気持ちいい。


 ところがいま目にしている砂肝は、色がいつもと違うのだ。

 焼いた肉色、ではなく、むしろ白さが際立っているように思う。


「大丈夫だから、みどりん。

 だまされたと思って、ひとつ食べてみなよ」


 彦一は自信ありげに腕を組む。

 みどりは初の実験台に乗せられた思いで、目をつむって串からひとつ口に入れた。


「ヒーッ、なにこれ、か、辛いーっ!

 あっ、でも待って」


 顔をしかめて砂肝を咀嚼そしゃくする。

 すると辛さのなかに砂肝本来の旨味が鼻を抜けていく。

 なんという清涼感なのか。

 辛いのだけれど、噛みしめるたびに旨味が鼻孔を刺激していく。


「これって、もしかすると」


「うん、白胡椒しろこしょうを大量にまぶして焼いたんだ。

 口に入れた瞬間は香辛料の辛さが舌を刺激するけど、どう?

 ひとつ食べたあと、お酒で舌をしめらせてごらんよ」


 みどりは言われた通りに梅酒のソーダ割りを傾けた。


「お、美味しい!

 ええーっ、なにこれ。

 わたし、初体験よ彦ちゃん」


 彦一は満足そうにうなずいた。


「俺もね色々試したけど。

 この白胡椒まみれの串は、砂肝がピカイチの相性なんだ」


 ヒリヒリする舌を、梅酒の甘みが流してくれる。

 その直後、またその胡椒を大量にまぶして焼いた砂肝を食べたくなる。

 みどりは口で空気を吸い込みながらも納得した。


「彦ちゃん。

 あんたはやっぱり焼き鳥に人生すべてを捧げるべき男よ。

 ああ、この刺激、たまらないわあ」


 みどりは色っぽい眼差しで、彦一を見つめる。

 本人はすでに他の注文で串を焼き始めており、まったく気付いていない。

 みどりは眉間にしわを寄せ、「もうっ、鈍感なんだから」と鼻息を荒くした。

 

 店内は入れ替わり立ち代りお客さんたちが入ってきて、彦一は焼き場で串を焼きながらオーダーの入ったアルコールを作っていく。


 みどりは三杯目の梅酒ソーダ割とつくね、ハツを食していた。


 店の壁に取り付けられた時計が午後十時を差す。

 ようやく落ち着いた彦一は、ホッと息を吐いた。


「正肉でも焼こうか、みどりん」


「いえいえ、もうお腹がいっぱいよ。

 どれもこれも美味しかった。

 ところでさあ、彦ちゃん」


 彦一はシンクで洗い物をしながら、「うん?」と顔を向ける。


「ちょっと、相談があるんだけどなあ」


「相談?

 俺で良ければ、なんでも言ってよ」


 彦一はニッコリと笑顔で応える。

 みどりは少し思案気な表情を浮かべて、トーンを落とした声でカウンター越しに彦一を見上げた。


「実はさ」


「えっ?

 ま、まさかみどりん。

 タ、タイプの男性と出会ったとかかっ」


「んもうっ!

 茶化さないでよ。

 そんな男がいるわけないでしょ」


「ああ、よかったぁ」


「うん?

 いま、もしかしたらよかった、なんて言ってくれたわけ?」


 彦一はあわてて咳払いする。


「い、いやいや、そうなんだあって言ったんだけど」


 みどりは斜め下を向いて、舌打ちをする。


「まあ、それはそれとしてよ。

 彦ちゃん、本屋さんの横にある小さなビルは知ってるでしょ」


「ああ、もちろん。

 以前は和菓子屋さんだったよね。

 子どもの日やひな祭りのときに、じいちゃんがお菓子を買ってくれたっけ。

 たしか一昨年おととしだったか、廃業したのはさ。

 職人のオヤジさんとおばさんの、夫婦ふたりだけで店を切り盛りしてたもんなあ。

 さすがに歳には勝てないって、あっさり引退しちゃったんだよな」


「そう。

 彦ちゃんやわたしみたいに、お店を継いでくれるお子さんに恵まれなかったからね」


 彦一は腕を組む。

 たしかにこの商店街でも後継者がいなくて店をたたんだり、または建物だけを賃貸したりと入れ替わりがある。

 これは「本陣ほんじんメーエキ商店街」だけの問題ではないだろう。


 シャッター街と化し、わけのわからぬスプレーアートで落書きだらけの通り筋も多い。


 これがバンクシーのような世界的な芸術家が描いてくれたのなら、意味合いも変わってくるが。


「でもさ、みどりん。

 いまはあのビルの二階を借りたアンディさんが、英会話教室をやってるじゃない。

 うちのひばりも、中学生のころから通ってるぜ」


 カウンターに肘をついて、ほんのり染まった小顔を手のひらに乗せていたみどりは、顎をあげて指を鳴らした。


「そこよ、彦ちゃん」


「どこよ」


 真面目な表情で彦一は訊いた。

                                  つづく

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