焼き串・十本目

 文太ぶんた下駄ゲタ派であるが、作務衣さむえには雪駄せったが一番だと思っている彦一ひこいち


 アーケード街を何度か転びそうになりながらも駆け抜けて、路地へ入り、自宅玄関を勢いよく開けた。


 背中のよしのは、レジャーランドの遊具で楽しむ子どものように、キャッキャッと声を立てて笑っていた。


「オヤジ!

 帰ってるのか!」


 雪駄を三和土たたきで脱ぎ捨て、居間に飛びこむ。


「おや、彦一くん。

 お帰りなさい。

 先だっては、あまりにもよく寝ておいでだっので、起こさぬように失礼いたしましたよ」


 座卓の前では文太がしかめっ面で腕を組んで胡坐あぐらをかいており、反対側にはグリーンの高級そうなジャケットにうぐいす色のシャツ、ブルーの綿パンを履いた初老の男性が、座ったまま手を挙げてふっている。


 絢辻あやつじ茂根彦もねひこ、その人である。


 ウエーブのかかったやや長めの髪はブラウンに染められ、鼻の下には刈り込まれた髭をたくわえている。

 薄いブルーレンズのサングラスがよく似合っていた。


「オ、オヤジ、いったいどういうつもりで」


 興奮している彦一は、言葉が出てこない。

 文太はしわぶきをひとつ立て、彦一に言う。


「まあ、落ち着いて座れや、彦。

 買い物カゴはその辺に置いてよ」


 うなずくと買い物カゴを廊下に置いて、茂根彦に怒りの眼差しを向けたまま、文太の横に腰を降ろした。


「お店のほうはどうやら繁盛しているようですなあ。

 まあ、彦一くんは器用だから、おとうさんの跡を立派に継いでなによりです」


 茂根彦はよく通る声で、笑顔を浮かべる。


「こっちはオヤジの代わりに店も家も守ってんだ。

 そんなことはいいさ。

 それよりも、この、よしのはどこでこさえたんだ、ああっ?」


 けんか腰で詰め寄る彦一。

 その肩を、文太の手が押さえた。

 茂根彦は意味がわからないな、と不思議そうな表情を浮かべた。


「彦よ、そのよしのはな、おめえたちと血のつながった妹じゃねんだよ」


 文太の言葉に、彦一は「えっ」と驚いた。


「おい、茂根の。

 てめえからきっちりと説明してやれや」


 彦一は文太を見て、茂根彦のほうへ顔を向けた。


「そうか、よしのと呼んでくれていたのですな、わが家では。

 荻乃芽おぎのめ鳴美なるみ

 それがその子の、本名なのですよ」


「オギノメナルミ?

 いったいどういうことだよ。

 絢辻あやつじの子じゃないっていうのか」


「さよう。

 鳴美ちゃんは、少々わけがあって、この私がしばらく預かることになっていたのですなあ」


「ちょ、ちょっと、意味がわかんねえよ」


 彦一は首をかしげ、背負子しょいこのよしの、鳴美を振り返る。


「なるほど、わからないですか」


「だって、置手紙にあったじゃないか。

 この子をよろしくとな」


 茂根彦は頭をかいた。


「私は絵の才能はあると自負するのですが、こと手紙やら文章となると不得手でしてな、はははっ」


「知ってるよ。

 いつも送ってくる絵葉書の添え言葉なんて、小学生だ」


「はい、否定はしません。

 三日間か、長くても十日前後の間だけ面倒をよろしく、とお願いするつもりでした。

 実はその鳴美さんの母親は、私の絵を扱う東京の画廊の娘さんでしてな。

 旦那さんも絵描きで、現在は海外へ行っておるわけです。

 たまたま北海道からの帰りに立ち寄ったとき、画廊の社長ご夫婦が交通事故にあった直後だったのですよ。

 ああ、おふたりとも入院はされておりますが、命には別条はありません。

 ところが緊急搬送された病院では、事故直後であったために娘さんも気が動転されており、ご両親のことで頭がいっぱいになっておったのです」


 茂根彦の説明に、彦一はなんとなく気が付いていた。


「それで私は日ごろからお世話になっている社長のために、娘さんが落ち着くまで面倒をみてあげましょうと進言したわけです」


「ああ、そこまでは理解した。

 したけどだ。

 それが、なぜこの家に連れてきちゃったんだよ」


 茂根彦は、また意外そうな顔つきになる。


「この私に、子育て、ましてや赤ん坊の面倒など、みることができると思われますかな、彦一くん」


「ああ、無理だね。

 オヤジには絶対に無理だ」


「だから、あなたにお願いしようとナゴヤまで来たのです」


 あっけらかんと言われ、彦一は口を開けた。


「彦一くんは、つぐみさんやひばりさんを生まれたときから育てている、実績があるではないですか。

 十日間程度なら、楽勝でしょう」


 当然のように言われ、彦一はがっくりとうなだれた。


「私はあなたにその子を預け、すぐに東京へ戻りました。

 社長ご夫婦は快方に向かわれておりましてな。

 娘さんもようやく落ち着いてきたので、今日こうして引き取りに参上した次第なわけですよ」


 一気に疲れが彦一を襲う。

 まだ頭が整理できていない。

 

 鳴美が小さな声で泣き始めた。

 彦一は背負子からそっと抱えだして、座布団の上に寝かせる。

 立ち上がると台所へ行って、ミルクを作り始めた。

 なぜだかわかないが、彦一の目から涙がこぼれ出す。

 湯を沸かしてミルクを作る間も、涙は止まらない。

 

 哺乳瓶を持って泣いている鳴美を抱っこして、乳首をその小さな口元にあてがった。

 鳴美はピタッと泣きやむと、勢いよく飲み始めた。

 つぶらな瞳が、彦一をじっと見つめている。


「おや、どうされました、彦一くん。

 泣いているようにお見受けするが」


「うるせえなあ。

 放っておけよ、俺のことなんか。

 今までだってずっと放ってきたくせに」


 文太はだまったまま、彦一の気持ちを察していた。

 彦一の幸せをひたすら願う。

 自分のことすべてを後まわしにして、家族や店の面倒をずっとみてきている彦一だから。


 この赤ん坊にも、惜しみない愛情を短期間とはいえ注いできているのだ。

 本当にこれからは、自身の人生を謳歌してほしいと祖父は思った。


 茂根彦は何事もなかったかのような涼しい顔で、「それではおとうさん、彦一くん。また会う日までお元気で」と、とうかごに寝かせた鳴美を抱えて玄関から出て行こうとする。


「おい、オヤジよ。

 つぐみやひばりに会っていこうかと思わないのかよ。

 あいつらの父親だろ」


 彦一の言葉に、茂根彦は初めて苦笑とも泣き顔ともとれぬ顔つきで言った。


「今さら私の顔を見たところで、あの子たちはなんとも思わないでしょう。

 彦一くんが、立派な親なのですから」


 茂根彦は出て行った。

 文太と彦一はだまったまま、居間で腕を組んでいる。


「じいちゃん」


「うん?」


「俺はつぐみやひばりを、ちゃんと育ててるのかなあ」


「なにをいまさら。

 おめえはこの家の大黒柱さ。

 それよりもだ」


 文太は大きくため息を吐く。

 その意味が彦一にもわかった。


「つぐみとひばりが帰ってきたら、絶対大泣きするなあ、じいちゃん」


「ああ、泣くな」


 ふたりは目を合わせて、もう一度深いため息を吐いた。


 ~♡♡~~


「まいどっ、いらっしゃい!」


 開店と同時に暖簾のれんをくぐって、サラリーマンらしき若い三人連れが入ってきた。

 カウンターに腰を降ろし、物珍しげに店内を見渡す。


「ここだよ、SNSで調べた人気の焼き鳥屋さんって」


「ああ、席が空いててよかった」


 彦一は三人の前につきだしの小鉢を置く。

 鰹節で出汁だしを取り、しょうゆやみりんにお酒で煮込んだ茄子と小エビの煮びたしだ。


「へえ、これ美味しそう」


「出汁の香りが食欲をそそるなあ」


 彦一は満足げな顔だ。


「飲み物はどうする?

 おにいさんたち」


「じゃあ、生ビールを三つください」


「あいよっ」


 彦一はサーバーからジョッキに生ビールを注ぐ。


「へえ、背肝なんてあるんだ。

 これ好きなんだ」


「ぼくは、ネギまからいこうかな」


 カウンターの一番奥に座っている青年が、顔をしかめている。

 それに気づいた隣りの同僚が、「どうした?」と訊いた。


「あっ、いや、なんでもない」


 言いながらも耳をそばだてている。

 閉められたドアの奥から、なにかが聴こえるのだ。


「どうしたのさ」


 もう一度問われ、その青年は小声でささやく。


「なんだか、女の悲鳴が聞こえるんだけど」


「えっ」


「それも、複数の女性の泣声」


「ええっ!」


 三人は顔を見合わせた。

 もしやこの店の奥では監禁された女性たちがいて、無理やり性的な玩具にされているのではないかと、背筋に冷たい汗が流れ出す。


「はいよ、生三丁。

 あれっ、どうかした?」


 三人はあわてて頭をふり、ビールのジョッキを傾けた。


「よしのちゃーん、どこへいっちゃたのぉ!

 今夜こそちゃんとお風呂に入れてあげようってぇ、一生懸命体勢を考えていたのにいっ」


「帰ってきてぇ、わたしたちの妹ーっ。

 やっぱりわたしが背負って大学へいけばよかったんだあ」


 店の奥、絢辻家の居間では女子ふたりが大声で泣き叫び、今夜は飲みに出かけなかった文太が懸命に慰めているのであった。

                            第一話 終り

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