焼き串・九本目

 満開であったソメイヨシノが花ふぶきとなって、商店街の通りにも淡い桃色の精霊たちが舞い踊る。

 陽射しは、日をおうごとに熱量を帯びていく。


 彦一ひこいち作務衣さむえ背負子しょいこの紐を胸元で巻き、背によしのをおんぶしながら午後の商店街を買い物かご片手に歩いていた。


 この数日、よしのをめぐり、「今日はわたしがお風呂にいれて、一緒に寝るからね」、「えーっ、つぐみちゃんはぁ昨日もよしのちゃんとずっと一緒だったんだからあ、今日はあたしよ!」などと姉妹が取り合う。


「ひばりはこの前みんなの目を盗んで、よしのちゃんをお風呂にいれてさ、あやうく溺れさせる寸前だったんだよ。あぶない、あぶない」、「そ、それはあ、ちょっと手がすべっただけでぇ、機敏なあたしはぁ、すぐに湯船から引き上げたでしょ」などと正当性を主張する。


 風呂場からよしのの大きな泣き声が居間まで響きわたり、彦一に文太、つぐみはあわてて風呂場まで駆けつける羽目になった。


「愛する妹たちよ。

 きみたちの想いはさ、にいちゃんはとてもありがたいんだけどね。

 ほら、あなたがたには勉強に邁進してほしいわけ。

 だから」


 彦一は、横で仁王立ちして口元に勝利の笑みを張り付け、腕を組んでみんなを睥睨へいげいするかのような文太ぶんたを指さした。


「ここはやはり経験者である、じいちゃんにお任せしよう」


「へへん、とくらあね。

 なんといってもわしはおめえたち三人のよ、おしめを替えながらミルクを飲ませてやった、大ベテランだからなっ」


 つぐみもひばりもくちびるを噛み、悔しげな視線で祖父と兄を睨むも、言われていることは正論であるから言い返せない。

 ただ彦一は見誤っていた。


 文太は夜のとばりが下りるころ、店で仕込みをする彦一に向かって、「ちょっくら老人会の打ち合わせが入っちまってな。悪いけど、今晩だけ頼むわ」と言いながら、よしのを差し出してきた。


 まあ今夜くらいはいいかな、と彦一は快く引き受けた。


 ところが翌日も、その翌日も、なんだかんだと理由をつけて飲みに出かける文太に、彦一はがっくりとうなだれるしかなかった。


 小さな赤ん坊を放っておくわけにもいかず、結局背負子によしのを入れて家事や仕事をすることになる。


 たださすがに焼き場に連れていって火傷をさせたり、充満する煙の中でよしのに一緒させるわけにはいかないため、試行錯誤のうえ、みどりに夕方からお願いすることになった。


「いいよ、もちろん。

 わたしも彦ちゃんみたいに、よしのちゃんを背負って仕事するから」


 ニコリと笑うみどりに、彦一は観音様を拝むように両手を合わせた。


「悪いっ、ほんとに申し訳ない、みどりん」


「なによう、やめてよそんな。

 いずれわたしも結婚して赤ちゃんを授かったら、そうするつもりなんだからね」


 なぜか頬を赤らめ、上目遣いに彦一を見上げる。

 彦一はみどりの想いにまったく気づくことなく、ただ拝むだけであった。


「さて、今夜のつきだしはなににするかな」


 近ごろでは日本語以外の会話もよく耳にするようになった、商店街。

 欧米人やアジア人観光客が往来を行き来している。


 八百松やおまつでは茄子なすを勧められ、小エビと煮びたしにしようと鮮魚店にも顔を出す。

 ついでに夕飯と明日のお弁当用にタコ、アサリ、さわらを包んでもらう。


「彦ちゃん、すっかりおとっつあんぶりが板についてきたな、おい」


 鮮魚店の大将は、商品をビニール袋に入れて、輪ゴムで閉じる。


「いや、だからね、大将。

 この子は俺の子じゃなくて、イモウト。

 ドウターではなく、シスターなわけよ」


「はいよ、お待たせ!」


 大将は、「ちょっと大将、聴いてる?」と食い下がる彦一を無視し、カメラを抱えて珍しげな表情を浮かべて魚を指さす金髪碧眼きんぱつへきがんの若い女性づれに、「オウッ、ビューチホーレデイ、うえるかむ、うえるかむっ」と若干好色そうな目つきで近寄って行く。


 彦一はやれやれと頭を振って鮮魚店から通りへ出た。

 背中から、よしのが「だあっ、だあっ」と一生懸命声を出しながら彦一の耳たぶを引っ張る。


「そういえば、つぐみもひばりもおんぶすると、俺の耳をおもちゃ代わりにしてたっけ」


 買い物かごを抱えて後ろをのぞく。

 よしのと目が合う。

 大きな二重にまつ毛がカールしており、深く澄んだ湖のような瞳がじっと見つめてくる。


「か、可愛いっ。

 やっぱりおまえも美人さんになるんだろうなあ。

 にいちゃん、楽しみだぞう」


 顔を戻して、次は乾物屋で出汁だし用の鰹節と、お握り用の海苔を買うかと歩き出そうとした。


「あぁーんっ、彦さまぁ」


 いきなり腕に抱きつかれ、彦一はあやうく悲鳴をあげるところだった。


「び、びっくりさせないでよぅ、トミさん」


 粘着質な声で腕にからんできたのは、商店街でヘアサロンを経営している富蔵とみぞうであった。

 彦一よりも五歳上の美容師なのだが、男性である。


 目が痛くなるような赤系のキャンディストライプのシャツに、ピンク地のレギンス姿はちょっとコワい。


 美しい顔立ちなら許せるのだが、ごつい肉体に短髪に口髭姿は、どうみてもゲイの悪役プロレスラーの強面こわもてなのである。


 しなを作り、なぜか腰を押し付けてくる。

 とはいえ富蔵は同性愛好者ゲイではない。

 顔がそっくりの、女の子三人のパパなのである。


 彦一は押し付けられた腰から逃げるように身を引くが、富蔵の腕力は半端ではない。


「あらっ、この子が噂のできちゃった婚の赤ちゃんね。

 可愛いわねえ、彦さまにそっくりよ」


「いや、だからねトミさん」


 富蔵は鮮魚店の隣りにある、喫茶店で昼食を摂って出てきたようだ。


「うふふ、知ってるわよ。

 茂根もねさまの新しいお子さまなのよね」


「ああ、オヤジは年齢に関係なく、いや、歳を重ねるほど精力が増していく恐るべき野郎なんだ」


 上目遣いに見上げてくる、富蔵。


「うらやましいわあ、アタシ。

 この頃ちょっと元気がなくなっちゃってさ。

 ママのお誘いを断っては、殴られ蹴られる毎日よ」


 彦一は富蔵の奥方を思い出す。

 女横綱と異名をとる、半端なくでかい女性だ。

 彦一はみどりと自分の関係を重ね合せて、富蔵に心から同情する。


「今日はね、久しぶりに茂根さまの御髪おぐしをカットできて、アタシはシアワセ。

 あの柔らかなウエーブのかかった髪は、そんじょそこらのマダムたちよりも美しいのよねえ」


 はあっと嬉しげにため息をつく富蔵。


「まあ、オヤジの髪癖だけは、俺とひばりも似ちゃったかな。

 えっ、ちょっと待って。

 いま、なんて言った?」


 彦一は大きな目をさらに広げて、富蔵の胸ぐらをつかんだ。


「ああん、ひとが見てるから、乱暴するならアタシのサロンで」


「いやいや、そんな悠長なことを言ってる場合じゃねえっての。

 オヤジ?

 オヤジが今日、トミさんの美容院へ寄ったって言うのかいっ」


 富蔵は胸ぐらをつかまれたまま、目をトロンとさせた。


「彦さんて、そういう趣味があったのね。

 いいわよ、アタシとピッタンコの相性よぅ」


 彦一はつかんでいた手を離し、キッと目つきを鋭くさせると、わが家兼お店の方向へきびすを返した。


「あんのスケコマシ野郎!

 家に戻ってるにちがいない!」


 ダッと走り出す。

 富蔵は腰から崩れ落ち、オネエ座りをしている。

 そこへ通りかかった、眼鏡をかけたアジア人観光客が五人、「パフォーマー! フーッ! ジャパニーズパフオーマー!」と嬉しそうに首から吊るしたカメラでバシバシと富蔵を撮りだした。

                                  つづく

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