焼き串・八本目

 文太ぶんたとつぐみ、ひばりは夕飯を食べ終え、食器を台所のシンクへ運ぶ。


「いっつもおにいちゃんに後片付けしてもらっていたけど、今夜から交代で片付けようよ、ひばり」


「もちろん、あたしはそのつもりよ。

 あたしもぉ今日から末っ子じゃないんだからぁ、お姉さんらしくしなきゃって思ってるんだもーん」


 言いながらひばりは冷凍庫から、お気に入りのカップアイスを取り出した。


「言ってるそばから、なによその手にしてるのは」


「あっ、つぐみちゃんの分もあるからぁ心配しないでね。

 ちょっとぉデザートタイムを楽しんでから、お手伝いしまーす」


 嬉しそうに食器棚からスプーンを取り出すと、居間にもどっていく。


「あれは絶対に手伝う気はない、とわたしは見た。

 まあ、仕方ないか」


 つぐみはショッキングピンクのフリル付きエプロンを、服の上に着る。

 文太は爪楊枝で口をせせりながら、よしのの寝顔を見入っていた。


「文ちゃん、赤ちゃんって可愛いねえ」


 ひばりは美味そうにスプーンでアイスクリームをすくいながら、笑みを浮かべた。


「ああ、だな。

 ほれ見ろよ。

 どんな夢を見てんだか知らねえけど、笑ってやがるぜ」


「この子のママって、どんなママなのかなあ。

 きっと可愛いママなんだろうね、文ちゃん」


 文太は思わず孫の表情をうかがう。

 つぐみにしろ、ひばりも同じく母親の顔を覚えてはいない。

 残った写真でしか、身体をはってこの世に送り出してくれた母の顔を知らない。

 彦一だけは甘えたい年頃に、思いっきり母親に抱いてもらっている。


「どうしたのかな、文ちゃん。

 なんだかぁ怒っているのか泣いているのか、不思議な顔つきだよう」


 ひばりはくったくない笑顔を向けてくる。


 文太は寝る前に、必ず正座して布団の上で拝む。

 てめえの命と引き換えに、この孫たちに幸せをくだせえ、と天にお願いをするのだ。


 無神論者であるから、神さまなぞ信じちゃあいない。

 だけど世のは必ずあるはずだと信じている。


「ひばりよう。

 おめえもすっかりお姉さんだなあ」


「うん。

 あたしはこの子、よしのちゃんのぉ姉さんだよぅ、文ちゃん」

 

 微笑む顔は、遺影のママと瓜ふたつだ。

 茂根彦もねひこと出会わなければ、世界的に有名なヴァイオリニストになっていたはずである。


 台所で食器と格闘しているつぐみの背中を見つめる文太。

 優秀な医師であったおかあさまとそっくりな背格好に、文太は手のひらで鼻をすすりあげる。

 茂根彦とこれまた恋に落ちなければ、今ごろは医学界になくてはならぬ先生になっていたであろう。


「フワーン、アーン」


 とうカゴで寝ていたよしのが、やわらかい泣き声を上げ始めた。


「文ちゃん、よしのちゃんが泣いてるよ!」


 洗い物をしていたつぐみも、タオルで濡れた手を拭きながらすっ飛んできた。

 文太は姉妹を交互に見つめ、言った。


「赤ん坊ってのはよ、話ができねえからな。

 こうやって、泣いて伝えてくるのよ」


 文太は籐カゴから、よしのをそっと抱えた。

 おむつは濡れていない。

 ミルクも充分飲んだ。

 寝る前に抱っこしてほしいだけだと推測する。


「おじいちゃん、どっか具合でも悪いのかな」


「もしかして、あたしのアイスがほしかったのかなあ。

 うーん、妹なら仕方ないからぁ、ちょっとだけあげようかぁ」


 文太は、真剣な眼差しで心配する姉妹に言った。


「これはよ。

 こいつが寝るめえにな、家族がちゃんといるかどうかの確認をしてるだけだ。

 心配するねえ。

 どれ、ちょっくら抱っこして春の夜を楽しませてやるか」


 文太はよしのを器用に抱っこして、玄関へ向かう。

 つぐみとひばりも後に続いた。


「おじいちゃん、心配だからわたしもついていく」


「文ちゃん、よしのちゃんを抱っこしてぇ、途中でアッチの世界へ旅だったらいけないからぁ、あたしも行くよ」


 ひばりの発言につぐみは「なによ、縁起でもない」とブツブツ言いながら、三人は玄関から春の夜に表に出た。


 アーケードのある表通りからは、まだ人々のざわめきが聴こえる。

 八百屋や肉屋はとうに閉店しているが、夕方からは「焼き鳥まいど」のような飲み屋や若者向けの洒落たカフェがひとを呼ぶのだ。


 一本奥に入った路地は住宅街となっており、新興の一戸建てや学生向けのアパートやマンションが建っている。


 文太はいつもの癖で煙草を懐から取り出そうとしたが、よしのを抱えていることに今さらながら気づく。

「わしも歳をとっちまったか」とつぶやいた。


 すっかり自分よりも背が高くなった、ふたりの孫。

 なにが楽しいのか、ふたりは笑い声を立てながら文太の後ろから歩いてくる。

 春の陽射しで暖められた空気が心地よい。


「あっ、見て見て、文ちゃん、つぐみちゃん」


 ひばりは立ち止まって、夜空を指さした。

 三日月がおぼろな光で包まれている。

 そのまわりを、いつになく星々がきらめいていた。


「久ぶりだわ、夜空を見上げて散歩なんて」


「だなあ。

 たまにゃあよ、こんな晩もいいもんだ」


 文太はまたたく星を見上げ、早逝した義理の娘たちの笑顔を重ねた。


「ところで、茂根の野郎。

 よしのを放っておいて、いったいどこでなにをしていやがるんだ」


 文太の気難しげな声に、ひばりは良い表現でいけばものすごく明るく、悪く言えばかなりノーテンキな声で言った。


「文ちゃーん。

 茂根ちゃんなら大丈夫よ、だいじょーぶ。

 だってぇ、あたしたちのとうちゃんでおとうさまで、パパなんだから。

 ねっ」


 いったいなにがどう大丈夫なのかわからないが、文太はなんだか孫に慰められているような気分になった。


 つぐみにしてもそう。

 そしてムードメーカーである、ひばりにしてもそう。

 よくもまあ、ここまで明るく元気な子に育ったものだと感心する。


「いや、育ったんじゃねえやな。

 これも彦一の注ぐ、愛情ってえやつのおかげってもんよ」


「なんか言った?

 おじいちゃん」


 抱かれたよしのがいつの間にか寝入っている。

 つぐみは文太の顔を見た。


「いや、なんでもねえよ。

 さってと、そろそろ帰るとするか」


 孫ふたりは「はーい」と返事し、両側から新しい妹を抱っこした祖父をはさんで歩き出した。


~~♡♡~~


 彦一は注文の入った、せせりとナンコツを焼きながら、焼き場の隣りに設置してあるガスコンロでたらこをあぶり、ツナ缶のほぐした身と白菜を煮込んでいる。

 これはお客さん用ではない。

 明日の妹たちの、お弁当用のおかずである。


「彦さん、なんだか、たらこの香ばしい匂いが」


 カウンターでビールを飲んでいる、ポロシャツにチノパンをはいた若い男性が鼻の穴を広げる。

 商店街の先にある神社の、跡取り息子である。


「悪いね、げんちゃん。

 これは家族用なんだ」


 週に一度、夕飯代わりに店にきてくれる常連さんだ。


 彦一の大きなドングリ眼は焼く鶏と、お弁当用のおかず、さらには店内で次の注文をしようかと考えているお客さんに、目配りをかかさない。

 

 元ちゃんは残念そうな表情を浮かべた。

 その横で、手酌で冷酒を飲んでいる老人が、つきだしの旨煮をつまむ。

 先代の文太が店を開いた当初からの常連客だ。


 商店街の一角で印鑑屋を営みながら占いもしており、みんなから「先生」と呼ばれている。


 いつも和服姿で、すっかり禿げ上がった頭に、易者がかむる利休帽がトレードマークだ。


「ここは焼き鳥専門店だからな、元ちゃん」


 元ちゃんは手羽をしゃぶりながら、老人に笑い顔を向ける。


「そうですよね。

 ぼくは彦一さんの焼いてくれる鶏を食べて、一日の疲れやストレスを発散させてもらっているのに、すみません」


 彦一は苦笑しながら、壁に設置してある棚から一枚皿を取り出す。

 焼いたたらこをひとふり、包丁で一口大に切りわけ、皿にのせて元ちゃんの前に出した。


 焼き目のついた、たらこの下には大葉を敷き、レモンのくし切れをひとつ添える。

 これだけで一気に食欲をそそられてしまう。


「今日だけ、特別だよ。

 元ちゃん」


「彦一さん!」


「なーにをそんなに感動してんのさ。

 たらこを焼いただけだってえのに。

 あっ、これは俺からのサービスだから、お代は要らないよ」


 彦一はウインクした。

 ピンク色のたらこを見つめ、「いただきます!」と箸でつまむ。

 横にいる先生は目を細め、彦一にうなずいた。


「やはりこの店はいいのう、彦さん」


「やめてくださいよ、先生。

 それは妹の明日のお弁当用に焼いてただけなんですから」


「だから、私はこの『焼き鳥まいど』が好きなんですよ」


 先生は文太の煮込んだ旨煮を、美味しそうに口に運んだ。

                                  つづく

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