焼き串・七本目
居間の本棚の上に置いてある時計が、午後八時を指している。
座卓の横には
その前には両頬に熱さましのシートを貼り、ブスッとした表情で腕を組んだ
座卓の下座側では土下座の姿勢のまま、ひたすら謝罪するつぐみ。
さらに白衣を着たみどりも、正座のまま神妙な顔つきで畳を見つめていた。
みどりは、薬局へ泣きながら飛び込んできたひばりを連れて、
彦一はつぐみの裏拳により、意識を弾き飛ばされたあとだった。
まったくもって
彦一は、誰から見てもかなりのイケメンだ。
特に目元はかあちゃん似で、くっきり二重で大きい。
ドングリ眼、とも呼べる。
それがどうしたことか、彦一本人が心から慈愛を込めてジッと見つめると、なぜかその表情は、他人には変質者、もしくは性犯罪者を彷彿とさせてしまうように映るのである。
だから、つぐみだけが悪いわけではない、とも言える。
一方、ひばりは座卓の定位置に座り込み、みなの目を盗むようにしながら指でおかずをつまんでは素早く口に運んでいる。
「彦一おにいさま!
ほんとに、本当にもうしわけございません!
つぐみは愚かな女でございます。
理由もうかがわずに、いきなりはたいてしまうなんて。
こうなれば死んで、いや死ぬのはちょっとアレなので。
今日から一ヶ月、いえ、十日、うーん、三日だけはこのわたくしが家事全般を」
必死に謝罪するつぐみに、彦一は言った。
「もういいよ、つぐみ。
にいちゃんはおまえたちの面倒を見るのが好きなんだから、家事はやらなくても」
パッとつぐみは顔を上げた。
「それでは、わたくしをお許しくださると!
ああ、なんと寛大な兄上でございましょう。
わたくしは幸せものでございますぅ、シクシク」
「いや、つぐみ、涙がでていないけど」
彦一に指摘され、ペロっと舌を出す。
「もう、つぐみちゃんったらあ、あわてん坊さんなんだから。
あたしたちの彦ちゃんがぁ、できちゃった婚みたいなぁ、ふしだら全開な行いをすると本気で思ってるのぉ」
ひばりは切られたトマトをつまんで、口に放りこんだ。
「ひばりっ、なにを白々しことをっ。
元はといえばあなたがわたしにそう言って、早く帰ってきてえって泣いて電話をしてきたのが原因じゃないの!」
「ええっ、そうだったけえ。
あたしはぁ、みどりちゃんに赤ちゃんの育て方を、相談しに行ってただけだよう。
ねえ、みどりちゃん」
みどりは引きつったような笑いを顔に貼りつけた。
薬局に泣きながら飛びこんできたひばりに、経緯を説明する上で自分も勘違いしたことを伝えていたから。
「まさか二十歳で妹ができるなんて、驚いちゃったなあ」
つぐみは正座していた脚をくずす。
「可愛いねえ、赤ちゃんって。
そうだ、いいことを思いついちゃった。
彦ちゃんやぁ文ちゃんはぁ、お仕事で忙しいからぁ、明日からあたしがこの子をおぶって学校にいきまーす」
「いやいや、ひばり。
赤ん坊を背負って高校へ行くなんて、無理だよ。
セーラー服の上から
いつの時代の
「じゃあ、わたしが大学まで連れて行くよ」
彦一は両頬をなでながら「痛っ」と顔をしかめ、首をふった。
「いいからさ、おまえさんたちはしっかりと学問を修めておいで。
こうみえてもにいちゃんは、ふたりを育ててきた歴史があるからな」
みどりが手をあげる。
「彦ちゃん、大変なときはわたしに声をかけてよ。
わたしだって、つぐみちゃんにひばりちゃんを面倒みた経験があるしさ」
彦一は鼻をすすりあげる。
「悪いなあ、みどりん。
思い出すなあ、あの頃をさ。
俺がひばりをおぶって、つぐみの手を引きながら通りを歩いてると、中学の同級生だった連中が、からかうわけよ。
まあ悪気はなかったんだろうけど。
そんなときにさ。
たまたまみどりんが通りかかってな、『彦ちゃんをいじめるな!』なあんて連中を
みどりはあわてて両手をふった。
「ひ、彦ちゃん、その話って絶対に盛ってるでしょ。
か弱き乙女であるわたしが、そんな乱暴を」
つぐみとひばりの「すごいなあ」と憧れ半分、「やっぱりねえ」の納得顔半分の視線を受けて、みどりは恥いってしまう。
「じゃあさ、俺がちょっと忙しいときだけでいいから、お願いします」
彦一は丁寧に頭を下げた。
「ねえねえ、そろそろぉいただこうよう」
ひばりはすでに箸を持ち、座った身体を揺らしている。
「おっ、そろそろ俺もじいちゃんと交代してくるわ。
みどりん、ありがとうな」
つぐみもみどりに頭を下げた。
「みどりさん、ありがとう。
またよろしくお願いします。
おにいちゃん、この子、よしのちゃんだっけ。
わたしとひばりで見ておくから、心配しないでね」
みどりは彦一の頬を見ながら「ごめんね」、とつぶやいて立ち上がった。
「それじゃあ、あたしたちは晩ごはんタイムですう」
ひばりは嬉しそうに茶碗を持って、ご飯をよそいに台所へ向かう。
「おにいちゃん、ご飯まだなんでしょ」
「ああ、いいから。
それよりもじいちゃんにずっと店を任せてるから、さすがに疲れたろう」
彦一はショッキングピンクのエプロンから、真っ白な前掛けに替えて台所から店に続くドアを開けた。
店内は満席でにぎやかな声が響いている。
彦一はもう一度前掛けの紐を結び直した。
「まいどっ!」
お客さんたちに、いつもの挨拶をする。
「さってと、焼きますかっ。
じいちゃん、交代するから居間でご飯食べちゃってよ」
「おう!
おう?
どうしたい、彦。
今度は右の頬に熱さましを貼っちまって」
「ああ、これか。
大丈夫さ」
言いながら両頬のシートをはずした。
まだ赤い頬であったが、彦一はすでに仕事モードに頭を切り替えており、痛みは感じなかった。
「彦ちゃん、こっちに手羽とハツを頼むわ」
「了解っ。
シオ、でいいよな」
「こっちはタレで、つくねを二人前お願いします」
「あいよぅ」
文太と交代し、彦一は焼き場に立った。
妹想いの兄の顔から、焼き鳥職人の真剣な表情に変わっていた。
つづく
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