焼き串・五本目

「焼き鳥まいど」の開店前の仕込みは多岐に渡る。

 文太はなじみの精肉店から、毎日鶏を仕入れていた。


 もちろん、ナゴヤコーチンと呼ばれる高級ブランド肉だ。

 彦一に代が替わってからも関係は続いている。


 文太の目利きはすごい。

 すこしでも気に入らなければ商品すべてを突き返してくるから、精肉店も半端な肉は卸さない。


 焼き鳥は正肉、皮、ハラミ、ぼんじり、軟骨、ハツ、レバー、砂肝、銀皮、背肝、目肝、えんがわ、あいだ、手羽、ちょうちん、ささみ、つくね、せせり、おたふく、ふりそで、さえずり、ペタ、白子、かんむり、ふんどし、ソリレスに一羽をさばくのだ。


 これは機械だけではけっしてできない。

 たとえば砂肝。

 ほとんどの焼き鳥店では切った状態で焼く。

 砂肝を切断して焼くと、かなり歯ごたえがある。

 つまり言葉を換えれば、固いとも言えるわけだ。

 

 ところが切断せずに丸のまま焼くと、歯で噛んだとたんプツンと口の中で弾けるような面白く柔らかい感触を味わえるのである。


 機械で処理すると、どうしても砂肝は半分もしくはそれより小さくなってしまうのだ。


 それに、ここまで丁寧に分解して焼く作業は、手間がかかるためにしない店が大半である。


 文太の包丁さばきは、まさに神業であった。

 ナマものであるため、時間をかけるわけにはいかない。


 高校を出てすぐに文太の下で修業した彦一は、すでにこの技術を習得していた。

 絢辻あやつじ家は代々手先が器用なのだろう。


 味付けにはタレとシオの二種類を用意する。

 タレは文太が修業した東京の店で使っていた門外不出のタレを分けてもらい、長年継ぎ足し継ぎ足し、さらに奥深い味にしている。


 焼き物以外にも、鶏とゴボウ、ニンジン、コンニャクを使った炊き込みご飯、鶏ガラで作ったスープもある。


 彦一が試行錯誤しながら作った、醤油ベースのドレッシングをかけた、ササミと季節野菜のサラダも特に若い女性から人気がある。


 当然ながらアルコール類も数を揃えており、大抵のオーダーには応えられるようにしてあった。


 つきだしは日替わりである。

 それにつきだしには、お金を取らない。

 なかにはお替りするお客もいるが、文太も彦一も「あいよっ」と気軽に出す。

 自分が作った料理を美味しそうに食べてもらうのが、至福の喜びなのであった。


〜〜♡♡〜〜


 彦一はみどりに見繕ってもらった赤ん坊用の一式を抱えて自宅に戻ると、すぐに夕飯の買い物に繰り出す。


 今夜は豚の生姜焼きにタラのソティ、あとはひじきの煮物と菜の花のおしたしにする予定だ。

 生姜焼きはひばりが二人前を食すため、五人分を仕込まなければならない。


 つぐみも、もしかしたら外で食べそびれ、お腹を空かせて帰ってくるかもしれないと考え、用意だけしておくことにしたのだ。


 妹たちの胃袋だけは、たとえ自分がひもじくても満たしてやりたいと、いつも思っている兄である。


「あんなにメッチャ食べるのに太らないって、うらやましいよなあ」


 ひばりのスラリとした体型を思い浮かべ、このごろ少し出てきたお腹をさする。


 再度商店街に出ると、背中でもぞもぞと動く気配があった。

 どうやら赤ん坊が目覚めたようだ。

 

 彦一は背中に顔を向けた。

 くりくりした大きな目元が彦一を見る。

 ニコリと歯のまだ生えていない口を開けて笑った。


「こんにちは。

 俺は、にいちゃんだぞ。

 今日からおまえさんの面倒をみてあげるからな」


 背負子しょいこからはみ出した小さな手が、彦一の耳たぶをつかむ。


「そういえばさ、名まえはなんていうのかなあ。

 オヤジの手紙には何も書いてなかったけど」


 茂根彦もねひこは妹たちの命名をするとき、それぞれの母親の出身県の県鳥けんちょうから名前をつけた。

 つぐみは福井県、ひばりは熊本県の県鳥である。


「愛知県はたしか、コノハズクだっけ。

 まさか女子にコノハズクなんて、キラキラネームよりぶっ飛んでるしなあ。

 春だからサクラ、なんて安直だし。

 そうだ、ソメイヨシノの、よしの、ってどうよ」


 彦一は赤ん坊を振り返る。

 すると意味などわかるはずもないのに、赤ん坊はニコリを微笑み、うんうんと首を縦に動かした。


「そっかあ、にいちゃんの言葉がわかるってか。

 よしの、絢辻よしの。

 いいじゃないか。

 じゃあ今日からおまえさんは、よしのだ」


 背中のよしのは指をしゃぶりながら、嬉しそうな表情を浮かべている。


 彦一は行く先々で、「おや、彦一っちゃん。できちゃった婚かい」と同じセリフを何度も聞く羽目になった。


 買い物カゴを両手に抱えて自宅にもどった直後、背中のよしのがフニャフニャと女の子らしい泣き声をあげだした。

 彦一は素早く食料品を冷蔵庫にしまうと、居間の座布団に寝かせた。


「おむつを替えてっと。

 そうだ、その泣き顔はお腹が減ったんだよな。

 待ってな、にいちゃんがすぐにミルクの用意をするから」


 よしのの紙おむつは、おしっこで膨れ上がっていた。

 さすがにふたりの妹を育てた彦一。

 赤ん坊の泣き方で、だいたい何をどうすればいいのかがわかる。


 まっさらな紙おむつをはかせて、目を離さないように台所で湯を沸かす。

 哺乳瓶ほにゅうびんを熱湯で消毒し、沸いたお湯で粉ミルクを哺乳瓶に入れて溶かす。

 もちろんこのままでは大人でもやけどをしてしまうから、ミルク入り哺乳瓶をシンクで流水を使って温度を下げる。

 

 まだ自分から、はいはいしないからいいけど、これが動き始めるころには細心の注意が必要である。

 哺乳瓶をさわりながら頃合いをはかり、手の甲に乳首から数的ミルクを振って温度を確認した。


「よし、これなら大丈夫だな」と彦一はまだ泣いているよしのを抱っこする。


「お待たせなあ、よしの。

 ほら、たんとお飲み」


 よしのは哺乳瓶の乳首に勢いよく小さな口を近づけ、飲み始めた。


「どうよ、ちょうどいい温度だろ。

 にいちゃんは子育てのプロ、だからな」


 つぐみのときには、かなり失敗した。

 自分がいい温度だと思っても、赤ん坊には熱すぎたり、おしめを替えるのが面倒で、タプンタプンに紙おむつが膨らむまで替えなかったこともあった。

 ひばりが赤ん坊の頃には、その失敗を教訓にしていた。


 よしのは大きな目を細めて、懸命にミルクを飲んでいる。

 台所のドアから先は店になっており、文太が顔を出した。


「彦よ、こっちはいいからよ。

 その赤ん坊を頼むぜ」


「ああ、悪いな、じいちゃん」


「なあに、これでも『焼きの文太』さまよ。

 今夜からは、わしに任せときなって。

 久しぶりに退屈せずにすむからよ」


 彦一は哺乳瓶を飲みやすいように傾けながら、文太に言う。


「この子さ、名まえがわかんないから、仮としてよしのって呼ぶからね」


「よしの、か。

 いい名前じゃねえか、おい」


 文太は親指を立てて笑った。

 よしのはよほどお腹がすいていたのか、あっという間にミルクを飲み干した。

 彦一は正面から抱きかかえ、よしのの背中をポンポンと叩く。


「げーっ」


 よしのは胃に溜まった空気を、気持ちよさそうにはき出した。


「どうよ、よしの。

 美味しかったか」


 彦一は両手でよしのの脇を抱えて顔を近づけた。

 キャッキャッと満面の笑みを浮かべる。


「この年齢で妹ができるとは、にいちゃんもビックリだけどさ。

 でも大丈夫だからな。

 俺がちゃんとよしのを育ててあげるからな」


 彦一はよしのを抱きすくめた。

 甘い匂いが鼻孔をくすぐる。

 久しく忘れていた赤ん坊の香りに、彦一は目を細めた。

 廊下から差し込む陽射しがオレンジ色になっていた。

                                  つづく

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